【明治天皇御歌】
○四方の海 みなはらからと思う世に
など波風の立ち騒ぐらむ
○あさみどり澄み渡りたる大空の
広きを己が心ともがな
≪歌会始の儀:天皇陛下 津波での大きな被害の印象詠む──新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」が12日、皇居・宮殿であった。今年の題は「岸」。天皇、皇后両陛下や皇族方に加え、入選者10人と召人(めしうど)で詩人・小説家の堤清二さん(84)、それに選者の歌が伝統にのっとった発音と節回しで披露された。選考の対象となったのは1万8830首、うち海外は21カ国・地域からで158首だった。天皇陛下は東日本大震災の被災地、岩手県を見舞うためにヘリコプターに乗った際、上空から津波で大きな被害を受けた地域を見た印象を詠んだ。皇后さまは津波で行方不明になった人々や、戦後の外地からの引き揚げ者、シベリア抑留者などを待つ家族らの姿を「岸」に重ねて詠んだ。≫(1/13 毎日新聞)
∇明治天皇御歌は見事なものばかり。上掲「四方の海」の歌は、欧米列強がアジアを侵略し、ロシアが日本を虎視眈々と狙っている頃の歌。≪四方の海はみな同胞と思うこの世になぜ波風が立ち、騒ぎが起こるのであろう。≫。昭和16年、大東亜戦争開戦を決定した御前会議で、昭和天皇はこの御製を詠みあげられたという。「平和への願い」空しく「戦争」突入となった。今年の「歌会」での下掲の御製(天皇の歌)は、宮内庁の解説によれば、≪昨年五月六日、東日本大震災被災地お見舞いのため岩手県に行幸啓になった際、釜石市と宮古市の間をヘリコプターにお乗りになり、津波により大きな被害を受けた被災地を上空からご覧になったときの印象を詠まれたものである。≫とのことである。未曾有の大震災に遭遇した「岸辺」ではあるが、上空より見ると既に「青く静ま」っていた。「天地は不仁なり」と「老子」は言ったが、自然は何ごともなかったかの如く淡々と時を刻む。澄徹した、何か清々しさを感じさせる含蓄に富んだ御歌である。尚、皇后陛下の御歌も掲示しておこう。
御製
○津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと
見下ろす海は青く静まる
皇后陛下御歌
○帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく
岸とふ文字を歳時記に見ず
〔歌意〕:≪俳句の季語を集めた歳時記に「岸」という項目はなく、そのことから、春夏秋冬季節を問わず、あちこちの岸辺で誰かの帰りを待って佇む人の姿に思いを馳せてお詠みになられた御歌。この度の津波で行方不明となった人々の家族へのお気持ちと共に、戦後の外地からの引揚げ者、シベリアの抑留者等、様々な場合の待つ人待たれる人の姿を、「岸」という御題に重ねてお詠みになっているようです。≫(宮内庁HPより)
○四方の海 みなはらからと思う世に
など波風の立ち騒ぐらむ
○あさみどり澄み渡りたる大空の
広きを己が心ともがな
≪歌会始の儀:天皇陛下 津波での大きな被害の印象詠む──新春恒例の宮中行事「歌会始の儀」が12日、皇居・宮殿であった。今年の題は「岸」。天皇、皇后両陛下や皇族方に加え、入選者10人と召人(めしうど)で詩人・小説家の堤清二さん(84)、それに選者の歌が伝統にのっとった発音と節回しで披露された。選考の対象となったのは1万8830首、うち海外は21カ国・地域からで158首だった。天皇陛下は東日本大震災の被災地、岩手県を見舞うためにヘリコプターに乗った際、上空から津波で大きな被害を受けた地域を見た印象を詠んだ。皇后さまは津波で行方不明になった人々や、戦後の外地からの引き揚げ者、シベリア抑留者などを待つ家族らの姿を「岸」に重ねて詠んだ。≫(1/13 毎日新聞)
∇明治天皇御歌は見事なものばかり。上掲「四方の海」の歌は、欧米列強がアジアを侵略し、ロシアが日本を虎視眈々と狙っている頃の歌。≪四方の海はみな同胞と思うこの世になぜ波風が立ち、騒ぎが起こるのであろう。≫。昭和16年、大東亜戦争開戦を決定した御前会議で、昭和天皇はこの御製を詠みあげられたという。「平和への願い」空しく「戦争」突入となった。今年の「歌会」での下掲の御製(天皇の歌)は、宮内庁の解説によれば、≪昨年五月六日、東日本大震災被災地お見舞いのため岩手県に行幸啓になった際、釜石市と宮古市の間をヘリコプターにお乗りになり、津波により大きな被害を受けた被災地を上空からご覧になったときの印象を詠まれたものである。≫とのことである。未曾有の大震災に遭遇した「岸辺」ではあるが、上空より見ると既に「青く静ま」っていた。「天地は不仁なり」と「老子」は言ったが、自然は何ごともなかったかの如く淡々と時を刻む。澄徹した、何か清々しさを感じさせる含蓄に富んだ御歌である。尚、皇后陛下の御歌も掲示しておこう。
御製
○津波来(こ)し時の岸辺は如何なりしと
見下ろす海は青く静まる
皇后陛下御歌
○帰り来るを立ちて待てるに季(とき)のなく
岸とふ文字を歳時記に見ず
〔歌意〕:≪俳句の季語を集めた歳時記に「岸」という項目はなく、そのことから、春夏秋冬季節を問わず、あちこちの岸辺で誰かの帰りを待って佇む人の姿に思いを馳せてお詠みになられた御歌。この度の津波で行方不明となった人々の家族へのお気持ちと共に、戦後の外地からの引揚げ者、シベリアの抑留者等、様々な場合の待つ人待たれる人の姿を、「岸」という御題に重ねてお詠みになっているようです。≫(宮内庁HPより)