残照日記

晩節を孤芳に生きる。

言葉が軽い

2010-12-20 06:24:42 | 日記

<民主党の鳩山由紀夫前首相は18日午後、北海道苫小牧市で開かれた地元後援会の会合で「国益に資する政治を行うため、皆さまの期待を頂けるなら、次の衆院選でも行動を共にしたい」と述べ、首相退陣の際に表明した政界引退の意向を正式に撤回した。鳩山氏の方針転換に対しては、党内外から「言葉が軽い」などと再び批判が出そうだ。>(12/18 時事通信)<民主党道連の佐野法充幹事長は「(鳩山氏の引退発言は)『綸言(りんげん)汗のごとし』というのか。どういう経緯で、そういうこと(引退撤回)になったのか、詳しく聞かなければコメントしようがないと述べた。>(12/19 毎日新聞)

∇まったくまぁ、という感じだ。呆れてものもいえない。ところで、佐野道連幹事長が適切に引用した古語、「綸言汗のごとし」は、「漢書」(劉向伝)が典故である。<出た汗が再び体内に戻り入ることがないように、君主の言は一度発せられたら取り消し難いこと。>(大辞林)──劉向(りゅうこう又はりゅうきょう)は、今から2000年以上昔の前漢末時代の学者。「列女伝」「説苑(ぜいえん)」「新序」等の著作で知られる。元服したのち、品行方正につき、抜擢されて天子を諌め忠告する役目である諫議大夫になった。宣帝崩御後、元帝にも尊任され、散騎宗正に出世し、帝の輔弼役を担った。だが権力をほしいまゝにしていた宦官らに疎まれ、上奏した書翰が逆利用されて讒言され、投獄・免官の憂き目にあう。

∇劉向はめげずに今度は密封の上書を元帝に献じた。その長い諫言文中に出るのが「綸言汗のごとし」である。小竹武夫訳「漢書4」(ちくま学芸文庫)から当該部分を引用させて頂く。劉向曰く、<『『易』に、「渙するときに其の大号を汗にす」とあり、号令は汗のごとく、ひとたび流れ出た汗は元に反らぬという意味であります。いま善い命令を出しながら、そのあとですぐ撤回するなら、これは流れ出た汗を元に戻すことであります。云々> 「綸言」は君主が下に対して言うことば。みことのり。即ち、艱難の時、君主たる者が、天下を救済すべく号令を発するに当っては、一度肌から出た汗が元に戻らぬよう、断乎として変更しない覚悟でなければならないと、元帝の変節極まりない“言葉の軽さ”を諫言したのである。

∇鳩山前首相は6月に首相を辞めた時に、「首相は影響力をその後も行使し過ぎてはいけない」と、格好の良い言葉を弄して、次の衆議院選挙への不出馬を表明していた。それが僅か半年でコロリと変わる。「旧約聖書」箴言に曰く、<愚かな者も黙っている時は、知恵ある者と思われ、その唇を閉じている時はさとき者と思われる>と。もと/\軽い人なのだから、余計なことを言わなければ良かったのだ。言葉の軽さは、イコール人間の軽さなのだから……。たま/\切り抜き資料の整理をしていたら、故周恩来夫人が亡くなる前に中国共産党中央に宛てた遺書の要旨が載った記事が出てきた。周恩来氏と共に清廉な印象で親しまれ、それを最期まで貫いた御仁である。現在の中国に対して、日本人の86%が中国嫌いになっているそうだが、学ぶべき大人は沢山いる。

<人間はいつか死ぬものだ。私の死後の処理について、党中央が以下の要求を受け入れるよう心よりお願いする。一、遺体は解剖後、だびに付す。二、遺骨は残さず、まき捨てればよい。周恩来同志と約束して決めたことだ。三、遺体の告別式は行なわない。四、追悼会は行なわない。これらは、一九七八年七月一日に書いたものだが、さらに二点を付け加える。一、私の住んでいた建物は、かつて周恩来と一緒に住んでいた国有のものであり、間違っても旧居だとか記念館だとかに使ってはならない。二、周恩来同志の親類、めいなどへの扱いについて、周恩来同志との関係または周恩来同志への思いゆえに、組織原則と組織規律を越えた配慮をして欲しくない。これは周恩来同志が生前一貫して実行してきたことだ。私には親類はまったくおらず、唯一遠くに住むめいも、本分をよくわきわめており、私との関係をもとに、なにか要求や配慮を求めたことはない。穎超 一九八二年六月十七日書き直す>(平成4年7月11日朝日新聞)── 夫婦共に言を守り、「一貫」した廉清な人。学ぶべきなり!

最新の画像もっと見る