The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
ときたまロックとクラシックも
 
[TOP]へ戻るには上のタイトルをクリック

内田光子の弾き振りはどうよ

2010-03-31 21:50:28 | Classic

内田光子の弾き振りはどうよ
                                            By The Blueswalk

 内田光子のモーツアルトには定評がある。1987年のジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団とのピアノ・コンチェルト全集と同時期のピアノ・ソナタ全集は、僕も好きで今まで何度となく聴いてきた。モーツアルトはこれで十分と思える出来で、どちらも世界的な評価が高い。リリー・クラウスやイングリッド・ヘブラーといった、いわゆるモーツアルト弾きたちと較べても、断然こっちのほうが上だ。今のところ日本では敵なしで、マルタ・アルゲリッチと並んで、世界屈指の女流ピアニストであることは疑う余地もない。内田は1972年からロンドンを拠点に活動している。その貢献もあり、「DBE(大英帝国勲章)」などという、英国からの名誉の勲章も頂いている、日本が誇る最大のクラシック音楽家である。
 クラシックの器楽演奏家のうちの多くは、最終的には指揮者を目指したがるようである。チェロのカザルスやロストロポーヴィッチ、ピアノのバレンボイム、アシュケナージの例を挙げるまでもなく、間違いなく言える。その気持ちが分からないでもない。なぜかというと、オーケストラを率いるクラシックの世界は指揮者が絶対だからだ。基本的に演奏者は自分の好きなようには弾けない。指揮者のいう通りしなければならないのだ。だから、今までの恨み辛みを晴らすために指揮者になって、絶対君主になり自分のやり放題のことをやるのだ。こんな快感はないだろう。
 で、あろうことか、内田光子までが指揮者となって、モーツルトの弾き振りをやってしまったのだ。(実は、1982にも上記のイギリス室内管弦楽団とでモーツルトの引き振りをやってはいるのだが)そのCDがこれ。僕は、モーツアルトのピアノ・コンチェルトの中では、第23番が最も好きなので、早速買って聴いてみた。2008年12月、クリーヴランド管弦楽団との弾き振りである。
前者よりゆったりとした演奏だ。余裕というか、つやのある演奏であることは確かである。これは、オーケストラの質の違いが出ていると見ていいだろう。内田光子の演奏だから悪いわけはないし、これもありかなとは思う。しかし、前回より良くなったのかと考えると、そうとは言い切れない。前者のほうがよっぽど、スマートでしまりのある音であると思うのだ。特に第3楽章のAllegro assaiは、スピード感が命なのに、このテンポはなんなんだ。どうしても、指揮とピアノ演奏を同時にやるのは問題があるといわざるを得ない。ジャズのオーケストラの指揮などは、最初のスタートの合図をしたら、後は演奏者にお任せでいけるけれど、クラシックの場合はそうは行かない。ましてや、コンチェルトは基本的に最初から最後までピアノの引きっぱなしに近いのだから、指揮することに意識が奪われて、肝心なピアノに集中できないのではないかと思うのだ。
 内田さん、今からでも遅くはない。弾き振りなどという邪道はやめて、即刻、いちピアニストにもどりなさい。あなたの弾きたいように弾かせてくれる指揮者を探して、前回の全集を上回る作品を目指しなさい。ピアノを弾きながら指揮なんか出来ないのです。出来るのは唯一、天才グレン・グールドだけなんです。それか、上記4者と同様に、完全に指揮者になりきりなさい。ピアノを捨てる覚悟で指揮者に挑戦しなさい。
このCDが発売されて半年以上経つが、次が発売さていないところをみると、この苦言が聞こえているのかな。


コンプリートは宝の山か、掃き溜めか

2010-03-26 23:23:45 | Jazz

コンプリートは宝の山か、掃き溜めか
                                                                    By The Blueswalk

 コンプリート・レコーディングなるものを見かけるとつい手が出てしまう。何かすごいオマケがあるのではないかと期待するわけである。結果は悲喜交々であるが、大半は期待はずれのためがっかりしてしまい、買うんじゃなかったと後悔することになってしまう。グリコのオマケ以下というのも少なくない。別テイクやらが5曲も6曲も連続して再生されるのにもうんざりしてしまい、ほとんどかけることの無い棚の片隅に追いやられてしまうのが落ちとなってしまうのだ。当たり前ではあるが、そんなに安い買い物ではないし、単に寄せ集めして量を増やしただけといった代物が多いのも実際のところだから、オリジナルに対して何が如何コンプリートになったのか詳細に確認してから買ったほうがよい。しかし判ってはいてもやめられないのがこの世の常、ファン堅気というものだ。

 スタン・ゲッツの晩年(死の3ヶ月前の録音)に吹き込まれた、最後の傑作として名高い『ピープル・タイム』をご存知の方も多いことだろう。ケニー・バロン(p)とのデュエットで切々と吹くゲッツのテナーに涙した人もあろうかと思う。オリジナルはCD2枚組で、これだけでもデュエットものとしては十分すぎる量ではあった。
このとき(コペンハーゲン、カフェ・モンマルトル)のライヴのコンプリート・セットが発売された。CD7枚と大盤振る舞いである。勿論、未発表音源も多いのだ。よせば良いのについ手が出てしまった。もともと、名盤誉れ高いオリジナルなので、演奏の質が悪かろうはずはなく、迫りくる死の恐怖を吹き飛ばすかのような壮絶な演奏は感動ものである。その場に居合わせたらすごかっただろうなぁとの想像はつく。しかし、内容がデュエットでバラエティに欠くためいくら名演とはいえ、CD7枚通しで聴くのはいかにも辛い。人の許容にも限度があるというものだ。このライヴのシチュエーションが判ってるだけに、BGM的な不謹慎な聴き方も出来ないため、扱いに困ってしまうのだ。

 最近、廉価版のDVDを買った。『レニー・トリスターノ・ソロ』という、1965年、コペンハーゲン、チボリ・ガーデンズ・コンサート・ホールでのライヴ映像である。ご存知のように、盲目で孤高の鬼才ピアニストと言われ、クール・ジャズを代表する人である。レコードも多くはないがかなり出ているので僕でも少ないとは云え5枚ほどは持っている。これまでは、常に冷静沈着、感情を露にしない表現をかなり評価していたつもりであったが、このDVD内容というのが、うわさどおりというか、非常に凍りつくようなえもいわれぬ独特の空間を持ったものであった。舞台の幕が開いて、演奏が始まり、約40分で最後の演奏が終わり、幕を閉じる。そこに出てくるのはピアニスト唯一人、でも一言も発せず終わる。こんな冷たいコンサートがあっていいんだろうか?これがクール・ジャズなのか?ちょっと考えさせられる映像であった。
彼はトリスターノ楽派といわれる、いわば非主流派を代表する一家を総帥し、師弟も数多い。
その師弟の中で、代表的なのが、このウォーン・マーシュとリー・コニッツである。このコンビは『リー・コニッツ・ウィズ・ウォーン・マーシュ』という大傑作を残してはいるけれど、イーストの黒人バップ系の奏者に較べるとどうも認知度が低いのは否めない。その理由は“トリスターノ派”というレッテルの所為で敬遠されたのではないかと思うのである。ぼくは両者とも好きなので、過去のそのような評価を聴くに付け残念でならない。その彼らの1975年のデンマーク・コペンハーゲン、モンマルトル・クラブでのライブのコンプリート盤がこれである。いつもながらの、二人の息の会ったご機嫌なアンサンブルが聴けるのであるが、それにも増して驚くべきは、壮絶な丁々発止としたと緊密なインタープレイである。CD全体の内容としては、3夜のライヴ音源とコニッツ抜きでのスタジオ録音がセットになっている。ここでは、その両方が楽しめるのであるが、コンプリートと銘打つのは詐欺ではないのか?半分はウォーン・マーシュだけなのだから。と、ここまで書いた後気が付いたのは、ジャケットには一言も「コンプリート」などという言葉はない。ライヴのコンプリートではCD2枚半と中途半端になるので、同時期のウォーン・マーシュのスタジオ録音を付け足して4枚にしただけのようである。店が勝手に貼り紙付けて宣伝していたのだ。買うときにもっと気をつけなければ・・・。ただし、それぞれの演奏は文句なしにすばらしいことは付け加えておきたい。

 1月の例会の後の二次会の席で、皆さんが和気藹々と歓談しているなかで、一人携帯電話でヤフオクの落札にはまり込んでしまった。どうしても欲しい一品があったからである。皆さんにはひょっとしたら不愉快な思いをさせてしまっているのではないかと思いながらも何とか落札にこぎつけた。その一品がこれである。「村八分」のコンプリート・レコーディングス。
1970年ごろの日本のロック創生期、関西のアンダーグラウンド界では知る人ぞ知る存在のロック・グループである。その昔、京大西部講堂における伝説のライヴ・レコードは我々若者ロック・ファンの垂涎の的であった。そのオリジナルは中々手にいらない。その村八分の全音源のコンプリートが出たのは既に7~8年前のことだけどこれもまた限定版で中々手にいらない。勿論、ライヴ・レコードもリマスターとなっている。なんといっても格段に音がよくなっている。そして、その他の音源満載のコンプリートである。DVDも付いており、貴重な映像もファンを満足させるものである。
とまあ、ここまではマニアックなファンとしての自己満足の感想であって、実際のその他音源については、とてもお金を取って販売するほどの価値があるのかどうかは疑問が残る。はっきり言って、ライヴの観客がラジカセで隠し撮りしたような音源や映像が多すぎて仕方がない。“あばたもえくぼ”とは言うけれど、ファン気質の弱みを逆さに取っての商売には多少の抵抗感が残るのである。“掃き溜めに鶴”とはいかなかったのだ。

※この文章は2010年3月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。

 

 


ブルース・アンソロジー Vol.6

2010-03-23 15:38:58 | Blues

「Every Day I Have the Blues」
~カントリー・フォーク・ブルース~                       By The Blueswalk

 シカゴ・ブルースが華やかに、かつ大々的に持て囃されているのと平行して、カントリー・ブルースも後継者たちが着実にその歴史を刻んでおり、人気も衰えることはなかった。ギター1本の弾き語りだけでなく、やはりエレクトリック技術を取り入れ、3人ぐらいのバンド形式で発展を続けていった。そんなグループはテキサスなどの南部の田舎だけでなく、シカゴやデトロイトなどの大都市でも人気が派生していったのである。シカゴ・ブルースがロックと連動して、ショウ・ビジネス界で華々しく脚光を浴びていったのに対し、これら、各土地の黒人の生活に密着したリアル・ブルース、田舎のブルースであるが田舎臭くないのがこれらのブルースである。ここではその中からワン・アンド・オンリーな3大カントリー・フォーク・ブルースマンを取り上げよう。フォークといっても、白人向けのミシシッピー・ジョン・ハートのような、空気みたいな、すかすかのブルースではなく、密度の濃い、どす黒いフォーク(黒人民衆の歌)なのだ。

《ライトニン・ホプキンス》(1912~1982)

 ぼくは『ブルースマンの中で誰が一番すきか?』と問われたら、ロバート・ジョンソンかライトニン・ホプキンスと答えるだろう。この二人のうちどちらを選ぶかは非常に悩むところであり、そのときの気分で入れ替わることはあるが、この2人が1位、2位であることに変わりはない。ライトニン・ホプキンスのレコードは30枚ほど持っているが、ほとんど駄作というものがない。レコーディング数も優に200枚は下らないという人気者であるが、出来不出来の激しいブルース・レコード界にあって常にレベルの高い作品を提供し続けたという稀有の存在である。ブルース評論では日本随一といえる中村とうよう氏がそのボーカルを“汚さの美の極致、汚くはあるが醜くない”と評した名言があるが、まさに言い得て妙の感がある。
 代表作はなんといってもこの「モージョ・ハンド」だ。握りこぶしが突き出た真っ赤なジャケットが強烈に印象的であるが、内容もそれに負けていない。古今東西の数多あるブルース・レコードのベスト5に絶対入るであろう、ブルース史上屈指の名盤といっていいこのレコードを聴かないことには話が進まない。つばきをびゅんびゅん飛ばしながら、唸るライトニン節、これぞまさしく生活に根ざしたリアル・ブルースだ。
 以前、アメリカン・フォーク・ブルース・フェスティヴァルのDVDでライトニンがこの”モージョ・ハンド”を演っていたが、そのカッコいいこと。この時代はブルースマンがエンターティナーであったことを如実に示す映像であり、必見である。
 
《ジョン・リー・フッカー》(1917.8.22~2001)

 ジョン・リー・フッカーは人気の面ではライトニン・ホプキンスを凌ぐものがあり、独特のジョン・リー節とでもいえるリズム・パターンでブギーをかき鳴らすその頑固一徹さには恐れ入る。ライトニンのブギーはピアノのブギーをそのままギターに置き換えたような奏法であるが、ジョン・リーのは全く独自のパターンで、ワン・アンド・オンリーな世界といっていいだろう。そのボーカルは少し乾いた感じで歯切れがよく、ギターのパターンにマッチしているところが人気の秘訣なのかもしれない。ジョン・リーの本拠はデトロイトであるが、洗練されているわけでなく、田舎くさい味を持ったカントリー・フォーク・ブルースといっていいだろう。
 この「ブギー・チレン」が初期を代表する傑作である。
タイトル曲の” Boogie Chillen ”を聴いていると、やっぱり、ジョン・リーはブギーが一番だねと思わざるを得ない。独特なブギー・ビート、自然と体がリズムに合わせて動いて、どんどんはまり込んでしまう。ワンパターンなのにである。ジョン・リーも多作で知られているが、20世紀が終わる段階になっても精力的にレコーディングをし続け、相変わらずの毒舌は少しも衰えていなかった。この辺は、若いブルースマン連中の模範になったような気がする。最近のCDはベスト盤として「ザ・グレイト・ジョン・リー・フッカー」というタイトルで出されているようだ。些細なことだが、CDになって曲数が増えたのはいいとしても、曲順が変わるというのは納得いかない。このレコードの1曲目は” Sally Mae”でないと昔のファンには違和感を覚えるのだ。

《ロウエル・フルスン》(調査中)

 ロウエル・フルスンも人気者の一人である。各地を放浪しながらレコーディングを重ねているため本拠がどこか定かでないが、大体ウエスト・コーストでのレコーディングは多いようだ。ちょうど、カントリー・ブルースとシカゴ・ブルースの中間的な味わいがある。この人も独特の節回しを持っており、常に安定したブルースを提供したと言う点では、上述の二人に劣るものではない。そのギター・プレイは独特のキザミで音をぶった切るという大雑把な奏法でお世辞にも上手いとは言えないが、これも一度聴いたら忘れられないワン・アンド・オンリーな世界である。ボーカルはクールで淡々とし、歯切れがよく案外スマートな感じがする。HIPHOPの連中に代表作である”Tramp”がサンプリングされ、リバイバル人気が出たのは記憶に新しいところである。そのほか、かの有名な”Every Day I Have the Blues”の作曲者(B.B.キングはあれは俺が作曲したといっているようだが)でオリジナル演奏者としての評価もある。
 代表作はこの「トランプ」だ。放浪しているブルースマンが貨物列車にただ乗りする前に、美女に挟まれて鼻の下を伸ばしている構図のジャケット、ちょっと出来すぎだが、このケント・レーベル時代のロウエル・フルスンは向かうところ敵なしのヒット曲連発であった。フルスン節は上記2者に較べると、インパクトは少ないが、クールでモダンなところがいまどきの若者たちに受け入れられたのではないだろうか。タイトル曲、”Tramp”(浮浪者)はまさに、クールなロウエル・フルスン自身の歌だ。歌とも、おしゃべりとも、説教ともいえない、独特の間を持ったボーカルを聴いて放浪の世界に浸ってください。

※この文章は新規書き下ろしです。

(注)最近“黒人”という表現は差別用語的な扱いとなって、“アフロ・アメリカン”というような表現が多い。が、結局同じ意味を指しているのだから、区別すること自体が差別なのであるという見解から、僕の文章は「黒人」で統一してある。


 


クラシック・ブームは本物か

2010-03-19 08:30:06 | Classic

クラシック・ブームは本物か
                                                                    By The Blueswalk

 ここ4~5年、クラシック・ブームらしいのである。実は、僕がクラシックの音楽を本格的に聴くようになってから、ちょうど4年ほど経っているので、僕自身もそのブームに乗っかった張本人であるかもしれない。ブームのきっかけとなったのはアニメ『のだめカンタ-ビレ』のヒットとその映画化だろう。それに加えて、今年の6月、盲目のピアニスト辻井伸行さんが「ヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクール」で優勝という快挙が大きく報道されたことにより、さらに大きなブームとなったようだ。マスコミ各社は世界3大ピアノ・コンクールの一つなどと持ち上げて特集などで大掛かりに宣伝していたが、僕の見方は少し冷ややかだった。水を差すようだが、このコンクールってそれほど権威のあるものではないと思っているからだ。
 クラシックのピアノ・コンクールでは、ショパン国際コンクールとチャイコフスキー国際コンクールが世界で最高権威のある2大大会であることはクラシック・ファンでなくとも知られている周知の事実である。“ヴァン・クライバーン”って何者?と訝る方も多いと思われるので以下に少し説明しよう。
ヴァン・クライバーンは1962年に第1回のチャイコフスキー国際コンクールに優勝したアメリカのピアニストである。ご存知の通り、アメリカにはクラシック音楽における伝統があまりない。それで、この優勝を機にアメリカにもそのようなコンクールを作ろうとその権威を金に糸目をつけぬ手法で勝ち取ったのがこのヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールなのである。従って、優勝賞金も高額で優勝後のレコーディングも保証(逆に言えば半強制的)されている完全な商業主義スタイルのコンクールであるのだ。優勝者はこの金まみれの待遇のためほとんどが大成しないとまで言われている悪評高いコンクールであることを知っておくべきだ。第2回優勝者のラドゥ・ルプーなどはこれを嫌って、優勝後のすべてのイベントをキャンセルして国へ逃げ帰ったほどである。さらに追い討ちをかけるようであるが、アメリカのウォール・ストリート・ジャーナルの記事を紹介すると、
①辻井さんは学生レベルのピアニスト
②難曲に挑戦するのは良いが音楽に深みがない
③ピアノコンチェルトは指揮者の指示が伝わらないので、オケと全く絡み合わず酷い演奏だった。全盲がピアノコンチェルトをやるのは指揮者に対して失礼
④ソロ演奏も競演者の中で群を抜いて酷い出来
⑤クライバーンコンクールはラドゥ・ルプー以外碌な演奏家を輩出していないコンクールだが、今回の選出は過去13回で最低最悪の選出
などと、かなりエキセントリックで辛辣な表現で、“ここまで書くか?!”との気持はあるが、アメリカ有数のジャーナル誌がこのような批評を出していることを我々は知った上で自らの耳で確かめることが大切であろう。
何はともあれ、2008年、佐渡裕指揮ベルリン・ドイツ交響楽団とのラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を聴いて見よう。デビュー作品としてこのような難曲を選択した意図は分からないが、柔らかく繊細な音が心地よく響く演奏である。ただ、逆にタッチがやわらか過ぎて、オーケストラの音に負けている感が無きにしも非ず。当のヴァン・クライバーンの演奏と聴き較べても非力は否めない。次に、最新の2枚組CD『デビュー』を聴くと、こちらはピアノ・ソロなので的を得た選曲(ラヴェル、ショパン、リスト等)で、彼の繊細さがよく出ていてよかった。CD1枚目はAVEXが総力をあげて辻井伸行の天才性をアピール(モーツアルトの再来だそうだ)した10歳ぐらいのころからの自作の演奏であるが、私には天才とは思われない。
とにかくマスコミや取り巻き連中によるたかりの構図が見え透いていて、今後の成長が危ぶまれるのである。我々もブームを煽るマスコミに対し、これを冷静に判断していく必要があるだろう。


※この文章は2009年12月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。


リマスターBeatles

2010-03-19 08:22:21 | Rock

リマスターBeatles
                                                                    By The Blueswalk

 2009年9月9日、世界同時発売と銘打って、ビートルズの全CDのリマスター盤が発売された。しかも、オリジナルのモノラル盤とステレオ盤の両者を全CDセットで発売という快挙である。
僕も一応ビートルズ世代である。高校一年生のとき、ビートルズが日本にやってきた。それまでは、ポピュラーミュージックを聴いてはいたけれど、ロックの類はあまり興味がなかったのであるが、ひとつ年上の兄貴が”絶対見ろ”ということで、兄貴とテレビにかじりついて見たのを思い出す。ただし、そのときは全く音楽を聴いたという感覚は残らなかったのだが・・・
 ところで、うちの奥さんは、じつはビートルズ・マニアなのだ。恥ずかしながら、うちの玄関の下駄箱の上には額に入ったビートルズのポスターが鎮座しているのだ。ちなみにその隣にはヒロミ・ゴー(郷)のぬいぐるみもいらっしゃる。
そう言う訳で、“買わないわけにはいかない”と思いつつも2つも買えるわけもないから、どちらか一方にしなきゃしょうがない。ステレオ盤35800、モノラル盤39800、まようなあ。多分、僕が若いころ買ったレコードはモノラルだったはずなので、とりあえずモノラル盤と決めて、さて、つぎはお金の算段だ。ここは、何とかして奥さんをなだめすかして、折半までには持って行きたい。しかし、何故かうちの奥さんは、このCD発売のニュースを知らなかった。それで、
(僕)『ビートルズのCDが出るんだってよ。音が格段によくなっているんだってよ。買おうと思っているんだけど、どぅ?欲しいやろ?半分ずつ出さへんか?どうせ俺はコピーしてそっちを聴くから、本体は全部あんたにやるし~』
(奥)「なんで音がよくなるん?演奏しなおしたん?」
(僕)『あほか、いまビートルズは半分しか生きとらへんわ。演奏しなおしできる訳ないやろう。それはやなぁ、・・・・・・・』
と、ジャズのブルーノートとルディ・ヴァン・ゲルダーのリマスター話に持ち込んで、煙に巻いて何とか交渉成立と相成った。
 結局、タワーレコードに行ったが、モノラル盤は売り切れで、入荷のめどが立っていないということもあり、ステレオ盤を購入したのだった。
 さて、問題はどれぐらい音がよくなったかを調べ、報告する必要がある。でないと、半額をもらえるいう確証が得られないからだ。ところが、僕はビートルズのCDを持っていないし、アナログ・レコードは押入れの奥のどこにあるか分からないので、さしあたり、奥さんのCDとリマスターを聴き比べることにした。
 結果、細かくは色々あるが、総じて以下の二点が挙げられるだろう。
第一に音がクリアーになった。「ゲット・バック」などを聴いていると、従来のCDではこんな篭った音を聴かされていたのかと思うと、可哀相になってくる。ちなみに、アナログと較べても、クリアーさではリマスターの方がいいようである。
次に、音の押し出しがよくなった。とくにベースの音が前面に出てくる部分の迫力はこれまでになかったところだ。もともと、ポール・マッカートニーのベースはメロディアスでリード・ベースなどと揶揄されたこともあったが、改めて天才的であったことが認識されるであろう。
それに引きかえ、ジョージ・ハリソンのギターの下手さ加減には相変わらず笑ってしまう。エリック・クラプトンがメンバーに誘われたというまことしやかなエピソードが真実味を帯びてくるというものだ。


※この文章は2009年11月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。


ロックは中年おやじの音楽?

2010-03-19 08:17:11 | Rock

ロックは中年おやじの音楽?
                                                               By The Blueswalk

 少し前の話題であるが、朝日新聞に以下の記事が載っていたので紹介する。
すなわち、「6・9はロックの日」ということのようだ。

若いころ、よくナンバや心斎橋のロック喫茶に行っては、薄暗い狭い密閉された部屋で大音量のロックを聴いたものである。ツェッペリンの『ソング・リメイン・ザ・セイム』のビデオを見て感動したのを思い出す。
当時、関西を中心に「8・8ロック・デイ」という大々的なイベントがあり、よく出かけたものだから、僕にとっては8.8のほうがロックの日というイメージが残っている。
 この6・9ロックの日に因んで、インターネット上で、過去のロック・ヒーローの人気投票が行われた。その結果が以下の通りとなっている。
コメントも原文のまま。

-コメント-------------------------------------------------------------
 1位は、多くのアーティストから絶大な支持を受け、日本の音楽シーンに旋風を巻き起こした忌野清志郎。世代を超え愛されるなか、2009年5月2日に残念ながら58才という若さでこの世を去ったが、その存在は永遠だという声が全世代の男女から聞かれた。奇抜なファッション、恐れを知らぬ言動の陰にあったのは、「強く優しくそしてカッコいい」(長野県/40代/男性)音楽と「最期まで自分の音楽を貫いた」(北海道/10代/女性)ロック魂だった。

 2位は矢沢永吉。「50才すぎても全く変わらないところがロックそのもの」(群馬県/40代/女性)であり「数々の伝説がある」(東京都/20代/女性)のは、さすが永ちゃん。

 3位と4位にも熟年のロッカーが並んだ。「気ままにやりたいことだけをやっている。反骨精神の塊のような人」(東京都/20代/女性)「『ロックンロール』という口癖、『シェゲナベイベー』という名言、そして今年70才とは思えない奇抜なファッションをしている」(大阪府/20代/男性)内田裕也と、忌野清志郎の親友でもある泉谷しげる。「荒っぽい言葉の裏に優しさが見える」(静岡県/40代/女性)「あらゆる言動が扇情的。でも根はシャイ」(静岡県/30代/男性)というのは泉谷に限らずロッカーに共通の特性かもしれない。
----------------------------------------------------------------------

 この結果を見ると、ロックはもはや中年おやじの音楽になってしまったんだなあといった感慨に耽ってしまう。7番の甲本ヒロト、9番の土屋アンナについてはどんな人か全く知らないが、8番はご愛嬌としても、5番を除いては皆年寄りばっかりといった感じで、今の若者はロックは聴いていないんだろうかと思ってしまう。ロックって若者の特権みたいな時代はとっくに過去のものとなってしまったんだろうか? 
 どうも、よくよく聞いたり、調べたりしたら、今や『ロック』というカテゴリの音楽分野は存在しないと思った方が良さそうだ。つまり、テレビやCD売れ行き上位の人気のグループ達は“J-POP”や“HIP HOP”などのカテゴリに入っているのだ。もう、ロックという言葉自体が過去の遺物なのだ。

 さて、会員皆さんの想い出のロッカーは誰でしょうか?
例会でこういった企画をするのも面白いかもしれませんね。
ジャズを中心に『KJSが選ぶベストテン』なんていいじゃないですか?


※この文章は2009年8月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。


ブルース・アンソロジー Vol.5

2010-03-18 23:34:24 | Blues

「Goin‘ To Chicago」
~シカゴ・ブルース~                                       By The Blueswalk

 「ディープ・ブルース」という本がある。最近復刻されたのでブルースに興味のある方は是非読んで欲しい。デルタ・ブルースを起源として現代のモダン・ブルースまでの流れを、マディ・ウォーターズという不世出のブルースマンを通じて判りやすく、ドキュメンタリー・タッチで描写している。
 マディ・ウォーターズことマッキンリー・モーガンフィールド青年は、『農場のトラクター運転も性に合わんし、裏の小屋で作っている密造酒販売もいつ警察の縄にかかるか判らんし、ここいらでシカゴにでも出て好きなブルースで一旗あげたろか』と思ったかどうか知らないけれど、1943年5月、28歳で妻子を捨ててシカゴへ向かったのであった。当初、マディのブルース・スタイルはデルタ・ブルースにシティ・ブルースを掛け合わしたもので、ロバート・ジョンソンやリロイ・カーなどのブルースとあまり変わりがなかった。しかし、徐々に自身のアンプリファイド・スライド・ギターを中心としたエレクトリック・バンド・ブルース スタイルを確立していった。そして、1950年録音の”ルイジアナ・ブルース”が現代のモダン・ブルースの出発点となった。
 それまで、一部にはエレキ・ギターを使ったブルース(Tボーン・ウォーカーなど)もあったが、マディはこれをもっと大音響でかつバンド一体の音楽としてのブルースを創造したのである。これが、シカゴ・ブルースである。個々の演奏者がソロを取り、アドリブを聞かせるというジャズ的?演奏形態がブルースの世界に持ち込まれ、そして、その流れが現代まで脈々と続いているのである。
 以前、ブルースとジャズの関わりを「素材」と「製品」の関係で例えたが、ここシカゴ・ブルースに至って、「素材」が「製品」に変化を遂げてしまったと言ってもいいだろう。その意味で、シカゴ・ブルース以降はジャズにとってはブルースは素材としての魅力が薄れていき、取り上げられることもなくなったといえる。まさか、ジョン・コルトレーンが“フーチー・クーチー・マン”を演奏するわけがないだろう。この歌の持っているニュアンスはマディ・ウォーターズその人自身でしかないのだから。
 ただ、ブルースの立場から言えば、完成の域に達した音楽として魅力一杯であるし、これ以降ロックとの関わりを深めていく(というか、シカゴ・バンド・ブルースがロックン・ロールの原点になっている)過程は非常に興味深いものがある。

シカゴ・ブルースの立役者《マディ・ウォーターズ》(1915.4.4~1983.4.29)
 ロック・グループ「ローリング・ストーンズ」の名前の由来がマディの曲名であるというのは有名な話で、その他のマディの超有名作品をあげると、”アイム・ユア・フーチー・クーチー・マン ”、”アイム・レディ”、”ロング・ディスタンス・コール”、”ゴット・マイ・モージョ・ワーキン”等々、枚挙にいとまがない。アルバムも多いが、これ一枚を選ぶとすると「ベスト・オブ・マディ・ウォーターズ」だろう。1948年のスライド・ギターの弾き語り”アイ・キャント・ビー・サティスファイド”から1954年のシカゴ・バンド・ブルースの代名詞である上述の” アイム・ユア・フーチー・クーチー・マン”まで、まさにシカゴ・ブルースの真髄を集めたベスト集である。また、そのレコード・ジャケットがもっとすばらしい。左斜め上を見つめるギラギラと脂ぎったマディの横顔、精力絶倫男の顔である。50年代のシカゴのゲットーで黒人女性たちをとりこにしたのもうなずけるものがある。それにしても、男でも色気を感ずるマディの魅力とは一体何なんだろう。
 マディのすばらしさは、本人のギターや歌でなく、バンドとしての音楽にある。つまり、その他のメンバーがマディに負けず劣らずつわものぞろいであることだ。それぞれが、ソロをとり、観客にアピールするというのはそれまでになかったブルース演奏スタイルである。ギターのジミー・ロジャース、ハープのリトル・ウォルター、ピアノのオーティス・スパン、ベースのウィリー・ディクソン、ドラムスにフレッド・ビロウとくれば、まさに、ブルース版オール・アメリカン・リズム・セクションである。個人的ながら、僕はマディよりはずっとリトル・ウォルターの方が好きなんだ。
 また、「昔ブルースという親父に、ロックンロールという息子が生まれた」というのがマディの口癖で、その言葉どおり、息子たちである若きロック・ミュージシャンがマディを親と慕い、交流も深い。ポール・バターフィールドやマイク・ブルームフィールドたちとの「ファーザーズ・アンド・サンズ」(’70年)やザ・バンドとの「ウッド・ストック・アルバム」(‘75年)なども好アルバムである。白人たちとのブルース共演アルバムは大体にして人気取りや売れ線狙いが多く、たいした内容ではないのが普通であるが、上記2枚は予想外にすばらしい。

シカゴ・ブルースのドン《ハウリン・ウルフ》(1910.6.10~1986.1.10)
 別にマフィアの跡目を継ぐわけではないけれど、マディとウルフはどちらがシカゴ・ブルースのドンかと問われれば、僕は躊躇なくハウリン・ウルフと答える。マディもいいけれど、ボーカルの強烈さ、ドスの利かせ方はウルフの方が断然すごい。あの喉の奥から搾り出すようなボーカルはブルース界広しといえどもそうはいない。せいぜい、ブラインド・ウィリー・ジョンソンかサン・ハウスぐらいのものであろう。それぐらいウルフのボーカルはすごいのだ。
では、なぜ人気の点でマディに大差を食らったのか?そのひとつは、バックのメンバーの差異である。マディのバックは上述したように、御大を凌ぐつわものぞろいだったのに対し、ウルフのそれはせいぜいギターのヒューバート・サムリンぐらいしか人気者がいなかった。もうひとつは、マディは聴衆の対象を白人のロックファン向けにシフトしたのに対し、ウルフは生涯かたくなに黒人聴衆のみを対象にしたことにある。人気度だけでは音楽の質は語れないのである。
 話は前後したけれど、ハウリン・ウルフこと、チェスター・バーネットが正式にレコードデビューしたのは1951年、41歳のときである。なんと遅咲きであることか。その後、メンフィスからシカゴへ移住し、‘76年に死ぬまで、常にシカゴのゲットーで黒人を相手に活動をし続けた。ウルフぐらいの人気と実力があれば、白人の前で演奏したらギャラも多くもらえただろうし、白人ロック・ミュージシャンとの共演をすればレコードの売り上げも増えただろうに、ウルフはかたくなに黒人の前で演奏することにこだわり続けた(エリック・クラプトン達とのロンドン・セッションのアルバムはあるが)。その影響で、シカゴ黒人ブルースファンたちへのウルフの存在感は絶大なものがある。どんなに有名になっても俺たちを見捨てなかったという信頼感があったのだろう。
 代表曲として”スプーンフル”、”シッティン・オン・トップ・オブ・ザ・ワールド”、”ルイーズ”などを挙げておこう。アルバムは「モーニング・イン・ザ・ムーンライト」、「ザ・リアル・フォーク・ブルース」が最高だ。なんといってもウルフはボーカルがすべてだ。ギターやハープも演奏するが、お世辞にも上手いとはいえない。その代わり、相棒であるヒューバート・サムリンは歴代のブルース・ギタリストの中でも指折りのテクニシャンであり、なんと言っても御大に対する忠誠度がマディ・バンドのメンバーとは天と地の差がある。この差は大きい。エリック・クラプトンなどのロック・ミュージシャンにも多くの影響を与えている。その意味でウルフとの相性は抜群で、ウルフのボーカルもサムリンとのものが一番だ。
 とにかく、ウルフのボーカルを聴くべし。この魅力が判らなかったらあなたはブルース音楽とは縁がなかったものと思って、ブルースを切り捨てても結構です。

※この文章は2000年10月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。

(注)最近“黒人”という表現は差別用語的な扱いとなって、“アフロ・アメリカン”というような表現が多い。が、結局同じ意味を指しているのだから、区別すること自体が差別なのであるという見解から、僕の文章は「黒人」で統一してある。


ブルース・アンソロジー Vol.4

2010-03-18 17:01:52 | Blues

「Blues Before Sunrise」
~シティ・ブルース~                                        By The Blueswalk

 カントリー・ブルースが昔ながらの土臭い伝統を保ちながら進化していったのに対し、もっと洗練された、新しいタイプのブルースも作られていった。これまでの、生ギター1本でボーカル、もしくはせいぜいハーモニカを加えたスタイルに対し、ピアノやホーンを混ぜた、楽器のアンサンブルや音の厚みで聞かせる華麗なスタイルであった。ピアノはブルースの世界ではことさら新しい楽器でもなく、ジューク・ジョイント(安酒場)には必ずピアノが置かれていたぐらいだ。ギターと同様に重要な楽器であったが、ピアノは持ち運びが困難なため、ギターほど手軽にレコーディングできないため、田舎でのピアノとギターがペアになった録音は少なかったようだ。
 ブルース史的な流れから云うと、カントリー・ブルースの後に位置づけられているのであるが、時間軸をベースに眺めてみると、同時並行的に進化しているのが判る。つまり、カントリー・ブルースがテキッス、ジョージアなどの田舎で進化して言ったのに対し、メンフィスやシカゴなどの都市で進化していったのがこのようなブルースであったようだ。これらのブルースをシティ・ブルースと呼んでいる。まさに、呼んで字の如く、洒落た都会のブルースである。
 これらのブルースは初期のジャズとの関わりも強く、ジャズとして聴いても十分に鑑賞に堪えられるものである。(ジャズがブルースより高尚であるといっているわけではない) 従って、このシティ・ブルースがジャズ・ファンにとっては最も聴きやすいものと思われる。

シティ・ブルースのボス《ビッグ・ビル・ブルーンジー》(1893.6.26~1958.8.15)

 古くからのブルース第1人者であり、それまで朴訥としたカントリー・ブルースに洒落っ気を添えた(メロディ重視というべきか)張本人であり、人気男であった。代表曲は、自分の名前を冠した”Big Bill Blues”、”I Can’t Satisfied”、”Good Jerry”など。カントリー・ブルースとシティ・ブルースの過渡期のブルースが新鮮に聞こえる。ギターのテクニックにもすばらしいものがあり、軽めで、リズミックで早弾きスタイルはシティ・ブルース以降の指標となった。
 マディ・ウォーターズなど、戦後南部からシカゴへやって来た若いブルースマンの後見人として、シカゴ・ブルースの発展に寄与したという点も評価されるべきである。戦後、白人聴衆向けの活動が多く、ヨーロッパへの演奏旅行などで、特にイギリスのブルース・ブームへの先鞭をつけた点は偉大な功績である。これがなかったら、ビートルズやローリング・ストーンズは生まれなかったかもしれないのだ。ただ、一部評論家はコマーシャリズムに堕落したとして批判している。確かに、過剰生産というか、あまりにイージーな企画に乗ってしまった感が無きにしも非ずだが、ビッグ・ビル自身のスタンスは昔と変わらなかったと思っているがどうだろうか?

ブルース・ギター・マスター《ロニー・ジョンソン》(1889.2.8~1970.6.16)

 ルイ・アームストロングやデューク・エリントンとも共演し、チャーリー・クリスチャンやジャンゴ・ラインハルトといったジャズの偉大なギタリストにインスピレーションを与えた男こそ、このロニー・ジョンソンである。その華麗な単弦ギター・ソロはまさに、“天馬空を駆ける”かのごとき感がある。伸びやかなギターフレーズ、最初の革新的なモダン・ブルース・ギタリストとしての名演は「ステッピン・オン・ザ・ブルース」に集約されている。その中でも代表曲”Tomorrow Night”(エルビス・プレスリーのカバーで有名だ)は‘48年のR&Bチャートの第1位にもなった。ただ、ロニーの場合、あまりにジャズっぽいテクニック主導のギターが耳について、ブルース・フィーリングを味わいたいファンにはやや不満が残ると思うのだがいかがだろうか?そうはいっても、ギター・マスターの多いブルース界にあって、最初の本物のギター・ヒーローとして、後続者の憧れの的として君臨し続けていることも事実である。

シティ・ブルースの王者《リロイ・カー》(1905.3.27~1935.4.29)

 コラボレーションという表現がある。デュエットよりも緊密な関係、お互いに影響し合いつつ、お互いの特徴も出し合って作品を完成させる場合に使われる言葉で、音楽の用語というわけではない。リロイ・カー(P)とスクラッパー・ブラックウェル(G)の作品はまさしく二人のコラボレーションによる産物である。ジャズでいえば、クリフォード・ブラウン(TP)とマックス・ローチ(DS)のコンビに例えられよう。どちらかが欠けたら存在意義が成立しない関係といったら言い過ぎであろうが、そこから生まれる、ピアノとギターのアンサンブルは聴いたものでしか理解し得ないすばらしさがある。特に、ブラックウェルの献身的とも言えるサイドワークは脇役に徹しながら、ここぞとばかり、短いソロに、オブリガードに音を込める卒のなさ、まさしくアカデミー賞助演男優賞ものである。
 まずは、1938年録音のカウント・ベイシーによる”How Long How Long Blues”を聴いてみよう。音の少ない、ベイシーらしいブルース表現が、しみじみと心に残る名演、名曲である。最近ではエリック・クラプトンが「フロム・ザ・クレイドル」でカバーしている。他の曲は気張りすぎていまいちなのに、この曲だけはいつになく抑えた感じで、洒落た感じが微笑ましい。
 そして、リロイ・カーの極め付き名曲は“Blues Befor Sunrise”だ。こんなもの聴かされたら、他のブルースなんてどうでもいいという気になってしまう。その他全楽曲、完全無欠のシティ・ブルース王者である。
さあ、騙されたと思って「ブルース・ビフォア・サンライズ」を聴いてみよう。バーボンの味と香りに浸りながら、しみじみとお洒落なブルースの醍醐味を味わおう。

モダン・ブルース・ギターの父《Tボーン・ウォーカー》(1910.3.28~1975.3.16)

 『わしも若い頃にゃチャーリー・クリスチャンと徒党を組んでダラスやヒューストン辺りを荒らしまわったもんよ。チャーリーと交代でギターを弾いて、女の子にきゃーきゃー騒がれたもんだ。なんたってよー、ブルースにエレキ・ギターを最初に持ち込んだのはわしやで~、そんとき、チャーリーがジャズにエレキ・ギターを持ち込んだのよ。チャーリーはジャズ・ギターの革命児と尊敬されているのに、わしはどうや?もっと、評価しろや。最近よー、チャック・ベリー坊やが、わしの真似して、背中でギター弾いて人気を呼んどる。あれは、わしの専売特許やで~』と、草葉の陰からTボーンの嘆きが聞こえて来そうである。
「いやいや、そう悲観することはありませんよTボーンさん。あなたには誰にも負けない切り札、スペードのエースがあるじゃないですか。この1曲でもってあなたは永遠に不滅のミスター・ブルースですよ」
 いささか、ざっくばらんになり過ぎたけれど、ブルースのスタンダード中のスタンダード、”Stormy Monday Blues”をもって、Tボーンは永遠に不滅のブルース界の伊達男なのだ。昔、日本には「ストーミー・マンディ・ブルース・バンド」というグループがあったぐらい、ブルースのエヴァー・グリーンなのである。ロック・バージョンでは、オールマン・ブラザーズ・バンドのフィルモア・イーストでのライブが鳥肌ものの出来だ。スト・マン(Stormy Monday Bluesのこと)はスローに限る。
 いずれにしても、この時代のブルースこそ、最も華やかで、輝きに満ちた黄金時代であっただろう。名実ともにアメリカン・ミュージックを先導したバイタリティとリアルなブルースがリロイ・カーとTボーン・ウォーカーに凝縮されている。

※この文章は2000年7月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。

(注)最近“黒人”という表現は差別用語的な扱いとなって、“アフロ・アメリカン”というような表現が多い。が、結局同じ意味を指しているのだから、区別すること自体が差別なのであるという見解から、僕の文章は「黒人」で統一してある。


ブルース・アンソロジー Vol.3

2010-03-18 00:22:25 | Blues

「Bad Luck Blues」
~カントリー・ブルース~                                   By The Blueswalk

 戦前(1940年代以前)のブルースを、電気化されていないという意味からだと思うが、総称して「カントリー・ブルース」と呼んでいる。これまで取り上げた「デルタ・ブルース」もこれらの一部に入るのであるが、どろどろしたあくの強い「デルタ・ブルース」を外し、ミシシッピー州を取り巻くジョージア州、テキサス州、アラバマ州、アーカンソー州などのブルースを「カントリー・ブルース」として、区別して扱うのが一般的である。これらの地方は広大で、乾燥した気候という共通した環境であったため、ブルースも共通した部分が多い。いわゆる、一人ギターをかかえ、道端でほこりにまみれてブルースを歌い、小銭を恵んでもらうという姿を想像していただければいいと思う。
 さて、20世紀の初頭、アメリカの田舎で黒人として生まれた場合、よっぽどの金持ちでない限り、生きる道は小作人として農業に従事するか、アウトローとして生きるか、シカゴなどの大都市へ出て工場で職を見つけるしかなかった。こんな状況の中で、体にハンデを持って生まれた、もしくはハンデを背負うことになった黒人の場合は如何であろうか?たとえば、盲目の黒人に生きる道は乞食か、ブルースマンになるしかないといわれるほど過酷な環境であった。今回は、そのような盲目というハンデを負った“Bad Luck”なカントリー・ブルースマン4人を紹介する。いずれも、ブルース史に燦然と輝く実績を残した巨人たちである。

カントリー・ブルースの祖《ブラインド・レモン・ジェファーソン》(1897.7?~1929.12?)
 何故か判らないのだけれど、僕がブルースに興味を抱く前から、歌も聴いたことがないのにブラインド・レモンの名前だけは知っていた。日本のロック系雑誌などで、ブルースをあまり知らない解説者が、一番有名なレモンを題材によく取り上げたか、どうも、盲目であったことでブルース界の象徴としてマスコミに取り上げられ過ぎた感がありそうだ。しかし、だからといってそれでもってレモンの評価が下がる理由にはならない。やはり、レモンは偉大なブルースマンの一人であるし、カントリー・ブルースの祖であることに変わりはない。レモンは生まれながらにして盲目であったという。ブルースだけでは食っていけないため、体格が大きかったので、プロレスの見世物にも出ていたらしい。そのふくよかな体躯から出される声は太く、たくましく、おおらかである。先に紹介したデルタ・ブルースの3大巨人との違いはそこにある。やはり、テキサスという広大な土地のブルースはこうでなくっちゃ、と言わせるに十分なボリュームを持った、田舎(カントリー)のブルースである。また、1920年代中ごろのレモンの成功が、それまで女性上位のジャズ・ブルース優先に終止符を打ったと言われている。代表作”Black Snake Moan”などは10万枚ぐらいは売れたそうだ。当時のマーケットの大きさを考えると現在のミリオンセラーと変わらないほどの人気のほどが伺える。僕にとって昔からレモンについての解決されない疑問のひとつ。何故レモンは生まれながらの盲目なのにメガネをしているのだろうか?

カントリー・ブルースの伝道師《ブラインド・ウイリー・ジョンソン》(1902.3~1949.?) 
 厳密にいえば、ジョンソンはブルースマンではない。ゴスペル・シンガーである。しかし、ジョンソンほどブルースらしいブルースを歌うシンガーを僕は知らない。1曲聴いただけでジョンソンと判る、ダミ声の重苦しい暗さ、胸を締め付ける圧力感とスライド・ギター、まさしく、歌う伝道師である。彼の残した30曲、どれをとっても敬虔で崇高感が漂い、心を打たない歌はない。あのライ・クーダーが”Dark Was the Night”を「アメリカ音楽史上、最も時代を超えて愛される曲」として取り上げている。今まで出てきたすべてのブルースマンでさえも、ボーカルの暗い迫力において、ジョンソンを上回るシンガーはいない。とにかく、聴いてもらうしかない。ただただ黙って聴くべし。そして、心を改めよう。
 代表曲として、上記”Dark Was the Night”の他に、アル・クーパーのカバーした”Load I Just Can’t Keep From Crying”(ブリティッシュ・ブルース・ロック・グループ テン・イヤーズ・アフターのライヴ演奏が最高だ)を挙げておきたい。

ジョージア・ブルースのパイオニア《ブラインド・ウイリー・マクテル》(1901.5.5~1959.8.9)
 個人的な好みから言うと、僕はこの4人の中ではマクテルが一番好きである。ちょっと軽めで高めのかすれた声、よく伸びるスライド・ギターは安心して聴ける。レモンほどパワーはないが、ジョンソンほど重厚感はないが、アトランタの12弦ギターブルースの王者としての貫録十分だ。だいたい、カントリー・ブルースマンのイメージとして、道端でギターのネックに缶をぶら下げたり、帽子を広げてチップを乞う姿が想像されるのだが、マクテルにはそのイメージはそぐわない。実際、スマートなマクテルは白人のパーティなどに人気があり、彼の信念からそのようなストリート・シンガーではなかったようだ。物憂げなスライド・ギターの響きと、時に感極まったかのようなハイ・トーンのボーカルは、”Love changing Blues”、 ”Mr.  McTell Got the Blues”などで聴ける。

ラグタイム・ブルースの王者《ブラインド・ブレイク》(1890 or 1895~1933)
 元来、ブルースもジャズも一部ダンス音楽の流れを引いている。そのダンス音楽ラグタイム・ブルースの王者がこのブレイクである。僕が若かりし頃、上田正樹と有山淳司が「ぼちぼちいこか」というレコードでラグタイム・ブルースをやっており、その中で、有山のギターが好きで気に入っていたのであるが、それがブレイクのギター・スチルのコピーであると判ったのが10年近く前であった。とにかく、うきうきするビートとスウィングするラグタイム・ギターはブレイクで確立され、ブルースのひとつの支流を作ったのである。

 ※この文章は2000年6月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。

(注)最近“黒人”という表現は差別用語的な扱いとなって、“アフロ・アメリカン”というような表現が多い。が、結局同じ意味を指しているのだから、区別すること自体が差別なのであるという見解から、僕の文章は「黒人」で統一してある。


ブルース・アンソロジー Vol.2

2010-03-17 18:06:03 | Blues

「I Got The Blues」
~ミシシッピー・デルタ・ブルース~                     By The Blueswalk 

 “ブルースはジャズやロックのルーツである”ということがよく言われるが、果たしてそうだろうか?確かに、コード進行やリズムの取り方などを聞くと、ロックンロールがブルースやブギウギに基づいていることはかなり明確に感じ取ることが出来る。従って、ブルース~R&B~ロックンロール~ロックの流れは間違いなさそうだ。そのことからも“ブルースはジャズやロックのルーツである”と言えるかもしれない。しかし、ブルースとジャズの関係は親子関係(起源とその発展形)というようなものではなく、どちらかと言うと、素材と製品の関係に似ている。ブルースはある一定の音楽様式であるのに対し、ジャズは一定の様式を持った音楽に演奏形式を施して作り上げた演奏作品である。従って、ジャズに音楽様式は無く、演奏された作品そのものでしかない。ジャズには名演奏はあるが、名曲はないといわれる所以である。
 例えれば、「ブルースは食材としての卵であり、ジャズはその卵という素材を使った料理という形態の作品そのものである」ということだ。だから、卵以外を使った料理が数多く存在するように、ジャズの素材には別にブルースだけでなく、タンゴもあれば、ワルツもあり、シャンソンや日本の民謡があってもいいのである。素材としての“卵”をインプロヴィゼーションという料理方式で如何に作品を作り上げるかが、ジャズを演奏する人の唯一の関心事でなければならないのだ。
 たまたま、ルイジアナ州のニューオーリンズ辺りで、アフリカからつれてこられた黒人奴隷やフランス人とその混血であるクレオール人たちが、唯一自由な時間であった日曜日夕方コンゴ広場に集って、太鼓をたたきながら踊ったのが、だんだんダンス音楽として形成されたのがジャズの発祥源である。これらのダンス音楽の素材として最も身近な音楽であるブルースが用いられたわけである。だいたい、ディキシーランド・ジャズとか、スウィング・ジャズだとか言われるレコードやルイ・アームストロングなどの古いジャズのレコードの演奏曲をみると大半が「○○○ブルース」なんていうタイトルであることからも想像がつくだろう。
 最初から、横道にそれたような内容になってしまったが、今回はジャズの素材としてのブルースの発祥に近いミシシッピー州デルタ地帯(ミシシッピー川とヤズー川が合流した地域)のブルースを紹介する。ミシシッピー州はジョージア州などとともに綿花の主要産地で、安い労働力を多く必要としていたため、黒人奴隷が多く輸入され、そこに黒人のコミュニティが発達し、自然とブルースの発祥地にもなったと推察される(ミシッシッピー州だけがブルースの発祥地であるとは断言できないが)。
 “I Got The Blues”とう言い回しはブルースの歌詞の中にも、タイトルにもよく出てくる言葉である。<ブルースにとりつかれた>とでも訳すのだろうか。これが、当時の黒人が日常感じることであった。”I Woke Up This Morning, I Got The Blues”<今朝起きたらブルースにとりつかれていた>このような黒人の生活感情そのものがブルースという音楽形式となって歌われてきた。クラシックなどの高度な音楽と違って、歌詩は3行で、曲は12小節のいたってシンプルな歌の構造なのだ。白人農園主に酷使され、搾取され、他に持って行き場の無い感情をこのシンプルな歌に託したもの、それがブルースである。夏は蒸し暑い気候、湿地帯の多いミシシッピー・デルタ地方だからこそ、こういったどろどろとしたブルース音楽が発生したといってもいいのだ。

デルタ・ブルースの元祖《チャーリー・パットン》(1887?~1934.4.28)

 ブルースが職業として演奏され始めた頃の、傑出したブルースマンがチャーリー・パットンである。もともと、ブルースのエンターティメントという世界を遡ると、初期はマミー・スミス、マ・レイニーやベッシー・スミスなど、女性の歌手が多かった。ただ、この女性シンガーたちは商業的に作り上げられたマスコット的な位置付けであり、本当の意味でのブルース音楽を職業とし、町々を放浪しながら歌いつづけ、多くの後続のブルースマン(またはウーマン)に最大の影響を与えた人物がチャーリー・パットンである。
そのボーカルは重苦しく、うめきに近く、一度聴いたら忘れられない迫力がある。まさに、ブルースの原点と言っても過言ではない。パットンは、1929年から1934年にかけて計4回、56曲のレコーディングを行っている。現在は、コンプリート盤CDが発売されているのでそちらを購入したらいいと思うが、アナログ時代の僕らは、「ファインダー・オブ・ザ・デルタ・ブルース」、「レジェンダリー・デルタ・ブルース・セッション1930」(最初の写真)などで深遠なブルースの世界に引きずり込まれたものである。代表的な曲としては、”スプーンフル・ブルース”、”スクリーミン・アンド・ホラーリン・ザ・ブルース”、”ポニー・ブルース”などがあるが、”スクリーミン・・・”などは、タイトルを見ただけでもその魂の叫び、呻きが聞えてきそうである。
昨年、NHK・BSで「山崎まさよし、ミシシッピー・デルタを行く」という特集番組があった。内容は、歌手の山崎まさよしがロバート・ジョンソンのルーツを追ってデルタ地方を旅するもので、この手の番組に目のない僕はビデオまで撮って何回も見てしまった。その中で、チャーリー・パットンなど多くのブルースマンが農作業に従事していたことで有名な“ドッケリー農場”(今は観光的に保存されている)でブルースの引き語りをやったのが印象に残っている。1920年代当時に思いを馳せるとき、つくづく“チャーリー・パットンは偉大だなあ”と思ってしまうのである。

デルタ・ブルースの権化《サン・ハウス》(1902.3.21~1988. 10.19)
 
 チャーリー・パットンの次に出てきたのがサン・ハウスである。ただ、彼は当時あまりレコーディングをしていない。そのため、パットンほど評価されていないようであるが、1930年に吹き込んだ”マイ・ブラック・ママ”、”プリーチング・ザ・ブルース”、”ドライ・スペル・ブルース”の3曲を残しただけでも永遠に不滅の存在感がある。ザーザーというノイズの奥から聞えてくる、ワンパターンで押し寄せるボトルネック・ギターの音、破壊的なボーカル、僕はサン・ハウスに“デルタ・ブルースの権化”という称号を与えたい。これらはパットンの項で紹介した「レジェンダリー・デルタ・ブルース・セッション1930」に収められている。パットンと一緒にレコーディングしたんだけどそのときのエピソードがこれまた面白いが、長くなるのでまたの機会に書きたい。
 1964年に白人リサーチャーによって再発見され、60歳を過ぎてからの活躍も目覚しく、ギターもボーカルも往年の威勢を失っていない。
 ジャズに限らず、ブルースの世界でも破滅的な人生を送った天才たちが多い(これまで紹介したロバート・ジョンソン、チャーリー・パットンしかり)のであるが、サン・ハウスは先ほど述べたように戦後再発見されたあとからの活動も目覚しく、その人柄も相まって、長きに渡って後輩から尊敬されながらすばらしい人生を終えた。
 歴史的に見れば、デルタ・ブルースはチャーリー・パットン~サン・ハウス~ロバート・ジョンソンの流れに集約でき、サン・ハウスはパットンとジョンソンの橋渡しと見られている。しかし、サン・ハウスがいなかったらロバート・ジョンソンが出なかったかもしれないし、そうなると今日のブルースはありえなかったという意味では、やはり偉大なブルースマンの一人である。
 なお、カサンドラ・ウイルソンが「New Moon Daughter」で”Death letter”をカバーしている。興味のある方は聞いてみてください。

 ※この文章は2000年5月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。

(注)最近“黒人”という表現は差別用語的な扱いとなって、“アフロ・アメリカン”というような表現が多い。が、結局同じ意味を指しているのだから、区別すること自体が差別なのであるという見解から、僕の文章は「黒人」で統一してある。


ブルース・アンソロジー Vol.1

2010-03-17 14:24:30 | Blues

ブルースは死んだか
                                                                    By The Blueswalk

 ブルースはアメリカの奴隷解放後に成立した音楽である。人種差別の中で抑圧され、搾取され続けてきた中から生まれた黒人の魂の叫びである。このような環境の中で、親から子へと代々歌い継がれてきた民俗音楽であり、黒人自身の今の気持ちを託すことの出来る唯一の歌である。1970年代以降、基本的には人種差別はなくなり、黒人の社会的地位も向上し、スポーツや音楽など一部の分野においては白人よりも高い収入を得られる状況になっている。このような状況の中で、西暦2000年の今日、実感として人種差別を意識し、ブルース衝動を歌にする人が少なくなってきているのは事実である。従って、早かれ遅かれ、ブルースという民俗音楽はなくなっていくであろうことは明白である。
しかし、ブルースという音楽様式の歌はなくなったとしても、ブラック・ミュージックとしての広い意味で、ジャズやロック、レゲエ、第3世界のワールド・ミュージック等々の中に脈々と生き続けていくであろうことも確かである。そう、アメリカン・ミュージックが存在する限り、そのルーツ音楽であるブルースはそれらの中に脈々と生き続けるのである。
さて、タイトルは「ブルースは死んだか」ということになっているが、上述したように、結論はすでに決まっている。従って、本題は、当クラブのメインテーマである“ジャズ”のルーツとしてのブルース音楽を紹介することにある。ただ、「ブルース」というあまりにも捕らえどころのない広範囲のテーマを語るには僕の知識はあまりに狭く、少なすぎるし、また、それを詳しく表現できるだけのボキャブラリを残念ながら持ち合わせていない。よって、今まで僕が聞いてきたブルースを紹介することにより、ジャズやロックとの関わりを知り興味を持ってもらえればと思う。

 悪魔に魂を売った男《ロバート・ジョンソン》(1911.5.8~1938.8.16)

 ブルースの話をするときに、まずはこの人を真っ先に取り上げなければその人はブルース語りのブルース知らずといわれてもしかたがない。ロバート・ジョンソンは27才の生涯で29曲41テイクしかレコードを残していない。それらは、‘80年代「King of The Delta Blues Singers」(2枚別売り)として29曲32テイクが発売され、’90年にはコンプリート版としてすべてがCD2枚組で発売された。これが、現在我々がロバート・ジョンソンの歌について知ることの出来るすべてである。
 ロバート・ジョンソンは謎と伝説に包まれた人物で、そのブルース史上における位置付けは、モダン・ジャズにおけるチャーリー・パーカーと思ってもらえば一番わかりやすい。つい最近まで顔写真ひとつも残っておらず、僕たちファンはその声とギターの音と私生活の話から「顔」を創造するしかなかったが、‘90年のCD発売と同時に写真2枚が公開された。レコード時代のイラストと違いハンサムで、行く町々に女性を作っていたというのはまんざらうそではないだろう。また、異様に指が長いのが印象的で、ギターテクニックの源泉はこの指にあったのではと思わせる。そして、常に南部のデルタ地帯を放浪しながら、酒と女性遍歴を繰り返し、最後には浮気相手の旦那に毒殺されるという結末で生涯を閉じている。そのような私生活の面、音楽の完成度、後輩への影響度から、まさにブルース版チャーリー・パーカーと言えるだろう。伝説の中で一番有名なのが、「ギターの最高のテクニックを得るために四つ辻で悪魔と取引をして自分の魂を売った」という、いわゆる“クロスロード伝説”である。これは、たぶんにあまりのギター・テクニックのすばらしさを表現するために誰かが作り上げた話であろうことは想像に難くないが、裏を返せば、それだけギター・テクニックは他のブルースマンを圧倒していたということであり、実際、彼の演奏を聴けばそれがうなずけると思う。僕は残念ながら楽器を演奏することが出来ないので、その辺の繊細なニュアンスはわからないが、演奏を聴く限り、ギターの弾き語りをひとりで演奏しているとは絶対に思えない。なにしろ、ギターが3つぐらいは聞えてくるのだから・・・
 さて、本題の曲の紹介を少し。

”Cross Road Blues”
 題名の通り、悪魔と取引をした四つ辻の歌である。出だしのハイトーンのボトルネック・ギターを聴くだけで身震いがするようで、ボーカルも強烈なファルセットで3オクターブは軽くカバーしている。ロバート・ジョンソンの傑作のひとつで、いわずと知れた、エリック・クラプトンがクリーム時代にヒットさせた曲のオリジナルである。「Wheels of Fire」にライヴ版として収録されている。
”Come On In My Kitchen”
 ブルースらしくない曲調であるが、これもまぎれもなく代表作のひとつ。“ムゥー”と唸る出だしがたまらない。ギターは高位置でのチューニングで歌に絡みつくようなスライド・ギターがすばらしい。カサンドラ・ウイルソンの「Blue Light」でカバーされていたのでご存知の方も多いのでは。
”Love In Vain”
 ローリング・ストーンズがカバーしたことで有名になった曲。厳密に言えばブルースというよりバラードといった曲調で、ギターも淡々と弾いている。その辺が逆に魅力的であり、ミック・ジャガーが選んだ理由がわかるような気がする。マイルス・デイビスのブルー・イン・グリーンに匹敵する。
④”Dust My Bloom”
 多分、すべてのブルース曲の中でベスト5に入ると思われる曲。ブギウギのリズムをベースにしたギターはその後のほとんどのブルースマンに影響を与えたといっても過言ではない。エルモア・ジェームスが十八番にしてさらに有名になった。このタイプのブルースを“ブルーム調ブルース”と呼ばれるようになった。いまでも、最もよく演奏される曲のひとつ。
このほか、”Sweet Home Chicago”、”Rambling On My Mind”、”Walking Blues”等々好きな曲がたくさんあるのだが、紙面も尽きたし、この辺で終わりにしたい。
 次回は、ロバート・ジョンソンを生んだミシシッピー・デルタ地帯の創生期のブルースを紹介する予定です。

 ※この文章は2000年4月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。

(注)最近“黒人”という表現は差別用語的な扱いとなって、“アフロ・アメリカン”というような表現が多い。が、結局同じ意味を指しているのだから、区別すること自体が差別なのであるという見解から、僕の文章は「黒人」で統一してある。


 


美脚

2010-03-12 10:01:27 | Jazz

美脚
                                                                    By The Blueswalk

 アナログ・レコード蒐集の楽しみの一つに、ジャケットを愛でるというのがある。“ジャケ買い”などと言われ、変態視されることもある。しかし、CDが12cm角のぺらぺらなのに較べると、31cmの硬くて大きなジャケットは絵画的な面持ちがあり、それに絵が美しかったり、エロティックだったりすると、音に多少パチパチノイズがあってもまったく気にならないのである。CDでノイズのない綺麗であるがうすっぺらでな音を聴いているファンには理解できない世界かも知れない。女性ヴォーカリストのジャケットなどは本人の写真を色っぽく撮って中身よりはそれを売りにしているのも珍しくはない。 今日のテーマはそれらの中で“美脚”を取り上げた。ありそうでなかなか無いのが蒐集家の本能をくすぐるところである。
 ソニー・クラーク『クール・ストラッティン』はその代表的な作品である。“気取って歩く”というタイトルそのもののジャケット・デザインで多分日本で最も売れたジャズ・レコードではないだろうか。実はビジネス街のキャリア・ウーマンが歩く写真で、ひょっとしたら見せられる顔じゃなかったので足だけにしたんじゃないかとは思わないでくださいね。
 マーティ・ペイチ『ザ・ブロードウェイ・ビット』(通称“踊り子”)はアート・ペッパーを全面的にフューチャーした傑作である。顔もいい、スタイルも文句なしのいうことなし。これまでは、一人の踊り子が鏡に映っていると思っていたのが、アナログ・ジャケでみると二人だったんだとわかった。今でも、ヤフオクなどでは、オリジナルでもないのに、落札価格が5000円を下らない人気商品である。勿論、演奏内容も文句なしである。
 パット・モラン『ジス・イズ・パット・モラン』もマーティ・ペイチと同様の人気を誇っている一枚である。ピアノの鍵盤にハイヒールのかかとを乗っけるなんて不届きだなどと思ってはだめ! この美脚の女性の顔を拝んでみたくなりません? 想像させるだけで価値のあるジャケットなのです。ひょっとして、この美脚の主がパット・モラン?
 ディヴ・ブルーベック『エニシング・ゴーズ』。足が逆さに写っているので、つい、この女性のスカートがどうめくれ、その下がどう露になっているんだろうなどと(ああ、俺もとうとう変態ベースさんと同レベルの変態に堕ちてしまった)想像してしまう。でも、これもこのレコードの売りだと思えば、そんな妄想も恥ずかしいことではない。美脚的スタイルとしてはこれが一番いいなぁ。

※この文章は2010年2月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。


ウィズ・ストリングス

2010-03-12 09:31:28 | Jazz

ウィズ・ストリングス
                                                                                 By The Blueswalk
 ジャズの演奏家が一度はやってみたいことの一つに、ウィズ・ストリングスのアルバムを作ることがあげられるようだ。それなりの地位と名声を勝ち得た証としてこれを望むらしい。まあ、その気持ちが分からないわけでもない。指揮者(アレンジャー)とオーケストラを従えて自分が主役になれるのだから、気分が悪かろうはずはない。そして、レコード会社のほうでも大変な経費が掛かる訳だから、多少とも売れる確証が得られてはじめて成り立つ企画である。一流のステータス・シンボルなのだ。そういった意味でいくと、ウィズ・ストリングスのアルバムがそうざらにある訳ではないのだ。有名なところでは、チャーリー・パーカー、クリフォード・ブラウンなどのそれが挙げられよう。今回、そういった中のトランペットのウィズ・ストリングスに焦点を当ててみた。
ディジー・ガレスピーの『Dizzy Gillespie And His Operatic String Orchestra』と題されたこのアルバムの場合、1枚のアルバムのコンセプトとしてウィズ・ストリングスをやった訳ではなく、何回かのセッションが一枚のCDにまとめられている。カルテット、クインテットの演奏も入っている。でも、同僚のチャーリー・パーカーがやって成功したのだから俺も一つそれにあやかって・・・と思ったのではないかな。
しかし、地は隠せない。1曲目の“ボディ・アンド・ソウル”、かなりクラシック・タッチのアレンジでスタートしているが、トランペットもそれに合わせて進むかと思いきや、途中から待ちきれないかのように飛び出してしまって、まるでビ・バップのソロと紛うような熱い演奏となってくる。しかし。これがまたガレスピーらしくて面白いんだな。
ただ、ストリングスのアレンジが雑というか、繊細さがないのでどうしてもトランペットの方ばかりに耳がいってしまうのが難点かな。
チェット・ベイカーほどウィズ・ストリングに相応しいトレンペッターはいないだろう。何故かというと、テクニック的には、今回取り上げる他の人たちに比べやや劣る(チェット・ベイカー・ファンの方さんすみません)かもしれないが、ウィズ・ストリングスは何もスピードを競うわけでもなく、ハイ・ノートをひけらかすわけでもないのだから、それはあまり不利とは言えない。ストリングスとトランペットをいかに同化させていくか、そこに情感をどれだけ込められるかが勝負になってくる。それにはチェット・ベイカーの中庸的な性格が最適なのだ。僕はチェット・ベイカーのヴォーカルをあまり好んで聴くファンではなく、出来るなら“歌のないチェット”の方を好むのだが、このアルバムではストリングスとヴォーカルがうまく絡み合っているので好きだ。十八番の“マイ・ファニー・ヴァレンタイン”も有名な、『シングス』のヴァージョンよりもいいと思っている。また、トランペットの音色も中音域でさり気なく吹いているのが心地いい。
クリフォード・ブラウンのウィズ・ストリングス。上述したように、チャーリー・パーカーのそれと肩を並べる有名盤だ。ただ、人によっては、クリフォード・ブラウンの駄盤と指摘する人も少なくない。あの、輝かしいアドリブ・プレイを犠牲にしているのでらしくないというのである。粟村政昭さんも、「クリフォード・ブラウンのレコードはストリングスと共演した愚盤を除いてはあまさず蒐集の価値がある」などど書いている。しかし、それでも伸びやかなトーンは随所に発揮されているし、歌心溢れたメロディを完璧に消化しているこのすごさは他の誰も真似できないところだろう。ジャズ・ファンでこのよさが理解できない感性の持ち主がかわいそうだ。特に、“煙が目にしみる”などは、いい意味でストリングスがあるのを忘れるぐらいのトランペットは感動的だと思うのだが・・・
ウィントン・マルサリスがクリフォード・ブラウンに挑戦したウィズ・ストリングスの『スターダスト』である。ブラウンと較べられたらたまったもんじゃないと思ったのか、かなり捻った音作りである。音の伸び縮み、上下音の移動を極端に利用して、どうだ、これで参ったかとでも言わんばかりの主張が目立ってしまう。悪く言えばカッコつけすぎの感がする。両者共通して演奏している“スターダスト”を聴けば一聴瞭然である。だから、ブラウンの作品とは似ても似つかない結果となっている。しかし、見方を変えれば、その弱点を補って余りある完璧な演奏は驚異的でもある。やはり、一時代を築きあげるきっかけとなった作品であることには間違いなく、これも一つの歴史的な盤としてジャズ・ファンの記憶に残っていくだろうと思う。
ファブリッツオ・ボッソのウィズ・ストリングス。これは、以前会報に記事を寄せたので、そちらも参考に読んでいただければと思う。上記4つに比べ、録音が最近で、CD録音技術の高度化に支えられている面はあるが、ストリングスが今風で、かつラテンを感じさせているところが大きな違いとなっている。また、トランペットの音はもちろん押さえ気味なのであるが、あまりバックのストリングスに束縛されず自由にアドリブを演っている。昔のウィズ・ストリングスからはかなり変貌していると感じる。アルバム・タイトルが『ヌーヴォ・シネマ・パラダイソ』となっているので分かるように、映画音楽のサントラ的に聴くのがいいのかもしれない。

 ハード・バップなどを聴いたあと、たまにこのようなストリングスを聴くと、一服の清涼剤としての効果てきめんである。

※この文章は2010年2月の関西ジャズ・ソサエティの会報に載せた記事のリニューアルです。


元気よく歳は取りたいものだ

2010-03-12 09:26:58 | Jazz
元気よく歳は取りたいものだ
                                                                                 By The Blueswalk
 2009年12月1日の朝日新聞夕刊に、渡辺貞夫さんの記事が載っていました。もう、76歳なんですね。驚いてしまいました。KJSの2人の長老さんたちもますます元気で、たよりない若者たちを叱咤激励してくださっている姿を見るにつけ、俺もああいう風に歳を取りたいものだなあと思うわけであります。
僕が20代の頃FM大阪で土曜日の深夜『渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ』という番組があってよく聞いていました。大きなFMアンテナを買い、家主に内緒でアパートの屋上にそのアンテナを立て(ちっちゃな2階建てビルで2階は3部屋で屋上は2階住人の使い放題だったのです)、壁に穴を開け丸いケーブルを通し、また当時の安月給貧乏人には分不相応の高価なオープン・リール・デッキを買い込んで毎週といっていいほどエア・チェックしたものでした。あれからもう30年以上過ぎてしまいました。時の経つのは早いものです。
話し変わって、こちらは近所の話。僕の最寄の駅は新大阪なんだけれど、2年ぐらい前から帰宅途中の、駅前のニッセイ・ビルの1階のコーヒー店“スターバックス”のカフェテラスでほとんど毎夜サックスの練習をしている人がいました。最初は音だしの練習から段々と曲の通しの練習へと日が経つにつれ音色もよくなっていったようでした。それを聴きにコーヒーを飲みにいくという人々が集りだして、さらには、類は友を呼ぶかのごとく、何人か集りだし、最近では無料コンサート的な催しにまでなっていました。その模様が、わが淀川区のコミュニティ誌に載ったわけです。記事によると元々ビッグ・バンドのリーダーを務めていたらしい人の様だが、昔取った杵柄を再び磨きなおし、地域に潤いをもたらしているのだ。団塊の世代の人たちがどんどん定年を迎え、このような光景が数多く見られることを期待したい。

今年2009年のベストはこれ

2010-03-12 09:22:27 | Jazz
今年2009年のベストはこれ
                                                                                 By The Blueswalk
 暮も押し詰まった11月末に手に入れたのが佐藤允彦の『マイ・ワンダフル・ライフ』である。これは、2年前惜しくも亡くなったパーカッショニスト富樫雅彦へトリビュートした作品である。佐藤允彦がイニシアチブを取り、富樫雅彦と縁のあった旧友たち(渡辺貞夫、日野皓正、峰厚介、山下洋輔)をフューチャーした、富樫雅彦ソング・ブックなのである。それにしても富樫のオリジナル曲がなんと優しいメロディであることか。この中の数曲は本人が演奏したレコードやCDで聴いたこともあるのだけれど、さほど意識してこなかった。今回はゲストによる入魂の演奏でさらに美しく仕上がっているのである。 僕も歳を取った所為なのか、殊に最近は涙腺が緩くなったとみえて、些細なことでやたらと涙を溢すことが多くなってきてしょうがないのだが、1曲目のタイトル曲「マイ・ワンダフル・ライフ」における渡辺貞夫のアルトの憂いを含んだ物悲しい美しさに涙が溢れて来てしまった。さらにまた、ボーナストラックに2004年の同曲の山下洋輔によるソロ・ライヴが収められているがこれも感動的である。山下洋輔と富樫雅彦といえば、一時期犬猿の仲となって、お互い音楽家としては認めるものの感情的なこだわりから共演することがなかった。1980年に『兆』において15年ぶりの邂逅を得たことが話題になったりしたそんなことを考えながら聴いていると感無量になってくる。山下洋輔もそれを思い出しながら演奏したに違いない。まるで、このCDのために取っておいたような最高のオマケである。 佐藤允彦のすばらしいサポートもこのCDの価値を高めている要因の一つであろう。基本の演奏パターンは、ホーンのソロイストとピアノのデュオなので、このさり気なくかつポイントを押さえた心憎い気配りは流石と言うしかない。今年のマイ・フェイヴァリットはこのCDで決まりだ。
今年、個人的に追っかけた人として、ファヴリッツオ・ボッソを真っ先に挙げたい。ハイ・ファイヴというグループが人気になっていることは知っていながら聴く機会も無かったのだが、今年の初めたまたまタワーレコードで『SOL』というのを見かけ気に入って買い、このファヴリッツオ・ボッソなる人がハイ・ファイヴのリーダであることを知ってから追っかけが始まったというわけだ。その後のありさまは会報にも載せたのでご承知の通りである。そのときは「当代NO.1のトランペッター」と書いたのだが、今は、さらに評価を上げて、“30年に一人のトランペッター”と呼ぶことにしたい。30年に一人とは、 1920年以降 ルイ・アームストロングの時代 1950年以降 クリフォード・ブラウンの時代 1980年以降 ウイントン・マルサリスの時代 2010年以降 ファヴリッツオ・ボッソの時代だからだ。つまり、ジャズの花形であるトランペッター史上の四天王の一人になったということだ。ちょっと買かぶりかな? でもこれからもこの人には目が放せない。 さて、2010年はどんなスターが出てくるか楽しみだ。