「Blues Before Sunrise」
~シティ・ブルース~ By The Blueswalk
カントリー・ブルースが昔ながらの土臭い伝統を保ちながら進化していったのに対し、もっと洗練された、新しいタイプのブルースも作られていった。これまでの、生ギター1本でボーカル、もしくはせいぜいハーモニカを加えたスタイルに対し、ピアノやホーンを混ぜた、楽器のアンサンブルや音の厚みで聞かせる華麗なスタイルであった。ピアノはブルースの世界ではことさら新しい楽器でもなく、ジューク・ジョイント(安酒場)には必ずピアノが置かれていたぐらいだ。ギターと同様に重要な楽器であったが、ピアノは持ち運びが困難なため、ギターほど手軽にレコーディングできないため、田舎でのピアノとギターがペアになった録音は少なかったようだ。
ブルース史的な流れから云うと、カントリー・ブルースの後に位置づけられているのであるが、時間軸をベースに眺めてみると、同時並行的に進化しているのが判る。つまり、カントリー・ブルースがテキッス、ジョージアなどの田舎で進化して言ったのに対し、メンフィスやシカゴなどの都市で進化していったのがこのようなブルースであったようだ。これらのブルースをシティ・ブルースと呼んでいる。まさに、呼んで字の如く、洒落た都会のブルースである。
これらのブルースは初期のジャズとの関わりも強く、ジャズとして聴いても十分に鑑賞に堪えられるものである。(ジャズがブルースより高尚であるといっているわけではない) 従って、このシティ・ブルースがジャズ・ファンにとっては最も聴きやすいものと思われる。
シティ・ブルースのボス《ビッグ・ビル・ブルーンジー》(1893.6.26~1958.8.15)
古くからのブルース第1人者であり、それまで朴訥としたカントリー・ブルースに洒落っ気を添えた(メロディ重視というべきか)張本人であり、人気男であった。代表曲は、自分の名前を冠した”Big Bill Blues”、”I Can’t Satisfied”、”Good Jerry”など。カントリー・ブルースとシティ・ブルースの過渡期のブルースが新鮮に聞こえる。ギターのテクニックにもすばらしいものがあり、軽めで、リズミックで早弾きスタイルはシティ・ブルース以降の指標となった。
マディ・ウォーターズなど、戦後南部からシカゴへやって来た若いブルースマンの後見人として、シカゴ・ブルースの発展に寄与したという点も評価されるべきである。戦後、白人聴衆向けの活動が多く、ヨーロッパへの演奏旅行などで、特にイギリスのブルース・ブームへの先鞭をつけた点は偉大な功績である。これがなかったら、ビートルズやローリング・ストーンズは生まれなかったかもしれないのだ。ただ、一部評論家はコマーシャリズムに堕落したとして批判している。確かに、過剰生産というか、あまりにイージーな企画に乗ってしまった感が無きにしも非ずだが、ビッグ・ビル自身のスタンスは昔と変わらなかったと思っているがどうだろうか?
ブルース・ギター・マスター《ロニー・ジョンソン》(1889.2.8~1970.6.16)
ルイ・アームストロングやデューク・エリントンとも共演し、チャーリー・クリスチャンやジャンゴ・ラインハルトといったジャズの偉大なギタリストにインスピレーションを与えた男こそ、このロニー・ジョンソンである。その華麗な単弦ギター・ソロはまさに、“天馬空を駆ける”かのごとき感がある。伸びやかなギターフレーズ、最初の革新的なモダン・ブルース・ギタリストとしての名演は「ステッピン・オン・ザ・ブルース」に集約されている。その中でも代表曲”Tomorrow Night”(エルビス・プレスリーのカバーで有名だ)は‘48年のR&Bチャートの第1位にもなった。ただ、ロニーの場合、あまりにジャズっぽいテクニック主導のギターが耳について、ブルース・フィーリングを味わいたいファンにはやや不満が残ると思うのだがいかがだろうか?そうはいっても、ギター・マスターの多いブルース界にあって、最初の本物のギター・ヒーローとして、後続者の憧れの的として君臨し続けていることも事実である。
シティ・ブルースの王者《リロイ・カー》(1905.3.27~1935.4.29)
コラボレーションという表現がある。デュエットよりも緊密な関係、お互いに影響し合いつつ、お互いの特徴も出し合って作品を完成させる場合に使われる言葉で、音楽の用語というわけではない。リロイ・カー(P)とスクラッパー・ブラックウェル(G)の作品はまさしく二人のコラボレーションによる産物である。ジャズでいえば、クリフォード・ブラウン(TP)とマックス・ローチ(DS)のコンビに例えられよう。どちらかが欠けたら存在意義が成立しない関係といったら言い過ぎであろうが、そこから生まれる、ピアノとギターのアンサンブルは聴いたものでしか理解し得ないすばらしさがある。特に、ブラックウェルの献身的とも言えるサイドワークは脇役に徹しながら、ここぞとばかり、短いソロに、オブリガードに音を込める卒のなさ、まさしくアカデミー賞助演男優賞ものである。
まずは、1938年録音のカウント・ベイシーによる”How Long How Long Blues”を聴いてみよう。音の少ない、ベイシーらしいブルース表現が、しみじみと心に残る名演、名曲である。最近ではエリック・クラプトンが「フロム・ザ・クレイドル」でカバーしている。他の曲は気張りすぎていまいちなのに、この曲だけはいつになく抑えた感じで、洒落た感じが微笑ましい。
そして、リロイ・カーの極め付き名曲は“Blues Befor Sunrise”だ。こんなもの聴かされたら、他のブルースなんてどうでもいいという気になってしまう。その他全楽曲、完全無欠のシティ・ブルース王者である。
さあ、騙されたと思って「ブルース・ビフォア・サンライズ」を聴いてみよう。バーボンの味と香りに浸りながら、しみじみとお洒落なブルースの醍醐味を味わおう。
モダン・ブルース・ギターの父《Tボーン・ウォーカー》(1910.3.28~1975.3.16)
『わしも若い頃にゃチャーリー・クリスチャンと徒党を組んでダラスやヒューストン辺りを荒らしまわったもんよ。チャーリーと交代でギターを弾いて、女の子にきゃーきゃー騒がれたもんだ。なんたってよー、ブルースにエレキ・ギターを最初に持ち込んだのはわしやで~、そんとき、チャーリーがジャズにエレキ・ギターを持ち込んだのよ。チャーリーはジャズ・ギターの革命児と尊敬されているのに、わしはどうや?もっと、評価しろや。最近よー、チャック・ベリー坊やが、わしの真似して、背中でギター弾いて人気を呼んどる。あれは、わしの専売特許やで~』と、草葉の陰からTボーンの嘆きが聞こえて来そうである。
「いやいや、そう悲観することはありませんよTボーンさん。あなたには誰にも負けない切り札、スペードのエースがあるじゃないですか。この1曲でもってあなたは永遠に不滅のミスター・ブルースですよ」
いささか、ざっくばらんになり過ぎたけれど、ブルースのスタンダード中のスタンダード、”Stormy Monday Blues”をもって、Tボーンは永遠に不滅のブルース界の伊達男なのだ。昔、日本には「ストーミー・マンディ・ブルース・バンド」というグループがあったぐらい、ブルースのエヴァー・グリーンなのである。ロック・バージョンでは、オールマン・ブラザーズ・バンドのフィルモア・イーストでのライブが鳥肌ものの出来だ。スト・マン(Stormy Monday Bluesのこと)はスローに限る。
いずれにしても、この時代のブルースこそ、最も華やかで、輝きに満ちた黄金時代であっただろう。名実ともにアメリカン・ミュージックを先導したバイタリティとリアルなブルースがリロイ・カーとTボーン・ウォーカーに凝縮されている。
※この文章は2000年7月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。
(注)最近“黒人”という表現は差別用語的な扱いとなって、“アフロ・アメリカン”というような表現が多い。が、結局同じ意味を指しているのだから、区別すること自体が差別なのであるという見解から、僕の文章は「黒人」で統一してある。