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スモール・フェイセス

2023-10-29 10:36:27 | band

スモール・フェイセス Small Faces


活動期間
  1965年~1969年
  1976年~1978年


メンバー
  スティーヴ・マリオット/Steve Marriott(guitars, vocals)
  ジミー・ウィンストン/Jimmy Winston(keyboard)
  イアン・マクレガン/Ian McLagan(keyboard)
  ロニー・レーン/Ronnie Lane(bass,vocals)
  リック・ウィリス/Rick Wills(bass, vocals)
  ケニー・ジョーンズ/Kenny Jones(drums)



 スモール・フェイセスは、1960年代中盤~後半にわたってブリティッシュ・ロック・シーンを牽引したバンドのひとつである。
 音楽的には、ポップやソウル、ハード・ロック、サイケデリックなどの要素を併せ持っており、「ザ・フー」と並ぶ、ロンドンのイースト・エンドを代表するモッズ・バンドとして高い人気を誇った。
 2012年に「ロックの殿堂」入りを果たしている。


 ロンドンのイースト・エンド出身のスティーヴ・マリオットは子役俳優として映画や舞台に出演していたが、長じてミュージシャンとしても活動するようになり、ソロ・シングルを発表。1963年には「ザ・モーメンツ」を結成し、翌64年にはアメリカでシングル・レコードを発表するが、いずれもセールスは低調だった。


 1964年のある日、当時マリオットが働いていたミュージック・バーに、当時ザ・パイオニアーズのメンバーだったロニー・レーンがベース・ギターを買いに父親とともに来店した。マリオットとレーンは会話を交わし、レーンはベース・ギターを購入した。そしてマリオットが仕事を終えると、レーンはレコードを聴きに彼の家を訪ねた。これがマリオットとレーンの出会いである。
 ふたりは意気投合し、ドラマーにパイオニアーズでレーンのバンドメイトだったケニー・ジョーンズを、キーボードにザ・モーメンツのバンド・メイトだったジミー・ウィンストンを加え、翌65年に新たなバンドを結成する。このバンドはメンバーは全員がイースト・ロンドン出身の、生粋のモッズ・バンドであった。
 新バンドは「スモール・フェイセス」と名付けられた。これは、モッズ用語で「顔役、クールな奴」という意味を持つ「Face」と、マリオット、レーン、ジョーンズの3人が小柄だったこととをかけ合わせたものである。


 結成直後から精力的にライブを行っていたスモール・フェイセスに注目したのが、エージェントのドン・アーデンである。彼の尽力によって、バンドはデッカ・レコードと契約を交わすことができた。

 1965年8月、デッカレコードからデビュー・シングル「ホワッチャ・ゴナ・ドゥ・アバウト・イット?」を発表。これは全英チャート14位のヒットとなった。
 この年11月、ウィンストンが俳優として活動するために脱退し、後任として元ボズ&ボズ・ピープル(ボズ・バレルが在籍していた)のメンバーだったイアン・マクレガンが加入。
 1966年1月にサード・シングルとして発表した「シャ・ラ・ラ・ラ・リー」が全英チャート3位のヒットを記録すると、5月に発表したファースト・アルバム「スモール・フェイセス」も全英アルバム・チャートで最高3位まで上昇。さらに同年8月に発表した5枚目のシングル「オール・オア・ナッシング」はついに全英1位となり、スモール・フェイセスはモッズのヒーローにのし上がった。


     


 人気バンドのひとつとなったスモール・フェイセスだが、ドン・アーデンとの関係が悪化(バンドの収益を搾取していたと言われている)したことがデッカ・レコードとの関係に影響を及ぼし、結局彼らは1967年2月にイミディエイと・レコードに移籍する。ちなみにイミディエイトの創立者は、ローリング・ストーンズの元マネージャーだったアンドリュー・ローグ・オールダムである。
 この年6月には移籍第1弾のアルバム『スモール・フェイセス』(前年リリースしたファースト・アルバムと同じタイトル)を発表したが、これは収録曲全てがオリジナルで構成されており、バンドとしての成長が伺えるものであった。
 一方デッカ・レコードは、移籍後間もないその年2月に、シングルと未発表曲を集めた『フロム・ザ・ビギニングス』というコンピレイション・アルバムを、バンドに相談することなくリリースしている。これはスモール・フェイセスの移籍に対する報復と言われている。
 同年は6月にリリースしたシングル「イチクー・パーク」が全英3位(全米16位)、8月にリリースしたシングル「ティン・ソルジャー」が全英9位(全米73位)のヒットを記録している。
 なおバンドが全米シングル・チャート入りを果たしたのは「イチクー・パーク」が初めてであった。またこの曲では初めて「フランジャー」というエフェクターが使用されている。
 1968年5月には、スモール・フェイセスの代表作と言われるアルバム、『オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク』が発表される。
 このアルバムのB面は、月の欠けた半分を探しに出かけるハピネス・スタンの物語が収録されており、いわゆる「コンセプト・アルバム」として制作された。リリース後は全英アルバム・チャートを席捲し、6週連続でチャート1位を記録した。


 イギリスでは人気バンドに成長したスモール・フェイセスだが、アメリカでのセールスは今ひとつ伸び悩んでいた。
 質の良いレコードを制作してもアイドルとしてしか見られていない現実に対し、マリオットの不満は鬱積してゆき、さらなるR&Bの追求を望むようになっていった。
 1968年、マリオットは、彼と同じくアイドル視されることに嫌気がさしていた元ハードのピーター・フランプトン(guitar, vocal)をバンドに加えることを提案したが、レーンとマクレガンの反対に遭う。
 この年12月31日、スモール・フェイセスはアレクシス・コーナーをゲストに迎えたコンサートを行ったが、途中でマリオットがステージから降りてしまった。コンサート後、激怒したメンバーはマリオットを問い詰めるが、この時マリオットはバンドからの脱退を宣言したのである。


 残されたマクレガン、ジョーンズは、1969年5月にアート・ウッドのバンド「クワイエット・メロン」に参加、ここでロン・ウッドとバンド・メイトになる。クワイエット・メロンにはその後レーンとロッド・スチュワート(voval)が加わり6人編成となったが、アート・ウッドを除く5人は意気投合して新たなバンド「フェイセス」を結成するのである。
 なおマリオットは脱退後すぐにフランプトンとのバンド結成に取りかかり、ベースにグレッグ・リドリー(元スプーキー・トゥース)、ドラムにジェリー・シャーリー(元アポストリック・インターヴェンション)を迎えて1969年1月頃から活動を開始する。このバンドが「ハンブル・パイ」である。
 フェイセスもハンブル・パイも、1970年代は人気バンドとして活躍した。


 1976年、「イチクー・パーク」がリバイバル・ヒットするが、これをきっかけとしてマリオット、レーン、マクレガン、ジョーンズの4人が再び集まった。当時レーンは自己のバンド「スリム・チャンス」を率いて活動していたこともあり、リハーサルには参加したものの一週間ほどで脱退。後任にはロキシー・ミュージックのツアー・メンバーだったリック・ウィルスが加わり、スモール・フェイセスの再結成が実現した。
 彼らはアトランティックと契約し、1977年には9年ぶりのスダジオ・アルバム『プレイメイツ』を、翌1978年にはゲストにジミー・マカロック(ギター)を迎えたアルバム『78 イン・ザ・シェイド』を発表したのち、再び解散した。


 1991年4月20日、マリオットが44歳で死去。自宅で就寝中、寝たばこが原因の火事で一酸化炭素中毒死するという、いたましい最期だった。
 1997年6月4日、1970年代後半に多発性硬化症を発症して長年闘病生活を続けていたレーンが、肺炎のため51歳で病没。
 2014年12月3日、マクレガンが脳卒中の合併症のため69歳で死去。


 スモール・フェイセスは、2012年にフェイセズとともに「ロックの殿堂」入りを果たしている。


     



【ディスコグラフィ】(☆=ライヴ・アルバム ★=コンピレーションアルバム)

 <アルバム>

  1966年 スモール・フェイセス/Small Faces UK3位
  1967年 スモール・フェイセス/Small Faces UK12位
 ★1967年 フロム・ザ・ビギニング/From The Beginning UK17位
  1968年 There Are But For Small Faces US178位
  1968年 オグデンズ・ナット・ゴーン・フレイク/Ogdens' Nut Gone Flake UK1位、US159位
 ★1969年 イン・メモリアム/In Memoriam
 ★1969年 ジ・オータム・ストーン/The Autumn Stone
  1977年 プレイメイツ/Playmates
  1978年 78イン・ザ・シェイド/78 In The Shade

 <シングル>
  1965年 Whatcha Gonna Do About It UK14位
  1965年 I've Got Mine
  1966年 Sha-La-La-La-Lee UK3位
  1966年 ヘイ・ガール/Hey Girl UK10位
  1966年 オール・オア・ナッシング/All or Nothing UK1位
  1966年 心のひとみ/My Mind's Eye UK4位
  1967年 I Can't Make It UK26位
  1967年 Patterns UK51位
  1967年 Here Comes the Nice UK24位
  1967年 サイケデリック・パーク/Itchycoo Park UK3位、US16位
  1967年 涙の少年兵/Tin Soldier UK9位、US73位
  1968年 レイジー・サンデー/Lazy Sunday UK2位、US114位
  1968年 The Universal UK16位
  1969年 Mad John
  1969年 アフターグロウ/Afterglow of Your Love UK36位
  1975年 イチクー・パーク/Itchycoo Park UK9位
  1976年 レイジー・サンデー/Lazy Sunday UK39位


【メンバー変遷】

#1 1965
  スティーヴ・マリオット(guitars, vocals)※ex. The Moments
  ロニー・レーン(bass, vocals)※ex. The Pioneers
  ジミー・ウィンストン(keyboards)※ex. The Moments
  ケニー・ジョーンズ(drums)※ex. The Pioneers

#2 1965~1969
  スティーヴ・マリオット(guitars, vocals)
  ロニー・レーン(bass, vocals)
  イアン・マクレガン(keyboards)※ex. Boz & Boz People
  ケニー・ジョーンズ(drums)

#3 1976~1978
  スティーヴ・マリオット(guitars, vocals)
  リック・ウィルス(bass, vocals)※ex. Roxy Music Tour Support
  イアン・マクレガン(keyboards)
  ケニー・ジョーンズ(drums)


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