太宰治は暗い、難しい、というイメージが何となくあると思いますが、実は案外面白い人だったんじゃないかな、と思います。
まじめに恋愛について論じている作品がありますが、これがとても面白かった。恋愛について、
むずかし~く語っているところが、かなり笑える。(言っていることはとても納得です)
恋愛はチャンスではない。恋愛は意志である。
というのが、太宰さんの持論です。
なるほど、わたしもそうだな~と思うけれど、その言い様がすごい。
>恋愛とは何か。・・それは非常に恥ずかしいものである。
>恋愛至上主義・・・これを色欲至上主義といったらどうであろうか。交合至上主義といっても意味は同じである。つまり・・・『愛』の字が、気がかりでならぬのである。『愛』の美名に依って、卑猥感を隠蔽せんとたくらんでいるのではなかろうかとさえ思われるのである。
>「きれいなお月さまだわねえ。」なんて言って手を握り合い、夜の公園などを散歩している若い男女は、何もあれは『愛し』合っているのではない。胸中にあるものは、ただ『一体になろうとする特殊な性的煩悶』だけである。
>「恋愛。好色の念を文化的に新しく言いつくろいしもの。すなわち、性的衝動に基づく男女の激情。具体的には、一個または数個の異性と一体になろうとあがく特殊な性的煩悶。色欲のWarmingーupとでも称すべきか」
>「恋愛は神聖なり」なんて飛んでも無い事を・・・・なんという図々しさ。「神聖」だなんて、もったいない。口が腐りますよ。まあ、どこを押せばそんな音が出るのでしょう。色気違いじゃないかしら。
>「もののはずみ」とか「ひょんな事」とかいうのは、非常にいやらしいものである。それは皆、拙劣きわまる演技でしかない。あー こわー なんて男にしがみつく、そのわざとらしさ。
>「ふとした事」で恋愛が成立するものとしたら、それは実に卑猥な世相になってしまうであろう。恋愛は意志に依るべきである。恋愛チャンス説は、淫乱に近い。
ごもっともです。男と女でビミョウに違うと思いますが、それにしても、太宰さん、恋愛に関してよほど非道い目にあったのですね。(寒雀の話も可笑しかった)
まあ私も、多くの恋愛(愛)は執着であり欲だと思っているので、分からなくはないです。(本能は理性でコントロールしないと危ない。)
キリストさんの言う隣人愛とか、無償の愛(与える愛?)、お釈迦様の言う慈悲の心(愛ではない)は、
いわゆる恋愛とは違いますね。
太宰さん曰く、
「片恋というものこそ常に恋の最高の姿である。
恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのはげびた事である。」
納得しながら、笑えました。
星5つ
太宰さんの恋愛論って、ちょっと極端ではないでしょうか?
>恋愛。好色の念を文化的に新しく言いつくろいしもの。
たしかにそうかも知れませんが、フーテンの寅さんではないですが、「それを言ってはおしまいよ!」ではないでしょうか?(笑)
「恋愛は神聖なり」とも思いませんが、新古今集に書かれているような男女の想いはすばらしいと思うのですが。
面白いですね。太宰さん、何か非道い目に合ってるんですよ、きっと。^^
それか、純粋なんでしょう。
そればかり考えてる人だけじゃないでしょうし、もっと相手の事を思って、
思いやりのある人間愛によった恋愛をしている人もいるでしょうね。