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道の駅紀の川万葉の里の帰り、上岩出神社(白山神社)に寄りました。

2023年12月22日 07時24分05秒 | ドライブ

12月20日 水曜日 晴曇
柿がなくなったので、道の駅紀の川万葉の里にVOXで走りました。
13:50発~ℍ62~k7~R24・道の駅紀の川万葉の里(柿は終わっていました。ミカンを購入。)~k7~道・上岩出神社~16:10帰宅。
走行:60㎞。
(Google参照)上岩出神社周辺

気温9℃ ちょっと寒いです。帰りはもっと寒かったです。

道の駅紀の川万葉の里 柿は、3パックだけで少し柔らかい状態。もうカキの収穫は終わったようです。畑にもありません。

正月みかん?で超小ぶり。しかし、超甘味と少しの酸味で美味しい~!!!これで150円、安~い!
20数年前に来た上岩出神社。周囲が整備されて、田んぼがなくなっています。

上岩出神社 こんなに立派だったかな~
見返し 田んぼの中を走った様な気がするのですが。道路や周囲が変わっています。ガードレールなんか無かった~

二の鳥居 一の鳥居はk7から曲がった所にあります。(知りませんでした。次回寄ります。)

見返し 大正2年建之(これをたてる)百年以上です。
横から きれいに清掃されています。

神社の由来(拝殿にも由来文が有りました。)

神社の由来(未校正)
さんのまで親しまれてい昔から「白山さん」 集めてきた神社であり、 として 村七か(北大(山田) の氏神神社の初まりとして 覚上人が山のの業の方に 根来の繁栄疑いなからん」 という白山大神のご神託を受け、 加質石川白山比咩神社より分霊して「巽の宮」と称し、社領二百石を奉納したと記録に残されています。
伝承によれば、大宝元年(七〇一年)行者(役小角)により社が設けられ、「蔵王権現」としてこの地に鎮座したとのことです。
境内社の中には「蔵王社」の名が残されています。
長承二年(一一三三年)白山比咩神社を勧請した時の御祭神は、しらやまひめのみこと白山比咩命 (菊理比咩命) イザナギノ命イザナミノ命でありました。
天正十三年(一五八五年) 根来寺焼とともに焼失しましたが、御神鏡が灰燼の中より出現し、早速小社を営みその霊応がますます崇められたとい うことです。
文禄三年(一五九四年) 興山(木食・応其) 上人により再建されたのが現本殿です。爾来四百年の風雪に耐え、氏 子崇敬者の皆様の信仰生活の中心と して今なお私たちの前に厳存、こんもりとる森の中に鎮まり座しておられます。
明治四十二年、上岩出神社と改称、一村一社という政府命令により各地区で祀られていた三十余社が合祀され、ご祭神も二十四柱となりました。
昭和四十一年県文化財の指定を受 け、お屋根替え、彩色保存工事により、 桃山時代建立 (一五九四年)の壮麗な 姿(三間社流造)が再現され、現在に至っていま。
主たる建造物 (校正しました。)
本殿 (木造檜皮葺) 灯籠(各時代)
拝殿 (木造瓦葺切妻造)
社務所 (木造瓦葺切妻造)
護国神社 神馬舎(ブロック銅葺)
氏子会館 鳥居(明神造)
御旅所(鳥居、板碑、狛犬)
手水舎

燈籠の笠が反りかえっていません。貫禄があります。階段沿いの木が少なくなっています。

寛政9年。226年前の燈籠です。

猫ちゃんもお参り。後ろからも来ます?

慣れた感じで参道の階段を登って行きます。

私は、足が悪いので、横のスロープからVOXで上がりました。黒猫もいます。

軽トラが1台停まっています。氏子会館などもあります。

参道の階段から。拝殿、本殿、護国神社があります。

脚立と電球の箱。自転車で来られた地元の方がお参り。

神社の説明。明治42年8月33社合祀(ごうし)

護国神社

本殿

上岩出神社板碑(いたび)

市指定文化財 (建造物)(一部未校正)
上岩出神社板碑 (いたび)2基
緑泥片岩の石材を板状に加工し、梵字や供養年月日などを刻んでいる。
向かって右側の板碑には、正平14年 (1359) 11月8日の年月日が、向かって左側の板碑には、正平10年(1361)の年が刻まれている。
社伝によると、 正平10年の板碑は、北朝方の降伏を祈願して建てられたものと伝る。
(「正平」は南朝の元号)
平成2年2月13日 指定
岩出市教育委員会

上岩出神社板碑 「正平」の文字がはっきり見えます。

拝殿 白山大権現、上岩出神社
拝詞(はいし)神職の方が神前で唱える 祝詞 (のりと) を一般人にも読めるよう短く簡単にしたも。略拝詞(りゃくはいし)とは祝詞を簡略化

罪や穢れを取り除いてくださいどうぞ、神様、お守りください幸せにお導きください。の意。
左側 伸語、礼拝の作法(ニ礼ニ拍一礼)

拝殿禰津と本殿。

拝殿横の燈籠。合祀されたので各神社の燈籠が引っ越してきています。

南大池荘 昔の地名。



二の鳥居にあった神社の由来です。

白山( はくさん)・上岩出神社(一部未校正)
上岩出神社は、昔から「白山さん」と呼ばれ、「子安の神」として信仰を集めてきた神あ り、現代も「白山さん」の名で親しまれている 岩村七字 (北大池・東坂本・新田広芝にがみさま南大池水柄・野上野・山田)の氏神様です。
神社の初まりとして、根来開山の覚鑁上人が「われを当山の翼の方に奉祀せば、 根来の繁栄疑いなからん」という白山大神のご神託を受け、加賀国石川群白山比神社を分して「巽の「宮」と称し、 社領二百石を奉納したと記録に残 されています。
伝承によれば、大宝元年(七〇一年)桜小角役行者)により社が設けられ、「蔵王権現」としてこの地に鎮座したとのことです。
境内社の中には「蔵王社」の名が残されています。
永二年(一〇三三年) 白山比咩神社を勧請した時の御祭神は、白山比咩命(しらやまひめのみこと) でありました。
菊理比咩命(くくりひめのみこと) イザナギノ命 、イザナミノ命した。
天正十三年(一五八五年) 根来寺焼亡とともに焼失しましたが、御神鏡が灰燼の中より出現し、早速小社を営みその重応がますます崇めら れたということです。
文禄三年(一五九四年) 興山(木食・応其)上人により再建されたのが現本殿です。
爾来四 百年の風雪に耐え、氏子・崇者の皆様の信仰 生活の中心として今なお私たちの前に厳存、こんもりと繁る森の中に鎮まり座しておられます。
明治四十二年、上岩出神社と改称、 一村一社という政府命令により各地区で祀られてい三十余社が合祀され、 ご祭神も二十四柱となりま昭和四十一年県文化財の指定を受け、お屋根 替え、彩色保存工事により、桃山時代建立 (一五九四年)の壮麗な姿 (三間社流造) が再現 され、現在に至っています。
合祀されていますので祭神様が多いです。22柱あります。

上岩出神社祭神記(校正)
由緒
神社は第七十四
代鳥羽天皇御守
長承二年十月十三日
加賀国石川郡白山姬神
社を御分靈奉祀す。
天正十三年兵火に罹りしも
神鏡少しも破損せず、村人
小社を造営して鎮座し承る。
文錄三年正月十一日社設
を再建す。
明治四十三年一月十一日
白山神社と称せしを
上岩出神社と改称す。
昭和四十四年七月十四日
県文化財に指定さる。
長承年間より明治四十二年
までは、毎年 祭年六月丑の日に
祭礼を行いしも 明治四十三
 年以降 每年十月とする。
本神社境内 二干四百坪
正月の準備をされていた方が、この灯籠が一番古い(1592年)と教えて下さいました。笠石が反り反っていないのが特徴で、一基しかないそうです。もう一基は判らないそうです。

本殿を中に入って写真を撮っても良いとおっしゃっていただいたので喜んで本殿前まで入りました。猫がお食事中。午後3時30分。3時のおやつ?

振り返ると、境内にも猫の3時のおやつ。野良ちゃんだそうで毎日世話をされているそうです。それで、階段下で出会った野良ちゃんが慣れた足取りで階段を登って行った事が判りました。地域の方の人情がうかがわれます。

野良ちゃんの餌箱の横を通り本殿へ。

本殿前にも野良ちゃんがお座り。そして本殿の階段を登っていきました。

野良ちゃんは、狛猫でしたか。

本殿から拝殿方向。

本殿:三間社流造

それぞれに扉があります。





昭和四十一年県文化財の指定を受け、お屋根 替え、彩色保存工事。











龍の絵



本殿も猫ちゃんのケージなどがあり大切にされているのが判ります。
猫宮司!!!
今日はいい日になりました。
それから、カードの不正所用の件での請求はしないというメールが来ました。

これも日ごろの信心があったればこそ。今季の冬は、近場の神社仏閣巡りをします。
生きてるだけで丸儲け! 感謝!感謝!

終わり