女流ピアノ・トリオ
The Blueswalk
今月のテーマは『トリオ』である。選択の幅を広げて色々な解釈で皆さんのベスト・チョイスがなされればいいなあと思っている。でも正直、通常トリオといわれるとピアノ・トリオを思い浮かべる人が殆んどであろう。僕もそのうちのひとりだ。
ピアノ・トリオといえば、ピアノ、ベース、ドラムスの構成が主流であるが、その構成を確立させたのが バド・パウエル だといわれている。現代でこそこのフォーマットがその殆んどを占めているのであるが、その昔はピアノ、ギター、ドラムスのパターンも多かった。ナット・キング・コール・トリオや初期のオスカー・ピーターソン・トリオがその代表であろう。それから時代を経て、ビル・エバンスやキース・ジャレットなどのスタイリストを経由して現在のジャズの基本フォーマットとして定着しているのだ。そんな意味でピアノ・トリオはジャズの主流といっても良いほどの流れを形作っているので、ピアニストの数はジャズ奏者の中で比率も高いし、女性の占める割合もボーカルについで高いと思われる。現代では女流ピアニストが花盛りだが、50~60年代にはそう多くはみられない。そんな中から“野に咲く可憐なユリの花”のごとき女流ピアノ・トリオをバックに美味しい酒を楽しみたいものだ。
ユタ・ヒップ『ヒッコリー・ハウスのユタ・ヒップ』
ドイツで活動中に評論家レナード・フェザーに知己を得ていた彼女は1955年30歳でドイツからアメリカに移住し、その口ぞえもありブルーノート・レコードからデビューを果たした。プロデューサーのアルフレッド・ライオンも同じドイツ出身ということもあるし、新人を発掘することには定評のあるブルーノート・レコードの目に留まったのはラッキーであったといえるだろう。そしてその第1弾がこのヒッコリー・ハウスでのライヴ録音である。名も知れない新人のデビューをライブでしかも2枚組み、恐るべしアルフレッド・ライオンの慧眼というべきか。しかし、このレコードが際立って人口に膾炙しているという事実は演奏の良し悪しよりも、後年のブルーノート神話に拠るところ大といっても過言ではない。つまり、ブルーノート1500番代はすべて名作だとジャズ・ファンが洗脳された結果の人気だということだ。
さて、演奏内容なのだが、さすがに初めてのライヴ録音ということで硬くなっているようだ。元来、テクニックを鼓舞するタイプでなく、内に秘めた情熱を淡々とクールに表現するタイプなので、冷たい感じがするかもしれない。チャーリー・パーカーの“ビリーズ・バウンス”なんかもトリスターノか?と感じる部分がないわけではないが、じっくり鑑賞するには持って来いのアルバムで、何回も聴き返していくごとに味の出るといった感じだ。アメリカのショー・ビジネス界に水が合わなかったのかもしれず、このあと、ブルーノートにズート・シムズとのセッション盤(僕はどちらかというとこっちの方が好きだ)を残してシーンからひっそりと消えていったユタ・ヒップであった。
ロレイン・ゲラー『アット・ザ・ピアノ』
ウエスト・コースト・ジャズの高名なアルト・サックス奏者ハーブ・ゲラーの奥さんで、おしどりコンビで少なからずレコードを残したロレイン・ゲラーの唯一のリーダーアルバムである。美人薄命というが1958年30歳の若さで喘息の心臓発作により突然亡くなったのが惜しまれる超美人のピアニストである。旦那との一連のレコードを聴いてもわかるとおり、こちらはバド・パウエル系の力強い、スピード感豊かなフレーズが心地良い。もともと発売は予定していなかったデモ用の音源で、突然他界したロレインへの追悼盤としてリリースされた、ジャズ・ファンには貴重なレコードである。バックのベース、ドラムを含め、やや一本調子な面も見られるが、ピアノの躍動感はホレス・シルバーを彷彿とさせるものがあるし、B面1曲目の“マダムⅩ”はまるでバド・パウエルの“ウン・ポコ・ロコ”、こんな強烈なピアニストもそうざらには居るまい。これもユタ・ヒップと同じく、聴きこんで良さがにじみ出て来るというタイプの演奏である。なにせ、リーダー作品はこれ1作なのだから、貴重この上ない。なお、オーネット・コールマンの「トゥモロウ・イズ・ザ・クエスチョン」の中の“ロレイン”は彼女をオマージュした曲である。
パット・モラン『ジス・イズ・パット・モラン』
以前、「美脚」のテーマで取り上げた作品である。パット・モランは唄も歌い、ベブ・ケリーの唄伴的なアルバムも残しているが、代表作となるとこの美脚盤に限る。それはなぜかというと、なんといっても無名のベーシスト、スコット・ラファロの参加に他ならない。なるほど、1曲目からついついラファロの快適なウォーキング・ベースに耳が移ってしまう。ラファロといえば、ビル・エバンス・トリオでの丁々発止なインタープレイが有名であり、それのみがスコット・ラファロのトレードマークとして持て囃されているようだが、ここではリズム・マンとしてのベーシストに徹していて、しかもそれが最良な形で発揮されているところにこのレコードの価値があると思われる。そういう意味では、このレコードはスコット・ラファロに食われているといっても言い過ぎではないだろうが、ここでのパット・モランのピアノも、歌伴の域を脱して、強烈なラファロのベースと対峙して奮闘していることは間違いない。それが4曲のピアノ・ソロ曲に顕われている。これはピアノのレコードなのだ、ピアニストが主役なのだ、そして、この美脚も私なのよという意思の表れだ。
『ルッキン・フォー・ア・ボーイ』
これは、3名の女流ピアニストのトリオ演奏をあつめたコンピレーションCDである。サヴォイ・レコードはブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドなどに較べ、やや見劣りするレコード会社だと見られている節がある。その大きな理由は“組織化されたレーベルポリシーの有無の差”と寺島氏は云っているが、それは当たっているかもしれない。これがサヴォイの音だ、ジャケットイメージだというものがない。レコーディングにしても然りで、極論すれば、小規模なセッション録音の取り溜めを繰り返し、少したまったら1枚にまとめて“ハイ一丁あがり”的な発想なのだ。だから、レーベルがB級なら、傘下のアーティストもB級に見られてしまう。決してそんなことはないはずなのだが・・・ ここでも3名を1枚のCDに押し込めて発売をせざるをえない録音量での冷遇振りであるが、中身は決して悪くない。
マリアン・マクパートランド 現在では女流ピアニストの大御所的な扱いをされ、やっと正統な評価を得ているが、それでも知名度はかなり低いといって良いだろう。出自が英国の貴族らしく、容姿も高貴であるが、演奏もそれに負けず劣らず品が良い。音を例えて云うなら、テディ・ウイルソンをもっと優雅にした感じといえば分かりやすいだろう。
バーバラ・キャロル 最近といっても6年ぐらい前であるが、ヴィーナス・レコードから新作が出ており、僕もまずまず気に入ったCDであった。この若き日のお洒落で軽妙なピアノタッチ、カクテルを飲みながらジャズ・ラウンジで聴くのが良く似合いそう。
アデレード・ロビンス ほとんどこのCDでしか知られていない幻のピアニスト。歯切れが良く小気味良い演奏で、先頭に配置されているのはCDの作りとしては正解だ。1曲目から軽快にスウィングし、2曲目のブルージーな演奏も上出来だ。出来るならまるまる1枚分の録音でも残っていればと期待感を抱かせるピアニストだ。
さて、あなたは今月は何を持ってくる?