まるちゃんの めざせ!快適シンプルLife

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      まるちゃんの徒然日記
    
 

「無力」 五木寛之

2013年05月28日 | 読書

畑(自称、自然菜園)の草がいい具合に育ってきたと思ってたら、
「こんなに草を生やして・・・」と、母に抜かれて(せめて刈るくらいにしてほしかった)
ちょっとがっかりのまるです。

世の中、そう思い通りにはなりませぬ。
(親切のつもりだったのでしょうが、一言尋ねてくれれば・・)
まあ、また生えてくるでしょう。

昨日、梅雨入りしました。例年よりちょっと早い。
ほうれん草は小さいけど収穫して、人参にとりかかった方がいいかな?

無力 MURIKI (新潮新書)

【ついに「力」と決別する時がきた。自力か他力か、人間か自然か、心か体か、生か死か―あらゆる価値観が揺らぎ、下降してゆくこの国で、私たちはどういう姿勢でこれからを生きていけばいいのか。絶対他力を説いた親鸞、楕円の思想を唱えた花田清輝、流民にたどる文化の源流、今日一日を生きる養生の実技、変容する死のかたち…。深化し続ける人間観の最終到達地を示す全十一章。】

 「ああ、私はなんて無力(むりょく)なんだ・・・」の無力ではなくて、「むりきMURIKI」。

「力まない」ということかな?

>黒か白か、有罪か無罪か、健康な人か病者か、迷信か科学か。そういう二分法の考え方から、まず身をひいて離れたほうがいいという気がします。・・・単純に二つに分けてしまわない。
・・・本来、人間は時に右へ、時には左へと揺れ動いていくものなのに、その認識を欠いたまま、どちらかに落ち着きたがっているような気がしてなりません。

>人生はつねに無常で何が起こるかわからない。そのような考え方を虚無的だと思う人がいるかもしれません。しかし、「明日のことはわからない」ということをわかっている人は、「明日のことなどわかっている」という人より、五割ぐらいはマシだと思います。
明日のことさえ、誰にもわからない。その覚悟を持つことが大事なのではないか。
わからないから自堕落に生きようというのでなく、わからないと覚悟しながら、精一杯生きていく。その時その時の判断で、黒白を簡単に片方に決めてしまわないこと。
これは、優柔不断の生き方のすすめです。あるいはそうやってブレながら動いていくこと。いわば動的人生のすすめ、というものかもしれません。

  「私はブレません!」っていう政治家はこわい。全知全能の神?じゃないんだから・・・
  人間ならブレて当たり前。(ブレと嘘とはまったく違います)

>この国では、大きな天災がかなり短い期間でやって来ています。
・・・日本人は、永久とか永遠という長時間のスパンでものを考えにくい世界に生きている。
・・・この狭い列島の中で右往左往しながら、とりあえず生きてきた・・・。ある意味で、プレハブっぽい生き方をひとつの適応文化として育ててきた国民なのです。

   昔は、プレハブっぽい生き方をする人たち、(流民)も認められ、生きることができた。多様な生き方ができた。でも、西洋化するなかで、日本はどんどん生きにくい国になってきたわけだね。

>明治に入って、近代的な国民国家をつくるために、流民のような無籍の人間は置いておけなくなります。国民の三大義務、つまり徴兵、納税、義務教育を強制するためには全員が戸籍に入らなければできないからです。
・・・このところ国民総背番号制が議論されていますが、近代国家はそういう曖昧な存在、流動する無籍の存在をどんどん否定してきているのです。

   なんだか、日本は自由だといいながら、反対にがんじがらめになっているような・・・。どんな人も、もっと自由に生きられるといいんだけど。がんじがらめになってしまった人が、自由になりたくて色々な事をしでかしてしまってるのでは?

>才能ある人が必ずその才能を発揮できるなら、人生は楽なものです。けれども、運も不運もかならずあるし、不条理に左右されるのが人生です。
>単なるラッキーはありえない
・・・運と努力のそのあいだをチョロチョロしているのが人間。
・・・「明日死ぬとわかっていても」するのが養生。
長生きしたいから養生するのではなく、今日一日を生きるのが養生。
・・・力まないで、たのしんで養生すればいいのです。

    「力まないで、楽しんで」・・・その通りです!これ大事!!

>片方を否定して一つにしてしまうのではなくて、二つの中心を持つ楕円のなかで、自分たちの生きる道を選択していくということです。
これからの時代、二者択一という生き方は難しいだろうと私は思います。
・・・この世では、人間をふくむありとあらゆるものが動いている。人間の思考も、絶えず動いている。
迷う状態のなかでふわふわと移行しているが、ダイナミックに動きつづける。それが人間の真実でしょう。


五木さんは浄土真宗(親鸞)に詳しい人なので、日本仏教的な説明はややわかりにくかったけど、基本的に仏教の考え方はとても共感する。

『他力という思想を中心にすえたのが浄土真宗であり、親鸞は絶対他力の境地に達した大先輩である。それはそれとして・・・本来ブッダは、無力(むりき)というところに立っていたのではないか、という気がします。

・・・無力(むりき)というのは、無力(むりょく)の状態を認識して、揺れ続ける動的な生き方を肯定し、そのなかで何かを目指そうとする。前向きで、自在な姿勢です』

私もそう思います。
つまり、全ては無常。だから無我。絶対的な変わらないものは無い。みんな不完全であるから、よりよいものを目指すことができる。力むことはない。楽しんで、とりあえず色々やってみればいい。今を精一杯生きていればそれでいい。人のせいにしたり、自分を責めたりすることはない。他力でも自力でもない。・・・とお釈迦様は言っていると思います。
 とらわれない心 優柔不断 適当 臨機応変 とりあえず ・・・これでいいのだ

 

勉強になりました。

星4つ 

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