太った中年

日本男児たるもの

宗教起業家

2009-09-22 | weblog

出口王仁三郎 - 帝国の時代のカリスマ

教団拡大生んだ近代性

「カリスマ的宗教起業家」と言われて、多くの人がすぐに思い出すのは、あの麻原彰晃の顔だろうか。いまではほとんど忘れられてしまったが、戦前の日本にも“怪物”と称されたカリスマ的宗教起業家がいた。出口なおの後継者として、「大本教」を小さな地方教団から国際的な宗教団体へと躍進させた出口王仁三郎(おにさぶろう)である。

王仁三郎の伝記はこれまでに何冊も出ている。だが、外国人女性歴史学者による本書は、世界的に心霊主義的運動が活発だった1920~1930年代における興味深いケーススタディとして、大本教を取り上げたものだ。世界のカリスマ的宗教起業家に比べて、日本の新宗教の指導者は特殊だという見解には立たず、共通性を明らかにしようとした点が斬新で面白い。

大本教が急成長した理由として著者は三つの要素を挙げる。第一はカリスマ的なリーダーシップ、第二はテクノロジーとマスメディアの革新的な利用、第三は主流の宗教が無視した社会的・文化的関心事を柔軟に取り込んだことだ。

海外布教に取り組み、内モンゴルと満州の境で銃殺されかけたが、世界平和への道としてエスペラント語の普及を推進した王仁三郎。約30種類の雑誌や新聞を発行し、映画など視覚的イメージを効果的に用いていたことにも驚く。現代の新宗教の指導者たちに先駆けて、彼は戦前にこれらを実践していたのである。しかし、政府は異端の教団が大衆革命を煽動(せんどう)することを怖(おそ)れ、治安維持法を適用して、裁判開始前に大本教施設を破壊する。その経緯には慄然(りつぜん)とした。

王仁三郎のように謎めいた、とてつもない人物を書く場合、話がともすれば“面白すぎる”方向へ行きがちだが、著者は、神がかりや予言などの記述を抑制して、王仁三郎の近代性と民衆宗教の流れを追究していく。本書には、“歴史書に書かれない歴史”を象徴するような出口王仁三郎のスケールの大きな人物像が提示され、読後感は清々(すがすが)しい。井上順孝監訳、岩坂彰訳。

(以上、読売新聞 書評より引用)

ヒマなんで近くのブック・オフへ行ったら大本教関連の本が多くあった。多分、大本教関連の信者が脱会して売ったのではないのかと睨んだ上で上記が最新刊だったからペラペラと立ち読みした。新宗教ビジネスならオウム問題で失職した島田裕巳が本を書いている。ただ、「世界的に心霊主義的運動が活発だった1920~1930年代における興味深いケーススタディ」っていう着眼がいい。当時は「心霊、霊感」が世界的なマーケットを形成していて王仁三郎はそうした「心霊、霊感市場」の動向を把握しマーケティングしたのだろう、大本教をエスペラント語で世界に布教した。また、「内モンゴルと満州の境で銃殺されかけた」ことが気になって家に戻って今一度調べてみた。そしたら大本教は満州移民に資金援助をしながら布教していた。大本教は神権政治を提唱し、天皇に対する不敬罪で政府から弾圧を受けていたので王仁三郎は満州へ逃亡、そこで張作霖によってスパイ容疑で逮捕された。このとき王仁三郎を救ったのが右翼の巨頭頭山満の子分、内田良平と明治天皇のご落胤と称する堀川辰吉郎。王仁三郎は世界紅卍字会を通じてそれら右翼の大物と交流を持っていた。王仁三郎と右翼の大物たちは満蒙の地で大アジア主義による広大な神政国家樹立を画策していたのである。その背景となる「心霊主義的運動が活発だった1920~1930年代」の日本はテロとクーデター、中国では北京政府があるだけの国家として体を為していなかった混沌とした時代。そうした社会情勢が不安定なときに新興宗教は人心に伝播する。冒頭著書は王仁三郎をカリスマ的と持ち上げているけど、坂口安吾は大本教を「インチキだ」と罵倒しているからインチキ上手な人なんだろう。いつの時代でも変な宗教には手を出さないことが肝要だ。


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