Bluenote Jackie McLean
By 変態ベース
アルトサックスは、よほどコントロールの難しい楽器と見えて、音程の悪い人が記憶に残っている。実際はアルトだけでなく、テナーや他の楽器にも音程のひどい人はいると思うがそんなに気にならない。アルトサックスはピッチのくるいがばれやすいという事なのだろう。チャーリー パーカー、 オーネット コールマン、 キャノンボール アダレイ、 リー コニッツ、 ナベサダ。そうそうたるメンバーが総倒れ。その中でも、ディフェンディング チャンピオンとでも言うべき存在が、我らがジャッキー マクリーンなのだ。あのズレ方が気持ち悪くて、どうにもこうにもマクリーンだけは好きになれないという方もおられるかも。しかし彼の粘り気のある音色とグル―ヴィーな節まわしは、それをおぎなってあまりある。そんなマクリーンにはまる人も多いのだ。
さて、パーカー亡き後は、常にトップアルトのひとりとして、ジャズ界に君臨してきたマクリーンだが、はじめて脚光を浴びたのは50年代の初頭、マイルスのグループに抜擢されてからだ。それ以降はプレスティッジにレコーディングを行ったが、マクリーン初期のねちっこい演奏が聴かれるのはこの頃だ。ブルーノートに初めてお目見えしたのは、有名な『Cool Struttin’』(58年1月5日)のセッションだ。マル ウォルドロンの『Left Alone』もこの少し後だ(59年2月24日)。彼の人気を決定付けた録音だ。それ以降60年代を通し、ブルーノートの看板ジャズマンのひとりとして、自己のリーダー作は勿論のこと、ドナルド バード、フレディー レッド、 リー モーガン、 ジミー スミスなどのセッションにも頻繁に客演したのだ。
最初にブルーノートに対してリーダーセッションを持ったのは、59年1月。その日の録音は『Jackie’s Bag』に収められた。マクリーンのリーダー作の中で私が最も頻繁に聴くアルバムだ。茶色い紙製の書類入れに見立てたジャケットが意表を突く。私はCDを持っているが、LPの方が実感があっていいだろう。前半は盟友ドナルド バードの入ったクインテット、後半はブルー ミッチェル、 ティナ ブルックス等を含む6tet(60年9月)。ハードバップ期の代表的な演奏のひとつである。マクリーンも絶好調を保っているし、各メンバーのソロも熱い。この時期のブルーノート盤は聴き逃せないものが多いのだが、このアルバムもハードバップファンは是非ともコレクションに加えるべきだ。マクリーンのコンポジション(作曲)には独特のあく強さがある。そのメロディラインを聴き慣れるまでは、少し時間が必要かもしれない。Appointment in Ghanaなどはその典型で、如何にもマクリーンらしい奇怪かつ魅力あふれるナンバーだ。
59~61年の期間はマクリーンにとって最も充実した時期だ。7枚のリーダーアルバムを立て続けに録音したのだから想像がつくだろう。その全てがハードバップ期を代表する良質な作品なのだが、なかんずく『Swing Swang Swingin'』はひときわ人気が高い。ブルーノートには珍しくワンホーンカルテット、それもスタンダード集となったから人目を引く。ウォルター ビショップトリオの強力な後押しもあって、タイトル通りのスインギーでストレートな演奏を満喫できる。大変ノリがよく、聴きやすい演奏だ。かつてはジャズ喫茶の定番であったようだ。マクリーンが苦手な人は、これから入ると良いと思うが、これが駄目ならマクリーンとは縁がなかったということだ。
さて好調をキープしてきたマクリーンも60年代中頃に差し掛かると、雲行きがあやしくなる。アート ペッパーもそうだったが、時代の波をモロにかぶり、本来の立ち位置を見失ってしまったのでは。同じベテランでもソニー スティットのように全くペースを崩さない人もいる。マクリーンなんかは不器用なくせに、ひといちばい前進願望が強い。そんな人間の方が周囲の影響を受けやすい。その兆候が見え始めたのは、62年の『Let Freedom Ring』あたりからだろう。Melody for Melonaeは、如何にもマクリーンらしいおどろおどろしい不思議なテーマだ。ソロの途中から突然リードを噛んだようなキィーキィー音が出るところは、「もう、昨日までの僕ではないんだ」的宣言をしたような感じだ。そういえば晩年のペッパーも突然演奏の脈絡に関係なくキィーキィー音を発したりしたものだ。嗚呼マクリーン、アンタもかよと嘆かれる諸兄も気を確かに、もう少し忍耐をもってお聴き頂きたい。まだまだこのアルバムなんかは序の口。ちゃんとまともに吹いているし、よく聴けば中々の名演奏なのだ。
63年4月30日の『One Step Beyond』もモードに取り組んだ意欲的な作品。グレシャン モンカーⅢ(tb)、ボビー ハッチャーソン(vib)の加入。サウンド的にもこの辺りになるとぼちぼち往年のマクリーンファンには限界、拒絶反応をしめし始める。でもこのアルバムもなかなかどうして興味深い。ドラマーのトニー ウィリアムスは、マクリーンが地方巡業で見つけてきた逸材。彼をニューヨークに引っ張って来たのもマクリーン。この録音はそのウィリアムスが叩いている。17歳の天才の出現に、周囲は唖然としたに違いない。マイルスのクインテットに引き抜かれたのもこの前後の話だ。マイルスの人さらい術も素早いが、さっさと持って行かれたマクリーンもトロイ。おかげでマイルスは幾多の名演を発表できたのだから、ジャズ界全体を俯瞰すればそれだけでもマクリーンは役割を果たしたことになるのかな?さてウィリアムスの入った『One Step Beyond』はやはり演奏の切れが違う。実はこの直前(4月1日)、ケニー ドーハムの『Una Mas』にもウィリアムスは参加している。17歳の若造だが存在感が半端ではない。いつもは野暮ったい感じのするドーハムの作品が、なんと引き締まって聴こえることか。本当に末おそろしいガキだったんだな、アンソニーは。ちなみに、Satuaday and Sundayもどこか変な曲。内容はまともだが。
この後の数作も、新主流派~モード派的な作品が数作続く。出来具合が多少でこぼこはあるが、とても聴けないなんて難物はない。但し、ご注意と言うか、アブナイというか、普通ではないのが、『New and Old Gospel』(67年3月)。何故かこのアルバム、トランペッターとしてオーネット コールマンが加わっている。全くもって意味不明。はっきり言ってコールマンのトランペットなんて下手の見本のようなもの。無茶苦茶鳴らしているだけで聴く価値なし。どうせならツインアルトにでもすれば、もっと興味もわいただろうに。演奏はそんなにしっちゃかめっちゃかではない。意図が見えない。
もうひとつついでに『Bout Soul』(67年9月)も中途半端な印象。ソウルジャズとフリージャズを混合ミックスしたようなアルバムだ。アルバート アイラーの作風にどこか似ているが、マクリーン先生、申し訳ないが全く板についてない。新しいものに手を出すのもそこそこにしたほうが賢明だった。
この後マクリーンはブルーノートとの契約を終了し渡欧した。デンマークに拠点を据え、72年にスティープル チェイス レーベルから復帰を果たした。ハードバップのリヴァイバルブームに乗って、晩年の諸作はかつてのマクリーン節が堪能できる。ちょうど彼の復帰作『Live at Montmartre』がジャズ喫茶で鳴り響き始めた頃、私も恐る恐るジャズへの扉を押し開けたのだ。何とも懐かしい、マクリーンのアルト。それまで彼も幾つもの扉をくぐり抜けてきたのだ。