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「はじめての構造主義」 橋爪大三郎

2014年03月17日 | 読書

はじめての構造主義 (講談社現代新書)

【西欧文明中心の近代に終わりを告げ、現代思想に新しい地平を拓いた構造主義。レヴィ=ストロースの親族・神話研究の、鮮やかな方法と発想の背景に見えてくる、ソシュール言語学やモースの贈与論。そして遠近法にまでさかのぼる、数学史の水脈に隠された〈構造〉のルーツ。モダニズムからポスト構造主義への知の戦線に、軽快な文章で歯切れよく迫る。 】

「寝ながら学べる構造主義」で、ウチダ先生の語り口に何となくぼやっ~と分かったような気になって、実はよく分かっていなかった構造主義。
この本を読んで、やっと少し分かってきたような気がします。(気がするだけかも・・・)

構造主義は、人間の思考の仕方を探るための一つの方法論で、比較方法論によっています。(多分)

で、構造主義の生みの親?旗頭である、レヴィ=ストロースの研究(「未開」の地の親族関係・神話について)を中心に、構造主義がどういうものかが丁寧に説明してありました。それによると、

構造主義は、
人間や社会のあり方を、歴史(西欧思想の色眼鏡!)抜きに直視する方法であり、人間主義の究極のかたちである(らしい)。

人間主義というと、まずなにより、
異なる集団、異なる社会、異なる文化に属する人々同士でも、相手を自分たちと区別せずに対等な人間と認めることのできる能力を持つことが前提
であるが、構造主義は、人類学や言語学の方法を用いて、この能力を最大限に拡げようとしたものである(らしい)。
西欧を中心としてものをみるのをやめ、近代ヨーロッパ文明を人類文化全体の拡がりの中に謙虚に位置づけなおそう、という試みである(らしい)。
自己中心的な視点から、それぞれの立場を尊重した視点に立つことへ、視点を固定しないということかな?

何だか、とても魅力的で、すごく共感します。
(現代はすでにポスト構造主義、つまり構造主義なんてもう古いよ、などと構造主義を批判する人が出てきている時代らしいですが、構造主義的なものの見方考え方が知らない間に、実は色々なメディアによって広まり多くの人はこういう見方をしているらしい。 社会構造というときの構造とはちょっと違ってものの見方。でもこういう深い見方考え方はこれからも必要だと思います)

具体的には、

ブラジルの「未開」といわれる土地に行ったけど、「未開人」というのは西欧の文明社会の中にいる人の勝手な見方であり、物質面では簡素でやり方はちょっと違うかも知れないが、理性的な思考を人たちであり、構造的にはかわらない。オーストラリアの「未開」での婚姻には「文明人」が2000年かけてやっと発見した数学的な理論(構造)が使われていた。

つまり、高度な文明をもつ社会は未開の社会よりも進んでいるんだ、というのは間違いだと。それぞれの構造は同じである。『西欧近代の知も「未開」社会の知も同型(同じ)である』と証明されている!とか

(数学的構造と言語的構造について詳しく、幾何学、代数や遠近法からの流れとか、親族の婚姻関係とか、神話の構造的分析の仕方とかで説明しているけど、ちょっとめんどくさいので省略。)


歴史主義も否定してます。つまり、社会はだんだん進歩していく、だから単純に昔より今の方がいいんだ、昔より今の方が進んでいるというのは間違いだということ。構造的には今は今、昔は昔、それぞれ(または同じ)でどっちがよい悪いじゃない。(みたいな?)

神話(聖書も一種の神話)を読む時、神からのメッセージと見るのではなく、その奥にある「構造」(色々な神話を細切れにして、それがどう「変換」されているかを見つけるなかで、なにか変わらない秩序のようなものが見えてくる。これが構造)が重要である。テキストは読む人によってどうにでも読めるもの。なので「テキスト」よりも「読むという態度」が重要である。(言語や数学の中にもこういう構造は見つけることができます、というか数学は構造を見つけることが大事。)とか、


構造主義は「真理」(数学、科学などの理性的真理と、神話や聖書など啓示的真理)は実体として存在しないと考えます。時代や文化によって別のものになる。
「真理」は制度の産物であり、唯一の真理などないと言います。けれど「構造」はある。

唯一の真理がないとは、「正義」「正しい」も「絶対」「完全完璧」もない、ということですね。見方や立場によって違う。そして人も物も変わっていく。変わるということだけは不変の真理(構造ともいえる?)。
(お釈迦様が昔から「無常」「無我」と言ってますが、そのことを言ってるようにも思えます)

あと、社会は人間が集まっただけではできない。コミュニケーション(女性、言語、物が交換、交流されることで価値が生まれる)があって初めて社会になる。「社会とはコミュニケーション」というのは当たり前のようだけど、なるほどな~と思いました。


ま、とにかく、何か問題がある時、
表面だけを見るのではなくその中に隠された何か「構造」的なものがあるのではないか?
表面的な何かにとらわれて客観的(構造的)な見方が出来てないのではないか?
何が自分たちを縛っているのか?問題の根っこは?視点を変えてみたらどうかな?
などと考えるようにもしたいと思います。

勉強したな~~。(でも、これで合ってるのかな??しかも、よけい分かりにくい??)

星4つ 

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