The Blueswalk の Blues&Jazz的日々

ブルースとジャズのレコード・CD批評
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Live from Montmartre

2010-06-23 23:41:10 | 変態ベース

Live from Montmartre
Stan Getz                          By 変態ベース
かつてコルトレーンは「私もスタン ゲッツのようにサックスが吹ければいいのに」と周囲に語ったと云う。社交辞令の多い欧米のことなので、その言葉がどれほど本音に近かったのか測りかねるところだ。しかし演奏家としてのゲッツの技術や表現力の豊かさが、他者を圧倒し羨望の的となっていたであろうことは容易に想像がつく。従って、それがおよそスタイルの異なったコルトレーンの談話だったとしても、まったく歯の浮くようなお世辞に過ぎなかったとは言い切れないはずだ。名人、名手という呼称が最も似つかわしいサックスマンこそ、スタン ゲッツその人なのだ。
スタン ゲッツが生まれたのは、1927年2月2日。マイルスやコルトレーンよりひとつ年下だ。ティーンエイジャーの頃から、ジャック ティーガーデン、スタン ケントン、ベニー グッドマン等の有力楽団を渡り歩いた。47~49年にかけては、ウディー ハーマンのオーケストラに加入し、チームメイトのズート シムスやアル コーンと共にフォー ブラザーズ等のヒットを飛ばした。それを契機に一躍スタープレイヤーへの道を辿ることになったのである。50年代のクールジャズ、60年代のサンバ、ボサノバブーム。70年代にはチック コリア、トニー ウィリアムス等、若手を従えての新たなる挑戦。飽きやすいのか、浮気性なのか。一カ所にどっしり腰を据えることないミュージシャンだった。

カフェ・モンマルトルは、デンマークの首都コペンハーゲンに店を構える。70年代より、スティープルチェイスがしきりに生演奏を録りつづけた。長年にわたり、ヨーロッパ大陸のジャズのメッカとして盛況を得た。スタン ゲッツがこのライヴハウスに出演したのは、1987年7月6日のことである。その模様はエマーシーレコードからふたつのアルバム、『Serenity』『Anniversary』に分散して発表された。晩年のパートナー、ケニー バロンが初めて加わったのも、この日の録音である。メンバーは、Stan Getz, Kenny Barron, Rufus Reid(b),Victor Lewis(ds)である。
ゲッツの演奏は、少し聴けば彼と分かるほど特徴がある。しかしそのサウンドには不可解でミステリアスな成分も含まれる。優男のように甘く切なく囁いているかと思えば、ごろつきのように凄みを利かせることもある。清らかに澄みきった音色を奏でながら、どこか淫靡でエロチックにも聴こえないか。『Anniversary』はそんな万華鏡のような魅力に溢れている。
El Cahonはジョニー マンデルが作ったソフトなナンバー。軽やかにスイングする小粋なビート。私はいつもこのような演奏に引き寄せられる。ゲッツ、バロンのソロはメロディックで、ひとつとしてクレームをつけるところが見当たらない。ルーファス リードも短いソロをとる。ロン カーターの影響が濃いベーシストだ。安定感のあるラインで演奏を支えている。以下、I Can’t Get Started, Stella by Starlight等、お馴染みのナンバーが続く。
ゲッツは基本的にスタンダード吹きだ。あまり作曲に関しては熱心ではない。また、凝ったアレンジで粉飾することも潔しとしない。(そのようなアルバムも過去にはあったかもしれないが)
お気に入りの楽曲を、気持ちの赴くままにブローする。いやしくも達人と呼ばれるプレイヤーには、下手な小細工などは不必要なのだ。フレーズが淀みなく溢れ出てくる瞬間こそが、まさに名人芸の極み。サックス片手に吹きまくるスタンスこそ、稀代の即興プレイヤーとしての真実を、より克明にしているように思われる。
最後のナンバーは、ビリー ストレイホーンのBlood Countだ。晩年のゲッツの愛奏曲である。エリントン特有の、どこか妖しくも美しい旋律を含む曲だが、いかにもゲッツ好みの佳曲である。

50年代の多くをヨーロッパ楽遊に費やしたゲッツは、80年代においてもヨーロッパ各地で地道に演奏をこなした。コンコードの作品『Yours and Mine』も、大変優れた内容だ。89年6月のグラスゴー ジャズフェスティバル(イギリス北部のスコットランドにある)における実況録音だ。メンバーはゲッツとバロンの他に、Ray Drummond(b)とBen Riley(ds)が随行している。このバックの三人は、これ以後もトリオを結成して活動していたようだ。1992年に、私がニューヨークに行った際も、このトリオを「ブラッドレーズ」で聴くことができた。
「ブラッドレーズ」はカウンターだけの細長いジャズクラブで、店の奥にピアノが置いてあった。客はほとんど立見状態。大きい人に立たれると全く前が見えない。それでもほぼ店内は満杯だった。このトリオの「ブラッドレーズ」でのライヴ盤も、やはりエマーシーから出ている。彼らはしばらくの期間、レギュラーのトリオとして活躍していたのだ。
バロンの人気は、日ごと高まっているようだ。自身のアルバムもさることながら、セッションマンとしても引く手あまたである。その器用さと安定感を見込まれ、現在もっとも多忙な日々を送るピアニストなのだ。出しゃばらず主役を上手に盛りたてるのは勿論のこと、自分らしさや存在感もしっかりと刻み込んでいる。トミー フラナガンの再来といえば、果たして本人は気分を害するだろうか。
ドラモンドは、小錦のような体形をしている。とてもベースプレイヤーの体つきとは思えない。それでも驚くほどまともな演奏ができる。当たり前のことだが、人は外見だけで判断を下してはいけない。ドラムスのベン ライリーはセロニアス モンクのカルテットで演奏していたベテランである。名前を聞いても、一瞬誰だったか思い出せないくらい地味な人だ。しかし的確で堅実な演奏家だ。少なくとも騒がしいだけのドラマーではない。
このアルバムもスタンダードを中心に熱い演奏が繰り広げられている。すでに体調も万全ではなかったかもしれないが、ゲッツのホットなプレイが快い。


雨の日はショパンでも聴こう2

2010-06-18 17:42:57 | Jazz

雨の日はショパンでも聴こう2
                                                                                By The Blueswalk

 さて、ジャズ界でもショパン熱がおさまらない。この間ビートルズ曲集を出して好評を博したジョン・ディ・マルティーノが早速ショパン集『ショパン・ジャズ』を出した。取り上げたショパンのそれぞれの楽曲に独自?のタイトルをつけているが、これって掟破りじゃない?良いのかな?
 それはともかく、演奏はというと、一通り聞いた印象がもう一つピンと来ないというか、何をしたいのか判らないといったほうがいいかなそんなところだった。1曲目、やけにポップな演奏だ。ショパンらしさが微塵も感じられない。でもこれもありかなとは思う。ジャズのアルバムなのだから。でもだんだん聴き進むにつれて、ちょっと華やか過ぎる。ショパンの良さまでもが失われてしまっているような、そんな雰囲気だ。ショパンを題材にしているのだから、少なくともショパンを思わせる何かが欲しい。つまり、ショパンの特徴である“「野に咲く一輪のユリ”のような控えめでありながらも一寸の存在感を示すものが・・・ 4年前、モーツアルトの生誕250周年のときにもこのような中途半端な作品を出したが、同じ失敗を繰り返しているんじゃないか?
 と、まあこんな具合にあまり肯定的な賞賛に値するコメントが出てこなかったのだが、2回目、今度はBGM的というか、さらっと流す感じで聴いたところの印象が全く異なるのだ。つまり、1回目には、ショパンを期待し過ぎる事による違和感、物足りなさがあったのだが、2回目はジャズのピアノ・トリオとして聴くと、ショパンのメロディとマルティーノのインプロヴィゼーションが同化したように一体となって、これはこれでジャズに仕上がっていると云えるのだ。
 小曽根真『ロード・トゥ・ショパン』。ジャケットを見る限り、冬のソナタか?と思わせるデザインなので、小曽根よお前もか!!と叫びたくなった。ところがだ、中身は逆にこのどこがショパンなんだ?と思わせる演奏なのである。1曲目と最終曲にボーカル(ショパンの曲ではなさそう)を配置し、後はワルツ、ポロネーズ、ノクターン・・・などなど、ショパンの全容を網羅する曲を取り上げながら、ショパンを感じさせない、小曽根独自のショパン解釈と言って良いだろう。中間の2曲に完全なインプロヴィゼーションを挟んで、かなり、大胆で完全なる即興ジャズ作品に仕上がっている。でもやっぱりショパンのエキスもそこかしこにほのかに顕われるのでクラシック・ファンにも拒否反応をされることのないような配慮も見えている。ピアノの音もクリアーでショパンの繊細さと小曽根の大胆さがうまく同居して、何回聴いても飽きの来ない。ジョン・ディ・マルティーノのと同様に、ショパンをあまり期待すると肩透かしを食らわされるだろう。
アマゾンの商品紹介に「ショパンに聴かせたかった! ショパンが生きていたら、なんというのだろうか?」とあるが、まさにその通りで、ショパンもあっと驚くことだろう。まあ、とにかくこれは聴き物だ。是非、一聴を薦めたい。今年前半の最高のジャズ・アルバムと言ってもいい。


Live from Billboard Osaka

2010-06-17 20:49:33 | 変態ベース

Live from Billboard Osaka
渡辺貞夫  
                          By 変態ベース

西梅田界隈も、ひと昔まえとは大きく変わったものだ。地下道が触手のように伸び、高層ビル群を接続している。地下鉄を降りるとコンコースで繋がっていて、わざわざ地上にあがる必要もない。雨風も関係なく大変便利である。しかし油断をしていると、どの方角を向いて歩いているのか分らなくなってしまう恐れがある。渡辺 貞夫のコンサートが行われた「ビルボード大阪」も、自分ではこの辺りだとカンを頼りに進んでいたら、結局あらぬ方向に行ってしまった。西梅田で道に迷うなんて、若い時分には考えられなかった。悲しいかな、歳と共に方向感覚も衰えてしまうってことなのだ。
このところろくに休みも取れないくらい忙しい。疲れもたまっていたので、この日のコンサートも無理を押していくべきか、早々にキャンセルすべきか思案していた。開演前にタカさんと話をしていると、彼も近頃体力の低下とストレスを感じているみたいで、同病相哀れむという感想を持った。仕事に入れ込みすぎると、疲労やストレスがたまる。だからと言って、思い切って休みを取ると、仕事のことが気にかかってよけいストレスを抱え込む。要領のいい人は、トラブルも深刻に受け止めず、適当にやり過ごすのが上手い。几帳面な人のほうが悪循環に陥りやすく、安全弁がうまく作用しない。それでも、少し物事(仕事)が進展したり、仕事以外のちょっとした息抜きで、気持ちがスーッと楽になるものだ。
コンサートに行くのは久しぶりだ。「ビルボード大阪」に入るのも初めてである。店の作りは、「サンケイホール」の向かいにあった「ブルーノート大阪」とよく似ている。タカさんには早くから予約を入れてもらったお陰で、ステージの間近、それもマイクスタンド真正面の席に案内してもらった。
席に落ち着いてから、開演時刻まで一時間ほどある。店としては、その間に出来るだけ飲み食いさせて、目一杯絞り取ってやろうという魂胆らしい。ご存知のように、メニューはそんなにお安いわけではない。それでもディナーをお摂りのカップルの姿も、ちらほら見受けられるし、皆様リッチな週末をお過ごしのことと感心する。勿論のこと、渋ちんな私は贅沢なオーダーは控えるとして(それでもお勧めのベルギービールを、2杯も頂いてしっまたのだが)、景気回復の為にも、他のお客様にはどんどん財布の紐を緩めて散財して貰いたいところだ。土曜日の夜ということで、客席にはけっこうカジュアルな服装が目立つ。気が引けたわけではないが、さすがに作業服は私だけだ。

場内の照明が落ち、やっとミュージシャンの登場だ。ステージ右手より貞夫氏がアルトを吹きながら現れる。ライヴのスタートは『Basie’s at Night』でも演奏されていたAlalake~Lpin’ だ。最初から全開といった感じがする。メンバーは渡辺 貞夫(as),小野塚 晃(p) , 養父 貴 / Takashi Yofu(G)、コモブチ キイチロウ(B), 石川 雅春(ds) , ンジャセ・ニャンN’diasse Niang(per)。ベースとギター以外はCDのメンバーと同じである。
3曲目はチャールス ミンガスのアップテンポのブルースBoogie Stop Shuffleだった。渡辺にしては意外な感じの選曲だ。
2曲ほどスローバラードが続き、コンサートの中盤から終盤はボッサ~サンバ系のナンバーが演奏された。Manha de Carnaval、 Chega  de Saudadeなど白熱した演奏に、会場内にはやんやの喝采が湧き起った。特にパーカッションのンジャセ・ニャンはすごい迫力だった。CDも素晴らしい出来栄えだったが、あのパワフルな音圧は、ナマでなければ到底実感できないだろう。ライヴではどうしても、楽器のバランスが崩れて打楽器系がやかましく聴こえるものだが、私にはあの激しい空気の振動が痛快だった。日ごろの憂さやストレスも、一瞬にして吹っ飛んでしまった。たまにはこんな演奏に触れて鋭気を吹き込んでもらわなくては。
貞夫氏のバイタリティにも敬服する。とても70代後半とは思えない。孫ほど歳の離れたメンバーを引連れて、コンサートツアーを敢行する元気さには、只々感服するのみだ。ステージではいつもニコニコと朗らかである。無愛想なジャズマンは多いけれど、氏のような明るいキャラは貴重だ。
気にかかったのは、貞夫氏がマイクスタンドから少し離れた位置で吹いていたことだ。ややマイクがオフ気味な感じがしたけれど、意識してそうしていたのだろうか。我々の位置からはけっこうアルトの生音が聴こえた。果たして後ろの席にも届いたのだろうか。肺活量も健在。気力、体力ともに、まだまだ衰えを感じさせない。多分、西梅田で迷子になることもないだろう。
本ステージのラストは、やはり『Basie’s at Night』で演奏されていたOne for Youだ。メロディーが素敵で、ライヴでは恐らくよく取り上げられるのだろう。最後に知っている曲、それもお気に入りのナンバーを演ってもらえるなんてすごく得した気分になった。
メンバーは一旦楽屋に引き揚げたが、拍手は鳴りやまない。アンコールは、My Foolish HeartYou’d Be so Nice to Come Home toの2曲。作法通り、お馴染みのスタンダードで締めくくりと云ったところだ。終演時刻は、すでに10時半をまわっていた。お支払いはかるく一万円を超えたが、納得できる内容だった。
タカさんはサインをもらおうとねばっていたらしいが、流石に追い返されたらしい。いくら元気が売りの貞夫氏でも、まあ仕方ないか。


雨の日はショパンでも聴こう

2010-06-08 10:24:13 | Classic

雨の日はショパンでも聴こう
                                                                              By The Blueswalk

 今年はショパンとシューマンの生誕200年ということで、世界的に色々な催しが行われているようだ。ところがこの二人の人気には雲泥の差がある。クラシック情報誌を見ても日本でもショパン一色でスケジュール満載といったところだがシューマンのそれはショパンのオマケ程度にしか扱われていない。この差はどうしてだろうか。奥さんとブラームスの不倫に嫉妬して死んだといううわさなど、どうもシューマンには暗いイメージがあるからではないだろうか。それに対しショパンには幻想的で優雅なメロディを持った小曲が多いのであまりクラシックを聴かない現代の若い人たちにも親しみやすく、曲が耳に入る機会が多いからといえそうだ。シューマンも純粋なクラシック作曲家としてはショパンに全く劣るところはないどころか、スケールは上だと思われるのにである。損な役回りをしている。同い年に人気のライバルがいるとことさら辛いものだ。
それはともかく、僕はショパンには“雨”が似合っているといつも思っているのだが、皆さんはいかがでしょうか? ショパンの曲は短くて、スローなので弾くのは簡単なように思うが、聴かせるのは非常に難しい。中学生でも弾ける代わりに、上手下手がすぐ判ってしまうからだ。
 クラシックのピアニストは、モーツアルト弾き、ベートーベン弾き、ショパン弾きなどとよく分類されることが多い。その作曲者の個性が曲に反映されているからで、それを得意としているかどうかということだ。たとえば、モーツアルトには華麗さが要求されるし、ベートーベンには力強さが求められる。ショパンはどうか? 一つ一つの音の分離の明快さだと思う。そういう意味でいうと、テクニックというより細やかな感性が必要になるといえるだろう。だから、以下に挙げる4名のショパン弾きたちも、超絶技巧派ではなく、印象派といってもいい人たちなのだ。ただ、年代が古い人が多いのは僕の好み(実際はアナログ・レコード派なので、現代の若い人たちの演奏をあまり聴いていないからなのだが)となっており、これより音の良いCDが他にたくさんあると思えるので気にいった人の演奏を気に入った曲で楽しむのが良いだろう。
 さて、ショパン弾きのパイオニアといえば、このアルフレッド・コルトー(1877/9/20~1962/6/15)を於いて他には居ない。音はシンプルで殆ど装飾音がない様に響き、ショパンの楽譜どおりに弾いているような感じであるが、じつはテンポ・ルバートなどを多用しており、かなり独自性を持った奏法に感じるのだ。コルトーの演奏対象はショパン、シューマンなどのロマン派が中心であり、古典派はあまり得意としていない。その代わり、これらのレパートリーに於ける個々の演奏は我々を桃源郷へ誘ってくれるだろう。
 アルトゥーロ・ル-ビンシュタイン(1887/1/28~1982/12/20)は見るからに謹厳実直で曲がったことが大嫌いといった風であるが、その演奏姿勢も映像で見る限り全くその通りであった。グレン・グールドやキース・ジャレットにこの人の爪の垢でも煎じて飲ましてあげたいものだ。背筋をきりっと伸ばし、全く破綻のない模範的なショパンを聴かせてくれる。しかし、逆に言えば、スリルがないとも云えようが、作曲家ショパンの意図するところを最も忠実に再現しているとも云えよう。

 サンソン・フランソワ(1924/5/18~1970/10/22)は出来不出来の激しい演奏家であったといわれているし、自信家であり気分家でもあったらしい。しかし、その気分が乗ったときの演奏は豊かな表現力を駆使し、他の追随を許さない独特の華麗さを持っている。叙情的なショパンを聴きたいならフランソワに限る。僕は個人的にはこの人のショパンが一番気に入っている。
 ショパンを語るとき、ディヌ・リパッティ(1917/3/19~1950/12/2)を忘れるわけにはいかない。その端正な顔立ちは貴公子と呼ぶに相応しい。特に死の直前に於ける、ブザンソン告知リサイタルでの最後のワルツ『華麗なる大円舞曲』は最後の力を振り絞った鬼気迫る壮絶な演奏であり、力尽きる前の激しく燃える炎の演奏を涙なくして聴くことは出来ない。音の乱れ、テンポの乱れがどうのこうのという次元を超えた感動を我々に与えてくれる。ただ、不謹慎な表現だが、リパッティをしょっちゅう聴くというのはとても重荷を負わされるようでつらい。気が滅入ったときのカンフル剤として取って置きたい。


温故知新 Part02

2010-06-03 21:01:25 | Jazz

温故知新 Part02
                                                                             By The Blueswalk
 1917年に初めてジャズのレコード録音がされたのは周知の事実である。このとき録音したのはオリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンドというグループで、みんな白人で構成されていた。ジャズは黒人やクレオールたちの音楽として発祥したのであるが、まだまだ人種差別の激しい時代なので、黒人によるジャズが録音できるような環境ではなかった。黒人たちがジャズを録音できるようになったのはそれから5~6年後、1922~3年ぐらいからである。
 初代ジャズ王であるバディ・ボールディンも1906年には半ば引退同然で録音を残すことは出来なかった。第2代ジャズ王は誰になるのか? 当時のジャズは戸外でも演奏することが多かったので、どうしても音の大きい楽器、つまりトランペット(コルネット)奏者がその跡目を継ぐというのが自然な流れである。そこで2人のトランペッター、バンク・ジョンソンとキング・オリバーが競ったということになっているが、結果はキング・オリバーの勝利となった。別に、仁義なき戦いを繰り広げたということではないと思うが・・・。第2代ジャズ王と目されたバンク・ジョンソンであるが、不運なことに、彼が始めて録音したのは1942年、63歳になってからであった。黒人ジャズの録音が始まった1923年当時から第一線で活躍し、録音も大量に残したキング・オリバーが第2代ジャズ王とされるのはその理由からである。
キング・オリバー (1885/5/11~1938/4/8)
1922年に"King Oliver's Creole Jazz Band"をシカゴで結成し1923年には若きルイ・アームストロングをニューオーリンズから呼び寄せ、数多くのレコードを吹き込んでいる。ただ、この1923年~1925年の録音を聴くと、トランペット(正確にはコルネット)はまだ古いニューオーリンズ・ジャズの殻から抜け出ていない。個々の楽器のソロは少なくどうしてもアンサンブル中心となってしまい、せっかくのアームストロングの溌剌としたトランペットが生きていないというのが正直な感想である。あと、4~5年は待たねばならない。1929年頃のキング・オリバーを聴くと、既にソロ主体の“シカゴ・ジャズ”スタイルになっていることがわかるだろう。
バンク・ジョンソン (1879/12/27~1947/7/7)
まったく時のなせる不運というしかない。早く生まれすぎたのか、初録音が遅すぎたのか。ジャズ史研究家のビル・ラッセルによって再発見された1942年、すでに歯は抜け落ち、10年近くのブランクがあったという。これらの音を聴くと、20歳代の頃の全盛時の音は如何ばかりであったろうかと、録音がされなかったのを残念に思うのである。伸びのある艶やかな音色は既に完全にニューオーリンズ・ジャズを脱皮しているのだ(1942年のことだから当然ではあるが)。再発見後ビル・ラッセルが50枚以上の録音をしたという事実がそれを証明している。サイド・メンのジム・ロビンソン(tb)、ジョージ・ルイス(cl)も特筆されるべきだろう。
ルイ・アームストロング (1900/7/4~1971/7/6)
 ご存知のように、第3代ジャズ王であり、当時最大のエンターティナーでもあった。そして、ニューオーリンズ・ジャズの時代からモダン・ジャズの全盛の1960年代まで常に、ジャズの中心に位置して、話題を提供し続けたその芸人としての才能は古今東西、他に比肩する者はいない。それでも、ルイ・アームストロングのジャズ・マン、トランペッターとしての最盛期は1927年~1932年頃であるというのが定説である。このレコードは1928年のものを集めた編集盤であるが、ホット・ファイヴ面々による演奏は、まったく無駄のない洗練された完成品となっている。本当の意味で“コンボ”演奏の概念をジャズに持ち込み、アドリブ中心のジャズを作ったのはこのグループであるといっても過言ではない。そういう意味で、ジャズに興味のある人はすべからく一度は聴く必要のある演奏である。
ビックス・バイダーベック (1903/3/10~1931/8/7)
 史上初めて白人によるジャズを確立したという。白人のジャズとは何か?それまでのトランペットはルイ・アームストロング流の吹き方しかないとされていたところに、まったく新しい吹き方、つまり、感情を抑制し、クールで知的な表現方法を持ち込んだのである。残念ながら、音楽とは別の1929年の世界大恐慌という経済的な理由から、精神的・肉体的なダメージにより28歳という若さでなくなったのがいかにも惜しまれる。『ジャズ・ミー・ブルース』というビックス・バイダーベックの伝記映画を見ればそのフランスっぽいエスプリに満ちたお洒落感覚が伝わってくるだろう。シンコペーションとビブラートを極力廃した奏法は当時としては斬新だったのだろう。音は明るく歯切れよく、とにかく上手いの一言に尽きる。ルイ・アームストロングと人気を二分し、両横綱と称されたというのもわかる気がする。後年の“クール・ジャズ”に繋がってくる何かを伝えてくれる。
バニー・ベリガン (1908/11/2~1942/6/2)
 何といっても「アイ・キャント・ゲット・スターテッド」の名演によって永遠に不滅の名をジャズ史上に留めている。後年自分のバンドを持って活動していたが、商才には恵まれなくて、バンドの維持の難しさから、酒の飲みすぎなどにより、残念ながら不遇な死を遂げてしまった。音質的にはビックス・バイダーベックの奏法を踏襲しており、白人特有の洗練された小気味よさが特徴的であるが、ややブルーな感じがするのは気のせいか?
いずれにしても上曲におけるソロはやっぱり特筆すべきもので、ルイ・アームストロングが演奏をリクエストされたが、「あれはベリガンの曲だから」と断ったというエピソードが残っているのを知ると、当時はこの曲については他にまねの出来ない奏法であり、それが唯一の奏法であると思われていたというべきであろう。