残照日記

晩節を孤芳に生きる。

政治改革Ⅳ

2011-06-29 20:20:44 | 日記
≪福沢諭吉は、あまり一方的になって、自分の精神の内部に余地がなくなり、心の動きが活発でなくなるのを、みんな「惑溺」と言っている。……(彼は、時事新報での論文)「社会の形勢、学者の方向」で、「日本国の人心は、動(やや)もすれば一方に凝るの弊ありと云うて可ならんか。其の好む所に劇しく偏頗し、其の嫌う所に劇しく反対し、熱心の熱度甚だ高くして、久しきに堪えず。…即ち事の一方に凝り固まりて、心身の余力を用い、更に他を顧みること能わざる者なり」と言っている。 要するに、ワーッとこっちのほうへ行って、他は全然かえりみない。かと思うと急に方向を変えて、こんどはこっちへワーッと行く、と。≫(丸山真男「福沢諭吉の哲学」より)

∇S・スマイルズが言うように、<政治家や政治のレベルは国民のレベルを超えない>。即ち“悪政”の責任は政治家自体、そして結局は、彼らを選んだ国民総てにあるのだが、「世論」形成に大きな影響を与えるマスコミにも、評論家・有識者たちや関係する科学専門家にもある。そして今、“一億総評論家”時代。現政府を批判・非難するだけでは、小林秀雄の指摘する<非難否定の働きの非生産性>を打開することはできない。つまり、何も生み出せない。だが、それは人間の心底に潜在する、「優越意識」のなせる業なのだろう。即ち、自分より優れていると位置づけられる総理や有名人に対して批判や非難を公然と行なうことは、「嘲笑」的快感を味わうことでもある。この手の「笑い」は、<人間の特性であり、優越感の虚栄的な表現、もしくは他人の劣等性の残酷な確認>(マルセル・パニョル「笑いについて」)でもある。まあ、何て彼らはバカなんだと、高位者・有名人のダメ具合を摘出してこき降ろすことにマスタベーションしている自分がそこにある。現状打開よりも自己の優越性に浸る愚かさよ。非難・誹謗だけの「評論」の流行は、イジメ精神と奥底でつながり、社会を腐らせる元凶にもなっていく。

∇それゆえにこそ、小林秀雄の次の文章は考えさせられる。<自分の仕事の具体例を顧みると、批評文としてよく書かれているものには、皆他人への讃辞であって、他人への悪口で文を成したものはない事に、はっきりと気付く。そこから率直に発言してみると、批評とは人をほめる特殊の技術だ、と言えそうだ。人をけなすのは批評家の持つ一技術ですらなく、批評精神に全く反する精神的態度である、と言えそうだ。>。「評論」に人生を賭けて七転八倒努力した人にして吐ける言葉である。 政治家、例えば菅直人首相を褒めろ、とは言わない。だが、小林批評精神で政局を見直すと、そこに少しは「生産的」要素を引き出すことは可能だ。「批評に於ける生産性」を課題として、今朝の産経新聞と朝日新聞の社説を比較してみることにしよう。両紙は共に昨日の民主党両院議員総会について論じている。産経は<民主党 「人災」の共犯になるのか>で、朝日は<退陣3条件―自民党よ大人になって>が標題であった。産経の主張の要旨は、<菅直人首相の首に鈴をつけるどころか、衆院解散・総選挙をちらつかされてしまった。…党内の造反勢力が拡大し、内閣不信任決議案が可決寸前までいったのは、首相の下では復旧・復興が困難だという判断が党内にも強まったからだ。だが、退陣を求める動きはその後、弱まっている。首相を批判しつつ、当面は与党にしがみつこうとする姿を露呈している。執行部も首相批判を具体的な行動で示すべきだろう>というもの。

∇一方朝日はこうだ。<退陣3条件が整うめどが立たない。 自民党が、復興関連人事で参院議員を総務政務官に一本釣りされたことに態度を硬化させているのが一因だ。協調関係を求めておきながら、懐に手を突っ込んできた首相への批判が渦巻くのは当然のことだ。 だが、ここは自民党にもっと大人になってほしい。 国民は、菅首相にあきれるとともに、首相を批判するだけで止まったままの国会に失望しているのだ。 3条件は、どれも当たり前の内容だ。それを進めるために首相が進退をかけなければならないこと自体がおかしい。さらに与野党が足を引っ張りあうさまは、国民には見るに堪えない。 冷静に考えてみよう。3条件(そのもの)には自民党も異論はないはずだ。これらを止めて、自民党に何の利点があるのか。懸案を速やかに処理して、被災者やこれからの日本のために仕事をする。それで菅政権に終止符を打つ。それこそが長く政権を担ってきた自民党の本領ではないか。…きのうの民主党両院議員総会でも、早く退陣せよと求める声が止まらず、執行部からも首相への不満が漏れた。 こんな首相と自民党はいつまでいがみ合うのか。働いて歯車を回そう。 > ──菅首相の煮えきらぬ不可解な態度を批判しながらも自民党側への「政治の場に着く」重要性を訴えている。

∇時時刻刻と推移していのが政局である。今回の「民主党両院議員総会」はそのほんの一齣だ。だが、そこには、様様な事々が表裏渦巻き、次の変化へのターニングポイントが“啓示”されている。全国紙ともなればそれを読み込み、読者に示唆する使命感があって欲しい。なのに、産経の主張は相も変わらず民主党内の混乱と、首相の早期退陣不発にのみ目がいってしまっている。時局が移っているのを忘れて、「菅降ろし」に狂奔している。<執行部も首相批判を具体的な行動で示すべきだろう>などと、言い古された賞味期限切れの主張には、何の「生産性」も見られない。もう「賽は投げられている」。そう長くない時期に産経のキライな菅首相は退陣するのです! 自民党側も、朝日社説ではないが、いつまでもつまらぬことで<いがみ合う>ことをせず、正当に政治の場に着くべきなのである。第一、自民党に離党届を出した浜田和幸参院議員への“1本釣り”への批判は、寧ろ自民党自体の恥とすべきことだ。<新党改革の升添要一代表は「政権与党が多数派工作をするのは当たり前。引き抜かれる方にも油断があった」と自民党のわきの甘さを指摘した。>(6/29朝日) 一方、民主党議員諸兄は、<菅直人首相は民主党両院議員総会で、再生可能エネルギー促進法案成立などの課題を掲げて当面は続投する姿勢を示していることについて「私のことだけで言っているのではなく、次(の政権)に安定的に引き継ぐためだ。私個人が何かを得たいということではない」と述べた>。(6/29時事通信)をどう感じているのだろうか? 暑いので今日はこゝまで。


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