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国城神社へ。

2023年09月18日 22時25分42秒 | ドライブ

9月17日 日曜日 晴
黒河道のあるまだ行っていない(階段で登るのが嫌で。)国城神社(くにぎじんじゃ)にビーノで(境内まで行けます。)行きました。
7:45発~k13~国城神社~11:30帰宅。
走行:120㎞。
前回トライクで国城神社下の三平神社に行きましたが、階段を上る体力がないので行かなかったのですがビーノならいけそうなので行きました。
国城山への生活道路兼農道。紀の川が良く見渡せます。

橋本市 R371~大阪府河内長野方面へ

紀の川に架かる高野橋本橋と和泉山脈。

上記写真右奥の望遠。

国城神社と黒河道(くろこみち)の分岐。一旦国城神社へ。

脇道を上り神社へ。

20㎡ほど登った所。山頂へはしんどいので行きません。

上からの見返し

国城神社境内 正面は社務所。右は絵馬殿。

見返し

さらに奥から見返し。

一番奥から入口を見返し。左は社務所。

神社本殿

國城五社大明神



国城神社由来

グーグルドライブ文字起こし
国城神社由来
社名国城五社大明神
例祭 四月二十三日·十月十日春秋大祭
国城神社の由来は遠い昔いわゆる神代の頃に源を発するという伝説がある
この地域の開発者(国主)の神が国城山の頂の大樹に姿を変えて現れておられるのを信じ神の鎮まる浄として社を創建したのは大和時代(一千数百年前)である。
古来一般の尊崇極めて厚く遠近の善男善女の信仰の的として由緒深い神社である
伝説によれば 坂上田村麻呂将軍が朝命によって真州に 出征したが戦況思うに任せず苦慮していたある夜「国城神社の山林に自生する竹を用いて矢竹とすれば大勝利を得る 」と夢のお告げを受け当社に参拝二十日間のお籠りをして竹を頂き武器として勇躍出征大勝利を得たという
霊験あらたかさに驚いて神託に感謝しお神楽を奉納したのが始まりである以来今日まで連綿として奉納を続けているのはこの伝統との深いゆかりを秘めたものである
国主の神を祭祀する意味から「国城神社」と呼ばれ清水、西畑、前馬場の産土神として氏子との深い絆に結ばれ今日に至っている
ご祭神は後世に天照皇大神を本社とし幡大菩薩春日大明神、愛宕大明神 そして荒神の請に
より五社をお祭りすることとなり神の最高の敬称である(明神)と崇められ「国城五社大明神」となられたのである
昭和四十一年十一月
平成十八年三月
絵馬殿?絵馬はありませんが長椅子がありました。

右の石碑 遷宮寄進者芳名 生成4年11月 金五十万円等。

左側 社務所建設寄進者芳名 金五十万円 南海電気鉄道㈱

階段

撮影:5月28日 下から。





渡り鳥のコース 山と紀の川が上昇気流を生みます。紀の川市のパラグラーダー基地の同じです。

おみくじ判断 1番から12番までとシンプル。大吉=1,8,10番。凶=3,7番。おみくじはありませんでした。

黒河道に戻って来ました。

通行止めの看板横からビーノでしたら通れますが止めました。

セメント舗装の道が続いています。

帰りの道を間違えて行き止まりに。

奥から見返し。きれいに掃除をされています。祠もあります。

弘法大師千百年忌?? 今年(2023年)生誕1249年、忌ですので今年は、没後1188年になります。1934年建之?石碑の裏は何も刻まれていませんでした。

さらに迷い込みます。ビーノですので簡単に引き返せるという油断です。

給水パイプは割れて宙ぶらりん。治水の石積みがありますが、今は誰も通っていません。

ようやく安心できる道まで下りてきました。国城山ハイキングコース。紀伊清水1号踏切。

紀伊清水駅方向

列車が到着。この駅から黒河道をハイキングされるのでしょう。



今日も楽しいツーリングでした。
次回からは、ちゃんとした道を走ります。

終わり


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