残照日記

晩節を孤芳に生きる。

妻の死

2010-09-13 07:03:19 | 日記


○新涼やコンビニ弁当一人食む  楽庵

今日は老生の誕生日。66歳になった。家内が亡くなって既に2ヶ月弱。一人食む弁当生活に馴れた。かつてしきりに自分に言い聞かせた「荘子」至楽篇の次の文章を静かに読み返している。

<荘子の妻の死>

∇荘子の妻死す。恵子これを弔う。荘子則ち方に箕踞(ききょ=両足を拡げて箕のような形になること)して、盆(ほとぎ)を鼓して歌ふ。
∇恵子曰く、「人と与に居て、子を長じ身を老せり。死して哭せざるもまた足れり。また盆を鼓して歌ふは、また甚だしからずや」と。
∇荘子曰く、「然らず。これその始め死するや、吾独り何ぞ能く慨然たること無からんや。その始めを察するに、本生なし。徒(ただ)に生なきのみに非ずして、本形なし。徒に形なきのみに非ずして、本気なし。芒芴(混沌)の間に雑(まじ)はり、変じて気あり。気変じて形あり。形変じて生あり。今また変じて死に之く。これ相与(あいとも)に春秋冬夏四時の行を為せるなり。人かつ偃然(えんぜん=安らかに)として巨室(天地という大部屋)に寝ぬ。而るに我れ嗷嗷然(きょうきょうぜん=未練がましく)として、随ってこれを哭せば、自ら以て命に通ぜずと為す。故に止めしなり」と。(「荘子」外篇・至楽)