是枝裕和監督がその作品「万引き家族」でカンヌ映画祭で最高位である
パルムドール賞を得たそうで、困ったものです。
>フランス南部で開催されていた第71回カンヌ国際映画祭の授賞式が19日夜(日本時間20日未明)に行われ、コンペティション部門に日本から出品された是枝裕和監督(55)の長編14作目となる最新作「万引き家族」(6月8日公開)が最高賞「パルムドール」を受賞した。日本作品としては、1954年の衣笠貞之助監督「地獄門」、80年の黒澤明監督「影武者」、今村昌平監督の83年「楢山節考」、97年「うなぎ」に続く21年ぶり5作品目の快挙となった。
何度か書いているように映画監督としての才能や、今回の作品を
未見でけなしているわけでもありません。
ただ、その思想がGHQ由来の自虐史観そのまま、あるいは朝鮮や在日の人々が
主張すると軌を一にした捏造と不勉強に基づくものであり、それが
大江健三郎がノーベル賞を後ろ盾として反日発言をしているように、
パルムドール賞を発言の権威として捉える日本人がいそうなのを
懸念しています。
また国際的賞を得たことで、海外に誤った日本の歴史=罪悪が世界に
拡散されることへの危惧は、人気をバックに捏造史観をベースに日本侮辱発言を
海外で繰り返す村上春樹に対する懸念と同種です。
映画が壊していく日本の美風 是枝裕和という日本文化破壊者
『万引き家族』(まんびきかぞく、英題:Shoplifters)は、2018年6月8日公開予定の日本映画。監督は是枝裕和。
東京の下町を舞台に祖母の年金と万引きで生計を立てる貧しい一家を主役にした物語
親の死亡届を出さずに年金を不正に貰い続けていたある家族の実際にあった事件をもとに、是枝裕和監督が家族や社会について構想10年をかけて考え作り上げた。
・・・・・ここまで
これが公開前にパルムドール・・・・? 何度も繰り返すように、作品の完成度とは別に、日本の恥部を描いているわけですよね。子役が賞を得た「誰も知らない」もそう。(見ましたが不快な映画。親に拠る育児放棄、子捨ての物語で特殊ケースをあたかも、それが日本の現実であるかのように。パルムドールって、今村昌平の「うなぎ」もそうだったのですが、日本の暗部と貧乏を描くと評価が高いような?1983年製作の日本映画「楢山節考」は貧困故に、山に母を捨てに行く話で、これもパルムドールを受賞)
反日発言を繰り返すこの在日・崔洋一監督のお仲間ですね・・・・。
「三度目の殺人」が第22回釜山国際映画祭にて
祓え給い、清め給え、神(かむ)ながら守り給い、幸(さきわ)え給え
無記名Unknown は読まぬままハネます。
内容要約のタイトルを入れ他とかぶる可能性のないHNを記名の上、ご参加ください。
文章の一部をHNに代用すること禁止。「匿名」「通りすがり」など
極力受け付けません。
異論反論歓迎、しかし一定の知的レベルに満たないコメントは、最初は極力公開しますが、それ以降は読まぬままハネます。
救国のブログ、有り難う御座います。
やっかみが礼服を纏い具現化。
日本を貶める勢力の潜在意識。
映像化されたのは恨みや妬み。
現実逃避を虚構世界で現実化。
実際は機能しない調味料か隠し味。
御花畑を料理するには打ってつけ。
それに乗るかどうか。
あるいは本能が拒否。
フランスは王室が残るイギリスの結婚に対抗。
西欧が積年の混迷から憂さ晴らしで日本貶め。
偽善者同士や関係者の世界的な横の繋がり。
国連のようにそれら諸々がリンクした印象。
日本大事、天皇大事、万世一系の秋篠宮御一家による宮中祭祀が大事。
ただし、このままでは眞子内親王を除く。
文仁親王と悠仁親王の御代を目指して。
御多忙中、大変失礼致しました。
映画賞受賞したからといって決して日本国民、皆が
支持しているわけではございません。
むしろこの犯罪者を題材にした内容が
日本国民を貶めるだけです。
これより先、ますます調子に乗るかと
思うとゾッと致します。
https://twitter.com/SKCritician/status/998093659932315648
あの戦争自体が、追い詰められやむなく立ち上がった戦争ですよ?
開戦に踏み切っていなくても、アメリカに隷属させられる道筋にありました。
(ドイツやヒットラーを持ち出すのは、朝鮮人たちです)
しかし、朝鮮人がこのように言うようになった、そもそもの原因は、《侮日・憎日、「朝日」》にあります。
私が過去、不愉快でたまらなかったのは、「朝日」、が平成五年頃まで、繰り返し、繰り返し、執拗に書きたてて、日本国民を貶めた論説です。
ドイツのワイゼッカー演説を引き合いに出しては、
「ドイツは繰り返し、謝罪と償いを行っている、モラルの高い立派な国民であるのに対し、日本は何もしない、質(タチ)、の悪い国民だ」、と繰り返し、繰り返し、日本国民を責めました。
しかし、この論=理屈は、「諸君!」、平成五年十一月号における、西尾幹二・電通大教授の論文、『ヴァイゼッカー大統領謝罪演説の欺瞞」、により徹底的に批判され、粉砕されました。そのため、「朝日」、は以降、この論理?で日本を責めることは全くできなくなりました。私は今でもこの、西尾論文はを忘れられません。《この西尾論文は、『異なる悲劇、日本とドイツ』ーーー文春文庫、に収められています。》
この号の発売日の十月二日、(平成五年)、は土曜日で、朝から妻と伊豆へ一泊旅行をしました。朝、新聞で、「諸君!」、の広告とその内容を見て、一刻も早く読みたくてたまらず、、沼津から、西伊豆、南伊豆と周り、下田へ着いた時、特急電車の発車時刻まで、7~8分、妻を駅に待たせ、駅前に本屋がないかと走り回り、幸いにも駅の近くにあった本屋に、「諸君!」、が1~2冊あるのを見つけて買い求め、伊豆急の美しい車窓風景はそっちのけで読み耽りました。
>あの戦争自体が、追い詰められやむなく立ち上がった戦争ですよ?
開戦に踏み切っていなくても、アメリカに隷属させられる道筋にありました。
「日米戦争を起こしたのは誰か」---ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず
藤井厳喜・稲村公望・茂木弘道
フーバーが明かす衝撃の真実
(1941年7月の経済制裁は)、日本に対する宣戦布告なき戦争であった。
アメリカを戦争へ誘導していったのは他ならぬルーズベルト(大統領)その人であった。それは、これまで明らかにされた冷静な歴史の光に照らしながら、1938年から1941年の期間を客観的に観察すれば、自ずと明らかである。
「日本との戦争の全ては、戦争に入りたいという狂人(ルーズベルト)の欲望であった」、と私(フーバー)がいうとマッカーサーは同意した。
私(フーバー)は更に続けて次のように言った。「1941年7月の(日本への)経済制裁は、単に挑発的であったばかりではない。それは、例え自殺行為であると分かっていても、日本に戦争を余儀なくさせるものであった。なぜなら、この経済制裁は、殺人と破壊を除く、あらゆる戦争の悲惨さを(日本に)強制するものであり、誇りのある国ならとても忍耐できるものではないからだ。この私の発言にマッカーサーは同意した。
(1941年9月の)近衛の和平提案は、駐日アメリカ大使もイギリス大使も祈るような気持ちで実現を期待していた(にもかかわらずルーズベルトは拒否した)。
日本は繰り返し、和平を求める意向を、示していた。(それにも関わらず行った)原爆投下は、アメリカの歴史において、未曽有の残虐行為だった。これはアメリカ人の良心を永遠に責め苛むものである。
同意です。
まるで国連の敵国条項や戦後の自虐史観です。やはり日本は欧米に比べて劣っているよね、みたいに思いたい者と思われたい者のベストマッチ・・・でなければいいのですけど。
映画自体が、勧善懲悪は時代遅れで、社会告発でなければ格調が低いみたいな流れになっていると思います。少なくとも、映画の賞をとるには。芥川賞をとりたければ、ハッピーエンドはダメだよみたいな。
そして、解決策は示されない。善悪も正邪も下されないのが、文学的と見なされたり、崇高な映画だったりしていると私は思います。もちろん、映画として演出の効果の有無とかもあるのでしょうけどね。技法としては、もうやり尽くされている気もします。
私が文学でも映画でも、期待したいのは、救いのあるもの、解決してくれるものです。
崔。サヨクの女の子を口説きたければ、在日コリアンの被差別と貧困を語ればいちころとか対談で語っていました。
日本のことはいいから、南北の祖国の暗部を描いてあげるとか、在日の犯罪を告発する映画を作るとかすればいいのにと思います。
それは絶対にしないんですね。彼ららしいです。
三度目の殺人を観たことあります。特に見たかったわけでもないんですけどね。その為なのか?
最後まで結局犯人はわからないし、何種類も筋書きがあるように錯覚しました。気味が悪い、後味も悪い映画でした。何を言いたいのかもわかりませんでした。役所さんの名演技を殺していたと思いました。
福山さんは そして父 からのつながりなんだろうけど別に福山じゃなくてもいいし。広瀬すずがやたらと暗い役で広瀬すずファンはがっかりしたのではないかな?
これがあの監督の作品なのか?
パルムドールは一応凄いとは思うけどねぇ。
どうしてこうも犯罪を描きたいのかわかりません。
実際見てからじゃないと詳しくは言えないけど、どうしてそんなに暗部にこだわるのかわかりません。暗部をさらけ出せばなんでも偉いのか?社会派と言われたいのか?
インドに行くと女はみんな強姦されそうなイメージで怖いけど、日本も万引きで生活する家族ばかりだと思われたくないです。日本は万引きが世界で4番目に多いらしいですね。それって本当に日本人が万引きしてるのかな?
是枝監督の思想が危険だという懸念を、自分はあちこちで訴えて来ました。パルムドールは笑えないですね。日本人の万引きは常態化しているんだそうですよ。
モスクワ映画祭で高い評価を得て、主演女優賞を受賞した某作品は「日本で問題になっている集団◯イプ事件の被害者のその後」を描いた事になっています。日本で性犯罪を起こすのは「日本人だけなんですか?」って聞きたくなります。
塚本晋也監督が『野火』をベネチアに出品した時も「日本軍の人肉食は普通にあった」という事にされましたし、映画を使った反日工作を感じとり危惧しているのは私の考え過ぎでしょうか。
またこれも以前から訴えていますが、外国の映画監督が日本で撮影する時のキャスティングがおかしい。スコセッシの『沈黙』に在日の俳優が多いのも不思議でしたし、『ノルウェイの森』も在日だらけでした。
監督は日本人の俳優を望んでも、韓国人と区別が付かないでしょうし気にもしないでしょう。
しかし、本来日本人が貰うべき役を韓国人に振り当てる事で、歪んだ喜びを得ている人たちがいるのです。
日本人の振りをした協力者が在日優先を計らない限りこんな事は起こらないと思いますよ。
日本映画界はすでに乗っ取られていると心配しています。