『奇術師』『双生児』といった傑作で、個人的には「プラチナ・ファンタジイ作家」という
勝手なイメージを持っていたクリストファー・プリーストの新作『夢幻諸島から』が、
新銀背こと新☆ハヤカワSFシリーズから登場しました。
そういえばプラチナ・ファンタジイってシリーズ名、いつのまにか使われなくなってたような・・・。
余談はさておき、かつて創元推理文庫やらサンリオSF文庫などで英国SF界期待の新人と紹介されていた
われらがプリーストも、いまや巨匠と目される一人になりました。
かたや同じころに宿命のライバルと言われていたイアン・ワトスンのほうは、なんだかマニア好みの
奇想SF作家というレッテルが貼られてしまったようで、かつてワトスンびいきだった私としては
なんだか寂しいような悔しいような、複雑な気分です。
今でもワトスンは好きですけど、文庫で入手できる作品が全然ないってのはあまりに不憫な扱い・・・。
おっと、今はワトスンじゃなくてプリーストの話をしなくては。
プリーストのSFといえば、『ドリーム・マシン』の多重世界が思い浮かぶ人も多いはずですが、
個人的には『逆転世界』みたいな“特殊な環境下で形成される社会と、そこに生きる人々”についての
粘っこい描写が好きでして、その両方の要素を適度に混ぜ合わせた世界こそ、時間と空間に歪みを持つ
“夢幻諸島”ではないかと思ってます。
そんな設定に、プリーストお得意の“身代わり”や“分身”といった要素が加わった『夢幻諸島から』は、
いわば全プリースト作品の見取り図であり、それらにアクセスするための格好のガイドブックでもあります。
さて、本作は連作短編集の形をとっているので、そのうちいくつかの感想を紹介してみます。
「大オーブラック」
未開の島に上陸した昆虫学者オーブラックのチームを襲う、未知の生物による脅威。
無名の土地や生物がそれにゆかりのある人物の名をつけられることは、彼らを襲った運命を考えると
なんとも複雑な気持ちになってしまいます。
しかしそれ以上に複雑な気持ちにさせられるのが、悲劇の後にオーブラック諸島に起こった後日談。
最初は人類絶滅の危機かと思われた殺人昆虫も、資源目当てに進められた開発によって駆逐され、
その毒は相変わらず危険視されながらも、管理できないリスクとは見なされなくなっていきます。
一方、リゾートとハイテク企業で繁栄するオーブラック諸島では若年労働者の死が著しく高く、
昆虫という言葉を使うことは極めて厳格に規制され、さらにこの島でゴルフに興じる人々は、
決して明らかにされない理由により、自らゴルフボールを拾うことが禁じられています。
人間が管理できる危機に対して徐々に失われていく恐怖心と、本当は管理などできていないことを隠し、
その危機について語ることさえ憚られる社会の不気味さ。
このシチュエーションには、わが国の抱えるある大きな問題との類似を感じてしまいます。
まあこの作品の原書が2011年に刊行されたことは、単なる偶然の一致なのですが…。
「ミークァ/トレム」
夢幻諸島の地図を作ろうとするヒロインと彼女の失踪した恋人、そして島々を撮影する無人機の物語。
ヒロインの心象に夢幻諸島の定まらない地形が重ねあわされた作品ですが、その背景には
サイバーパンクに通じる変容譚が隠されているようにも感じました。
失踪した恋人は無人機と一体化し、常に彼女を見つめ続けているのかもしれません。
それにしても、自律飛行する無人機たちが夢幻諸島の自然に組み込まれていくイメージが美しい。
「シーヴル」
謎の意思を発する遺跡を調査するためにやって来た男女が遭遇する、奇妙な現象。
読み方によってはホラーにもSFにも受け取れそうな作品です。
SF的なガジェットとしては、副題にもなっている“ガラス”が活躍するのですが、
あまり掘り下げた説明がないので見逃されやすい気もしますね。
なお、他の収録作にも“ガラス”は繰り返し登場しており、『夢幻諸島から』全体における
最重要キーワードのひとつと考えて良さそうです。
収録順では「シーヴル」より先に置かれている「グールン」とは、舞台となる島や事件の発生時期なども
共通しており、同じ物語の別バージョンのようにも読めますね。
主人公の“トーム”という名も、「グールン」の主人公であるハイキ・トーマスの省略みたいに聞こえますし、
どちらもガラスをめぐる物語ですし。
あるいは同一人物の辿った異なる人生を描いた物語なのかもしれないし、ある人物に起きた出来事を題材に、
別の人物が二つの物語を書いたのかもしれない。
そもそも島名以外に副題がついてる章については、作中に創作が含まれている可能性を示唆しているとも
考えられますからね。
余談ですが、ガラスと時間を扱ったSFといえば、やはり英国作家であるボブ・ショウの代表作
『去りにし日々、いまひとたびの幻』を思い出しますが、『夢幻諸島から』はこの名作に対する
ある種のオマージュではないのかな…とも考えました。
「ヤネット」
二人のインスタレーションアーティストが出会い、共同制作によって島に声を与えようとする。
『夢幻諸島から』という作品全体を通して、表現と芸術は繰り返し語られるテーマのひとつです。
ヨーとオイ、どちらの作る芸術作品もユニークですが、それ以上にゲリラ的な製作スタイルが面白いです。
島を改造して声を与え、風によって叫ばせるというヨーの発想は、いわば「島自体を人にする」ようなもので、
人工物が島の一部になっていく「ミークァ/トレム」と対になっているようにも感じました。
これらの作品の他にも、相互の作品同士で登場人物や事件に相関性や相似性があったり、
登場人物同士の役回りが共通してたり対照的だったりと、実に入り組んだ構成になっています。
かといって、それをつなぎ合わせても物語の確実な全容が現れるわけではない…というのが、
『夢幻諸島から』の困ったところであり、また大きな魅力でもあるところ。
こういうお話は、ああだこうだと頭の中でこねくり回している時が一番楽しいですからね。
時間の歪みというSF的な設定が下地にあるものの、科学と人間の力が大きな世界をどうにかする物語とは
ちょっと毛色が違います。
むしろ大小さまざまな島の風土やそこに暮らす人々の暮らしぶり、そして外部からの来訪者たちが引き起こす
様々な事件を連作形式で書くことにより、個々の短編では見えなかった“夢幻諸島”全体を取り巻く物語が、
いわば海流や季節風のように浮かび上がってくる感じです。
海洋によって分割された島々が風によって季節ごとに姿を変えるように、空間によって隔てられた舞台が
時間の歪みによって様々な様相を見せ、ひとつの事件に無数の解答が示される。
それが“夢幻諸島”という世界に存在する、唯一の真実なのかもしれません。
大きな世界をひと括りに語るのではなく、小さな世界の集合体として多面的に組み上げ、そこに結ばれる
あいまいな像を楽しむこと。
それが『夢幻諸島から』との理想的な向き合い方ではないかなー、と思ったりして。
そして全編を読み終えた後に改めて序文を読むと、初読時は何を書いてるのかさっぱりわからなかった内容が、
実は極めて要領よくまとめられた本編の要約だったことに気づきます。
この序文こそ、『夢幻諸島から』の最終章にして、再び島々へ旅立つためのスタート地点となる場所なのです。
また、読者はこの序文を読むことで、書き手であるチェスター・カムストンの視点を引き受けることになり、
いわばチェスターの分身めいた立場におかれます。
つまり本編中でチェスターが偽名を用い、あるいは双子の兄を身代わりにしたのと同じことが、読者自身にも
起こっているわけですね。
こうした入れ替えトリックはプリーストのお家芸ですが、他ならぬ読者を巻き込んで共犯者に仕立て上げるのが
ミステリとしても楽しめる趣向ではないかと思います。
なお、「シフ」の章で書かれている内容に従えば、『夢幻諸島から』の刊行とチェスター・カムストンを含む
作中の登場人物が生きていた時代には、およそ200年の隔たりがあります。
それにもかかわらず、(さらには作中ですでに死んでいるはずの)チェスターが序文を書いているのは
大きな謎ですが、これはやはり夢幻諸島の特徴である“時間勾配”のせいなのでしょう。
時間勾配についてはプリーストの短編集『限りなき夏』に収録された「青ざめた逍遥」でも語られていますが、
あの作品では違う時代の主人公がいくつものバージョンとして同じ場所に存在しているくらいなので、
『夢幻諸島から』で別バージョンのカムストンが何人出てこようと、別に驚くことではないのかも(笑)。
その一方、この序文を書いたのは“チェスター・カムストン”を騙る別人だという可能性もありますが、
その場合は“誰がチェスターを名乗っているのか”というのが問題になります。
ここで手がかりになるのが、序文の前に置かれている「エズラに」という献辞です。
夢幻諸島で最も影響力のある社会運動家・カウラーをファーストネームの“エズラ”と呼べるのは、
カウラー自身が「ただ一人その名で呼ぶことを許した人」というチェスター本人のみ。
しかし、チェスターとカウラーの双方に傾倒した人物であれば、チェスター・カムストンになり切って
“エズラに”という献辞を書く可能性もあるんじゃないでしょうか。
そうだとすれば、一番の容疑者となるのはチェスターの熱烈なファンであり、処女作でカウラーをモデルに
『The Affirmation(肯定)』という作品を書いた作家、モイリータ・ケインとなるでしょう。
そして『夢幻諸島から』の著者でもあるクリストファー・プリーストが、ケインの書いた作品と同名の
『The Affirmation』という作品を書いている…とくれば、もはやどちらの書き手が分身なのやら。
そもそも夢幻諸島のある惑星についても、海の割合が70%だったり、テクノロジーや言語が我々の世界と
全く同じものだったりと、わざわざ地球との“双生児”に設定したようにも見えますしね…。
『The Affirmation』という作品を介して、作家自身を夢幻諸島という仕掛けに組み込んでしまうことで
夢幻諸島と我々の世界が合わせ鏡となり、さらには置き換え可能な別の現実、見え方の違うもうひとつの
世界として、読者の前に立ち上がってくる…これがプリーストの狙った最大のイリュージョンなのかも。
なお、この作品集で語られなかった夢幻諸島の物語の一部は『限りなき夏』で読むことができます。
さらにS-Fマガジン2014年4月号「ベストSF2013」上位作家競作では、長らく入手困難だった
モイリータの登場する短編「The Negation(拒絶)」の新訳(しかも改訂版)が掲載されるとのこと。
この勢いで、2013年に出たばかりの夢幻諸島もの最新作『The Adjacent』、そしてコラゴによる
不死研究を取り上げた『The Affirmation』といった長編も、ぜひ訳されて欲しいものです。
勝手なイメージを持っていたクリストファー・プリーストの新作『夢幻諸島から』が、
新銀背こと新☆ハヤカワSFシリーズから登場しました。
そういえばプラチナ・ファンタジイってシリーズ名、いつのまにか使われなくなってたような・・・。
余談はさておき、かつて創元推理文庫やらサンリオSF文庫などで英国SF界期待の新人と紹介されていた
われらがプリーストも、いまや巨匠と目される一人になりました。
かたや同じころに宿命のライバルと言われていたイアン・ワトスンのほうは、なんだかマニア好みの
奇想SF作家というレッテルが貼られてしまったようで、かつてワトスンびいきだった私としては
なんだか寂しいような悔しいような、複雑な気分です。
今でもワトスンは好きですけど、文庫で入手できる作品が全然ないってのはあまりに不憫な扱い・・・。
おっと、今はワトスンじゃなくてプリーストの話をしなくては。
プリーストのSFといえば、『ドリーム・マシン』の多重世界が思い浮かぶ人も多いはずですが、
個人的には『逆転世界』みたいな“特殊な環境下で形成される社会と、そこに生きる人々”についての
粘っこい描写が好きでして、その両方の要素を適度に混ぜ合わせた世界こそ、時間と空間に歪みを持つ
“夢幻諸島”ではないかと思ってます。
そんな設定に、プリーストお得意の“身代わり”や“分身”といった要素が加わった『夢幻諸島から』は、
いわば全プリースト作品の見取り図であり、それらにアクセスするための格好のガイドブックでもあります。
さて、本作は連作短編集の形をとっているので、そのうちいくつかの感想を紹介してみます。
「大オーブラック」
未開の島に上陸した昆虫学者オーブラックのチームを襲う、未知の生物による脅威。
無名の土地や生物がそれにゆかりのある人物の名をつけられることは、彼らを襲った運命を考えると
なんとも複雑な気持ちになってしまいます。
しかしそれ以上に複雑な気持ちにさせられるのが、悲劇の後にオーブラック諸島に起こった後日談。
最初は人類絶滅の危機かと思われた殺人昆虫も、資源目当てに進められた開発によって駆逐され、
その毒は相変わらず危険視されながらも、管理できないリスクとは見なされなくなっていきます。
一方、リゾートとハイテク企業で繁栄するオーブラック諸島では若年労働者の死が著しく高く、
昆虫という言葉を使うことは極めて厳格に規制され、さらにこの島でゴルフに興じる人々は、
決して明らかにされない理由により、自らゴルフボールを拾うことが禁じられています。
人間が管理できる危機に対して徐々に失われていく恐怖心と、本当は管理などできていないことを隠し、
その危機について語ることさえ憚られる社会の不気味さ。
このシチュエーションには、わが国の抱えるある大きな問題との類似を感じてしまいます。
まあこの作品の原書が2011年に刊行されたことは、単なる偶然の一致なのですが…。
「ミークァ/トレム」
夢幻諸島の地図を作ろうとするヒロインと彼女の失踪した恋人、そして島々を撮影する無人機の物語。
ヒロインの心象に夢幻諸島の定まらない地形が重ねあわされた作品ですが、その背景には
サイバーパンクに通じる変容譚が隠されているようにも感じました。
失踪した恋人は無人機と一体化し、常に彼女を見つめ続けているのかもしれません。
それにしても、自律飛行する無人機たちが夢幻諸島の自然に組み込まれていくイメージが美しい。
「シーヴル」
謎の意思を発する遺跡を調査するためにやって来た男女が遭遇する、奇妙な現象。
読み方によってはホラーにもSFにも受け取れそうな作品です。
SF的なガジェットとしては、副題にもなっている“ガラス”が活躍するのですが、
あまり掘り下げた説明がないので見逃されやすい気もしますね。
なお、他の収録作にも“ガラス”は繰り返し登場しており、『夢幻諸島から』全体における
最重要キーワードのひとつと考えて良さそうです。
収録順では「シーヴル」より先に置かれている「グールン」とは、舞台となる島や事件の発生時期なども
共通しており、同じ物語の別バージョンのようにも読めますね。
主人公の“トーム”という名も、「グールン」の主人公であるハイキ・トーマスの省略みたいに聞こえますし、
どちらもガラスをめぐる物語ですし。
あるいは同一人物の辿った異なる人生を描いた物語なのかもしれないし、ある人物に起きた出来事を題材に、
別の人物が二つの物語を書いたのかもしれない。
そもそも島名以外に副題がついてる章については、作中に創作が含まれている可能性を示唆しているとも
考えられますからね。
余談ですが、ガラスと時間を扱ったSFといえば、やはり英国作家であるボブ・ショウの代表作
『去りにし日々、いまひとたびの幻』を思い出しますが、『夢幻諸島から』はこの名作に対する
ある種のオマージュではないのかな…とも考えました。
「ヤネット」
二人のインスタレーションアーティストが出会い、共同制作によって島に声を与えようとする。
『夢幻諸島から』という作品全体を通して、表現と芸術は繰り返し語られるテーマのひとつです。
ヨーとオイ、どちらの作る芸術作品もユニークですが、それ以上にゲリラ的な製作スタイルが面白いです。
島を改造して声を与え、風によって叫ばせるというヨーの発想は、いわば「島自体を人にする」ようなもので、
人工物が島の一部になっていく「ミークァ/トレム」と対になっているようにも感じました。
これらの作品の他にも、相互の作品同士で登場人物や事件に相関性や相似性があったり、
登場人物同士の役回りが共通してたり対照的だったりと、実に入り組んだ構成になっています。
かといって、それをつなぎ合わせても物語の確実な全容が現れるわけではない…というのが、
『夢幻諸島から』の困ったところであり、また大きな魅力でもあるところ。
こういうお話は、ああだこうだと頭の中でこねくり回している時が一番楽しいですからね。
時間の歪みというSF的な設定が下地にあるものの、科学と人間の力が大きな世界をどうにかする物語とは
ちょっと毛色が違います。
むしろ大小さまざまな島の風土やそこに暮らす人々の暮らしぶり、そして外部からの来訪者たちが引き起こす
様々な事件を連作形式で書くことにより、個々の短編では見えなかった“夢幻諸島”全体を取り巻く物語が、
いわば海流や季節風のように浮かび上がってくる感じです。
海洋によって分割された島々が風によって季節ごとに姿を変えるように、空間によって隔てられた舞台が
時間の歪みによって様々な様相を見せ、ひとつの事件に無数の解答が示される。
それが“夢幻諸島”という世界に存在する、唯一の真実なのかもしれません。
大きな世界をひと括りに語るのではなく、小さな世界の集合体として多面的に組み上げ、そこに結ばれる
あいまいな像を楽しむこと。
それが『夢幻諸島から』との理想的な向き合い方ではないかなー、と思ったりして。
そして全編を読み終えた後に改めて序文を読むと、初読時は何を書いてるのかさっぱりわからなかった内容が、
実は極めて要領よくまとめられた本編の要約だったことに気づきます。
この序文こそ、『夢幻諸島から』の最終章にして、再び島々へ旅立つためのスタート地点となる場所なのです。
また、読者はこの序文を読むことで、書き手であるチェスター・カムストンの視点を引き受けることになり、
いわばチェスターの分身めいた立場におかれます。
つまり本編中でチェスターが偽名を用い、あるいは双子の兄を身代わりにしたのと同じことが、読者自身にも
起こっているわけですね。
こうした入れ替えトリックはプリーストのお家芸ですが、他ならぬ読者を巻き込んで共犯者に仕立て上げるのが
ミステリとしても楽しめる趣向ではないかと思います。
なお、「シフ」の章で書かれている内容に従えば、『夢幻諸島から』の刊行とチェスター・カムストンを含む
作中の登場人物が生きていた時代には、およそ200年の隔たりがあります。
それにもかかわらず、(さらには作中ですでに死んでいるはずの)チェスターが序文を書いているのは
大きな謎ですが、これはやはり夢幻諸島の特徴である“時間勾配”のせいなのでしょう。
時間勾配についてはプリーストの短編集『限りなき夏』に収録された「青ざめた逍遥」でも語られていますが、
あの作品では違う時代の主人公がいくつものバージョンとして同じ場所に存在しているくらいなので、
『夢幻諸島から』で別バージョンのカムストンが何人出てこようと、別に驚くことではないのかも(笑)。
その一方、この序文を書いたのは“チェスター・カムストン”を騙る別人だという可能性もありますが、
その場合は“誰がチェスターを名乗っているのか”というのが問題になります。
ここで手がかりになるのが、序文の前に置かれている「エズラに」という献辞です。
夢幻諸島で最も影響力のある社会運動家・カウラーをファーストネームの“エズラ”と呼べるのは、
カウラー自身が「ただ一人その名で呼ぶことを許した人」というチェスター本人のみ。
しかし、チェスターとカウラーの双方に傾倒した人物であれば、チェスター・カムストンになり切って
“エズラに”という献辞を書く可能性もあるんじゃないでしょうか。
そうだとすれば、一番の容疑者となるのはチェスターの熱烈なファンであり、処女作でカウラーをモデルに
『The Affirmation(肯定)』という作品を書いた作家、モイリータ・ケインとなるでしょう。
そして『夢幻諸島から』の著者でもあるクリストファー・プリーストが、ケインの書いた作品と同名の
『The Affirmation』という作品を書いている…とくれば、もはやどちらの書き手が分身なのやら。
そもそも夢幻諸島のある惑星についても、海の割合が70%だったり、テクノロジーや言語が我々の世界と
全く同じものだったりと、わざわざ地球との“双生児”に設定したようにも見えますしね…。
『The Affirmation』という作品を介して、作家自身を夢幻諸島という仕掛けに組み込んでしまうことで
夢幻諸島と我々の世界が合わせ鏡となり、さらには置き換え可能な別の現実、見え方の違うもうひとつの
世界として、読者の前に立ち上がってくる…これがプリーストの狙った最大のイリュージョンなのかも。
なお、この作品集で語られなかった夢幻諸島の物語の一部は『限りなき夏』で読むことができます。
さらにS-Fマガジン2014年4月号「ベストSF2013」上位作家競作では、長らく入手困難だった
モイリータの登場する短編「The Negation(拒絶)」の新訳(しかも改訂版)が掲載されるとのこと。
この勢いで、2013年に出たばかりの夢幻諸島もの最新作『The Adjacent』、そしてコラゴによる
不死研究を取り上げた『The Affirmation』といった長編も、ぜひ訳されて欲しいものです。
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