The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

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Bluenote

2010-09-19 23:04:03 | 変態ベース

Bluenote
Clifford Jordan                                    By 変態ベース
ずいぶん以前の話だが、クリフォード ジョーダンがビッグバンドで来日をした時の映像を観たことがあった。顔中髭だらけの、目にもさやかとは言い難いジョーダンが、舞台の袖から何やらメンバーに指示を与えていた。しかしいっこうに自らは楽器を持とうという気配がない。かなり憔悴したような表情だったが、それから日を置かずしてジョーダンの訃報を聞いたように記憶している。69年には、Strata Eastレーベルに大編成グループの意欲作、『In the World』を録音した。70年代には、新主流派的なプレイも実践した。晩年はビッグバンドの活動にも意欲的を見せた。しかし、デヴュー当時の彼は、ハードバップを得意とする堅実なプレイヤーだったのだ。

クリフォード ジョーダンが初めてブルーノートにレコーディングをしたのは57年3月の事である。ジョン ギルモアと組んだ『Blowing in from Chicago』のセッションがそれだ。ハードバップ隆盛期の熱気をそのままに伝える、ダブルテナーによるブローイングである。ピアノは後のジョーダンの雇い主であるホレス シルバーだ。
タイトルが示す通りジョーダンはシカゴからやってきた。ギルモアやジョニー グリフィンとは同郷で、ハイスクールも同じだったという。ギルモアもこの時期は主流派のテナーマンとして将来を嘱望されていたが、やがてサンラーのバンドに合流し、フリージャズの旗手として変身を遂げた。ここで聴かれる2人のスタイルはよく似ているが、やや荒削りな印象を受ける方がギルモアだ。
その3ヵ月後に録音された『Cliff Jordan』は、単独による初リーダーセッションである。メンバーは、リー モーガン(tp)、カーティス フラー(tb)、ジョン ジェンキンス(as)、レイ ブライアント(p)、ポール チェンバース(b)、アート テイラー(ds)を加えた、BN得意のオールスターセッションだ。
1曲目のNot Guiltyはジョーダンの作品。ミディアムテンポの寛いだ雰囲気の演奏が楽しい。ジェンキンスはアルトサックスの逸材として脚光を浴びたが、いつの間にか失速し業界から消えてしまった。本作でも彼の骨太なプレイが聴ける。ヴィーナスレーベルは行方不明のミュージシャンを見つけだすのが得意だから、生きていればカムバックも有り得るかもしれない。
ここでのブライアントの演奏は、後に彼が聴かせたアーシーなピアノスタイルよりもっとあっさりとしている。それを物足りなく感じる人がいるかもしれないが、私はこの演奏がとても気に入っている。フラナガンにも引けを取らない巧者ぶりがうかがえる。

ジョーダンのプレイは泰然自若として、「ジャズの王道」を突き進むものだ。しかし、晩年に至るまでトップランナーの位置を確保する事は叶わなかった。前に立ちはだかるロリンズの背中があまりにも大きかったということだろう。彼が他のテナープレイヤーと比して何処か劣っているかといえば、明確にそれを指摘する事は難しい。しかし現実はきびしく、ハンク モブレイもそうだったように、へヴィー級のチャンピオンベルトを手にする者は、世の中で一人だけなのだ。
前2作は確かにいいアルバムだったけれど、ジョーダンのスタイルをリスナーの記憶に刻み込む事は出来なかった。リーダーが2人もいたり、強力なサイドメンに囲まれた状況では、その個性も埋没してしまうはずだ。
ひょっとしてBNはジョーダンの売り出しに、尻込みしていたのかもしれない。それは次の『Cliff Craft』が、BNに残した最後のアルバムになってしまったからだ。気に入った新人は収益も度外視して、徹底的に録音を続けるのがアルフレッド ライオンの方針だが、ジョーダンの場合はその幕切れがあまりにもあっけなかった。それにアルバムジャケットもやる気がなかったのか、ため息が出るくらい味気ない。白地に楽器を持ったジョーダンの写真を張り付けた構図。ジャケットにも気を配るBNにしては、露骨な手抜きである。しかしこのアルバム、内容的には素晴らしく、もっと早く出ていたら世間の彼に対する評価も違ったものになっていたかもしれない。晩年、親交をもったアート ファーマーをパートナーに迎えた本アルバムは、ジョーダンの魅力をもっとストレートに表出した出来栄えだ。
ジョーダンは体力に物を言わせて、たけり狂ったように吹きまくるようなタイプではない。大柄な体躯に似合わず、おっとりとやさしい演奏をする人だ。その辺りはデクスター ゴードンを思い浮かばせるところがある。肉厚な音色にひと肌のぬくもりが感じられるのが、ジョーダンのテナーサウンドなのだ。『Cliff Craft』でも随所で彼のハートウォーミー演奏が堪能できることだろう。
またジョーダンは作曲の才能もすぐれている。『Blowing in ~』Bo-Till、前述のNot Guilty、本アルバムのLaconiaなど、メロディ創りの才能にも恵まれている。


ブルース・アンソロジー Vol.13 (最終回)

2010-09-17 18:26:28 | Blues

「 Modern Blues」
~ブルース・ラスト・ヒーローズ~                             By The Blueswalk

ブルースは1960年代に主流となったシカゴ・ブルースを最後に、衰退の一途を辿っているわけであるが、その最後のヒーローたちの代表は以下の3人に絞ってもいいだろう。同じシカゴ・ブルースといっても、ミシシッピー臭さを引き摺っていた(これが魅力の一つでもあったが)マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフなどに較べて泥臭くなく、都会的で洗練されている。が、B.B.キングみたいに白人聴衆に迎合することもなく、しかも黒人白人隔てなく人気を得て、一世代若い感性でよりモダーンなブルースを展開していった。ロックの世代とも近い所為か、純粋なブルース以外のロック的、R&B的な要素も多分に発揮しているのが特徴でもある。

《マジック・サム》(1937.2.14~1969.12.1)
 すでに1950年代の終わり頃にはCobraレコードへ代表作である”All of Your Love”を吹き込んでいるが、その後はレコード会社の倒産やら兵役および脱走による服役などで、順調な滑り出しとは行かなかったようだ。転機は、1967年にデルマークでリリースしたアルバム『ウエスト・サイド・ソウル』の成功であった。このレコード、シングルの寄せ集めで構成されたと思われるが、12曲すべてがシングル・ヒットになるような佳曲で占められている。こんなレコードはそうざらにあるものではない。マジック・サムの音楽性がヒット曲を生み出せる何かを持っていたと考えられる。
その後、『ブラック・マジック』『アン・アーバン・ブルース・フェス・ライヴ』と順調に人気絶頂を迎えた矢先の心臓発作による32歳での急逝となってしまった。だから、後年の新発見音源を含めても作品数は非常に少ない。正式なのは上記3作品しかない。僕のコレクションにはLP、CD合せて8種類あるので死後に発見されて再発売されたのが多いようだ。
マジック・サムの特徴は、R&B的な要素がふんだんにあり、当時のブルース界にあっては非常にモダンであり、音も軽く軽快で踊れる要素が一杯でロック・ファンの若者にも受けた。ギターは上手いが弾きすぎず、ボーカルも感情豊かだが重くない、本当に楽しくうきうきするブルースである。どちらかというとスローな曲よりアップテンポな曲が似合う。“Sweet Home Chicago”をロバート・ジョンソンのと聴き較べるとよくわかる。この曲の現代のブルース・マンの演奏形式はこのマジック・サムのものを踏襲していると言ってもいいのである。

《オーティス・ラッシュ》(1935.4.29~)
 よくオーティス・ラッシュは不遇なミュージシャンといわれる。バディ・ガイやマジック・サムと同世代であり、同じレコード会社(Cobra)から先にレコーディングをスタートさせ、しかもポストB.B.キングの一番手と目されたにも拘らず、Cobraの倒産によりChessへ移ってから、あまりレコーディング機会が与えられなかった。Cobraでは看板スターであったがChessへ移ってからはその座をバディ・ガイに奪われてしまった。ただ、この責任をチェス兄弟だけに押し付けるわけにはいかない面も多分にある。本人の消極的な性格が災いしてもいるのだ。そういうことで、日本でもオーティス・ラッシュのレコードを入手するのが困難な時期にこの『ジス・ワンズ・ア・グッド・ウン』が発売された1975年当時は、ファンは日本のレコード会社の英断にこぞって大喝采したものであった。
音的には、マジック・サムがR&B寄り、バディ・ガイがロック寄り(ちょっと極論か?)の中にあって、他を圧するような最もブルースっぽいスクィーズ・ギターとアルバート・キング的軽い乗りのボーカルが特徴である。僕は感受性が鈍いのか、音楽を聴いて鳥肌が立つということがこれまでたった3回しかない。そのうちの1回が、このレコードの1曲目“Double Trouble”のイントロを聴いたときであった。高いキュイーンというギターの1音に完全にノックアウトされた。数あるブルースの演奏の中で、この曲でのオーティス・ラッシュのパフォーマンスは最高のうちの一つだ。ロック・ファンにはジョン・メイオールとブルースブレイカーズでのエリック・クラプトンによる”All Your Love”(マジック・サムのとは違う曲なので要注意)での演奏が思い浮かぶだろう。

《バディ・ガイ》(1936.7.30~)
若い頃のバディ・ガイはスリムな身体でくねるような演奏スタイル、ヒップなファッション・スタイル、そして、鋭いギター・テクニックで若者に絶大な人気があったようだ。10代のジミ・ヘンドリックスが追っかけをしている映像を見た事があるが、ジミ・ヘンがバディ・ガイのギターに陶酔しているのがよく判る。切れまくるギター、ヒステリックなボーカル、これだけは他の追随を許さないバディ・ガイの専売特許である。とにかくかっこいい。バディ・ガイの演奏を聴くと自分がそれになり切っているような錯覚に陥るのが不思議だ。
バディ・ガイの代表作を選ぶのには苦労する。それは、Chessレコード時代からジュニア・ウェルズ(herp)とのコンビでの作品や、マディ・ウォーターズやハウリン・ウルフなどとのセッションも多く、自己名義のアルバムが少ないからであろう。その中では、Chess時代のシングルの寄せ集めではあるが、この『ファースト・タイム・アイ・メット・ザ・ブルース』が一番のお薦めだろう。タイトル曲“First Time I Met The Blues”はバディ・ガイを代表する必殺のギターとエキセントリックなボーカルで必聴であろう。(CDでは『アイ・ウォズ・ウォーキン・スルー・ザ・ウッズ』(ジャケットは同じ)もしくは『ザ・コンプリート・チェス・スタジオ・レコーディングス』ですべてを聴ける)
1970年以降もジュニア・ウェルズとのコンビと平行してソロ活動も続け、1975年には「第2回ブルース・フェスティバル」出演のため、弟のフィル・ガイと来日している。その後も世界を股にかけ精力的に飛び回り、また作品もコンスタントに出し続け、ブルースの最後の巨人としての名声を欲しい儘にしているのはご存知の通りである。最近の演奏では『ブルース・シンガー』で、アコースティック・ギターを淡々とそしてボーカルもかなり押さえ気味で、これまた大人の味が醸し出されており、秀逸であった。
なお、シカゴ市内でブルースクラブ「バディ・ガイズ・レジェンズ」を経営しており、シカゴの名所のひとつとなっている。是非、シカゴに行ったらば訪れたいものだ。


ブルース・アンソロジー Vol.12

2010-09-05 21:13:30 | Blues

「 Slide Guitar Blues」
~スライド・ギター・ブルース~                                 By The Blueswalk

 スライド奏法というのはブルース特有のギター奏法である。古くはナイフ・スライド奏法、ボトルネック奏法ときて、現在はスチール(金属)によるスライド・バーの使用ということになっている。いずれもギターのフレットに弦を触れさせないようにバーをスライドさせて音を出す。フレット単位にデジタル的に音を出す方法に比べ、フレット間の中間音を出せるからアナログ的と云っていいだろう。だから、いろんな(理論的にはすべての音階の)音が出せるのだ。これによって、ギターによる音域が格段に拡がり、ブルース音楽の表現の幅が拡大したことは、残されたレコードを聴くことによっても明らかである。勿論、フレット単位の奏法でもチョーキング(スクィーズ)によってアナログ的には出せるのだが・・・
 スライド・ギターの系譜としては、大きくデルタ系とカントリー系に分けられる。前者がロバート・ジョンソン~マディ・ウォーターズの流れで、後者はブラインド・ウイリー・マクテル~タンパ・レッドと流れる一派であると云ったらいいだろうか。どちらもシカゴ・ブルースへ収斂され、エルモア・ジェイムスでその頂点を迎えるといった構図になっている。

《ロバート・ナイトホーク》(1909-1967)
 タンパ・レッドからくるメロディアスで聴きやすく正確無比な、カントリー系の正統的な流れの後継者がロバート・ナイトホークであろう。完璧なテクニックのスライド奏法を駆使し、端正な声質だが強烈な説得力のあるボーカルでシティ・ブルースからシカゴ・ブルースへとカバーする。残された録音が少ないので残念ではあるが、この『マックスウェル・ストリート・ライヴ』がすべてを語り尽くしているように思う。路上演奏なので録音状態は悪いがそのスライドの奥から聴こえてくる魂の叫びとでも云っていいスライド奏法による深遠な訴えは我々に感動を呼び起させてくれる。“アナ・リー”、“スウィート・ブラック・エンジェル”の2曲を聴いたら、この1枚が永遠に価値のあるスライド・ブルース・レコードであることが納得できるだろう。

《エルモア・ジェイムス》(1918.1.27~1963.5.24)
 スライド・ギターの代名詞的なエルモア・ジェイムスである。残念ながら、心臓病のため45歳で亡くなったが、その存在感は圧倒的であった。ロバート・ジョンソンの“ダスト・マイ・ブルーム”をエレキ・ギターの歪んだ荒々しいボトルネック奏法で、南部のミシシッピー・デルタ・ブルースをシカゴ・アーバン・ブルースへと発展させた。その特徴であるイントロの3連符は“ブルーム調”と呼ばれている。代表作はたくさんあるが、ベスト盤的ではあるがこの『ダスト・マイ・ブルース』(CDは『ブルース・アフター・アワーズ』となっている)が手に入れやすくていいだろう。代表曲は“イット・ハート・ミー・トゥ”や“ザ・スカイ・イズ・クライング”などなどたくさんあり現在でもよくカバーされている。白人、黒人問わず後続のすべてのスライド・ギタリストたちへ影響を与えたといっても過言ではない。

《ハウンド・ドッグ・テイラー》(1915.4.12~1975.12.17)
 エルモア・ジェイムスのフォロワーと思われがちであるが、こっちの方が年上だったんだなぁ。いま初めて知った。エルモア・ジェイムスの方が先に世に出て、有名になり、先に亡くなってしまったからなのだろう。レコード屋の店員ブルース・イグロアが1971年に設立したアリゲーター・レコードはこのハウンド・ドッグ・テイラーの録音がしたくて設立された会社である。その第一弾がこの『ハウンド・ドッグ・テイラー&ザ・ハウスロッカーズ』。歪みと荒々しさだけならこっちも負けてはいない。チューニングもへったくれもなく、やたらとわめき散らす。ハウンド・ドッグというぐらいだからそれもそうだろう。しかし、徹底的にやりつくすから全くいやみが無く、さわやかなのだ。こういうブルースも珍しい。ブルースを聴き始めた頃このレコードは買ったので、一番よくターン・テーブルに乗ったブルース・レコードかもしれない。

《J.B.ハットー》(1926~1983)
 エルモア・ジェイムスの正統的なフォロワーがこのJ.B.ハットーである。エルモア・ジェイムスに似ているため、あまり人気が無いのは損な役回りである。これも、先達が偉大すぎたためこれは仕方がなかろう。スライドも上手いし、ボーカルも下手ではないが、小型エルモアとの評価は甘んじて受け入れざるを得ない。まるで、ジャズ界のチャーリー・パーカーとソニー・スティットの関係に似ている。そんなら、いっそのことエルモアそっくりさんで行こうと割り切ったのが良かった。ファンはその中にエルモアとの違いを見つけてくれ、そこに期待を賭けてくれたのだ。その結晶が、この『ホーク・スクワット』。つまり、スマート・ジェイムスといったところか。どうせ、全部まねしても勝てないんだったら、核の部分だけは拝借し、そこに一味工夫したスマートさをブレンドしたというわけだ。このスマートさとはロバ-ト・ナイトホークの持つ洗練さといってもいいだろう。ひょっとしたら「ザ・ホークス」というバンド名もロバ-ト・ナイトホークを意識していたからかも知れない。