Bluenote
The Sidewinder / Lee Morgan
変態 ベース
「かっこええやん なにこれ?」
CDケースを手にして興奮しているのは、およそジャズとは縁もゆかりもない風のおにいちゃん。ちょっと予想外の反響にいい気分だ。知り合いのショットバーでかかっていたそのCDは、以前私が持ち込んだリー・モーガンの『The Sidewinder』だった。サイドワインダーはアメリカの砂漠地帯に生息するガラガラヘビのことだ。よこば横這い移動(よ夜ば這いではない)する奇妙な習性を持っている。狙った獲物は逃さない。背後から忍び寄りパクリと食いつく。さてはこのおにいちゃんも噛み付かれたか。
3月の末、阿倍野近鉄百貨店で中古CD/レコード掘り出し市が催された。阪神百貨店では例年開催されているが、近鉄というのは珍しい。ちょうどお目当てのレコードがあったのでぶらりと覗いてみた。中古あさりもめっきり行く機会が少なくなったが、えさ箱をかき回しているとやはり楽しいものだ。ついつい時のたつのも忘れてしまう。しかし次第に腰のあたりがだるくなってきて、気になるレコードが10枚近く集まった時点であえなくギブアップ。といってもこんなにたくさん持って帰るわけにはいかない。その中から更に厳選して4枚に絞った。合計3,200円也。その中の一枚が探していた『The Sidewinder』だった。
思えばサイドワインダーなんてアルバムは、硬派のジャズファンを自認する人間からは、軟弱なレコードと疎まれていたものだ。そんな批判・風評はもちろん私の耳にも届いた。それを真に受けてか、このレコードには全く関心というものが湧かなかったのだ。「けっ、聴いてられるか」聴きもしないくせに、確かにそんな空気はあった。あの頃は他にも興味のあるレコードが山ほどあったし、いつしか記憶の彼方に押しやられてしまったのだ。
それから少し時が流れ、やがてCDが主流となった。ワルツ堂がまだまだ元気のあった頃、輸入CDそれもブルーノート、プレスティッジの再発盤は一枚1,000円程度。殆んどたたき売り状態で棚に並んでいた。元々ブルーノートなんかにはそんなに興味があったほうではなかった。しかし、あまりの安さにつられ、一枚、二枚と買い集めていた。その中にこの『The Sidewinder』もあったのだ。
このアルバムはブルーノートにとって異例の大ヒットとなった。あのブーガルーのリズムが、大うけにうけた最大のポイントだ。60年代のブルーノートサウンド、いやジャズ界全体を俯瞰しても、ブーガルー~ロックビートはしっかりと浸食していった。しかし我が国のジャーナリズムの反応はいささか冷やかであった。少なくとも70年代にかけては、殆んどこれらのアルバムは注目を浴びることもなく、見くびられていたように思える。そんな空気が入れ替わったのはいつ頃からだろう。フュージョン旋風も一段落し、やがてブルーノートの旧譜も再発されるようになった。半世紀の時を経て、古き佳きジャズが注目を集めるようになったのだ。その音楽はセピア調に染まり、いささか時代を感じさせたが、輝きだけは失っていなかった。
『The Sidewinder』は前述のようにCDを持っていた。それをまたLPで買い足すというのは不合理なことだ。今更LPなんか手に入れても、とどのつまりが壁の装飾になるだけでは。しかし、ショットバーのおにいちゃんが発したように、このアルバムの持つかっこよさ、スマートさには、あがらい難い魅力がある。『The Sidewinder』は、いつかLPが欲しいと思っていた。それは単なる物欲かもしれないが、特別の思い入れのあるアルバムは、どうしてもLPのリアリティが必要なのだ。
テナーのジョー・ヘンダーソンには、雑な演奏でがっかりさせられることがしばしばあった。しかしブルーノートにおける演奏は概ね安定している。いつもガッツのあるブローで、作品に気骨を与えてきた。これがハンク・モブレーだったらもっとソフトで、アルバムのタフネスがそがれたかも。ウェイン・シューターでもよかったが、もっとエキセントリックな内容になっていただろう。ジョーヘンのざらついた音色と、ハードなドライヴ感は、アルバムのコンセプトにぴったりだ。
ピアノがバリー・ハリスというのも珍しい。ブルーノートの常連でないこのピアニストは、バド・パウエルを殉ずることでも有名だ。彼はハードバップの伝道師のような誠実さを持っているが、どんな演奏にも合わせられるようなスタンスの広いピアニストではないことも確かだ。ハリスがどうしてこのセッションに起用されたのか不思議に感じる。タイトルチューンでは、らしからぬ演奏が意外だ。どこか戸惑っているようにも聴こえるが、どんなものだろう。
掘り出し市では、他にも気を惹かれるレコードはあったけれど、値段と盤の状態が折り合わなかった。唯一納得できたのが本作だった。今回購入したレコードは現ブルーノートレコードの復刻で、まだビニールをかぶった新品だった。ジャケットにはオリジナルの4157番がふられている(以前の再発ものは84157になっていたはずだ)。オリジナルを集めている人は、このようなレプリカに興味を示さないだろう。まっさらでピカピカのジャケットというのも確かに違和感がないわけではないが、手に取るとどうしてなかなか美しい。レコードはめでるもの。なるほど、たまにはLPもいいものだ。しかしこんな買い物を続けていると、いつかアナログ狂いの深みにはまり込むことも考えられる。いわゆる病嵩じてといやつだ。くわばら、くわばら。