<薔薇二題>
薔薇の木に薔薇の花咲く
ナニゴトノ 不思議ナケレドモ
(北原白秋)
薔薇はなぜという理由もなしに咲いている
薔薇はただ咲くべく咲いている
薔薇は自分自身を気にしない
人がみているかどうかも問題にしない
(「シレジウス瞑想録」岩波文庫より)
∇宗教学者の山折哲雄氏が、被災者が生きていくために、<「無常」を受け止めよう>というメッセージを、先日の朝日新聞に送っていた。御自身の親戚縁者に連絡を取ろうとしているが電話がつながらない。覚悟を迫られる時が来るかもしれない、として曰く、<「なぜあの人は死に、私は生きているのか」と問うと、無常という言葉が浮かんできます。先人は自然の猛威に頭を垂れ、耐えてきた。日本人の心のDNAとも呼べる無常の重さをかみしめています。残念なことですが、私たちの力ではみなさんの悲しみを取り除くことはできません。悲しみを完全に共有することはできないのです。でも、みなさんに寄り添うことはできる。悲しみを抱えたまま立ち直っていくことはできるのです。それは、みなさんと「無常」を受け止めていくことだと思います>。これは「外的運命を諦念で受け入れる」“他力本願的”処世法といえる。
∇「『いき』の構造」という名著の著者で知られる九鬼周造の随筆集に、「偶然と運命」という短編がある。“自力作善的”処世法を推奨する一文である。ふと思い出して、書棚の隅からそれを取り出して、日永あれやこれや考えていた。──先ず、九鬼は運命を論じる前に、「偶然」について定義する。彼によれば、「あることもないこともできるようなもの、それがめったにないものならばなお目立ってくるが、そういうものがヒョッコリ現実面へ廻り合わせたのが偶然である」とした。例えば、双六を振って3が出たとする。サイコロには1から6までがあるのだから、3の目がでる可能性はあるが、3が必ず出るという必然性もない。だから振って3が出たのは偶然だといえる。そして3の目が5度も6度も立て続けに出る可能性は確率的には非常に小さいが、出ないという必然性は無い。もし出た場合、偶然性が高いという。
∇又、例えば、或る日或る病院に見舞いに行ったら、そこへ見舞いに来合わせた誰それに、思いがけなくバッタリ遇ったというような場合。二人はそれぞれ分かれて過ごしていたのに遇うというのは、遇わないことも可能であり、生きて動いているのだから遇うことも可能である。しかしその蓋然性(確率)は非常に低いので、それは偶然の出会いといえる。そしてまさに今回の東北関東大震災。千年に一度ともいわれる「貞観地震」に酷似した大津波型地震が襲来し、被災を受けられ死傷された約3万人に及ぼうとしている当事者本人・不明者そして膨大量にのぼる関係者及び避難された方々。警鐘は既に20年も前から鳴らされていたとはいえ、それが2011年3月11日である蓋然性は極めて低い中での偶然の惨事だ。このような場合を九鬼は、<偶然は必然の方へは背中を向け、不可能の方へ顔を向けている>と表現している。
∇もう一度まとめて九鬼の言葉で言えば、<あることもないこともできるようなもの、それがめったにないものならばなお目立ってくるが、そういうものがヒョッコリ現実面へ廻り合わせたのが偶然である>。そして、彼は<偶然な事柄であってそれが人間の生存にとって非常に大きい意味をもっている場合に運命という>と定義する。先の例でいえば、30年ぶりの恋人と偶然に出会って、その後何らかの人生上の変化が生じれば「運命的出会い」に発展するし、大地震遭遇の場合は言うまでもなく人生を左右する「運命的な大惨事」である。山折哲雄氏ではないが、「なぜあの人は死に、私は生きているのか」「何故懸命に人々を避難誘導した善い女性が濁流に呑まれ、10人だけが助かったのか」。九鬼は、運命には外面的なことと内面的なことがある、とする。津波に呑み込まれて死傷された方々は外面的な運命に、遺族やすべての関係者は内面的な運命に遭遇した、と考える。
∇「運命とは偶然のことなり」との定義どおり、マグネチュード9.0の津波型地震に遭遇することはめったにないが、しかし又、起こり得ることであるので、それに被災したのは偶然であり、被災者の外面的運命である。乾いた言い方をすれば「仕方ない」ことで済まされる。他方、生き残ってはいるが、この出来事で今後の人生が大きく影響する筈である避難者及び広く考えれば我々日本人、否、世界を含む人類のすべてが、内面的運命に遭遇した訳で、その処世法が重要になる。九鬼は山折氏の如く<悲しみを抱えたまま立ち直っていくことはできる。それは、みなさんと「無常」を受け止めていくことだと思う>とはしない。寧ろ「ツァラトゥストラ」のように、「意志が救いを齎す」とした。この未曾有の大惨事に遭遇したが、意志がその運命から救い出す。<この運命と一体になって、運命を深く愛することによって、溌剌たる運命を自分のものとして新たに造りだしていくことさえもできる>と。
∇九鬼の言葉で換言すれば、運命というものは我々の側にそういう選択の自由がなくていやでも応でも聞かされている放送のようなもの、ほかに違った放送が同じ時間に沢山あるのに、何故かこの放送を無理に聞かされているようなもので、他のことでもあり得たと考えられるのに、このことがちょうど自分の運命になっているということだ、と。そうだとすれば、人間としてなし得ることは何か。彼はニイチェの「ツァラトゥストラ」の教えを借りて、「意志が救いを齎す」と考えることが偶然や運命に活を入れる秘訣である、とした。未曾有の災害で、最愛の人、そして全財産を失った。それは過酷な運命だが、「意志」がその運命から救い出す。即ち「意志が引き返して意志する」ということが自らを救う道である、と。自分がそれを自分の意志によって自由に撰んだのだとせよ、そうすることによって、運命と一体になって運命を深く愛することを学ぶべきだ、と主張するのである。
∇この九鬼流の考え方は、仏教でいえば“自力作善的”な処世法である。「臨在録」・示衆篇に、「随所に主となれば、立処皆真なり」という言葉がある。その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場となり、いかなる外的条件からも解脱できる、とする立場である。非常に強いまさにツァラトゥストラ的超人的処し方である。精神的強者はそれを能くすることができる。彼らの悟りの境地は所謂禅的解脱によって招来される。しかし先の震災被害者の家族・関係者や、只今癌の最終宣告を受けて、随所に主たりえない弱者はどうするか。老生は「歎異抄」的な“他力本願的”処世法を受容しないと、悲惨な運命に処していけないだろうと考える。「外的運命を諦念で受け入れ、今やるべきをやる」という「他力本願法+自力作善法」で臨むのが精一杯の運命処方箋であると考えるがどうだろう。
∇この稿の最後に、正岡子規が「病牀六尺」で、<余は今まで禅宗の所謂悟りという事を誤解して居た。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった><死生の問題などはあきらめて仕舞えばそれでよい。そして、あきらめがついた上でその天命を楽しんでというような楽しむという境域──病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白味もない>と言った言葉と、プラトンの「ソクラテスの弁明」(岩波文庫)の最終末節にある、“死に逝くソクラテス”の名言を掲げて、一旦休憩としよう。<しかしもう去るべき時が来た──私は死ぬために、諸君は生きながらえるために。もっとも我ら両者のうちのいずれがいっそう良き運命に出逢うか、それは神より外に誰も知る者がない。>
薔薇の木に薔薇の花咲く
ナニゴトノ 不思議ナケレドモ
(北原白秋)
薔薇はなぜという理由もなしに咲いている
薔薇はただ咲くべく咲いている
薔薇は自分自身を気にしない
人がみているかどうかも問題にしない
(「シレジウス瞑想録」岩波文庫より)
∇宗教学者の山折哲雄氏が、被災者が生きていくために、<「無常」を受け止めよう>というメッセージを、先日の朝日新聞に送っていた。御自身の親戚縁者に連絡を取ろうとしているが電話がつながらない。覚悟を迫られる時が来るかもしれない、として曰く、<「なぜあの人は死に、私は生きているのか」と問うと、無常という言葉が浮かんできます。先人は自然の猛威に頭を垂れ、耐えてきた。日本人の心のDNAとも呼べる無常の重さをかみしめています。残念なことですが、私たちの力ではみなさんの悲しみを取り除くことはできません。悲しみを完全に共有することはできないのです。でも、みなさんに寄り添うことはできる。悲しみを抱えたまま立ち直っていくことはできるのです。それは、みなさんと「無常」を受け止めていくことだと思います>。これは「外的運命を諦念で受け入れる」“他力本願的”処世法といえる。
∇「『いき』の構造」という名著の著者で知られる九鬼周造の随筆集に、「偶然と運命」という短編がある。“自力作善的”処世法を推奨する一文である。ふと思い出して、書棚の隅からそれを取り出して、日永あれやこれや考えていた。──先ず、九鬼は運命を論じる前に、「偶然」について定義する。彼によれば、「あることもないこともできるようなもの、それがめったにないものならばなお目立ってくるが、そういうものがヒョッコリ現実面へ廻り合わせたのが偶然である」とした。例えば、双六を振って3が出たとする。サイコロには1から6までがあるのだから、3の目がでる可能性はあるが、3が必ず出るという必然性もない。だから振って3が出たのは偶然だといえる。そして3の目が5度も6度も立て続けに出る可能性は確率的には非常に小さいが、出ないという必然性は無い。もし出た場合、偶然性が高いという。
∇又、例えば、或る日或る病院に見舞いに行ったら、そこへ見舞いに来合わせた誰それに、思いがけなくバッタリ遇ったというような場合。二人はそれぞれ分かれて過ごしていたのに遇うというのは、遇わないことも可能であり、生きて動いているのだから遇うことも可能である。しかしその蓋然性(確率)は非常に低いので、それは偶然の出会いといえる。そしてまさに今回の東北関東大震災。千年に一度ともいわれる「貞観地震」に酷似した大津波型地震が襲来し、被災を受けられ死傷された約3万人に及ぼうとしている当事者本人・不明者そして膨大量にのぼる関係者及び避難された方々。警鐘は既に20年も前から鳴らされていたとはいえ、それが2011年3月11日である蓋然性は極めて低い中での偶然の惨事だ。このような場合を九鬼は、<偶然は必然の方へは背中を向け、不可能の方へ顔を向けている>と表現している。
∇もう一度まとめて九鬼の言葉で言えば、<あることもないこともできるようなもの、それがめったにないものならばなお目立ってくるが、そういうものがヒョッコリ現実面へ廻り合わせたのが偶然である>。そして、彼は<偶然な事柄であってそれが人間の生存にとって非常に大きい意味をもっている場合に運命という>と定義する。先の例でいえば、30年ぶりの恋人と偶然に出会って、その後何らかの人生上の変化が生じれば「運命的出会い」に発展するし、大地震遭遇の場合は言うまでもなく人生を左右する「運命的な大惨事」である。山折哲雄氏ではないが、「なぜあの人は死に、私は生きているのか」「何故懸命に人々を避難誘導した善い女性が濁流に呑まれ、10人だけが助かったのか」。九鬼は、運命には外面的なことと内面的なことがある、とする。津波に呑み込まれて死傷された方々は外面的な運命に、遺族やすべての関係者は内面的な運命に遭遇した、と考える。
∇「運命とは偶然のことなり」との定義どおり、マグネチュード9.0の津波型地震に遭遇することはめったにないが、しかし又、起こり得ることであるので、それに被災したのは偶然であり、被災者の外面的運命である。乾いた言い方をすれば「仕方ない」ことで済まされる。他方、生き残ってはいるが、この出来事で今後の人生が大きく影響する筈である避難者及び広く考えれば我々日本人、否、世界を含む人類のすべてが、内面的運命に遭遇した訳で、その処世法が重要になる。九鬼は山折氏の如く<悲しみを抱えたまま立ち直っていくことはできる。それは、みなさんと「無常」を受け止めていくことだと思う>とはしない。寧ろ「ツァラトゥストラ」のように、「意志が救いを齎す」とした。この未曾有の大惨事に遭遇したが、意志がその運命から救い出す。<この運命と一体になって、運命を深く愛することによって、溌剌たる運命を自分のものとして新たに造りだしていくことさえもできる>と。
∇九鬼の言葉で換言すれば、運命というものは我々の側にそういう選択の自由がなくていやでも応でも聞かされている放送のようなもの、ほかに違った放送が同じ時間に沢山あるのに、何故かこの放送を無理に聞かされているようなもので、他のことでもあり得たと考えられるのに、このことがちょうど自分の運命になっているということだ、と。そうだとすれば、人間としてなし得ることは何か。彼はニイチェの「ツァラトゥストラ」の教えを借りて、「意志が救いを齎す」と考えることが偶然や運命に活を入れる秘訣である、とした。未曾有の災害で、最愛の人、そして全財産を失った。それは過酷な運命だが、「意志」がその運命から救い出す。即ち「意志が引き返して意志する」ということが自らを救う道である、と。自分がそれを自分の意志によって自由に撰んだのだとせよ、そうすることによって、運命と一体になって運命を深く愛することを学ぶべきだ、と主張するのである。
∇この九鬼流の考え方は、仏教でいえば“自力作善的”な処世法である。「臨在録」・示衆篇に、「随所に主となれば、立処皆真なり」という言葉がある。その場その場で主人公となれば、おのれの在り場所はみな真実の場となり、いかなる外的条件からも解脱できる、とする立場である。非常に強いまさにツァラトゥストラ的超人的処し方である。精神的強者はそれを能くすることができる。彼らの悟りの境地は所謂禅的解脱によって招来される。しかし先の震災被害者の家族・関係者や、只今癌の最終宣告を受けて、随所に主たりえない弱者はどうするか。老生は「歎異抄」的な“他力本願的”処世法を受容しないと、悲惨な運命に処していけないだろうと考える。「外的運命を諦念で受け入れ、今やるべきをやる」という「他力本願法+自力作善法」で臨むのが精一杯の運命処方箋であると考えるがどうだろう。
∇この稿の最後に、正岡子規が「病牀六尺」で、<余は今まで禅宗の所謂悟りという事を誤解して居た。悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きて居ることであった><死生の問題などはあきらめて仕舞えばそれでよい。そして、あきらめがついた上でその天命を楽しんでというような楽しむという境域──病気の境涯に処しては、病気を楽しむということにならなければ生きていても何の面白味もない>と言った言葉と、プラトンの「ソクラテスの弁明」(岩波文庫)の最終末節にある、“死に逝くソクラテス”の名言を掲げて、一旦休憩としよう。<しかしもう去るべき時が来た──私は死ぬために、諸君は生きながらえるために。もっとも我ら両者のうちのいずれがいっそう良き運命に出逢うか、それは神より外に誰も知る者がない。>