太った中年

日本男児たるもの

喜納昌吉コラム

2010-04-12 | weblog

以下、内憂外患より喜納昌吉氏のコラムを転載。

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普天間問題は鳩山政権の試金石だ

沖縄県連代表として「(政府は)僕たちとしっかり話し合ってもいいのではないでしょうか」と訴えた喜納昌吉氏。その後政府へ直接意見し、また党内では小沢幹事長と直接会談にのぞみ、一貫して米軍基地の県外・国外移設を訴えてきた。

普天間基地の移設はどうあるべきか。沖縄県連代表・喜納昌吉参院議員があらためて提言する。

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第1に、基地の存在そのものが21世紀にふさわしくないでしょう。人類が3000年の間に5,000回も戦争をして来たと言われているが、そんなことが出来たのは地球は無限だという無意識の観念があってのこと。

しかし、もう地球も水も空気も有限だということがわかっている。基地は、人類のグローバル・ビジョンから見ても必要がない。美しい辺野古の海を埋めて自然を破壊することは、オバマ大統領のグリーン・ニューディール政策にも核廃絶の訴えにも反するだろう。鳩山首相の二酸化炭素を1990年比で25%削減するというビジョンにも東アジア共同体という考えにも反している。

つまり、オバマ大統領や鳩山首相のビジョンが本物かどうか、沖縄の基地問題がリトマス試験紙になっている。

しかし、地元沖縄の人々は脇に置かれて議論されている。日本の政治では基本的に沖縄は異民族であるという潜在的な意識を露骨に示している。歴史的政権交代といわれるが、この「歴史」の中に「沖縄の歴史」が含まれているのか問わなければならない。もっとハッキリいうならば、「沖縄民族は日本人なのか」、このことの総括は復帰以降文化人や政治家たちが怠ってきた命題なのだ。2009年は薩摩藩による琉球侵攻から400年の節目にあたった、これを契機に、タブーとされてきた歴史を総括していかなければならない。

そもそも普天間の基地は危険だから移設すると誇張しすぎるきらいがある。真実の視点に立てばどこに移設しようが危険であることに変わりはなく、この論理は破綻している。普天間が危険だというのは、橋本政権時代にいきなり言われ出した。普天間は大田昌秀(おおた・まさひで)県知事(当時)の基地返還計画に最初は入ってなかったのに、時の政権が押し込んだ節がある。そしてメガフロートの話になっていった。

1996年4月に橋本首相が大田知事に電話して、普天間基地を県内移設する承諾を得たといわれている。当時、鉄鋼不況だったため、新基地建設案に日本の利権集団が飛びつき、大田知事と橋本政権に押し込んだのであり、米軍の戦略を持ち込むには格好の材料であったのだろう。

しかし、辺野古移設が条件とされることに住民の反対運動が燃え上がり、大田知事は住民側に舵をきらざるを得なくなった。その事は橋本首相の歴史的手柄を奪うことにもなり、その後の大田県政への政府の冷たい対応は、橋本首相の直接の怒りを買ったのであろう。浮体工法案の浮上は、実は私も関係していた。

1994年ごろ、李玖(い・ぐ)殿下と交流があったことから始まる。李殿下は日本から受けた李王朝の悲劇を話してくれて、琉球王朝と同じ運命を感じ、交流を深めなくてはいけないと思っていた。李殿下が浮体工法の研究家でその技術を持っていることを知り、すぐに新石垣空港問題が頭に浮かんだ。当時、アオサンゴのある白保の海を埋立てる計画が大反対運動を巻き起こしていた。

しかし、埋立てない浮体工法なら問題が解決できるのではないかと思い、「沖縄で使いませんか」と言うと喜んで承諾してくれた。早速、大濱石垣市長に繋ごうとしたが、友人が仲介したクリスティンソン米国総領事(当時)とのセッティングが先になってしまった。そこで浮体工法の話がでて、総領事が強く関心を示し米側に繋がっていったという事実がある。

その後、李殿下のパートナーから「殿下の技術が辺野古の基地建設に採用され、県道104号線越えの演習も本土に分散されることになりました」という連絡が入った。私は困惑し「その技術は平和のために使ってほしいのであって、軍事のために使うのはやめてほしい」と伝えたが、その後なぜか連絡は途絶えてしまう。

1995年には少女暴行という県民が驚愕する事件(※1)が起こる。この悲劇の事件は、当初少女の人権を考え記事にされなかったものが、数日経ってから大きく報道され始めた。連日の報道の過熱で、県民の怒りは増幅されていき、県民の叫びに応えるようにSACO(沖縄に関する特別行動委員会)は立ち上がっていくのである。

2004年には沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した事故直後に、感情を逆なでするかのように辺野古にボーリング調査が入り大々的に報道されて、沖縄の基地問題は全国に広がる。その時から沖縄の過重負担を分担しようという同情論に国民世論が形成されていく。時を同じくして米軍再編というモンスターが姿を現し、日本の安全保障政策にも大変革が起こってくるのである。

かつて、在沖米軍4軍調整官スタックポールが「キャンプ・キンザーは補給基地だから、もし返還するときがあればそれは海兵隊も引き上げるときである」といった内容を当時大田知事に語ったと言う。スタックポールは「沖縄の米軍は日本の軍国主義を抑える『瓶の蓋』だ」とも言っている。一連の米軍再編の流れを推察していくと、米国は安倍政権でこの「瓶の蓋」を開けようとしたのではないだろうか。強引に国民投票法を成立させた意味もそこにあるのではないか。

しかし民主党に政権交代し当初の計画は頓挫したのであろう。米国が日本国憲法作成に関与し、3分の2条項という高いハードルを設定しながらも手続きの国民投票法が今までなかったのは、「憲法の不作為」ではなく「米国の作為」と見たほうが納得がいく。

では今になって、「瓶の蓋」を開ける意図はどこにあるのか、我々は深く洞察しなければならない。それは日本の陸海空自衛隊が米軍のコントロール下に入ったということではないか。スタックポールの話は、決して平和のメッセージではなく、東アジアがより危険になるということを示唆している。

中国の飛躍的発展は日本をはさんで米中をより接近させ、G2と呼ばれるまでになり、アジアの未来は明るく映っている。しかしまだ東北アジアの不安定要素として台湾と北朝鮮は存在し、リーマンショックに始まった世界的金融危機は、アフガンとイラクで泥沼化した米国に打撃を与え、ドルを基軸通貨とする支配体制に翳りを落とさせている。米国債を多く抱える日中と米が景気の二番底を迎えたり米国がデフォルトに陥った時、あるいはホルムズ海峡が封鎖された時、東アジアの安定を保つことができるのかが問われているのである。

QDR(米国防総省の中長期的戦略文書)には、「予測不可能な状況がどこで発生しても柔軟で迅速な対応を可能にする場所に基地設置を目指し、同時に海外の基地を削減する」とある。ゲーツ国防長官は上院で「沖縄の海兵隊のグアム移転は、中国の軍拡の脅威からの逃避が目的だ」との考えを示した。それらが物語るのは何だろうか。

かつてのアフガン戦線の北部同盟のように、対中国の前方展開に韓国軍や台湾軍や日本の自衛隊を出し、米国は一歩下がって司令塔だけでコントロールしようとする戦略がそこから見えてくる。沖縄から海兵隊を一番帰したいのは、沖縄県民よりも実のところ米国だと思わざるを得ない。米海兵隊の家族は本国に引き上げ、司令部がグアムに残り後方支援に廻ることが本音であろう。それをあたかも反対派の熱望に応えるように見せるところに米戦略のマジックがある。

米国は、グアム移転費を日本にもっと出させたいということでしょう。米国は政権交代を予測して、辺野古問題をグアム協定を結ぶことによって閣議決定から2国間協定に引き上げた。日米地位協定では、外国への移転に日本の負担義務はない。負担する積算根拠を与えるためには、県民が徹底して反対運動をし、それに国民が同情し、お金で解決しようという精神構造を作り上げることが必要なのだ。もうすでに、実体をともなわないパッケージ論に嵌められ5,000億円の供出を強いられている。

また、中国包囲網を見据えているならば、那覇以南の宮古や八重山等の南西諸島の空洞地帯を埋めることによって安全保障が完成する。下地島空港には頻繁に米軍機が飛来している。南大東島の港も整備され、北大東島港も伊良部大橋も新石垣空港も建設中で、与那国島には米軍艦も寄港し、陸自配備案も浮上した。那覇港の大型バースは完成し、那覇空港には並行滑走路が計画中で、空港と那覇港を結ぶ海底トンネルも開通した。辺野古は潜水艦も入れる地下トンネル建設の噂も絶えないし、隠された軍港建設計画の方が問題だ。

嘉手納より南の基地返還の意図は、県民から見えにくくするために北部にコンパクトに基地を集約することだと指摘する識者もいる。めまぐるしく展開されていく様々なインフラ整備は、費用対効果も考えて本当に民間使用のみなのか疑問が湧いてくる。

1966年の米海軍マスタープランでは、辺野古は嘉手納基地が破壊されたときの代替基地のはずだったが、現行の有事法制下で那覇空港の新設並行滑走路が出来上がることで補足されることになる。出来るだけ基地候補地を造っておけば、「有事の際の施設使用」でいかようにも展開できるところに、マジックの本質がある。

私が危惧するのは、強制集団死に関する教科書検定問題でも露わになった旧日本軍の総括されていない精神構造をそのまま持ち込むことになり、鳩山首相の「駐留なき安保」と民主党右派の唱える「国防の自立こそが真の独立である」ことが利用され、沖縄民族に新たな不幸を課し、沖縄と日本の間に新たな分断の歴史が生まれることである。

今後民主党政権が注意しなければならないのは、日米軍産複合体によって描かれた図面に取り込まれないことである。日米同盟権益者が与党にも野党にも潜り込み、両方がハンドリングできるように布石を打ってくるはずだ。今は55年体制の自民党・社会党時代に見られた古い体質のアメリカが作ったダブルハンドルを国民の手に取り戻せるかどうか、その攻防なのである。日本の未来のためには同じ民主党議員であっても問い質していかなければならない。

こういった米国のネオコン系の目論見を一番気付いてるのは小沢幹事長ではないだろうか。強引な小沢幹事長への検察の圧力も根はそこにある。まさに日本の真の独立が問われているのである。

EUではリスボン条約が締結され憲法条約が発効されることになり、2010年から事実上のEU合衆国が誕生し、EU大統領と外相が生まれる。NATO軍はEU軍に変容し、国際連帯税も導入され、国連を媒体に世界政府が台頭してくる兆しも見え始めている。オバマ大統領が米国のゴルバチョフにならぬよう、中国が急激な発展の反動に潰されぬよう、日本の民主党政権が、内部の不協和音を取り除き、オバマ大統領を支持した米国と目覚めた中国が力を合わすよう取り持つくらいのリーダーシップを発揮することだ。

今日本に必要なことは、グローバルな世界の大変革に対し、科学、文化、政治、宗教等あらゆるベクトルが、戦争に従事している戦争文明から、病み疲れた地球を再生する方向へとシフトし、「地球が最初」であるという人類の未来ビジョンを掲げることだ。