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The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

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アーリー・エバンス その3

2013-03-09 21:36:46 | Jazz

アーリー・エバンス その3
                   The Blueswalk

 ビル・エバンスのピークはスコット・ラファロを擁したトリオでの『ポートレート・イン・ジャズ』に始まる一連の1959年以降の作品だと思われるが、その1年前のマイルス・デイビス・グループへの参加によってその萌芽がまさに開花し始めたといっても差し支えない。
 よく知られているように、ジョン・コルトレーンやレッド・ガーランドの例を持ち出すまでもなく、マイルス・デイビスは新人を発掘することに掛けてはジャズ界随一の嗅覚とセンスを持っていた。当時、マイルスはプレスティッジからコロンビアへ移籍した直後で、新しいサウンドを求めていた時期に当たる。コルトレーンを外すわけには行かないが、レッド・ガーランドやフィリー・ジョー・ジョーンズのリズム・セクションではとうに先は見えている。そこで、ここに新しいピアノ・サウンド・クリエイター候補としてビル・エバンスに白羽の矢が当てられたわけだ。その結果として、「コード進行(ハーモニー)の束縛から解放した(コード進行に囚われない)自由なアドリブ」奏法として《モード手法》が生まれたのだが、これは瓢箪から駒などといわれるような偶然の結果では決してなく、ビル・エバンスというピアニストでなければなしえなかった産物だろう。マイルス・デイビスの慧眼には恐れ入るべしだ。

 ビル・エバンスの参加した最も古いマイルス・デイビスのレコードは1958/5/17録音の『ライヴ・イン・ニューヨーク』のようだが、その10日後のスタジオ録音『1958マイルス』(1958/5/26)が最も重要だ。ジャケット・デザインは池田満寿夫氏による、1979年日本編集のレコードだが、このようなすばらしい演奏がオクラになっていたとは驚きだ。メンバーもこのレコーディング以降は黄金のカインド・オブ・ブルー・セクステット(マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイ、ビル・エバンス、ポール・チェンバース、ジミー・コブ)だ。
特に1曲目の“オン・グリーン・ドルフィン・ストリート”における、ビル・エバンスの耽美的なイントロとそれに続くポール・チェンバースの思索的なベースの妙、その後のマイルス、コルトレーン、キャノンボールの各ソロ、全く非の打ち所のない演奏だ。さらに、“フラン・ダンス“、“ステラ・バイ・スターライト“、“ラヴ・フォー・セール“と続く4曲(1曲“リトル・メロネエ“は別メンバーでの1956年録音)はマイルス・デイビスの数多い演奏中トップ・クラスにあげられる。
すでにこの作品において《モード手法》への方向性がはっきりと意識されていることがわかる。『カインド・オブ・ブルー』が《モード手法》を取り入れた完成形の作品とするなら、この『1958マイルス』はその原型として高く評価すべき作品である。マイルス・デイビスのレコードで僕が最も多くターン・テーブルに載せているレコードだ。

 このあと、マイルスのグループではライヴ録音が続くが、まずは『アット・ニューポート1958』が楽しい。ライヴ録音なので、前作のようなビル・エバンスのピアニズムを鑑賞するというわけには行かないが、エバンスも意外と根性があったんだと再認識させてくれる一枚だ。レコードではマイルス・デイビス・グループ(1958/7/3録音)とセロニアス・モンク・グループ(1963/7/4録音)と全く脈絡のない2つのセッションのA、B面カップリングであった(もちろんジャケットも異なる)が、CDではコンプリートとして個々に独立させたバージョンになったので買う立場からは改善されたようだ。演奏は前作と同じメンバーだが、メンバー紹介でのビル・エバンスへの拍手が少ないのが当時を物語っている。マイルスを除いての一番人気はもちろん、キャノンボール・アダレイに決まり。1曲目のチャーリー・パーカーのビバップ曲“アー・リュー・チャ”、マイルスの急速長調のオープン・トランペット、キャノンボールの火を吹くようなアルト・サックス、コルトレーンのシーツ・オブ・サウンドを髣髴とさせるテナー・サックスに対し、ビル・エバンスがどう対峙したか、そう、音なしの構えとはこのこと、こんな奴らに付き合っていられるかとソロなし(取らせてもらえなかった?)だ。他の曲ではきっちりソロしているので、御大マイルスがいようがいまいが自分に合わない曲ではソロしないと自己主張しているようで面白い。

 『ジャズ・アット・ザ・プラザ』はプラザ・ホテルでの1958/9/9ライヴ録音。同じライヴ演奏ながら、こちらは屋内ということで落ち着いた演奏であるが、1曲目の“イフ・アイ・ワー・ア・ベル”でマイルスのトランペットがところどころでオフ・マイクになっている部分があるのが惜しい。ビル・エバンスを筆頭に全員快調に演奏しているのでなおのこと録音の不味さが本作を台無しにしている。カインド・オブ・ブルー前の黄金カルテットの記録という意味以上の価値はないので、マニアのみもっていればよいアルバムだろう。1973年発売だから、マイルスが発売を渋った結果に違いない。

 この間、ビル・エバンスのリーダー作として、『エヴリバディ・ディグズ』(1958/12/15録音)と『グリーン・ドルフィン・ストリート』(1959/1/19録音)がある。いずれもフィリー・ジョー・ジョーンズがドラムスで参加したピアノ・トリオの演奏だ。ベースは前者がサム・ジョーンズ、後者がポール・チェンバース。マイルス・グループではモードに向かって突っ走っているビル・エバンスだが自己リーダー作ではかなり楽しんでやっているという感じがする2作である。いずれもスタンダード中心で、バラードあり、心地良いスウィングするものありでハツラツとしたビル・エバンスが聴ける。演奏曲がバラエティに富み、飽きが来ない作りをしている。前者では、ピアノ・ソロの“ピース・ピース”、バラードの“テンダリー”が聴き物だろう。後者ではタイトル曲と“あなたと夜と音楽と”で美しさが際立っている。ビル・エバンスとフィリー・ジョーとが合うなんて意外と思われるかもしれないが、案外ビル・エバンスにはハードボイルド的な側面があるのでウマがあったのかもしれない。スコット・ラファロ、ポール・モチアンとのトリオ演奏と較べたら色々批評も出てくるだろうが、これはこれでかなり質の高い(ビル・エバンスに質の低いのはないけれど・・・)演奏記録である。

 さて、『カインド・オブ・ブルー』(1959/4/22録音)である。これについては僕にはあまり付け加える言葉もないのだが、やはり世紀の大傑作というしかない。ジャズファンを自称して持っていない、聴いたことがないという方はすぐ買って聴いてください。そして、1曲目の“ソー・ホワット”を聴いてください。イントロのビル・エバンスのピアノとポール・チェンバースのベースのユニゾンを聴いてください。これが、モード・ジャズです。ジャズに美的なものを求めるとするならこのレコードしかない。気を静める、気を落ち着かせる、静かにジャズに浸るといった場合にはこの上ない盤である。だが、ジャズを聴いて楽しむ場合にはたしてこのレコードを一番に推薦できるかというとはなはだ疑問が残る。実際、今回取り上げたビル・エバンス関連のレコードで見ても、僕は『1958マイルス』を一番好んで聴いているのだから。


アーリー・エバンス その2

2013-01-15 18:56:35 | Jazz

アーリー・エバンス その2
                                            By The Blueswalk

 

 年取ると物忘れが激しくなって困る。去年の5月にアップすべき記事を今頃アップです。


 ビル・エバンスが初リーダー・アルバム『ニュー・ジャズ・コンセプション』を1956/9/27に録音し、世に“新しいジャズの概念”を問うた訳であるが、その反応はいまいちだった。なぜか、時代が早すぎたというしかないだろう。まだ、大半のジャズ・ファンはハード・バップやウエスト・コースト・ジャズに浮かれており、その変革を必要としているのは一部のジャズ評論家やマイルス・デイビスやジョン・コルトレーンなどの一部のミュージシャンでしかなかったのだ。その必要性を感じていないから、聴いても楽しめないし、面白くも無いのだ。それに、このレコードの作りにも問題があった。一言で云うと、ビル・エバンスの良さが発揮できていないということだ。局部的には後年のエバンスらしい面が出ている箇所も散見されるので、あっ、ビル・エバンスだなとわからない事はないが、全体としてはその辺にいるバップ・ピアニストとあまり変わりがない。新人なんだから私がビル・エバンスですというような音作りでないとだれも食いついてこないだろう。だから、売れなかった。その結果、このあと3年間というもの、リーダー・アルバムを出せてもらえなかった。しかしこの3年間、不遇な扱いを受けていたわけではなく、様々なセッションを経験し、自分を磨き成長していったからこその1958年のマイルス・デイビスのグループへの抜擢だと考えれば、まがりなりにも自己名義のレコードを出すことが出来たという、不幸中の幸いの出来事ではあったと解釈して良いだろう。さて、そのマイルス・デイビス・グループへの参加までのセッション・アルバムを少し見てみよう。


 ジョー・ピューマ『ジャズ』(トリオ・アンド・カルテット)は1957年2月の録音。
この白人のギタリスト、ジョー・ピューマは地味で派手さはないが、良い意味でくつろいだ小気味良い演奏をしている。後半(レコードでいえばB面か)の3曲にエバンスが参加しているが、これまでの参加アルバムの中では一番乗っているのではないだろうか。ドラムスがポール・モチアンなので気心も知れており、ベースはオスカー・ペティフォードという安心してリズムをゆだねられる相手だからこその雰囲気に乗ってエバンスも快適にかつソロでは内省的な演奏をしている。例えば、”アイ・ガット・イット・バッド”、上記『ニュー・ジャズ・・・』でも取り上げられているが、前作のビ・バップ・ピアニストからなんとたった半年でのこの変わり様、一皮向けたビル・エバンスの誕生だ。しかし、売れんがための日本のタイトルは“ジョー・ピューマ~ビル・エバンス”となっている。これはちょっとやり過ぎって云うもんだ。


 ジミー・ネッパー『ア・スウィンギング・イントロダクション』は1957年9月の録音。
チャールス・ミンガスの「ジャズ・ワークショップ」在籍時にジミー・ネッパーが残した唯一のリーダー作。この直前8月にチャールス・ミンガスの『イースト・コースティング』のレコーディングに参加している縁で、エバンスがこの録音にも誘われたのであろう。ミンガスのレコーディングでは殆んどソロらしい演奏をさせてもらえなかったが、ここでは少人数ということもあり、かなりのソロ・スペースを貰い、エバンスらしい演奏を展開している。そういう意味で、だんだんとビル・エバンスの評判が巷に知られるようになり、評価も上がってきていることがこれらの数作の録音で判るのである。ネッパーはミンガスのチームでは作・編曲を担当していただけあって、通ごのみのレコードというべきか、この統制の取れたアルバム作りは最高の出来といって良いだろう。トロンボーンの技術もさることながら、プロデューサーとしての手腕ももっと評価されるべきだろう。


 サヒブ・シハブ『ジャズ・シハブ』は1957年11月7日の録音。サヒブ・シハブといえば(変な名前だがアメリカ生まれの白人。顔と名前から中東系では?)、「サヒブズ・ジャズ・パーティ」で知られているマルチ・リード奏者である。ジョン・コルトレーンの初期の傑作『コルトレーン』の“バカイ”で無神経なバリトンを吹き散らし、“コートにすみれを”ではシハブが抜けてほっとしたという方も居られるのではないだろうか。さて、このアルバム、シハブの初?リーダー作である。フロントにフィル・ウッズ(as)、ベニー・ゴルソン(ts)、それにエバンスという新進気鋭が入ることで、3管編成の重厚なハーモニーが聴かれる趣味のいい作品に仕上がっている。ここは、ベニー・ゴルソンのアレンジが発揮されたと判断しても良いだろう。つまり、若きゴルソン・ハーモニーの初期のショウケースと云った趣だ。さて、肝心のビル・エバンスであるが、静謐な中にある一つ一つの音の粒立ちの明確さというものが出ており、まだ過渡期の音と見ることはできるが、かなりのスピードで自己を確立しつつあることは疑いない。


 エディ・コスタ『ガイス・アンド・ドールズ・ライク・ヴァイブズ』は1958年1月16日の録音。エディ・コスタはヴァイブ奏者でありピアニストでもある。その人がなぜピアニストを雇って録音したのか?この録音前年、コスタはダウンビート誌のピアノ、ヴァイブ両部門の新人賞を得ていたにもかかわらず、”二兎を追うものは一兎も得ず”という言葉があるように、ピアニストとしての限界を悟ったのではないだろうか(本当はピアニストとして行きたかったらしいが・・・)。それは、エバンスのような、新進気鋭のピアニストの出現を身近に感じた結果の判断だと言えるだろう。この1958年、エバンスがそのピアノ部門の新人賞を獲得したのだから。結果的にその判断は正しかったと言えるし、このレコードの成功もその効果によるものであろう。ここでのエバンスのハツラツとした演奏はエバンスが本当の意味でエバンスになった最初の演奏だと断言して良い。どうでも良いことだけれど、ここでも現在ではタイトルが”エディ・コスタ・カルテット”から” ビル・エヴァンス・アンド・エディ・コスタ”になっている。エディ・コスタ、『温情でエバンスにチャンスを挙げてやったのに』と草葉の陰で嘆いているだろうか。


 ヘレン・メリル『ザ・ニアネス・オブ・ユー』は1958年2月21日の録音。1954年、クリフォード・ブラウンとの世紀の大傑作を世に出した”ニューヨークのため息”ことヘレン・メリルにしてはその後目立った評価のレコードが出せなかったので、起死回生の一発を狙ったとしてもあながち穿った考えではないだろう。そこで白羽の矢が立てられたのがビル・エバンスだったのだ。メリルはもともと歌唱力はあまりなく色気とハスキー・ボイスで勝負するタイプなので、きっとエバンスとの相性が良くて、両者の良いところが上手く引き出されているのではないだろうかと想像したのだが、それは期待しすぎだった。つまり、ピアニストの唄伴はしょせん唄伴でしかなく、歌い手を持ち上げるのが仕事だから、エバンスの求めている芸術性を発揮できるスペースは少なかったということだ。そういう意味で、このレコードにビル・エバンスのサムシングを求めるのは筋違いということなのだ。でも、バックのエバンスの演奏を聴いていると意外と楽しんで演っているさまが聴いて取れるし、エバンスらしさも短いながら出ているのでこれはこれで成功したレコードと捉えて良いだろう。ヘレン・メリルの唄を聴くには数多いレコードのなかでも上位に位置づけられる出来であることは疑いない。


 ハル・マクシック『クロス・セクション・サクシーズ』は1958年3月25日の録音。ハル・マクシックと読むのかハル・マクージクと読むのかはっきりしないのだが、知性的なところが際立っているウエスト・コースト派のサックス奏者である。その点で共演者としてアート・ファーマー(tp)とビル・エバンスの起用は正解だろう。ところがだ、編曲重視の曲想にどうもエバンスが違和感を覚えたか、全然らしさが出てこない。それが編曲だと言ってしまえばそれまでだが、これは聴く方にとっても消化不良を覚えてしまいそうだ。と書いていたら、3曲目の”イット・ネバー・エンタード・マイ・マインド”のイントロでこれまた、いかにもエバンスらしいリリカルで繊細なソロが出てくる始末だ。どう評価して良いか戸惑うが、結局B面まで聴き通してみるとマクシック色が濃いながら、意外と各自の個性が各所に出て、殆んど完成されたビル・エバンス奏法がふんだんに聴ける好アルバムであるという結論に達するのだ。

 さて、次回はマイルス・グループへの参加作品を検証してみよう。


過小評価の人たち ~ソニー・スティット~ リーダー編

2013-01-12 15:22:32 | Jazz

過小評価の人たち   ~ソニー・スティット~ リーダー編
                                              By The Blueswalk
 前回も書いたが、僕はソニー・スティットがチャーリー・パーカーのそっくりさんと呼ばれたのは悪い意味ではなく、チャーリー・パーカーと同じくらいのテクニックとフィーリングを持っていると云ういい意味での捉え方をしている。違いは、パーカーがビ・バップという革新的なジャズのスタイルを創造したのに対し、スティットは後継者として生涯を通じてそのビ・バップの殻から出ることなく、いわば職人芸、名人芸を追及した人と云えるだろう。だから、この分野はスティットに任せておけ、誰もスティットにはかなわないよという狭いけれども確固としたテリトリーを持ち、それが古臭いだの、時代遅れだのと云われてもそれしか出来ないといったビ・バップ馬鹿職人なのだ。日本の伝統的な芸術や技能ではその道の大家には「人間国宝」などという称号を与えられるが、まさにソニー・スティットはビ・バップの国宝的名人なのである。
 ところで、ソニー・スティットがこの過小評価というテーマに相応しいのかということを皆さんの中には疑問に思われているのではないかと危惧しているし、逆に過大評価じゃないのかと言われそうな心配もあるのでそのことについて一言述べておきたい。1940年代前半に演奏活動を開始し、1982年に亡くなるまでほぼコンスタントにレコーディングの機会を得て、生涯に100枚を越す作品を出している。そして、駄作といわれるものがほとんどないという状況にもかかわらず、テナー・サックスとアルト・サックスの二刀流ということもあって、どっちつかずのイメージと温厚すぎる性格も相まって、人気という面であまり評価の対象にならなかったというのが現実ではないだろうか。以下に挙げる代表作を見てもその領域の一流どころといわれる奏者に引けをとっていることは決してなく、むしろ同業者(サックス奏者)からは畏敬の念を持って接しられていることを我々日本人は知るべきではないだろうか。


 初期の大傑作として、この『スティット~パウエル~J.J』は1949年当時のビ・バップ作品を代表する1枚である。ここではテナーを吹いている。面白いのは、アルトの場合はチャーリー・パーカーゆずりのスピード豊かで歯切れの良い鋭い音色を聴かせるのに、テナーの場合はレスター・ヤング張りのふくよかで、流れるようなフレージングを特徴としていることである。そして、バド・パウエルのピアノもここでの聴き物である。このアルバムは人気的にはバド・パウエルの絶頂期の演奏が聴けることの方が評価されているだろう。1949~1950は、バド・パウエルとしては『ジャズ・ジャイアンツ』と『アメイジング・バド・パウエル』の間の録音なのだから悪かろうはずがない。その凄まじい神がかったパウエルを向こうにまわして一歩も引けをとらずのがっぷり四つの横綱相撲だ。1曲目「All God’s Children Got Rhythm」、いきなり飛び出すパウエルのピアノを聴くだけでもゾクゾクものだが、それに負けないイマジネーション豊かなフレージングで対抗している。J.Jジョンソンとのセッションも5曲ほど入っているが、前者が余りもすばらしいだけに無くても良いほどだ。


 『ペン・オブ・クインシー』は1955年の作品。これも名盤の誉れ高い作品である。クインシー・ジョーンズがアレンジしていると云うので敬遠されがちであるが、オーケストラといってもストリングスが入っている訳でもなく、10人のジャズ・バンドであり、中規模編成のバンドをバックにしたスティットのアルト・ワン・ホーンの作品といっても差し支えない。歌心豊かで悠然としたスティット節が全面に渡って聴かれる。こういう場面で一人主役となることの楽しさ、嬉しさが伝わってくるような吹きっぷりである。クインシー・ジョーンズのアレンジもスティットのソロを主眼に置いているので、バックの演奏はバラエティに富みながらも、小賢しいところがなくスマートだ。「My Funny Valentine」を聴けば、チャーリー・パーカーとの違いは歴然としている。エモーション一本で浪々とバラードを吹き切るこの技はスティット独自の世界だ。前述の作品がどちらかというとバド・パウエルの演奏の方に耳が行ってしまうのに比べ、ここでのスティットの演奏を彼の最高傑作と評価する人も多いのもわかる。


 『ウィズ・ザ・ニュー・ヨーカーズ』は1957年、ハンク・ジョーンズのピアノ・トリオをバックにしたお洒落な作品。ジャケット写真からも今までになく楽しんでいるという雰囲気が伝わってくる。この時期、つまり1955年から1960年ぐらいまでが初期のスティットの絶好調期で立て続けに佳作を発表しているのだが、これはチャーリー・パーカーの死(1955/3/15)と無縁ではありえない。ライバルというか目標としていた先輩の死でこれまで悶々としていた気持ちが一気に吹っ切れて創造意欲が湧き上がってきたのではないだろうか。バド・パウエルとハンク・ジョーンズのバックのリズム・セクションが異なることでこんなにも違うのかと思われるほどリラックスし、伸び伸びしたスティットのアルトが冴え渡る。もちろんハンク・ジョーンズの小気味良いピアノに助けられている部分も多いのだが、前『ペン・オブ・クインシー』で発揮された唄心豊かなバラード演奏はここでも健在で、ここにニュー・ヨークのラウンジでしか聴けない一流ジャズの醍醐味を味わうことが出来る。聴きやすいという観点から判定するとこの作品が最も一般的に受け入れられやすいのではないだろうか。


 『スティット・プレイズ・バード』は1963年の作品。前月のレポートでパーカーの亡くなった直後にこのアルバムを録音したと書いたのは僕の記憶違いでした。この作品こそ、チャーリー・パーカーの呪縛から吹っ切れたスティットがパーカーと対峙し、その違いを見せつけ、それを世に問うたパーカー・トリビュート作品である。全11曲中10曲はパーカー作曲、他1曲はパーカーの演奏で馴染み深い曲なのだから、おのずと対比せざるを得ないし、その違いを認識せざるを得ない。そういう観点から聴くと、やっぱり似ているなあと思うのだが、一番分かり易い違いは、音の出だしがパーカーだと、瞬間的にパッと出て歯切れが良いのに対し、スティットは時間を掛けてスゥーと出て流麗な感じといった表現が当てはまりそう。違いを際立たせるのにピアノのジョン・ルイスとギターのジム・ホールの参加も一役買っている。だから、パーカーをいっぱい持っているからこの作品は要らないということにはならない、スティット・ファンは必ず持っていなければならない作品なのだ。


 『チューン・アップ』は1972年の作品で、1950年代の全盛期を過ぎて、再び1970年代で2度目のピークを迎えるきっかけとなった作品である。選曲はジャズ・スタンダード中心であるが、こういったバップ曲にはうってつけの盟友バリー・ハリスに勝るピアノの共演者はいないだろう。ここでは曲によってアルトとテナーを持ち替えており、アルトはパーカー流、テナーはヤング流というのはいつもどおりで変わり映えしないという印象があるかもしれないが、5曲目のオリジナル曲?「Blues For PREZ And BIRD」のタイトルがスティットの挑戦意欲が未だに衰えていないことを物語っている。スティットにとって生涯、レスター・ヤング(PREZ)とチャーリー・パーカー(BIRD)は目標であり、ライバルであったのだ。ただ、今日に至ってはオールドスタイルの感が漂ってしまうのはしかたがないか。


過小評価の人たち ~ソニー・スティット~ その1

2013-01-05 18:07:57 | Jazz

過小評価の人たち    ~ソニー・スティット~ その1
                                                 The Blueswalk
 ソニー・スティットは不運なミュージシャンである。それは、チャーリー・パーカーがいたから”というのがジャズ界では定説になっている。裏を返せば、これは大変な褒め言葉でもある。なぜなら、チャーリー・パーカーと争ったのはたった一人、ソニー・スティットだけであるともいえるからだ。
僕がブルースからジャズの方に嗜好が傾きかけていたころ、初めてソニー・スティットを聴いた時、なんと、ジャズ界にもこんなにもブルース・フィーリングを出せる演奏者が居たんだと驚きと共に大変嬉しくなった記憶がある。それ以来、ずっとその曲の演奏が入ったレコードを探し求めたのだが、なかなか見つからない。曲名は”ブルース・フォーPCM”と分かっているのだが、どのLPに入っているか分からない。その頃(1981年ごろ)はまだインターネットが発達しておらず、いわゆるパソコン通信といって、電話回線につなぎ、Windowsもまだ世の中に出ていなくて、テキスト・ベースの画面からニフティ・サーヴなどの業者を通じてジャズの掲示板(今で言うところのホーム・ページ)に登録していろんな情報を得ようとしていた時代である。30年前の話であるが、パソコンというものが世の中に出始めた頃のことで、今から考えると隔世の感がある。今は誰でも何処でも何時でもネットを検索すればどんな情報でもすぐに手に入る時代となってしまったが、その頃は自分で考え、努力して手に入れなければならないという難しさと楽しさがあった。さて、話は元にもどるが、そのジャズ愛好者向けの掲示板の管理者である『ほったん』さん(もちろんニックネームであろうが、いまでも名前だけは鮮明に記憶している)から、この曲の由来とLPの名前を教えていただいた。それが「ヴァーモントの月」というレコードであった。それ以来、僕の中ではソニー・スティットのレコードが蒐集の最優先となってしまった。今では、62枚(実際はCDとレコードのダブリも多いので50数枚だろう)まで増えてしまい少し食傷ぎみではあるが・・・
ちなみに、僕のペンネームThe Blueswalk はソニー・スティットの曲のタイトルから盗っている。皆さん、『真夏の夜のジャズ』という、1958年に開催された第5回ニューポート・ジャズ・フェスティバルを記録した映画はご存知と思う。

                                             

その中に、スティットがサル・サルバドールと共演している映像を憶えているだろうか?映画の中ではただの“ブルース”というタイトルで紹介されているが、まさにあの曲が僕のテーマ曲なのである。スティットはThe Blueswalkというタイトルでレコーディングしていない(と思う)ので、巷ではこの曲はクリフォード・ブラウンの演奏で有名であり、作曲者としてもクレジットされている場合も多いが、これはれっきとしたスティットの曲であるのだ(ここは強調したい)。さらに、ルー・ドナルドソンのBlueswalkとは似て非なるものであることも言っておきたい。さて、うんちくが長くなったのでまた話を元に戻そう。
ソニー・スティットが何故チャーリー・パーカーのそっくりさんとかエピゴーネンとか言われるのか?ちょっとひどいですね。エピゴーネンって「模倣者」とか「亜流」とかいう意味ですよ。時代的に言えばチャーリー・パーカーがビ・バップ革命を起こした時代(1940年代後半)でビ・バップを演奏できるアルト・サックス奏者が2人以外に殆んどいなかったということと、共通点といえば少しだけ音質とアドリブでの流麗さが似ているということぐらいなので、ことさらチャーリー・パーカーと較べることもないと思うのだが、褒めようとして言ったのか、二番煎じだと云いたかったのか、今でもチャーリー・パーカーのそっくりさんという肩書きがまかり通っているのである。
スティットのあるレコードの解説で寺島靖国氏が、“パーカーとスティットを較べるのはおかしい。スティットが10人束になって掛かってもパーカー1人に勝てない”などと書いていたが、そこまで言うことはないだろう、これはスティットのレコード評なんだからもっと褒めろよと怒り心頭にはなったものの、反論できないのも事実であった。パーカーが上であることは疑いようもない事実ではある。がしかし、パーカーの模倣者でないことは聴いてみればすぐ分かる。パーカーは一発必殺の瞬発力とカミソリのごとき切れ味、それと他を圧倒するスピードのアドリブ・ライン、スティットは鬼気迫るエモーションのブルース・フィーリングと悠揚迫らざる流麗なアドリブの妙とでも云ったら良いだろうか。云ってみれば、コルトレーンとロリンズを較べるようなものなのだ。どっちがどっちかって?それはあなたが判断してください。それでも、評価はコルトレーン対ロリンズが50:50としたら、パーカー対スティットは99:1ぐらいにしかならないだろうね。僕は67:33(つまりパーカーの半分ぐらいはあるのでは)と思っているのだけれども・・・
 こんな具合だから、ソニー・スティット自身も巷の評価を凄く気にしていたようである。もともと、テナーとアルトの両刀使いで、しかも殆んど甲乙つけがたいほどのテクニックを持ち合わせていたこともあって、パーカーの二番煎じという汚名を嫌ったのか、1950年ごろにはアルトを吹かなくなり、もっぱらテナーに専念したようだ。デクスター・ゴードンやジーン・アモンズとセッションは今日でもテナー・バトルの典型的名演としてジャズ史に刻まれていることでも理解できるだろう。そして、やっと天敵チャーリー・パーカーが1955年に亡くなって、やおらまたアルトに持ち直したという、あまり嬉しくない経歴を曝け出すことになる。しかもその最初のレコード・タイトルが『スティット・プレイズ・バード』なのだからこれ以上の皮肉はないだろう。
 1960年代になるとマイルス・デイビス・グループの一員としてヨーロッパに遠征し、ライブ録音を残しているが、これがまた評判が悪い。まあ、スティット・ファンの僕から見ても新進のマイルスと旧態のスティット(年は1歳しか離れていないのだけど)が合う訳がないと思うのだが、このときのマイルスの気持ちは如何ばかりか計り知れない。いくら、人がいなかったとはいえマイルスも選ぶのに迷ったことだろう。その次の遠征では、しっかりとコルトレーンを引っ張り出すことが出来てなんとか汚名を晴らすことができたマイルスであったが、当のスティットは出来の悪いレコードが後々まで不評を買うことで終わってしまっている。そんなこんなの生き様を見ると、楽器が上手い、下手もさることながら、愚直すぎるスティットに同情をせざるを得ない。
 スティットの晩年は、これまた凄まじい。1982年に来日公演を催し、北海道を皮切りに日本縦断演奏旅行を開始した。普通なら、大都市の東京、大阪だけでやれば済むのに、これまたスティットの性格が災いしたのだろう、エージェンシーにいやといえなかったのか、自ら進んで企画に乗ったのか。ところが、この時既にスティットは癌を患っており、体調がすこぶる悪く、車椅子に乗り、看護婦帯同の楽旅だった。ただ、本人の意志も固く開始されたのだが、旭川での講演では最初の1曲で力尽き、そのまま帰国の途につき、3日後にワシントンDCにて帰らぬ人となってしまったのである。


アーリー・エバンス その1

2012-04-09 23:06:59 | Jazz

アーリー・エバンス その1
                              The Blueswalk
 ビル・エバンスがジャズ・ファンに認知され始めたのは1958年5月以降のマイルス・デイビス・セプステット、レコードで云えば、『1958マイルス』以後であり、『カインド・オブ・ブルー』(1959/3/2)においてその大輪の花を咲かせ、その後のスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(ds)を擁し、新しいピアニズムの境地を開拓していったわけである。

しかし、デビューは1953(1954?)年のジェリー・ウォルド楽団への参加に遡る。タイトルは『リスン・トゥ・ザ・ミュージック』

誰しもデビューはこのようなスウィング・ジャズ・オーケストラでのその他大勢のなかのひとりとしての参加というのが相場で、ビル・エバンスとて同様であっただろう。ただ、このバンドはストリングスにジェリー・ウォルド(cl)、エディ・コスタ(vib)、ポール・モチアン(ds)他のということであるから、少々のソロは取らせてもらったかもしれない。残念ながらこのレコードは持っていないので、ビル・エバンスがどれくらいの演奏をしているのか興味のあるところだ。

 

 ルーシー・リード(vo)『ザ・シンギング・リード』は1954/春の録音。

ルーシー・リードはジャズ・シンガーというよりポピュラー・シンガーと言えるような唱法で、さほど上手いとはいえない。特にアップテンポな歌には高音域のふらつきが気になってしまうが、スローなバラード曲では丁寧な心のこもった歌い振りが良い雰囲気を醸し出している。一方ビル・エバンスであるが、歌伴に徹しており、ボーカルに合わせた選曲、曲調ということもあり、個性というものがまだ出し切れていない。ただ、曲によっては往年のリリシズムの片鱗がところどころ出てくるものもある(特にスローな曲)ので持っていて損はしない程度の価値感か。このレコードの欠点はバックの演奏がディック・マルクスというもうひとりのピアニストのグループ(ピアノ、ベースのデュオ)との混在となっているため、ビル・エバンスのピアノに浸っているといきなり次が無神経なマルクス君の演奏になったりするので聴きづらいということだろう。CDだったら、エバンスがバックを演った曲のみ選択して聴いたほうが良いかもしれない。

 ジョージ・ラッセル『ザ・ジャズ・ワークショップ』は1956/3/31~1956/12/21録音。

フリー・ジャズでは無いが、実験的なジャズを標榜したジョージ・ラッセルの個性的な編曲が楽しいレコードである。アート・ファーマー(tp)、ハル・マクーシック(as,fl)、バリー・ガルブレイス(g)を中心とした、ハード・バップ以降の新しい形式の音楽を模索しているかのような音楽であるが、頭でっかちなことは無く、ちょうどウエスト・コースト・ジャズとハード・バップを混ぜたような音楽といったら良いだろうか。ビル・エバンスも各所でソロを披露している。その中で面白いのは、”コンチェルト・フォー・ビリー・ザ・キッド”におけるちょっとラテンの4ビートリズムにのって、ファーマーとマクーシックのユニゾンによるリフが繰り返されたあと、エレピかと思われるようなエバンスの躍動的なソロ、”バラード・オブ・ヒックス・ブレウィット”における耽美的な演奏が聴き所だろう。が、あくまでもジョージ・ラッセルの編曲重視の演奏なためエバンスを聴きたいと思ってこのレコードを買っても期待はずれだろう。

 トニー・スコット『ザ・タッチ・オブ・トニー・スコット』は1956/7/2録音。

16人編成、テンテット、カルテットと3つのタイプの演奏が入り混じっているので、もう一つ散漫で整合性に違和感のあるレコードである。もちろん主役はトニー・スコットのクラリネットであり、ビル・エバンスの出番は、A面最後の”イオリアン・ドリンキング・ソング”。ここではスコットの情熱的なクラリネット・ソロもすばらしいが、それに呼応したようなエバンスのピアノ・ソロがクールでヤバい。なんか、他のメンバーを無視して自我の境地をいくような恐ろしさだ。著名なアーティストも数名参加しているがソロはなさそうなので、トニー・スコット・ファンかビル・エバンス・マニアなら持っていたい程度の作品だろう。
 このあとやっとリーダー作『ニュー・ジャズ・コンセプション』を吹き込むことになる。     (次回へ続く)


女流ピアノ・トリオ

2012-03-22 21:22:54 | Jazz

女流ピアノ・トリオ 
                                                The Blueswalk

 今月のテーマは『トリオ』である。選択の幅を広げて色々な解釈で皆さんのベスト・チョイスがなされればいいなあと思っている。でも正直、通常トリオといわれるとピアノ・トリオを思い浮かべる人が殆んどであろう。僕もそのうちのひとりだ。
 ピアノ・トリオといえば、ピアノ、ベース、ドラムスの構成が主流であるが、その構成を確立させたのが バド・パウエル だといわれている。現代でこそこのフォーマットがその殆んどを占めているのであるが、その昔はピアノ、ギター、ドラムスのパターンも多かった。ナット・キング・コール・トリオや初期のオスカー・ピーターソン・トリオがその代表であろう。それから時代を経て、ビル・エバンスやキース・ジャレットなどのスタイリストを経由して現在のジャズの基本フォーマットとして定着しているのだ。そんな意味でピアノ・トリオはジャズの主流といっても良いほどの流れを形作っているので、ピアニストの数はジャズ奏者の中で比率も高いし、女性の占める割合もボーカルについで高いと思われる。現代では女流ピアニストが花盛りだが、50~60年代にはそう多くはみられない。そんな中から“野に咲く可憐なユリの花”のごとき女流ピアノ・トリオをバックに美味しい酒を楽しみたいものだ。

 ユタ・ヒップ『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ』


ドイツで活動中に評論家レナード・フェザーに知己を得ていた彼女は1955年30歳でドイツからアメリカに移住し、その口ぞえもありブルーノート・レコードからデビューを果たした。プロデューサーのアルフレッド・ライオンも同じドイツ出身ということもあるし、新人を発掘することには定評のあるブルーノート・レコードの目に留まったのはラッキーであったといえるだろう。そしてその第1弾がこのヒッコリー・ハウスでのライヴ録音である。名も知れない新人のデビューをライブでしかも2枚組み、恐るべしアルフレッド・ライオンの慧眼というべきか。しかし、このレコードが際立って人口に膾炙しているという事実は演奏の良し悪しよりも、後年のブルーノート神話に拠るところ大といっても過言ではない。つまり、ブルーノート1500番代はすべて名作だとジャズ・ファンが洗脳された結果の人気だということだ。
 さて、演奏内容なのだが、さすがに初めてのライヴ録音ということで硬くなっているようだ。元来、テクニックを鼓舞するタイプでなく、内に秘めた情熱を淡々とクールに表現するタイプなので、冷たい感じがするかもしれない。チャーリー・パーカーの“ビリーズ・バウンス”なんかもトリスターノか?と感じる部分がないわけではないが、じっくり鑑賞するには持って来いのアルバムで、何回も聴き返していくごとに味の出るといった感じだ。アメリカのショー・ビジネス界に水が合わなかったのかもしれず、このあと、ブルーノートにズート・シムズとのセッション盤(僕はどちらかというとこっちの方が好きだ)を残してシーンからひっそりと消えていったユタ・ヒップであった。


 ロレイン・ゲラー『アット・ザ・ピアノ』


 ウエスト・コースト・ジャズの高名なアルト・サックス奏者ハーブ・ゲラーの奥さんで、おしどりコンビで少なからずレコードを残したロレイン・ゲラーの唯一のリーダーアルバムである。美人薄命というが1958年30歳の若さで喘息の心臓発作により突然亡くなったのが惜しまれる超美人のピアニストである。旦那との一連のレコードを聴いてもわかるとおり、こちらはバド・パウエル系の力強い、スピード感豊かなフレーズが心地良い。もともと発売は予定していなかったデモ用の音源で、突然他界したロレインへの追悼盤としてリリースされた、ジャズ・ファンには貴重なレコードである。バックのベース、ドラムを含め、やや一本調子な面も見られるが、ピアノの躍動感はホレス・シルバーを彷彿とさせるものがあるし、B面1曲目の“マダムⅩ”はまるでバド・パウエルの“ウン・ポコ・ロコ”、こんな強烈なピアニストもそうざらには居るまい。これもユタ・ヒップと同じく、聴きこんで良さがにじみ出て来るというタイプの演奏である。なにせ、リーダー作品はこれ1作なのだから、貴重この上ない。なお、オーネット・コールマンの「トゥモロウ・イズ・ザ・クエスチョン」の中の“ロレイン”は彼女をオマージュした曲である。


 パット・モラン『ジス・イズ・パット・モラン』


 以前、「美脚」のテーマで取り上げた作品である。パット・モランは唄も歌い、ベブ・ケリーの唄伴的なアルバムも残しているが、代表作となるとこの美脚盤に限る。それはなぜかというと、なんといっても無名のベーシスト、スコット・ラファロの参加に他ならない。なるほど、1曲目からついついラファロの快適なウォーキング・ベースに耳が移ってしまう。ラファロといえば、ビル・エバンス・トリオでの丁々発止なインタープレイが有名であり、それのみがスコット・ラファロのトレードマークとして持て囃されているようだが、ここではリズム・マンとしてのベーシストに徹していて、しかもそれが最良な形で発揮されているところにこのレコードの価値があると思われる。そういう意味では、このレコードはスコット・ラファロに食われているといっても言い過ぎではないだろうが、ここでのパット・モランのピアノも、歌伴の域を脱して、強烈なラファロのベースと対峙して奮闘していることは間違いない。それが4曲のピアノ・ソロ曲に顕われている。これはピアノのレコードなのだ、ピアニストが主役なのだ、そして、この美脚も私なのよという意思の表れだ。


 『ルッキン・フォー・ア・ボーイ』


 これは、3名の女流ピアニストのトリオ演奏をあつめたコンピレーションCDである。サヴォイ・レコードはブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドなどに較べ、やや見劣りするレコード会社だと見られている節がある。その大きな理由は“組織化されたレーベルポリシーの有無の差”と寺島氏は云っているが、それは当たっているかもしれない。これがサヴォイの音だ、ジャケットイメージだというものがない。レコーディングにしても然りで、極論すれば、小規模なセッション録音の取り溜めを繰り返し、少したまったら1枚にまとめて“ハイ一丁あがり”的な発想なのだ。だから、レーベルがB級なら、傘下のアーティストもB級に見られてしまう。決してそんなことはないはずなのだが・・・ ここでも3名を1枚のCDに押し込めて発売をせざるをえない録音量での冷遇振りであるが、中身は決して悪くない。
 マリアン・マクパートランド  現在では女流ピアニストの大御所的な扱いをされ、やっと正統な評価を得ているが、それでも知名度はかなり低いといって良いだろう。出自が英国の貴族らしく、容姿も高貴であるが、演奏もそれに負けず劣らず品が良い。音を例えて云うなら、テディ・ウイルソンをもっと優雅にした感じといえば分かりやすいだろう。
 バーバラ・キャロル  最近といっても6年ぐらい前であるが、ヴィーナス・レコードから新作が出ており、僕もまずまず気に入ったCDであった。この若き日のお洒落で軽妙なピアノタッチ、カクテルを飲みながらジャズ・ラウンジで聴くのが良く似合いそう。
 アデレード・ロビンス  ほとんどこのCDでしか知られていない幻のピアニスト。歯切れが良く小気味良い演奏で、先頭に配置されているのはCDの作りとしては正解だ。1曲目から軽快にスウィングし、2曲目のブルージーな演奏も上出来だ。出来るならまるまる1枚分の録音でも残っていればと期待感を抱かせるピアニストだ。
 さて、あなたは今月は何を持ってくる?


過小評価の人たち ~スタンリー・カウエル~

2012-03-02 21:01:47 | Jazz

過小評価の人たち        ~スタンリー・カウエル~
                                             By The Blueswalk


 1941年5月5日米国オハイオ州トレド生まれ。クラシックやジャズの研究をした後、67年にマリオン・ブラウンの『Why Not!』のレコーディングでデビューしている。マリオン・ブラウンのグループということから察せられるとおり、ちょっとアヴァンギャルドな危険な香りのするフツーじゃないピアニストだ。67年から69年までマックス・ローチのグループに入り、そこでローチの推進する黒人文化遺産や民族意識の継承に目覚め、以後、行動にも音楽的にもその影響が顕われていくことになる。また、69年にはダウン・ビート誌の「国際批評家投票」でピアノの新人賞を獲得もしている。その後、ローチのグループで一緒になった、チャールス・トリヴァーとの双頭リーダーの《ミュージックINC》を結成し、さらにその作品の発表およびディストリビュートを目的として「ストラタ=イースト」というレーベルを立ち上げ、70年代ジャズシーンに怒涛の殴り込みをかけていくことになる。
 フツーじゃないと書いたが、決してフリー・ジャズのような難解な音楽性を標榜しているわけではなく、至極まっとうなジャズである。トリヴァーと並んで新主流派の一方のリーダーと目されたところにも、それが見て取れるだろう。クラシック的な要素やアフリカ的な要素などを吸収した上でのオリジナルでユニークな力強い音楽であるといえる。

 『ミュージック・インク』は1970年11月11日録音で、双頭グループ《ミュージックINC》のファーストアルバムである。全6曲中それぞれ3曲ずつのオリジナル構成である。いずれもジャズオーケストラの迫力を前面に出したタイトでリズミカルな、それでいてそれぞれの個性溢れた演奏がよどみなくテンション高く続けられ、70年代に最も期待されたグループの面目躍如な演奏である。トリヴァーのトランペットソロとカウエルのピアノソロもふんだんに取り入れられており、特にカウエル作品においては、ユニークかつ理知的なピアノソロが異彩を放っている。70年代を代表し、しかも現代に繋がるビッグバンド演奏の典型例として記憶にとどめておくべき傑作だ。残念ながら、《ミュージックINC》としては、75年の『インパクト』の2作しか発表できなかったという結果となり、このような演奏が2作目、3作目と連続して商業路線に乗れないところに、ジャズ・マーケットでの成功の難しさがある。

 


 『幻想組曲』は1972年11月の録音。スタンリー・カウエル名義の第1作で、ピアノ・トリオ作品。1曲目の“マイモウン”のイントロを聴いただけで、知的で透明感のあるピアノが聴く者の心を掴んで離さないだろう。それほど、インパクトがあり、美しくも力強いピアニズムなのだ。それに続く、スタンリー・クラークのベース(アルコとフィンガーの多重録音のようだ)とのアンサンブルにはゾクゾクっとさせられる。2曲目は一転、エレピを使用し、リターン・トゥ・フォーエヴァー的フュージョンタイプの乗りの良い軽快な演奏だ。3曲目のイントロはどっかで聴いたことのあるメロディだが、思い出せない。そういうことで、1曲ずつ書いていったらキリがないし、どこが“組曲”なのか僕には理解できないが、カウエルの代表作であることに間違いない。

 


 『ムサ』は1973年12月10日録音のソロピアノ作品。“ムサ”とは、カウエルのアフリカン・ネームから採られているとのことで、いわゆる1人称ジャズといったニュアンスが強い。全9曲ともカウエルのオリジナル曲で、内8曲はすでに発表済みをソロピアノに焼きなおしてのレコーディングということでもその意図が明解だ。確かなテクニックに裏づけされた力強いピアニズムと時代の最先端に立ってジャズの再構築を目指そうとする意欲が結びついた、稀に見る美しい結晶が見事に結実した傑作だ。ダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)の『アフリカン・ピアノ』と並び称されるといってよい。カウエルのピアノを聴くならこの作品が最も適しているだろう。

 


 『リジェネレーション』は1975年4月27日録音。ジャケットがアフリカのイエス・キリスト?と思わせる大胆なイラストに驚いてばかりではいられない。まずはエド・ブラックウェル他3人によるアフリカン・ドラムのポリリズムの中、男女のヴォーカルに管楽器を思わせるカウエルのシンセサイザーが絡んでいく。ポップになりすぎたかと思いきや、2曲目は打楽器とも、弦楽器とも聴き分けがつかない、まさにアフリカ的リズムの素朴なエスニック・ミュージックとくる。モロッコの三弦楽器であるとの解説でなるほどと納得。次はピッコロとドラムによるマーチング・バンドが繰り広げる踊りたくなるような軽快なリズムが身体を揺さぶる。さらには、ゆったりとしたハーモニカとピアノのユニゾンでハモるスロー・ブルースとくる。まあ、息もつかせぬバラエティに富んだ演奏のオン・パレード。全体を貫くのはアフリカを起源とするアメリカ南部のブルース、カリブのレゲエ、アフリカの民俗音楽を坩堝に投げ込んでその中からエキスを搾り出した黒人のソウルだ。

 


 『恋のダンサー』は1999年6月17日録音。ヴィーナス・レコードに罹ると、人間こうも変わってしまうのか?ハイパー・マグナムという高品質音響効果に胡坐をかいたイージーな企画に誰もが堕落してしまう。スタンリー・カウエルもその犠牲者の一人だった。カウエルにスタンダードを弾く必然性は何処にもないのに売れんがために墓穴を掘った結果がこのCDに凝縮された。成熟したと取るか、堕落したと取るかは聴者の自由意志であり、勿論、『リジェネレーション』から時間的に25年も経ている訳だから変わって当然だ。80年代にはアート・ペッパーの録音にも参加しているし、90年代の「Steeple Chase」の諸作品には70年代の時代を牽引しようとする気概と情熱は失われていなかったと思えるし、これらの作品の出来も論じる必要があるとは思うが、しかし最新のスタンリー・カウエルを象徴する録音としてこの『恋のダンサー』における凋落振りには目を覆わざるを得ないというのが僕の本音である。
 70年代のスタンリー・カウエルの諸作品に対し“昔はよかったね”ではなく、これらの遺産を継承して現代に再構築する気概のあるジャズ・ミュージシャンの出現を心待ちにしている。そうでなければ「ストラタ=イースト」の掲げたジャズの再構築という音楽理念があだ花に終わってしまいかねないという危惧を抱いている今日この頃である。


過小評価の人たち  ~ハル・ギャルパー~

2012-01-16 22:10:59 | Jazz

過小評価の人たち
~ハル・ギャルパー~
                                       By The Blueswalk

 ハル・ギャルパーっていうピアニストをご存知だろうか? ジャズにはチョットうるさいKJS会員の中でも知っておられる方は少ないだろう。ましてや、ワシはギャルパーのファンじゃなどとおっしゃる方はまず居ないだろう。そういう僕も知ったのは4~5年前なのだから偉そうなことはいえないわけだけど、これが何と摩訶不思議なプレイヤーなのだ。一言で云うとこの人「損な役回り」をさせられて一流に成れなかったと言ったらいいだろう。何を損したかというと、自分のリーダーアルバムを殆んど脇役に食われてしまったとういうことなのである。ゴツゴツと岩を叩き割るようなハンマー奏法とでも形容できる力強いピアノスタイルが特徴であり、一度聴いたら忘れられない印象に残るピアニストである。テクニック的にも確実でかなり安定した演奏を聴かせてくれ、さらにはバップを弾いてもよし、モードならなおよし、フリーもこなすよといったバーサタイルでありながら、ちゃんと自分の豊かな個性を持ったピアニストなのだ。なぜ、ジャズ・ファンの間でもあまり知られていないのか? 運が悪かったとしか言いようがないのだ。一流の資格十分なのにである。僕の中では、現在では大御所の一人と呼ばれるチック・コリアにも引けをとらない三ツ星ピアニストなのである。
 1938年4月18日、マサチューセッツ州生まれ。チェット・ベイカーやキャノンボール・アダレイとの共演で頭角を現したということであるから、元来はオーソドックスなピアニストといえそうであるが、フリーやモードの洗礼を受けた奏法があちこちに垣間見れて、豊富な経験もあわせ幅広い音楽性を持っているようだ。だから、どんなタイプのジャズにも対応でき、さらに非常な個性を持ったピアニストといえるだろう。ちょうど、[チック・コリア×2+セシル・テイラー]を3で割ったような感じといえば判りやすいか。つまり、両者の中間でどちらかというとチック・コリアに近いといったニュアンスだ。

 『ナウ・ヒア・ディス』は1977年録音の初リーダー・アルバム。日野皓正(tp)、セシル・マクビー(b)、トニー・ウイリアムス(ds)といった、本人より一枚も二枚も上手の猛者を脇役にしたのが不味かった。特に日野皓正が出色の出来で、どう聴いてもトランペット・カルテットになってしまっている。さらに、マクビーのベースが縦横無尽に駆け巡り、ウイリアムスはこれでもかこれでもかとプッシュしまくる。ギャルパーもリーダーらしく6曲中5曲はオリジナルを引っ提げ、本レコードに掛ける意気ごみが伝わっており、そこかしこに印象的で強い自信に溢れた本当にすばらしいピアノを披露しているし、オリジナル曲では作曲者としてのギャルパーを遺憾なく発揮してはいる。しかし、相棒たちがリーダーを立てるなんていう心優しい連中ではなく、リーダーを無視したかのごとき独創的振る舞いの前にはいかんともしがたく、返り討ちを浴びるしか仕方がないのだ。またこれが功を奏して、アルバムの出来としては非常に完成度の高い傑作となっている。日野皓正としても彼自身の数多いレコーディングの中でも指折り数えられる出来のレコーディングではないだろうか。
ちなみに最近、初リーダーアルバムとして、CDタイトルが『ゲリラ・バンド』というのが出ているので、このレコードは発売時点では初リーダーとされていたが新たに古い録音のレコードが発掘されたのだろう。

 『スピーク・ウィズ・ア・シングル・ヴォイス』は1978年、ロージーズ(ニュー・オーリンズ)でのライヴ録音。こちらの共演者は当時飛ぶ鳥を落とす勢いであったブレッカー・ブラザーズ。マイケルはまだ20代、ジャケット裏の写真を見ても若々しい。前作が時代を反映したモーダルな作品に仕上がっているのに対し、本作はライヴということもあり、長尺でハードな演奏となっている。ギャルパーの印象的なピアノは相変わらず好調を維持しており、1曲目のイントロに示されるピアノソロは非常に内省的で好感が持てるし、途中のソロでも一音一音粒のそろった強烈な音塊を投げかけている。でも、ここでの主役の座はやはり二人のブレッカーに軍配が上がるだろう。ランディのトランペットはあくまでも明るく輝き、はつらつとしたプレイを見せる。マイケルのテナーは時にハードバップ的に、時にモーダルにと変幻自在でスピード豊かなプレイで応戦するといった具合だ。何といってもこの1978頃のブレッカー・ブラザーズは『ヘヴィ・メタル・ビバップ』という傑作を作っている絶頂期といっていい時代なのだ。いくらギャルパー好調持続中と云えど分が悪い。

 『アイヴォリー・フォレスト』は1979年録音の作品。本作の難敵は、切れまくるジョン・スコフィールドだ。ハル・ギャルパーって選りによってなんでこんな強者ばかりと共演したんだろうか? 確かに、エンヤというレコード会社が選べる共演相手は数少ないのだろうけれど、まあ運の悪い人だ。逆に言えばこの悪運が傑作を生んだともいえるのだが・・・ この前年にジョン・スコ名義で『ラフ・ハウス』という、ベースのみが異なるメンバーでアルバムを作っているので、ジョン・スコフィールド・カルテットの作品の延長と捉えてもいいのだろう。
ここでも全6曲中4曲がギャルパーのオリジナルで、それぞれが印象的なナンバーで構成されており、作曲者としてのギャルパーが遺憾なく発揮されており、鍵盤を叩くようなピアノも相変わらず個性的で印象深い。ジョン・スコはちょうどマイルス・デイビスのグループに入る前の時期で、トレードマークである切れまくるギタープレイを全編に渡って繰り広げており、ソリッドでシャープな音がすばらしい。また、ギターソロ演奏の“モンクス・ムード”でのスローなソロワークは切れるだけがジョン・スコじゃないよとでも云っているような豊かで暖かい叙情性をも発揮している。また、このレコードのいいところは、上述のように、ギターソロ曲あり、ピアノソロ曲あり、それぞれのデュエットあり、カルテットありとバラエティに富んだ構成が為されており、ワンパターンになりがちなギター・カルテットに工夫を凝らしているところだろう。


2011年のベスト

2012-01-12 23:47:52 | Jazz

2011年のベスト 
                       By The Blueswalk

 2011年のニュースは勿論、東北の大震災とそれに伴う原子力発電所事故に尽きるわけであるが、個人的には暗いばっかりでもなかった一年であったように思っている。これまで37年間、コンピューターソフト開発の世界に身を投じていた自分が、よもや教育の世界に足を踏み入れるとは想像もしていなかった。実は、もともと教育学部・中学校教員養成課程・数学専攻というところの出身で、当たり前だが大学の同級生の殆んどは中学校・高等学校の数学の先生になっており、教育の場に縁がないわけではなかったので、まあ本来の古巣に帰ってきたといってしまえないこともない。そういう意味で2011年は自分にとって明らかに平年とは違った心に残る一年ではあった。ところが、国の予算で動いている事業のため、予算が切れる今年の3月で解散となってしまい、またもや就活の憂き目にさらされることとなっている今日この頃である。
 さて、ところで私の2011年のジャズ・ライフであるが、相変わらずレコードやCD集めに余念がなかったと言わざるを得ない。やめようやめようと思いながらついついヤフオクの画面を眺めている自分に気がつくと情けなくなってしまうこともしばしばであったが、もう一種の病気、中毒と諦めてもいる。そんな中から、今年のベストを選んでみようと思う。まずは、東芝EMIからの999円シリーズものにレアで貴重な作品が目白押しであったので、その中から一押しの数点が挙げられよう。

クレア・フィッシャー『ファースト・タイム・アウト』は1962年のデビューアルバム。聴いてすぐにビル・エバンス系のピアニストであることが判る。知的であるがビル・エバンスとは少し違う、最初から計算されたような破綻の微塵も感じられない構成美を持っている。そこが、逆にエバンスにある危険な領域一歩手前まで踏み込むような危うさ、ハラハラドキドキ感がなく、物足りなく感じられるところがあるかもしれない。次作『サージング・アヘッド』ともども最も気に入った作品であった。


 テディ・エドワーズ『サンセット・アイズ』は1959年の作品。ブラウン=ローチ・クインテットのライヴ盤『イン・コンサート』が録音されたのは1954年の4月と8月。レコードのA面が後者でハロルド・ランド(ts)、リッチー・パウエル(p)を擁した布陣、B面が前者でこのテディ・エドワーズ(ts)とカール・パーキンス(p)を擁したクインテットである。つまり、ハード・バップ・ジャズの鉄壁のブラウン=ローチ・クインテットの立ち上げ時はこの人が2管フロントを担っていたのである。そういえば、このタイトル曲もライヴ盤に収録されています。テクニックはあんまり感じられないが、黒いブルース・フィーリングがたまらない。


 マイク・コゾー『ウィズ・エディ・コスタ・トリオ』は1956年作。タイプとしてはレスター・ヤング系のスムーズでメロディアスなフレーズを特徴としている。スタン・ゲッツとズート・シムズの中間ぐらいかな? よく歌い、よくスウィングするテナーが心地いい。リーダー作としては『マイティ・マイク』の2作しか残していないので非常に貴重な1作である。夭逝したエディ・コスタのトリオのバックも秀逸。


 メイナード・ファーガソン『ア・メッセージ・フロム・バードランド』は1959年作。失礼ながらぼくはこれまでメイナード・ファーガソンを全く無視してきた。なぜかというと、1954年のクリフォード・ブラウンのジャム・セッション、ここにファーガソンが参加しているのだけれど、ひとりハイノートでキーキー騒音をわめき散らすだけの演奏に終始していたからだ。その後、“ロッキーのテーマ”など映画音楽で大当たりして大金持ちになった?のがさらに気に入らなかった。でもぼくもそろそろ大人の対応をしないと・・と思い、恐る恐る禁断の果実を拾ったということかな。ところがまあ何とハツラツとした楽しいジャズであることか。ハイノート・ヒッターは相変わらずだが、ライヴであることも、ビッグ・バンド・ジャズの醍醐味が一杯、まさに“目から鱗が落ちる”とはこのこと。
 以下はヤフオクで手に入れたアナログ盤から。


『ハンプ・アンド・ゲッツ』はヴァーヴ得意の大物の組み合わせセッションで、ヴァイヴのライオネル・ハンプトンとテナーのスタン・ゲッツの異色組み合わせだ。1955年録音だから、ゲッツは最絶頂期でハンプトンもまだまだ元気な頃、一つ間違えばケンカセッションになるところ、奇跡的に大傑作が出来上がったという感じだ。1曲目の“チェロキー”だが、最初からアドリブで押し捲り、まったくチェロキーのメロディーが出てこないが、そんなことはどうでもいいくらい息をつかせぬ白熱した演奏だ。また、次のバラード・メドレーがこのレコードでの白眉。


 ズート・シムズ『アット・イーズ』は前から欲しかったレコードだった。ぼくはズート・シムズの演奏なら何でも欲しがる大のファンなのだけど、ズートのソプラノは珍しい(全曲ソプラノで通しているのは『プレイズ・ソプラノ・サックス』くらいかな)ので久しぶりに軽く浮揚するようなソプラノを聴くことが出来ました。コルトレーンやショーターなどのソプラノは心落ち着くという感じじゃないからね。といっても、このレコードではソプラノとテナーを使い分けしているので美味しさ2倍といったところだ。


 久詰さんから聴かせてもらったウィントン・マルサリスとエリック・クラプトンの『プレイ・ザ・ブルース』で最後の1曲とアンコール曲にゲストとしてタジ・マハールが出ていた。まだ元気そうで何よりだ。それで、このレコードを聞き流していたことを思い出し、じっくり聴いたところ、ブルースとしても、タジ特有のワールドミュージックとしても調和の取れたいい出来であることが再確認できたわけだ。タイトルは『ザ・ナッチェズ・ブルース』、タジにとっては第2作目のこの段階で既に後年花開いたタジの独特なワールドミュージックの世界がふんだんに観られることは、当時としては画期的であったんだとつくづく思ってしまう。ブルースにしても並みのオーソドックスなブルースでないことは言わずもがな・・・ 本当は、このレコードが2011年の一番のお気に入りかもしれない。
 それでは、2012年もよろしくお付き合いください。


過小評価の人たち ~チャールス・マクファーソン~

2011-12-24 22:43:25 | Jazz

過小評価の人たち

~チャールス・マクファーソン~
                                              By The Blueswalk
 “遅れてきたビバッパー”とあまりうれしくないキャッチフレーズで呼ばれたチャールス・マクファーソンは、チャールス・ミンガスのバンドにも籍を置いたことがある、チャーリー・パーカーの流れを汲むアルト奏者である。ジャズ解説者などはよく、ソニー・スティットをチャーリー・パーカーのエピゴーネンなどと形容している。確かにパーカーとスティットはそのフレーズといい音色といいよく似てはいるが、基本的な部分で大きな違いがある。それは、パーカーがフィジカルかつロジカルに一発のアドリブに音を込めて吹ききるのに対し、スティットはエモーションで押し通すタイプである。パーカーの音が厳しく感じるのに、スティットが温和に感じるのはそのためである。
 そこで、チャールス・マクファーソンだが、全くのチャーリー・パーカーの影武者と言ってもいいぐらい似ている。チャーリー・パーカーの伝記映画「バード」ではパーカーに成りきって吹いているところにもそれが伺えよう。パーカーが40年代終わりから50年代初めにかけて活躍したのに比べ、マクファーソンが初リーダー作品を世に出したのが1965年のことだから、15年遅れてきたビバッパーという訳だ。65年と言えば、ジョン・コルトレーンやオーネット・コールマンなどのフリー系ジャズやマイルス・デイビスたちのモード系ジャズの全盛時代である。ビバップなど誰も見向きもしない時代によくもまあプレスティッジも思い切ったことをしたものだと賞賛したくもなるというものだ。
 1939年7月24日ミズーリ州ジョブリン生まれ。1959年にニューヨークへ出て、バリー・ハリスに師事し、その後、エリック・ドルフィーを擁したチャールス・ミンガスのクインテット参加し、『ミンガス・アット・モンタレイ』の録音で頭角を現すというのがチャールス・マクファーソンのデビューまでの経歴だ。運もよかったのだろうが、ドルフィーとの共演がミソだ。なぜなら、パーカーとは真逆のアルト奏者と看做されがちなドルフィーだが、もともとはれっきとしたパーカー派の優等生だったからだ。僕の想像でしかないが、ここでパーカーとドルフィーの2大アルト革命児との出会いがその後のマクファーソンのすべてが決まったと云えるだろう。

 『ビバップ・レヴィジテッド』はその名の通り、「ビバップの再考」とでも訳せるのだろうか。これこそチャールス・マクファーソンのデビューに相応しいタイトルではないか。タイトルどおり、ビバップの再構築を為さんとする意気込みが音の端々に溢れている。時代遅れなどとは言うまい。ビバップこそ男のロマンだとの信念に燃えた傑作だ。
1964年11月20日録音、1曲目の“ホット・ハウス”から最後の“シ・シ”まですべてチャーリー・パーカーに纏わる曲ばかりだ。録音状態がパーカーの時代の録音のように悪かったらほとんどこれこそチャーリー・パーカーそっくりさんと云っても過言ではないだろう。ピアノは師匠でバップの生き字引のバリー・ハリス、そして、他のサイドメンは高名ではないがそつのないしまった演奏で脇を固めている。とにかく、典型的なビバップのオンパレードで小気味いいデビューアルバムとなっている。


 『コン・アルマ』は1965年8月4日の録音。デビュー一年足らずでのセカンドアルバムの吹き込みはプレスティッジのマクファーソンに対する期待の現われと見ることが出来よう。サイドメンも前作のバリー・ハリスを筆頭に、クリフ・ジョーダン(ts)、ジョージ・タッカー(b)、アラン・ドウソン(ds)とつわものぞろいだ。売れると見込んだのだろう、金を掛けたことが目に見えてわかる。内容も前作とは打って変わってバラエティに富んだ選曲となっている。パーカー、ガレスピーあり、エリントン、モンクあり、さらにはデクスターにオリジナルときている。前作に較べ音にふくよかな余裕が出ており聴きやすい。衝撃度は前作に譲るが、作品としての完成度はこちらの方がかなり上といえるだろう。さらに、これらバラエティ豊かな曲群が散漫に聴こえないところは、ビバップという一本の筋がぶれていないからなのであろう。
 このあと、ザナドゥから75年8月の録音で、デューク・ジョーダンを起用しての「ビューティフル」という佳作を発表している。この作品はデューク・ジョーダンに負うところもあるが、両者のバップ魂が一致したところが成功の要因といっていいだろう。


 『ジャスト・ビバップ』は1980年3月24日の録音。細かく記載すれば「秋吉敏子プロデュース作品」となっており、ライナーノーツにも秋吉が真ん中に写っているから秋吉のリーダー作品と断定しているが、僕はこれはマクファーソンのリーダー作品と観ている。『問題は中身だ、誰がリーダーであろうとどうでもいいではないか』という向きもあろうかと思うが、何故この曲を選んだかと云うのは非常に重要であるし、リーダーはこれに責任を負うという立場から、誰がリーダーかというのは黙って見過ごせないファクターなのである。そして、僕の論拠は、ここで演奏されている、“バット・ビューティフル”、“コン・アルマ”の選曲に基づいている。つまり、前者は、上述の「ビューティフル」や後述の「バット・ビューティフル」でも演奏されているようにマクファーソンのフェイヴァリットであるし、後者は先の『コン・アルマ』でのタイトルや選曲にあることから確証できるのである。まあ、それはそれとして、ここでのマクファーソンはアルトの色彩豊かでしなやかなことこの上ない出来である。楽しく聴きやすいという意味ではこれが一番だろう。

 『バット・ビューティフル』は2003年7月23日録音のヴィーナス・レコード作品。このジャケットでは裏返って見えないけれど、下半身丸出しの肢体が露になっている。こんなの許されるのだろうかと思うが、そこはレコード会社の戦略に僕自身がまんまと引っかかっていると云うことなのだろう。置場にも困る。不注意に机の上にでも置いたりしたものなら、奥さんにエッチなビデオを観ていると勘違いされること必定だ。さて、中身だが、マクファーソン変わったなあという印象が強い。よく云えば、現代風に洗練されてきたとなるのだが、テナーに近い太くたくましい音になっており、音程のぶれかと思われるほどのメロディに揺れがあり、なんか酔ってしまいそうという感覚だ。スティーヴ・キューンのピアノは快調で聴き応えがあるからなおさらのこと、この違和感が気になってしょうがない。僕にとっては、昔ながらのビバップの闘士のままでいて欲しかったということになるのだが、年輪を重ねるごとに丸くなっていくというのは逆らえないことなのだろう。


Mr.2500逝く

2011-07-17 11:14:01 | Jazz

Mr.2500逝く
                                          The Blueswalk

コーネル・デュプリーが68歳の若さで5月8日に亡くなった。
コーネル・デュプリーは1942年にテキサス州フォート・ワースで生まれ、地元のクラブでキング・カーティスに見出され、20歳で「ザ・キングピンズ」に加入した。そこでは、ほとんど同年齢の若きジミ・ヘンドリックス(誕生日はジミ・ヘンが1ヶ月早生まれ)との2ギターで腕を磨いたという。その後アトランティック・レコードのセッション・マンになり数々のレコーディングに参加している。


コーネル・デュプリーのギター・スタイルを一言で云えば、エッジの効いたシングル・コード・カッティングとなるだろう。多彩でもなく、華麗でもないが、粒立ちがきめ細かく、分離が明瞭な輪郭をはっきりさせた音といえる。従ってギターの種類も、多くのリードギタリストのようなギブソン・レスポールやフェンダー・ストラトキャスターではなく、上の写真のように、フェンダー・テレキャスターが中心となる。テレキャスターはボディが一枚の板で出来ており、空洞がないため、音が広がりと膨らみに乏しいことで敬遠されがちだが、リズムをグルーヴさせるにはソリッドな音色が持って来いといえるだろう。僕はブルースのアルバート・コリンズ、ロックのロイ・ブキャナンとそれにソウル(あえてジャズとは云いません)のコーネル・デュプリーをテレキャスター三羽烏と呼んでいるが、3人ともテレキャスターを抱えた姿が良く似合う。そして3人とも鬼籍に入ってしまった。


 初期の録音では前述のキング・カーティスの「フィルモア・ウエスト・ライヴ」での“メンフィス・ソウル・シチュー”が最高だろう。キング・カーティスに《テキサス出身、沸き立つソウルギター、コーネル・デュプリー》と紹介されて見事なカッティング・リズムが始まるという具合だ。この演奏は何度聴いても血湧き肉踊る。


1970年代、一世を風靡した『スタッフ』の一員として活躍したのはジャズ・ファンならずとも先刻ご承知のことだ。スタッフをフュージョン・グループとして見る向きが多いけれど、僕はファンキー・ソウル・グループと見ている。それは、グループのサウンドが一体となってグルーヴするところが、そんじょそこいらのフュージョン・グループとは一線を画しているからに他ならないからだ。それも、前面には全く出てこないが、コーネル・デュプリーのカッティング・リズムのなせる業であり、単調でありながら、じわじわとにじみ出るグルーヴ感がスタッフの生命線を握っているのだ。

本人名義のレコードでは、1973年の初ソロ・アルバム「ティージン」が断然最高傑作だ。処女作が最高ということは、これ以降全然成長してないのか?と問われそうだが、はっきり云えばそうなのだ。この手のギター・スタイルに発展も、退化もありえないのだ。ただひたすらグルーヴするのみなのだ。だからこそ、コーネル・デュプリーしか出来ない業なのだ。

2004年に「Mr.2500」というCDが発売された。2500って何?と訝った。実は、楽歴40年間におけるレコードセッション回数が2500を超えた記念のセッションアルバムだったのだ。2500回、途方もない数字だが、それだけ他のアーティストに必要とされている事の証だろう。レコード会社のお抱えセッション・アーティストならいざ知らず、自分のグループを持ち、常に第一線で活躍してきた者が打ち立てた前人未到の快挙といっていいだろう。
それにしても、このように自分とあまり世代の変わらない人たちが鬼籍に入って行くのを送るのにはつらいものがある。


テキサス・ブロー・テナー

2011-06-22 21:29:44 | Jazz

テキサス・ブロー・テナー
                             By The Blueswalk

 気が滅入ったときは野太いテナーを大音量で聴くとすっきりするという経験を持っている方も多いのではないだろうか。アルトではなかなかそうは行かない。最近の若手のテナーはテクニック的に高度化して来た所為か、音的にはアルト化しておりズシンとくる重みに欠けた演奏がほとんどだ。比較的ブローが得意と思われるエリック・アレキサンダーにしろ、グラント・スチュワートにしろその感は拭えない。さらに売れ線ねらいの、バラード・アルバムを立て続けに出されたら、“もう結構”とそっぽを向けてしまう。そうすると、ごつごつした、腹に響き渡ってくる音を求めるにはおのずと昔のレコードに手が行ってしまう。
 テナー・サックス奏法の系統は大きくコールマン・ホーキンス派とレスター・ヤング派に分かれているということはジャズ好きな人ならとっくにご存知のことだろうと思う。一言で区別するなら、コールマン派が豪快、ヤング派が繊細といえるだろう。が、どちらかというと現代はレスター・ヤング派、つまり、優しく、流れるようなトーンが主流である。しかし、そもそも1930年代までは、テナー・サックスはコールマン・ホーキンス流の吹き方しか存在していなく、レスター・ヤングが脚光を浴びたのは1930年代も終わり、40年代に突入してからのことである。まあ、そんな薀蓄はどうでもいいとして、今回はそのコールマン・ホーキンスを元祖とする、ブロー・テナーを聴こうという嗜好である。

 ホーキンス直伝の後継者といえば、ベン・ウェブスターチュー・ベリーの二人が挙げられるだろう。ベン・ウェブスター(1909年生)はデューク・エリントン楽団での録音のほか、本人名義やエリントニアンたちとの録音が膨大な数残っており、普段からよく耳にすることが出来るが、チュー・ベリー(1910年生)となると、ウィリアム・スタイグのイラストで有名なこの『CHU』ぐらいしか思い浮かばない。実際は多くのセッションに参加しており、他人名義のレコードも多く残っているが・・・。これを聴くと、たしかにホーキンス派とはいえ、1930年中後期の録音で古いタイプの演奏だが、より洗練され、ご機嫌にスウィングするテナーが際立っており、現在のテナー奏法に直結しているのが分かるだろう。そういう意味では、レスター・ヤングの奏法も取り入れているのでは?と思われるところもある。

もっと、豪快なブローを聴きたければそのあとの世代のテキサス・テナーを聴くに限る。コテコテとぶりぶりとブローするのがテキサス流ホンカーの真骨頂。代表格は云わずと知れたイリノイ・ジャケー。テキサス・ホンカーなのにイリノイとはこれ如何に?と駄洒落も出そうだが、イリノイとは州の名前でなく、母親がスー族の血を引くことからその言葉で“優れた人”に由来しているそうだ。れっきとしたテキサス州ヒューストン生まれ(1922年)である。JATPでのフリップ・フィリップスとのテナー・バトルでその名を轟かしたのは有名な話。この『スウィング・ザ・シング』、ここでの「ハーレム・ノクターン」を聴いてみよう。サム・テイラーやシル・オースチンなどのムード音楽で有名になった曲だが、腹からビンビン響く本当に太く力強い音で揺さぶってくる。格の違いを見せつけてくれる。

 テキサス・ホンカーのニ番手は、テキサス州シャーマン生まれ(1913年)のバディ・テイト。1939年から8年間、カウント・ベイシー楽団に所属していたということは、レスター・ヤングとも一緒に演奏したことだろうから、両者を聞き比べるレコードでもあれば聴いてみたいな気がする。ただ、ソロを取らせてもらえたかは?
ジャケットのにやけた顔写真と中身のテナーの濃い音とがいまいち結びつきにくいが、アップ・テンポな曲は豪快この上ない。これもやはり音が太く強いのだ。スローなバラードもベン・ウェブスターを思わせる、大きなヴィブラートと空気が抜けていくような、スススス~という特徴を持った奏法である。この『ザ・グレート・バディ・テイト』、ここでの「Duckie」における、ピアノソロのあとブヮオ~と出てくる音圧に度肝を抜かされること必定だ。

 三番手のアーネット・コブはテキサス州ヒューストン生まれ(1918年)。これら4人の中でも有無を言わさず、ぶぃぶぃ、ぶりぶり吹きまくる最もテキサス・ホンカーらしいといっていいだろう。この『ファンキー・バット』、普通なら美女二人のジャケットにしたいところを、ファット・ガールの後姿にした、笑ってしまうけれど中身に相応しいジャケットではないか。とにかくこれでもかこれでもかと押してくる強烈なテナー・サウンド、テナー・サックスはやっぱりこうでなくっちゃと再認識させられる。上手い、下手とかの議論が全く無意味なほどファンキーでソウルフルだ。

 もし、手軽にこれらブロー・テナーを1枚で聴こうと思ったら、『ベリー・サクシィ』というCDが出ているのでどうぞ。コールマン・ホーキンス、バディ・テイト、アーネット・コブ、エディ”ロックジョー”デイビスの4人が一堂に会したブローイング・セッションだ。


ディーヴァ

2011-06-14 23:38:17 | Jazz

ディーヴァ

                                                       By The Blueswalk

 

 最近(かどうか実は知らないのだが)、女性歌手のことを“ディーヴァ”と呼んでいる。調べてみたら、もともとは『オペラのプリマドンナのこと。また、無声映画時代の主役級女優についても用いられる』らしい。しかし、最近は『魅力的な女性歌手のこと。歌姫。近年は一般的に20代までの若い歌手に付けられる。英文において文脈によっては「(歌姫のように)わがまま、横柄」という意味を持ち、皮肉や非難に使われることもある』をも含んでいるようだ。なるほど、わがままかどうかは別にして、見た目魅力的な女性歌手たちが続々と出てきている。特に最近は、女性歌手についてはジャズとかポップスとかのジャンル分けできないような状況になってきており、僕も全く気にしないで様々なジャンルの女性歌手のCDを聴いている。日本においても、もう歌の上手い、下手は全く関係なし、かわいくて踊れたらそれでいいという風潮で大勢の少女たちが、これでもかこれでもかとテレビをはじめとしたマスコミに露出してきている。

 さて、最近のジャズっぽいディーヴァといえば、このヒラリー・コールが真っ先に挙げられよう。何年か前『魅せられし心』でデビューし、スウィング・ジャーナルでも大いに取り上げられたのでご記憶の方も居られよう。そして直近に出たのがこの『ユー・アー・ゼア~デュエッツ』。タイトルの如く、彼女と有名ピアニストとのデュエットを記録したアルバムである。もともと、そんなに歌唱力を売りにする歌手ではないので、このようなデュエットは的を得た企画だろう。ハンク・ジョーンズ、デイヴ・ブルーベック、スティーヴ・キューン、ケニー・バロン、シダー・ウォルトン等々、聴いただけでも垂涎必至の面子とのデュエットである。レコード会社も気合が入っていることが分かろうというものだ。そして、この戦略は成功したかと思われる。上述したようにテクニックで売るよりも情緒纏綿たる抒情豊かな表現力がモノをいっているのだ。しかし、やっぱりこれはジャズではないなぁ。

 クリスティーナ・トレインはブルーノートが満を持して出した期待の新人だ。フォーク・トラディッションな典型的アメリカン・ポップ・ソング。『Spilt Milk』(邦題:クリスティーナ・トレイン)はノラ・ジョーンズの2匹目のどじょうを狙ったかと思われても仕方がないが、でもかなりいい出来だ。ノラ・ジョーンズは自らのピアノ演奏を中心にしたカントリー&ブルースをイメージさせていたが、このクリスティーナ・トレインはボーカル一本で、バックにストリングスを配し、完全に古き良き時代のアメリカのノスタルジーを感じさせる。どっちがいいかはもう好みの問題といっていいほどノラに肉薄している。

 問題はこのヘイリー・ロレン青い影だ。いい意味で普通じゃない。3人の中では最もJazzyではあるが、それに特異な声質を自在に使いこなしたサムシングが価値を高めているのだ。例えて云えば、アーロン・ネヴィルのような裏声をふんだんに駆使した歌い方といったらいいだろう。しかし、このような唱法はあまり過ぎるとイヤミに聴こえがちなのだが、ナチュラルな裏声なのでついつい聴き入ってしまう。特に「枯葉」での声の裏返りにはまさにゾクゾクッとさせられる。

ご多分に洩れず、日本盤ボーナス・トラックにアメリカのみ発売のライヴ盤から4曲おまけで付いているが、やはり蛇足に過ぎない。


レイ・ブライアントを悼む

2011-06-06 22:02:29 | Jazz

レイ・ブライアントを悼む

                                                         By The Blueswalk

6月6日の朝日新聞朝刊に、レイ・ブライアントの訃報が載っていた。6月2日に亡くなったとの事だった。一番好きなジャズ・ピアニストの一人だったので非常に残念である。この数年、恒例の富士通スペシャル 100 GOLD FINGERSにも来日せずにいたので体の調子が悪いのだろうとは思っていたのだが、その不安が現実のものとなってしまった。
思えば、僕が始めてジャズを体験したときの一人がレイ・ブライアントだった。1975年ごろのことだ。当時はロックしか聴かない青年であった僕に、ジャズやブルース好きの友人が聴かせてくれたのが、『アローン・アット・モントルー』であった。強烈な左手のリズムと、華麗な右手のメロディがはじめてのジャズ経験者の僕を圧倒した。

同じときに、キース・ジャレットの3枚組みのLP『ソロ・コンサート』も聴いたのだが、この2つのレコードの影響で僕がジャズの世界へのめり込んで行ったといっても過言ではない。そして、なによりもレイ・ブライアントのブルース・フィーリングは唯一無二の世界を形作っていた。これに匹敵するのはジャズ界広しと言えどもジュニア・マンスぐらいしか居ない。
その中でもとくに“アフター・アワーズ”の演奏は絶品であった。レイ・ブライアントはこの曲が好きなようで、僕が知っている限り、3回ほどレコーディングしている。最初は、1957年、ディジー・ガレスピー名義の『ソニー・サイド・アップ』である。12分という長尺の演奏であるが、ピアノのイントロにはいまだにウットリさせられる。

2度目は上記の『アローン・アット・モントルー』での演奏だ。たった3分程度の短い演奏であるが、“アフター・アワーズ”のピアノ・ソロとしての完成形を見ることが出来るだろう。

そして3度目は1999年の『プレイ・ザ・ブルース』での演奏であった。これらはいまでも僕の愛聴盤となっている。

 決してジャズ・ジャイアントでもなく、ジャズ界に革命的な何かを成し遂げたわけでもないが、僕の心には永遠に刻まれて残ることだろう。


過小評価の人たち

2011-01-21 21:16:56 | Jazz

過小評価の人たち
                                                               By The Blueswalk
ジャズの長い歴史の中で悲劇のヒーローという人たちは沢山居る。それらの中の多くは自業自得といっても差し支えないようなドラッグやアルコールに犯されたり、不運な病気や事故によって、絶頂から奈落の底へ突き落とされたひとや、その後の約束されたスターダムへの階段のはしごを外された若きスター候補たちが居るわけだ。そんな悲劇のヒーローのなかでウディ・ショウほど悲しい短い人生を送ったジャズ・マンは他に居ないだろう。全く、本人の責任の取れない運命に人生を翻弄されたといっていい。
 ウディ・ショウは1944年12月24日、ノースカロライナ州で生まれ、1962年18歳でエリック・ドルフィーとの共演している。これがウディ・ショウ初レコーディングである。その後アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズに参加すると共に、それと平行して若手のアヴァンギャルドなミュージシャンとの交流を経て、ニュー・ジャズの未来を担う新世代のトランペッターとして脚光を浴びた。当時はフレディ・ハバードと並ぶ若手の筆頭であった。この後も以下に紹介するアルバムを次々と発表し、順風満帆のジャズ人生を突き進んでいった。ところが、ある日突然に悲劇は起こってしまった。それは、後で述べることにしよう。

 『ブラックストーンの伝承』
1970年のデビュー作品である。1962年にエリック・ドルフィーと共演しているにも関わらず、デビュー作品の吹込みが遅いのは本人が自分の技量に満足しなかったため、タイミングをここまで遅らせたことと、似たようなタイプのフレディ・ハバードが既に脚光を浴びていたため、レコード会社も二の足を踏んだようである。しかし、“満を持して”の新人のデビューが2枚組みのレコードである。実力が既に認められていたことによるレコード会社の並々ならぬ期待が伺われよう。そして、何と云っても驚くべきは、その曲構成における自信の顕れである。1曲目のタイトル曲“ブラックストーンの伝承”は何と16分を越すオリジナルである。レコード2枚目の先頭曲“ニュー・ワールド”はさらにその上を行く18分を超える超大作、新人がやることではない。そして、一音一音の覇気が尋常でないのだ。共演のフロント奏者は当時のマイルス・デイビスのグループに抜擢され華々しい活躍を遂げていたゲイリー・バーツ(as、ss)にベニー・モウピン(ts,bcl,fl)である。ということで、予想にたがわず、マイルス・デイビスの70年代幕開けを告げた『ビッチェズ・ブリュー』を髣髴とさせる、色彩豊かなメロディと趙怒級のリズムに乗った恐るべきニューカマーの出現であった。しかし、このような新人の意欲作が売れるとは限らないのがジャズ界の厳しいところである。

 『ザ・ムーントレーン』
 1974年の第3作目。コンテンポラリーからミューズに移籍しての第1弾。ここから怒涛の快進撃が始まるのだ。前作に比べてメロディにかなり柔軟性が感じられると思ったのだが、タイトル曲“ザ・ムーントレーン”は18歳のときジョン・コルトレーンに捧げて作った曲であるとの事、作曲能力も大したものであることが伺える。フロントの脇をアズア・ローレンス(ts,ss)とスティーヴ・トゥーレ(tb)で固めているが、あくまでもウディ・ショウのトランペットが一頭抜きん出ており、パーカッション陣を加えた、音の層の厚みを聴くべき要員構成といっていいだろう。強烈なパッション、イマジネイティヴなソロワークは健在であると共に、かなり聴き易い構成となっているところは、すでにウディ・ショウの音楽性はここに完成されたといってもいいだろう。

 『ユナイテッド』
 1980年、コロンビア時代の最後の作品。当時のレギュラー陣にゲイリー・バーツをゲストに迎えた傑作だ。新主流派の主役、ウェイン・ショーターの曲をタイトルに持ってきて、かなりメロディに斬新さが加わるとともに、売れ線を狙った音作りとなっている。ちょいとここいらでハードバップでもと思った訳ではないだろうが、流れるようなトランペットのフレーズが気持ちよく響いてくる。3曲目の“ホワット・イズ・ジス・シング・コールド・ラヴ”はまさに、クリフォード・ブラウンに捧げているのではないかと思われるほど、イマジネイション豊かなアドリブ・フレーズが次から次へととめどなく出てきて息をつかせない。堅物と思われていたウディ・ショウがここまでやるかと目からうろこの一枚である。ジャケットも微笑ましい図柄で、路線変更したマイルストーン的作品に間違いない。これなら一般受けすること間違いなしだが、売れたかどうかは知らない。

 『ロータス・フラワー』
 エンヤ・レーベルでの1982年作。前作同様のレギュラー陣による緊密度の高い、トータルな音楽性はここでも健在である。まあ、何だかんだ云っても何とハズレがないウディ・ショウであることか。そして、これも前作同様、かなりメロディを重視した聴き易い演奏を心がけていることが伺える。確かこのメンバーで1980年、1981年と来日公演し、統一されたグループの音楽性を披露し、かなりの高評価を得たと聞いているが、その好調さをここでも保っている。好き嫌いは別にして最初の『ブラックストーンの伝承』や『ザ・ムーントレーン』に比べてかなり円熟した、貫禄のある演奏となっているのがわかるだろう。

 さて、ウディ・ショウの悲劇性について少し付け加えておこう。日本公演の後、アメリカへ帰ったウディ・ショウであったが、家にいるはずの奥さんと息子が消えていた。家はもぬけの殻だ。それから二人を捜し求めるが、生まれつき弱視で、そのころはほとんど盲目に近くなっていたウディ・ショウにとって容易なことではない。ようやく、色々なうわさから、とある男と駆け落ちしたということがわかってきた。拳銃を持って狂ったように捜し求めたが、すでにフランスへ逃げてしまっているという。しかも、その男が、先輩として尊敬もしていた“あいつ”だったのだ。結局、気落ちのうえに弱視も手伝ったのだろう、地下鉄のホームから落ちてしまい、左腕切断という事故にあってしまったのだ。そしてその半年後、失意のうちに44歳の生涯を閉じてしまった。
 ウディ・ショウの音楽は純粋である。現代の中堅、若手トランペッターの繰り出すフレーズがクリフォード・ブラウンやマイルス・デイビスのそれでなく、間違いなくウディ・ショウの音楽性に基づいているという事実を我々はもっと知るべきであるし、評価すべきであろう。