まあどうにかなるさ

日記やコラム、創作、写真などをほぼ週刊でアップしています。

キンカ堂倒産

2010-03-18 19:23:34 | 時事問題



池袋にある有名店キンカ堂が倒産した。
ここは低価格の衣料だけでなく、衣料素材を扱う店として知られていた。
その昔、まだ洋服が高かった時代は、布地を買ってきて自分で裁縫する人も多かったと思うが、今は買った方が安かったりする時代。
昔ほど布地は売れなくなったのだと思う。
通りかかって、初めて倒産したことを知る。
閉じられたシャッターにペタペタと無数の張り紙がある。
見てみると、キンカ堂を応援する内容が多い。
「いままでありがとう」「復活して下さい」等等・・・
男性の僕はよく判らないけど、お世話になった女性は多かったんだなあ~と思う。


女社長

2010-03-16 17:45:13 | ちょっといい話
少し前に仕事で知り合った女性からメールをもらった。
事務所を引越したので、仕事の合間でも遊びに来いと。
最近では仕事での接点はほとんどない。
しばらくして、その女性が職場に使ってるマンションを訪れた。
その女性は年の割にはとても若々しい。白いスーツを着こなし、色白で、すらっとしたスタイルはほとんど崩れがない。
少し化粧は濃いが、年よりは若く見える。
彼女は元プログラマー、ピアノはプロ並みの腕前を持ち、法律の知識に明るい才女。
今は会社を経営し、常に新しいことに挑戦し続けている。
出産直前に離婚して、長男を出産したときは産着を買うお金もなく、座布団カバーを赤ちゃんに巻いて産院を後にした、などの経験を持つ苦労人だ。
特に印象深い彼女の言葉。
人生はみんなで電車に乗ってるようなもの。
同じ電車の中でひとをかき分け、押しのけて前の車両に進んでも、けっきょく列車は同じ駅に着く。
ジタバタしないで自然体で時に身を任せなさい。
人間なるようにしかならないので、あせってジタバタしても結果は同じ。
苦労した人の言葉には重みがある。
話に吸い込まれ、ついつい長話になってしまう。
その女性はもうすぐ還暦を迎える。


日本万国博覧会

2010-03-14 00:36:35 | 過去の出来事
 

40年前に購入した1冊の古びた本がここにある。
『日本万国博覧会公式ガイド』
1970年、大阪で開かれた万国博の公式ガイドブックである。
『EXPO’70』と名付けられた大阪万博は40年前の今日、開幕した。
テーマは『人類の進歩と調和』
名誉総裁は昭仁皇太子殿下(当時)、会長は佐藤栄作総理(当時)、作家の堺屋太一も当時は通産省の官僚で、万博開催に関与していた。
国民的なお祭りだった。テレビでは毎日のように、万博を取り上げていた。
当時、僕は小学2年生。伊丹に住んでいたので、会場までは電車でさほど時間はかからなかったこともあり、何度か会場を訪れた。
初めて会場を訪れたのはゴールデンウィーク。
その日は快晴だった。今でもよく憶えている。私鉄の専用駅から会場へと足を踏み入れた。
カラフルで未来的なパビリオンはどれも眩しく、ワクワクした。
真っ赤なソビエト館、エアドームを用いたアメリカ館、巨大な黄色のチューブで建てられた富士グループ・パビリオン、古河パビリオンは七重の塔だった。
月の石が展示されて、もの凄い行列を作った。無人のモノレールが走り、動く歩道で会場を移動する。携帯電話も初めて万博で披露された。
岡本太郎デザインの万博のシンボル、太陽の塔は今でも特徴的な姿を残している。
塔の中は人類誕生までの進化の過程を生物の模型によって時系列順に展示されていた。
フジパンロボット館は手塚治虫が監修をしていた。
三波春男が歌うテーマソングは今でもよく憶えている。
特に印象に残っているのが三菱未来館。
動く歩道に乗り、未来をビジュアル化した360度の動画は圧倒的な迫力があった。
35年後に行った『愛知万博』でも同じく三菱未来館があり、一番印象に残っている。
毎日、一日の入場者数が発表されて、20万人とか40万人、夏のある日はついに100万人を突破したとニュースが伝えていた。
高度経済成長を謳歌する元気な日本の象徴のようなイベントだったと思う。
その後、博覧会は何度か行っているけど、大阪万博が今でも一番印象に残っている。


竜馬と龍馬

2010-03-11 19:11:21 | 雑学
今年の大河ドラマの主人公は坂本龍馬。
以前、息子の塾の社会のテキストを見ていたら、「坂本竜馬」との表記があった。
でも、実はこの表記は正しくない。「竜馬」ではなく「龍馬」が正しい。
司馬遼太郎の著作「竜馬がゆく!」は、作者が創作したエピソードも盛り込むため、わざと「龍馬」ではなく「竜馬」とした。
「坂本竜馬」は司馬遼太郎が創り出した架空の人物である。
歴史上に存在したのは「龍馬」であり「竜馬」ではない。
でも、テキストには「竜馬」と書かれてあった。
息子のもつ伝記本でも「龍馬」ではなく「竜馬」になっている。
「竜馬」のほうが有名になったので、一般的には「竜馬」で通るけど、教育の場で使うのはどうかと思う。
もしかしたら、「龍」の字が当用漢字にはないのかもしれないが・・・
僕は歴史小説が大好きで、司馬遼太郎の小説は特に好きだ。
日本は第一級の歴史をもつ国である。歴史を作った祖先に負けないように、頑張れ!
そんなメッセージがこめられているような気がして、読むと元気が出てくる。
「何が一番面白かったですか?」と他人から訊かれることがある。
一番面白かったのは「国盗り物語」かな・・・「花神」「菜の花の沖」「胡蝶の夢」などがそれに続く。
でも、読んでおくべき作品ということでは「坂の上の雲」だと思う。
日露戦争を描いたこの作品を読むと、当時の日本がいかに満身の力をこめて大国ロシアと戦ったかがわかる。
三国干渉以降10年間、日本はそれこそ飲まず食わずで戦費を蓄え、勝利につなげて行く・・・
年末にNHKでドラマが放送されていたけど、続きは今年の年末まで待たないといけない。待ち遠しい・・・
もし、ロシアに負けていたら、今の日本はなかったかもしれない。少なくとも、北海道はロシアの領土になっていただろうといわれている。
それでも、当時の日本人は今よりずっと楽観主義者だった気がする。
今の日本はもう少し祖先を見習い、楽観的であってもいいかもしれない。


35歳を救え

2010-03-08 23:11:44 | 書評
NHKで放送された特集『35歳を救え』の書籍版を読んだ。
放送は観なかったけど、今の35歳は10年前の35歳より平均年収が200万も低いというショッキングな内容である。
年収別のグラフが掲載されていて、それを見ると、確かにグラフの最頻値は200万少なくなっている。
10年前の35歳の世代も、もしかしたらその後年収は減っているかもしれないが、今の35歳が200万も年収が少ない背景には団塊ジュニアであるこの世代の人口が多いために非正規雇用者が増加していることなどがある。
200万という数字は車が一台買える値段だ。
家のローンの一年分もこれくらいの数字だろう。
それがまるまる減ってしまったのが今の35歳である。
何も今の35歳が他の世代に比べ怠け者であるわけでも能力が低いわけでもない。
製造業は中国や韓国など賃金の安い国の労働者との競争にさらされ、製造拠点が海外にシフトした結果、かつての労働力を必要としなくなっている。
デフレにより、負のスパイラルの被害を最も受けたのがこの団塊ジュニアの世代だ。
この世代は、受験や就職も他の世代以上の競争にさらされ、最初の就職に失敗すると、なかなか浮上するのは難しい。
本書では、具体的に取材した中から、厳しい現実からなかなか這い上がれない35歳の素顔を紹介している。
突然の配置転換により年収が400万から300万に激減し、二人目の子どもを断念した印刷会社に勤める男性、自動車部品製造メーカーに勤めながら、マイカーを手放さなければならなかった男性、夫の収入が半分以下になり、幼い子どもが眠ったあと夜中から朝までコンビニでバイトをする女性など、生々しい事例が続く…
その他にも多くのデータを掲載しているが、年収の話よりもショッキングなのは、その世代の女性の現時点での出生率が0.86であること。
この数字は日本の平均値をはるかに下回る。少子化がさらに加速する可能性がある。
本書では、このまま放置しておくと、今後20年、日本経済の成長率はプラスにならないと警告している。
イギリスやデンマーク、フランスなどの海外の事例や一部の自治体での取り組みなどを紹介し、この世代を救うヒントを掲載している。
NHKでは35歳の1万人以上にアンケートを実施し、本書にその結果がまとめられてある。
不安に思うことは何ですかとの問いに、給料が上がらない、給料カット、など収入に関することが続き、子育て、結婚などの回答が続く。特になしと答えた人はわずか3.6パーセントだった。
不安のない人はどの世代にも多いと思う。
でも、世界第2位の経済大国の35歳で不安のない人がたった3.6パーセント…
あまりにも低い数字だと思う。