残照日記

晩節を孤芳に生きる。

桃物語

2011-03-04 08:06:59 | 日記
 ≪代悲白頭翁≫ 劉希夷(劉廷芝)

 洛陽城東 桃李の花
 飛び來り飛び去って誰が家にか落つる
 洛陽の児女は顔色を惜しみ
 行く行く落花に逢うて長嘆息す
 今年花落ちて顔色改まり
 明年花開いて復(ま)た誰かある
 已に見る松柏の摧(くだ)かれて薪となるを
 更に聞く桑田の変じて海となるを
 古人復(ま)た洛城の東に無く
 今人還(ま)た対す落花の風
 年年歳歳花相い似たり
 歳歳年年人同じからず
 ……

∇今回は桃物語。「古事記」(黄泉の国)及び「日本書紀」に次の話が載っている。伊邪那岐命(イザナギノミコト)が、伊邪那美命(イザナミノミコト)と結婚して生んだのが食物の神と火の神だった。だが、イザナミノミコトは火の神を生んだため患い、遂に亡くなった。イザナギはイザナミを忘れがたく、彼女を慕って黄泉国へ迎えに行った。しかし、イザナギは、黄泉国の神と交渉する間は決して姿を見てはいけないというイザナミとの約束を破り、彼女の蛆(うじ)のわいたおどましい姿を見てしまい、逃げ出した。怒ったイザナミは、夫を捕まえようと雷神達に命じ、追いかけた。イザナギは、野ブドウの実、笹を投げたが効き目が無い。最後に比良坂で、三個の桃の実を投げつけ、遂にその追撃をかわした。──桃の呪力が邪気を払うとする思想がこゝにみられる。

∇桃の花が詩歌に登場する最初は中国最古の詩集・「詩経」(周南)にある有名な「桃夭(とうよう)」である。<桃の夭夭たる/灼灼たるその華/この子ここに帰(嫁)ぐ/その室家に宜しからん(桃の木は若く、その花は燃えるような輝きだ。この娘がお嫁にいったら、嫁ぎ先にふさわしい妻になるだろう)>。桃の花葉の若くふっくらとしてふさふさしたさまは、若い娘の馥郁たる形容にお似合いだ。「万葉集」にも7首載っている。(松井修「万葉の花」)「桃の花/くれなゐ色に/にほひたる/面輪のうちに/青柳の/細き眉根を/笑みまがり/朝影見つつ/少女らが/手に取り持てる/まそ鏡……」(巻19・4192)。最も知られているのが有名な大伴家持の歌、<春の苑くれなゐにほふ桃の花した照る道に出で立つをとめ>(巻19・4139)であろう。

∇<愛(は)しきやし/吾家(わぎえ)の/毛桃/本しげみ/花のみ咲きて/ならざらめやも>(巻7・1358)と、桃の果実に毛のある「毛桃」がすなわち「三千年の桃」で、長寿願望を歌ったものも既に見えている。桃の木は落葉小高木と分類されるが、李白の「春夜桃李の園に宴するの序」に詠まれたように、樹下で宴会を催し、羽觴を飛ばして月を愛で詩歌が競われた。又、桃園は「三国志演義」で知られる劉備玄徳、張飛、関羽の三人が天地を祭り義兄弟の固い約束をを結んだ場所だった。桃李は美しく咲き誇るので何も言わずして人を集める。故に「桃李言わざれども下自ずから蹊(こみち)を成」した。仙境には桃の花が咲き乱れ、文字通り「桃源郷」であった。「桃源郷」の語源はこのブログでも書いた陶淵明(365~427)の「桃花源記」。

∇中国六朝時代の東晋の国(4世紀ごろ)の、湖南の武陵というところに住んでいた漁師が、道に迷って岸を挟むこと数百歩、一本の雑樹木なく芳しく花咲きにおう桃林の奥にある人里に迷い込んだ。そこでは、過去の戦乱を逃れた民の末裔が暮らしていた。土地は広く平らかにして美麗な家屋が並び、良田、美池、桑竹の類があり、道は縦横に通じ、鶏や犬の声がのどかに聞こえた。漁師は歓待され酒食を存分馳走になって、数日逗留したのち暇を告げて去った。「他の方には話さないように」と言われて帰ったが、その後、漁師は太守にそのことを伝えると、太守は人を派遣して漁師と目印を辿ったが、再びそこを見つけることはできなかった。…という話。俗界の人と「桃源郷」は無縁である。

∇桃という字は木+兆。漢和辞典によれば兆は「割れる」という意。そこから吉兆を占う「きざし」、「多い(億の万倍)」へ。桃太郎伝説は桃が邪気を圧伏するいわれと、桃の割れることから生まれたものだそうだ。「雛廼宇計木」という書物によれば、老父が山へ草刈に行ってるとき、老婦が川へ洗濯に行くと、川上から桃が流れてきた。それを老婦が拾ってきて二人で食べたら、夫婦互いに若返り、皺ものび緑の黒髪になって、老父は30位、老婦は23、4になった。そして生まれたのが桃太郎だとなっている。桃の仙寿伝説がここでは生きている。鬼が島で鬼退治したのは邪気祓いのいわれを物語る。桃の味は非常に甘美なので「西遊記」などの中国の古書には色々の寓話が頻出する。「余桃の罪」という言葉で名高い「韓非子」・説難篇の故事のみを下に掲げておく。

∇昔、衛の国の霊公に彌子瑕(びしか)という寵臣がいた。彌子瑕は母親が病気になると、君主の許しを得たと偽って、夜中に君主の車に乗って母親のもとに見舞いに行った。君主の許可なくしてその車に乗った者は、本来なら足斬りの刑に処されるのだが、霊公は「何と親孝行なやつよ」と感心して、その罪を不問に付した。また彌子瑕がある日、果樹園で桃を食べると美味かったので、自分が半分食べた桃を霊公にすすめた。霊公は「なんと可愛いやつよ」と感動した。やがて彌子瑕の容色に衰えが見えてくると、霊公の寵愛も日に日に薄れた。そしてついには罪を着せられ、「かつて彌子瑕は、偽ってわしの車に乗り、食いかけの桃をわしに食わせたのだ」と罪状非難される始末になってしまった。──<古人復(ま)た洛城の東に無く 今人還(ま)た対す落花の風 年年歳歳花相い似たり、歳歳年年人同じからず>。 

∇最後は懐かしの芥川龍之介作「杜子春」で閉めよう。唐の都・長安の西の門に、かつては金持ちの息子で放蕩ゆえに哀れな身分に転落した杜子春が立っていた。そこに蛾眉山の仙人鉄冠子が現れる。杜子春が弟子入りを懇願すると、鉄冠子は「わしはこれから天上に行って、西王母にお目にかかってくる。その間どんなことがあっても声を出してはいけない」と言って出かけた。虎蛇に襲われ、神将に三叉の矛で突きつけられようが、焦熱地獄攻めに遭おうが彼は声を発しなかった。しかし、閻魔大王が、死んだ父母を痛めつけると思わず声を出してしまった。──仙人にはなれなかった杜子春だが、鉄冠子は杜子春に「お前に泰山の南の麓にある家をあげよう。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」と言って立ち去った。 桃は長寿、百鬼払拭、そして心を癒す桃源の花樹だ。暫くすればあちこちから桃の便りが届いてくる。春だ/\。