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(2-2)かつらぎ町の観光名所めぐり?

2023年12月02日 14時02分09秒 | ドライブ

続き・・・
11月29日 水曜日 晴曇
先日いただいた町長の名刺にある観光名所を巡りました。

柿の里と葛城蔵王権現は、最近行きましたので今回は入っていません。
(2-1)9:00発~長谷農免道路~k4・釜滝の甌穴~R370~k115~R480・金剛緑地キャンプ場~道・恐竜館~本当の通行止め~(2-1)k115~R370~R480~k109・丹生都比売神社(にうつひめじんじゃ)~k109~k13・丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ)・大イチョウ~三谷坂・笠石~フルーツライン~背の山・龍之渡井~16:00帰阪。
走行:161㎞
(Google参照)R370~R480~k109~丹生都比売神社~k109~k13・丹生酒殿神社・大イチョウ

丹生都比売神社横の道。ここから入らないように荒縄をしています。境内への道にもしています。

しっかり色づいています。



右奥が境内。

歩くのがしんどいので横からお参り。

境内。スマホの自撮り用具を置いています。木の台の溝にスマホを置くようです。

英語の表記はありません。すずひめ号、大輝号という神犬がいます。
拝殿から

ここも観光バスが止まっていて、観光客が来ています。言葉は中国語風。

拝殿

本殿は4社。



佐波神社(さわじんじゃ) 明治時代に上天野地区の諸社を合祀。

見返し

本殿

二の鳥居。

以前来た時相当傷んでいました。

最近の工事現場は、養生の壁を中が見えるようにしています。

今日は、11月29日ですからお正月に間に合うように頑張っておられます。

ここにも自撮り用具。鏡池に架かる輪橋(そりはし)で記念撮影。

(Google参照)三谷坂・笠石~紀の川フルーツライン~R24~背の山・龍之渡井(たつのとい)

丹生酒殿神社 k13からの参道。大イチョウがもう見えています。道の両側は駐車場(50台位可、奇麗なトイレあり)で8割の入り。マイクロバスも止まっています。

丹生酒殿神社(にうさかどのじんじゃ):丹生都比売神がこの地に降臨したとき、地主神の竈門明神が酒を造り、初めて神前に供えたことに由来。

ここにも外国の観光客。中国語風。

本殿

榊山神社 天照大神の妹神「丹生都比売大神」が神社の裏山の榊山(さかきやま)に榊を手にして降臨。

ご祭神は第二次世界大戦で亡くなられたこの辺りの地区の護国の英霊をお祀り。

本殿

榊山神社から境内方向。

樹齢800年とか300年以上とか、幹周り526センチ、高さ25メートル、枝張り20メートル。デカいです。

拝殿から 夜間はライトアップをしています。




神社前の通り

神社の入り口

三谷坂と笠石の説明

紀伊山地の霊場と参詣道 高野参詣道三谷坂(一部未校正)
三谷坂は、丹生酒殿神社を起点として、紀伊山地尾根筋を通り、天野の丹生都比売神社に参詣し、 六本杉で高野参詣道町石道に合流する参詣道である。
久安(きゅうあん)三 ~六年(1147~1150) 当時の御室御所 (仁和寺代表職の称号) の覚法法親王 が、高野参籠の際に好んで通った。
祈りの道としての色彩が濃く、沿線には笠石や頬切地蔵などの信仰に関わる遺物が数多くある。
また三谷は丹生都比売神が最初に降臨したとされる地域であり、 多くの丹生都比売神伝承や 丹生都比売神社神主による丹生酒殿神社神主兼職の記録、丹生都比売神社ご神体鋳造のための木型など、貴重な資料が残っている。
三谷と天野をつなぎ、高野山を目指すこの参詣道が、 高野山開創や神仏習合を考えるうえで 極めて重要な文化財として位置付けられる。
※参籠 祈祷のため社寺に一定期間こもること。

三谷坂の笠石にいきます。

VOXで十分走れますが急な坂です。燈籠があります

川にある燈籠。

宮滝の説明

宮滝(みやたき)(一部未校正)
丹生酒殿神社の西の谷、左右から迫りくる対称形の両岸壁とかすかに 射す日の光のなかで、この滝は、厳かに流れ落ちます。
六月の晦日に、丹生都比売神社の神主が社人六人を率いて、その日まで食べなかったキュウリをこの滝にお供えし、 村中の子どもたちがそれを食べると疱瘡(ほうそう)が軽くなったといわれています。
紀伊続風土記には、 宮ノ滝とも書かれており、 上記のほかに 「河童の「患いも免れた」との記述があります。
かつらぎ町教育委員会
熊注意

宮滝 水量が少ないのでこじんまりとしてます。

急な坂です。

それらしい道になって来ました。



ミカンと柿畑

いい色をしたみかん畑

笠石 通り過ぎて戻りました。

笠石(亡くなった人を供養するためにつくられた石製の塔)
形式: 塔婆(埋込式) 時代: 南北朝時代
法量: 塔身高 112cm 身幅 15cm 笠高8cm 笠幅65cm
空海の笠が雨引山から風に飛ばされこの石に掛かったといわれる石造物で、笠と塔身からなり、下部を地中に埋め込む埋込式の笠塔婆です。
通常は、宝珠が笠の上に飾られますが、塔身の上端を尖らせて苙を突きやぶる特異な形態となっています。
笠の形態も、ほぼ自然石のままの特異なもので、軒などの加工が存在しません。 これは木製から石製に変化した原初形態の可能性があり、全国的にみても非常に貴重です。
塔身の上部には、阿弥陀如来坐像が半肉彫され、その形態から、南北時代のものと推定されます。
かつらぎ町教育委員会

見返し 通り過ぎても無理はありません。





塔身の上部には、阿弥陀如来坐像が半肉彫され、その形態から、南北時代のものと推定。
「南朝」と「北朝」2つの朝廷が並存した1336年(建武3年/延元元年)から1392年(元中9年/明徳3年)の約56年間。



ミカンの木がお供え。パイプ柵の下は紀の川フルーツラインです。


紀の川フルーツラインのトンネルの上を渡り反対側からフルーツラインに下ります。これも急佐坂。

14:58 道の駅紀の川万葉の里を過ぎて背の山の龍之渡井(たつのとい)



案内板

龍之渡井は判読できます。しっかり水が流れています。現役です。



小田井用水  約30㎞



水徳無盡(すいとくむじん)揮毫(きごう)地方自治法施行後に初当選した和歌山県知事の小野真次氏





説明文 大畑才蔵さんは、学文路に石碑がありました。土木で地域に貢献されてる方です。

龍之渡井(一部未校正)
小田井用水で一番苦心したのは、 穴伏川の谷を渡る工事でした。
この、 龍之渡井(水路橋) は、 18m余りの川幅を両岸の岩盤を利用して支え、 中間に1本の支柱も使わずに木製の掛槌を通したことで知られています。
現在の施設は、 1919年(大正8年)に改修されたレンガ・石張り 造りアーチ橋で、 上部盛土部に三和土 (土石灰・ニガリの混合物)を用 い 表面は自然石で覆われています。
小田井用水には、 龍之渡井以外にも明治から大正時代にかけて改修された水路橋 (小庭谷川渡井、 木櫃川渡井)、 とサイホン (中谷川水門)が あります。



アーチが美しいです。左の道路は、R480。





ハッキリと読めます。小田井 龍之渡井 大正八年三月


反対側





紅葉も最後の色づき。
チョット走り過ぎたようですが、寒さは感じませんでした。
楽しいツーリングでした。ガソリンは、3L。安い~!
昼食は、14:40に道の駅でお茶とビスケット。
意外だったのは、こんな所にもと思う所に外国人の観光客がいたことです。
生きてるだけで丸儲け! 感謝!感謝!

終わり