残照日記

晩節を孤芳に生きる。

再建の希望

2011-03-29 18:38:08 | 日記

 子曰く、天何をか言うや。
 四時 行なわれ、百物 生ず。
 天何をか言うや。
 (「論語」陽貨篇)

天地は不仁なり。万物を以て芻狗と為す。
=自然は冷たい。万物を、祭りが終われば
 捨てられる芻狗(すうく=藁人形)の如く扱う。
 津波被害など知らんぷり。不仁なものだ。
 (「老子」第五章)

∇<東京で桜開花 気象庁発表──気象庁は28日、東京で桜(ソメイヨシノ)が開花したと発表した。靖国神社(東京都千代田区)にある標本木に5、6輪以上の花が咲いているのを東京管区気象台の職員が同日午前、確認した。約1週間で満開を迎える見通し。東京の開花は平年並みで、昨年よりは6日遅い。>(3/28朝日新聞) このところ、東北関東大震災のことで頭が一杯の毎日だった。だが、人間が必死に未曾有の大震災と闘う営みとは無関係に、自然は何事もなかったかの如く平然と時を刻み続けていた。いつの間にか桜の季節だ。東京ではあと一週間もすればあちこちで桜が満開を迎える。今日は久し振りの温暖日和。1ヶ月ぶりに神田古本屋街を一日中冷やかし歩いてきた。……

∇さて、昨日3月28日時点で、この度の震災による被災者数は、残念ながら死亡・安否不明併せて約3万人、避難者が18万人強となった。(朝日新聞調査) 周知の通り、日本災害史上最大級の被害を与えたのは今から88年前の「関東大震災」だった。<大正12年9月1日午前11時58分44秒、関東地方一帯は突然マグニチュード7.9の大地震に襲われた。東京では地震と同時に市内百数十ヶ所から火災が発生し、本所・深川など下町は90%以上が灰燼に帰した。横浜も下町の大部分が壊滅した。死者・行方不明者は10万人以上(岩波年表では14万2800人)、被害世帯は69万余、罹災者は340万人以上に及んだ。>(「資料日本史」山川出版)現代にそれが起きたらその程度ではすまないだろう、とため息がでる。

∇ところで、今朝の朝日新聞文化欄に、作家で医師の加賀乙彦さん(81)が、昔にも東北関東大震災に比較される悲惨な出来事があったとし、<それは戦争中の都市爆撃の被害と残酷である。広島・長崎の原子爆弾の巨大な被害と、考えられる限りの苦しみと破壊を思い出す>と回顧されていた。因みに<都市爆撃の被害>とは東京大空襲のことで、特に規模が大きかった昭和20年3月10日に行われた空襲では、死亡・行方不明者は10万人以上、被災者100万人以上にのぼるとされる。又、原爆による死傷者数は、長崎大学資料によれば、広島で死亡者数約12万人、負傷者数約8万人、長崎では死亡者数、負傷者数共に約7万5千人前後とされる。(放射能障害による死亡者を含めれば、もっと多くなる可能性もある。) 加賀氏は今回の復旧活動を見てこうつぶやいた。

∇<原発の破壊を復旧し、救命活動にはげむ献身的な人々の活躍には感動を覚えた。またボランティアとして被害者のために働く人々の熱意にも感心した。こういうところは、戦争中の軍国主義の横暴とはまるで違って、日本の未来には明るい希望があると思った>と。そして彼はこう呼びかけた。<日本人よ、あわてふためかず、災害よりの復興を、少しずつでもなし遂げていこうではないか。放射能もれにも絶望せず、原子爆弾の惨禍から立ち直っていった過去を思い出そうではないか。食料品の買いだめに夢中になるよりも、おたがいに助け合って、この災禍を乗り越えようではないか。かつて、爆撃と原子爆弾の痛苦にうちまわった歴史を思い出して、冷静に津波の被害や故郷の町の喪失を再建しようではないか。日本には再建という大きな希望が残されている。そして全世界の人々が私たちに注目している>と。

∇然りだ。<再建という大きな希望>に向かって歩まねば。しかもこの大震災は、外国との交際に於いて「日本国憲法」の序文に帰れ、と教えてくれた。国際平和主義を貫くこと、従って<自国のことのみに専念して他国を無視してはならない>のである、と。この度の震災被害者を助けようと、世界中で日本支援の輪が広がっている。134ヶ国から支援の申し出があり、国々で募金活動やチャリティーコンサートが開かれ、支援物資が続々届けられている。米国や、中国、ロシア、韓国、欧州連合(EU)は勿論のこと、インド、タイ、インドネシア、ベネズエラ、パキスタン、フィリッピン等々からも毛布や缶詰、カップめんが。中国では、日本大使館のミニブログに、5千件もの支援の声が。ウクライナ、オランダからは千羽鶴が…と。未来永劫“自然の猛威”は、人間智では完全には防ぎきれない。この過酷な「運命」に立ち向かう為にだけでも、全世界の国々が結束すべきことを、東北関東大震災は人間に教示したのだと思うがどうだろう。