残照日記

晩節を孤芳に生きる。

本当の寂しさ

2010-10-31 10:00:49 | 日記
<風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜は 術(すべ)もなく 寒くしあれば 堅塩を 取りつづしろひ 糟湯酒 うちすすろいて 咳(しわぶ)かひ 鼻びしびしに ……寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒からむ 妻子(めこ)どもは 乞ひて泣くらむ 此の時は 如何にしつつか 汝(な)が世は渡る……>(「貧窮問答歌」山上憶良)

∇昨夜は雪こそ降らなかったが、まさに「貧窮問答歌」にある「風まじり、雨降る夜」だった。兎に角寒かった。部屋中暖房をつけてみたが、ふと、<寒き夜すらを 我よりも 貧しき人の 父母は 飢え寒からむ 妻子(めこ)どもは 乞ひて泣くらむ 此の時は 如何にしつつか>を思った。憶良の<富人の家の子供の着る身なみ 腐(くだ)し棄てつらむ衣綿らはも>(富者の家には着るものが腐るほどあるのに、貧者の身は思うに任せない。嗚呼)も……。そして朝日新聞の夕刊を拡げていたら、「万葉こども塾」に次の山上憶良の歌が載っていた。

○言ひつつも 後こそ知らめ とのしくも
   さぶしけめやも 君坐(いま)さずして(巻5の878)
(別れが「寂しい寂しい」といいながら、ほんとうに
  寂しくなるのは、あなたがおられなくなった後なのでしょうね )

∇この歌の背景は、「九州大宰府で大伴旅人と親交を深めた山上憶良は、ほぼ五年間で、旅人の帰京を見送ることとなります。 送別の宴が開かれた席で、憶良はなごり惜しい気持ちをこうした一首に託しました」とある、中西氏の解説の通りである。「君坐(いま)さずして」の「君」は、旅人のことである。旅人との交遊が途切れる寂しさを歌ったものだが、現在の老生には「君」=「妹(妻)」と読めた。家内が亡くなって三月。 「風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜」は、忘れかけた妻の面影や生前の事々が眼前に襲ってくる。≪妹、坐(いま)さずして≫後、寂しさが込み上げてくる。──

∇大伴旅人は、大宰府に赴任する際、既に六十歳を過ぎていて、老妻を伴った。その妻(大伴郎女)が、大宰府について間もなく死んだ。その悲しみたるや、<独り断腸の泣(なみだ)を流す。…… 筆言を尽さず。古今歎く所なり>と、京師からの弔問に応えた歌にある如くであった。世の中が“無常・皆空”であることなど既に頭では重々知っていた。だが、偕老同穴を願った良き伴侶である妻を突然亡くした者の現実の悲しさは、そんな生やさしいものではない。<世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり(巻5の793)>だった。同感だ。

∇山上憶良は大伴旅人の妻が亡くなったとき、旅人に代って、恰も自分の妻の死を悼む気持ちになってこう歌った。<悔しかも かく知らませば あをによし 国内(くぬち)ことごと 見せましものを>(巻5の797) こうして妻に別れねばならぬのが分っていたら、筑紫の国々総てをくまなく見物させてやるのだった。残念でしょうがない、と。──身近に居て、かつ大切な人ほどその存在を軽んじているものだ。だが、いなくなってやにわに、その重要性が浮き彫りにされる。嗚呼、今更悔やんでもしょうがないが、ああしてやればよかった、もっとこうしてやればよかった等々。<風まじり 雨降る夜の 雨まじり 雪降る夜>は、他者を思いやったり、己が徹を二度踏まぬための三省をしたりすべき、天与の時なのかも……。(写真はスズメバチの巣)


最新の画像もっと見る