Live from Montmartre
Stan Getz By 変態ベース
かつてコルトレーンは「私もスタン ゲッツのようにサックスが吹ければいいのに」と周囲に語ったと云う。社交辞令の多い欧米のことなので、その言葉がどれほど本音に近かったのか測りかねるところだ。しかし演奏家としてのゲッツの技術や表現力の豊かさが、他者を圧倒し羨望の的となっていたであろうことは容易に想像がつく。従って、それがおよそスタイルの異なったコルトレーンの談話だったとしても、まったく歯の浮くようなお世辞に過ぎなかったとは言い切れないはずだ。名人、名手という呼称が最も似つかわしいサックスマンこそ、スタン ゲッツその人なのだ。
スタン ゲッツが生まれたのは、1927年2月2日。マイルスやコルトレーンよりひとつ年下だ。ティーンエイジャーの頃から、ジャック ティーガーデン、スタン ケントン、ベニー グッドマン等の有力楽団を渡り歩いた。47~49年にかけては、ウディー ハーマンのオーケストラに加入し、チームメイトのズート シムスやアル コーンと共にフォー ブラザーズ等のヒットを飛ばした。それを契機に一躍スタープレイヤーへの道を辿ることになったのである。50年代のクールジャズ、60年代のサンバ、ボサノバブーム。70年代にはチック コリア、トニー ウィリアムス等、若手を従えての新たなる挑戦。飽きやすいのか、浮気性なのか。一カ所にどっしり腰を据えることないミュージシャンだった。
カフェ・モンマルトルは、デンマークの首都コペンハーゲンに店を構える。70年代より、スティープルチェイスがしきりに生演奏を録りつづけた。長年にわたり、ヨーロッパ大陸のジャズのメッカとして盛況を得た。スタン ゲッツがこのライヴハウスに出演したのは、1987年7月6日のことである。その模様はエマーシーレコードからふたつのアルバム、『Serenity』と『Anniversary』に分散して発表された。晩年のパートナー、ケニー バロンが初めて加わったのも、この日の録音である。メンバーは、Stan Getz, Kenny Barron, Rufus Reid(b),Victor Lewis(ds)である。
ゲッツの演奏は、少し聴けば彼と分かるほど特徴がある。しかしそのサウンドには不可解でミステリアスな成分も含まれる。優男のように甘く切なく囁いているかと思えば、ごろつきのように凄みを利かせることもある。清らかに澄みきった音色を奏でながら、どこか淫靡でエロチックにも聴こえないか。『Anniversary』はそんな万華鏡のような魅力に溢れている。
El Cahonはジョニー マンデルが作ったソフトなナンバー。軽やかにスイングする小粋なビート。私はいつもこのような演奏に引き寄せられる。ゲッツ、バロンのソロはメロディックで、ひとつとしてクレームをつけるところが見当たらない。ルーファス リードも短いソロをとる。ロン カーターの影響が濃いベーシストだ。安定感のあるラインで演奏を支えている。以下、I Can’t Get Started, Stella by Starlight等、お馴染みのナンバーが続く。
ゲッツは基本的にスタンダード吹きだ。あまり作曲に関しては熱心ではない。また、凝ったアレンジで粉飾することも潔しとしない。(そのようなアルバムも過去にはあったかもしれないが)
お気に入りの楽曲を、気持ちの赴くままにブローする。いやしくも達人と呼ばれるプレイヤーには、下手な小細工などは不必要なのだ。フレーズが淀みなく溢れ出てくる瞬間こそが、まさに名人芸の極み。サックス片手に吹きまくるスタンスこそ、稀代の即興プレイヤーとしての真実を、より克明にしているように思われる。
最後のナンバーは、ビリー ストレイホーンのBlood Countだ。晩年のゲッツの愛奏曲である。エリントン特有の、どこか妖しくも美しい旋律を含む曲だが、いかにもゲッツ好みの佳曲である。
50年代の多くをヨーロッパ楽遊に費やしたゲッツは、80年代においてもヨーロッパ各地で地道に演奏をこなした。コンコードの作品『Yours and Mine』も、大変優れた内容だ。89年6月のグラスゴー ジャズフェスティバル(イギリス北部のスコットランドにある)における実況録音だ。メンバーはゲッツとバロンの他に、Ray Drummond(b)とBen Riley(ds)が随行している。このバックの三人は、これ以後もトリオを結成して活動していたようだ。1992年に、私がニューヨークに行った際も、このトリオを「ブラッドレーズ」で聴くことができた。
「ブラッドレーズ」はカウンターだけの細長いジャズクラブで、店の奥にピアノが置いてあった。客はほとんど立見状態。大きい人に立たれると全く前が見えない。それでもほぼ店内は満杯だった。このトリオの「ブラッドレーズ」でのライヴ盤も、やはりエマーシーから出ている。彼らはしばらくの期間、レギュラーのトリオとして活躍していたのだ。
バロンの人気は、日ごと高まっているようだ。自身のアルバムもさることながら、セッションマンとしても引く手あまたである。その器用さと安定感を見込まれ、現在もっとも多忙な日々を送るピアニストなのだ。出しゃばらず主役を上手に盛りたてるのは勿論のこと、自分らしさや存在感もしっかりと刻み込んでいる。トミー フラナガンの再来といえば、果たして本人は気分を害するだろうか。
ドラモンドは、小錦のような体形をしている。とてもベースプレイヤーの体つきとは思えない。それでも驚くほどまともな演奏ができる。当たり前のことだが、人は外見だけで判断を下してはいけない。ドラムスのベン ライリーはセロニアス モンクのカルテットで演奏していたベテランである。名前を聞いても、一瞬誰だったか思い出せないくらい地味な人だ。しかし的確で堅実な演奏家だ。少なくとも騒がしいだけのドラマーではない。
このアルバムもスタンダードを中心に熱い演奏が繰り広げられている。すでに体調も万全ではなかったかもしれないが、ゲッツのホットなプレイが快い。