≪赤富士≫ (黒澤 明脚本)
6-1道
私は群集の流れにもまれている。
私「どうしたんです?」
誰も答えない。
私「何があったんです?」
誰も答えない。
荷物を背負ったり抱えたりした群衆はみんな何かに追われる様に
黙々と急いでいる。
(楽翁:群集をかき分けるように富士が一望に見えるところまで
出ると富士の向こうの空が一面に原子雲の様に沸き返っている)
男「あの発電所の原子炉は六っつある。それがみんな次から次へと
爆発を起こしてるんだ」
…………………(中略)……………………
(楽翁:二人の子供を連れた女が子供達を抱きしめて泣く)
男「放射能に冒されて死ぬのを待ってるなんて、生きてる事には
ならないよ」
女「でもね、原発は安全だ! 危険なのは操作ミスで、原発そのもの
には危険はない。絶対ミスを犯さないから問題はない、とぬかした
奴等は、ゆるせない! あいつら、あいつら、みんな縛り首にしな
くちゃ、死んでも死に切れないよ!」
…………………(後略)……………………
∇上記は、黒澤明脚本監督の「夢」・赤富士のシナリオの一部。「夢」は、1990年に公開された全8話からなる作品で、黒澤明自身が見た夢をモチーフにしている。 そのうち第6話が「赤冨士」。<原子力発電所の事故で、富士山が真っ赤に焼けてゆくという悪夢である。こうしていまや自然は、破壊される。この特殊撮影は、アメリカのI・L・M社が担当した。>(「全集 黒澤 明 最終巻」巻末『そして(AND)』(梗概)」より)。──黒澤監督の下で長年記録係を務めた野上照代さん(83)から朝日新聞の「声」欄に投書があった。<監督がご存命だったら、さぞ激怒されることだろう>と。急ぎ近隣にある県立図書館から「全集 黒澤 明 最終巻」を借りてきて当該箇所を転載した次第である。20年も前の映画である。……
∇東京電力福島第1原発の深刻な事故原因となった大津波を伴う「東北関東大震災」については、09年の経済産業省の審議会で、約1100年前に起きた「貞観地震」の解析から、再来の可能性を指摘されていたという。又、今回のような全電源喪失のシナリオは、米国で30年前に既にシミュレーション済みだったそうだ。にも関わらず、「原発は安全だ」を妄信した東電や政府は不勉強だったり、専門家の指摘を軽んじて対策を先送りし、“想定外の津波”の事後処理に追われている。一段落した時点で、早期対応を促さなかった政府・東電共々これからその姿勢が厳しく問われることになる。そして原発問題は、それだけに止まらず、世界各国共通の“人類規模の大課題”として位置づけられ始めた。──かくして“有識者”たちは、こぞって<天災が暴いた人災>(3/30「天声人語」)と決め付けてしたり顔しているようだが、果たしてそんな単純な問題だろうか。三陸にあったギネス級の堤防でさえ“想定外”であっさり壊滅しているのだ。
∇天災は忘れた頃に突然、しかも思いがけない地域に勃発する。<米USGSのトム・パーソンズ博士らは、1979~2009年の世界の地震カタログを分析。マグニチュード(M)7以上の大地震が起きたとき、世界でM5~M7の地震が起きる頻度が変化するかどうかを調べた。 その結果、大地震の震源域の長さの2~3倍以内に当たる千キロ以内では、誘発されたと考えられる地震が増えていた。だが、それ以上離れたところではそうした傾向は見つからなかった。──即ち、世界で大地震が相次いだのは「偶然」起きた、といえそうだ。>という。(3/29朝日新聞) 大袈裟にいえば、大地震は予知不可能だ。又、仮に予知できたとしても完全に事故を回避できる可能性は低い。自然の猛威は決してその全貌を人前には晒さない。菅首相の原発視察が東電の初動の遅れを招いた云々等の“蝸牛角上の争い”を繰り返している人間共をあざ笑うように……。
≪テレビで大津波が、山のように盛り上がり、猛獣のようにうなり声をあげて、一挙にあの美しい町をのみこみ、なつかしい町と風景をかき消していくのを見て、私は声もあげられず泣いた。人間の知識や進歩のはかなさと、自然の脅威の底知れなさに震えあがる。人間はいつの間にか思い上がり、自然の力を見くびりつづけてきたように思われる。宇宙を見極めたつもりで、無制限な大自然の一端も覗き得ていなかったのではないか。≫(3/31 朝日新聞への「瀬戸内寂聴さんの寄稿」文より)
∇かつて世界中は同じ言葉を使って、同じように話していた。 東方から移動してきた人々は、シンアルの地に平野を見つけ、そこに住み着いた。やがて 彼らは、「れんがを作り、それをよく焼こう」と話し合い、遂に「天まで届く塔のある町を建て、有名になろう」と野望を抱くに至った。神は降りて来て、人々が建てた、塔のあるこの町を見て、「彼らは一つの民で、皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。これでは、彼らが何を企てても、妨げることはできない。直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が聞き分けられぬようにしてしまおう」と言って、全地の言葉を混乱させた。人々は統一言語を失い意思疎通ができず、この町の建設をやめた。「旧約聖書」・創世記に出る、有名な「バベルの塔」物語である。そういえばカミユのシーシュッポスもエンドレスな過酷の運命を背負わされた。──「運命」は神々が造り給うたものだ。理由は傲慢な人間どもを平和にしては、彼ら神々の存在を危うくするから!