【最高の悟りを得たブッダは、一切の生命への「慈しみ」を繰り返し説かれました。この本は、そんなブッダの教えの精髄と呼べるパーリ語の経典『慈経(Metta Sutta)』を、スマナサーラ長老が詳細な解説とともに紹介する画期的な仏教入門書。2500年語り継がれてきた教え、「全ての生命は幸福であって欲しい」という願いがこの経典に溢れています。】
お釈迦様の教えはいいですね。「慈経」を紹介してます。
[解脱という]目的をよくわきまえた人が、
静かな場所に行ってなすべきことがあります。
何事にもすぐれ、しっかりして、まっすぐでしなやかで、
人の言葉をよく聞き、柔和で、高慢でない人になるように。
足ることを知り、手が掛からず、
雑務少なく、簡素に暮らし、
諸々の感覚器官が落ち着いていて、賢明で、
裏表がなく、在家に執着しないように。
[智慧ある]識者達が批判するような、
どんな小さな過ちも犯さないように。
幸福で平安でありますように。
生きとし生けるものが幸せでありますように。
いかなる生命であろうともことごとく、
動き回っているものでも、動き回らないものでも、
長いものでも、大きなものでも、
中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、巨大なものでも、
見たことがあるものもないものも、
遠くに住むものでも、近くに住むものでも、
既に生まれているものも、[卵など、これから]生まれようとしているものも、
生きとし生けるものが幸せでありますように。
どんな場合でも、ひとを欺いたり、
軽んじたりしてはいけません。
怒鳴ったり、腹を立てたり、
お互いにひとの苦しみを望んではいけません。
あたかも母が、たった一人の我が子を、
命がけで守るように、
そのように全ての生命に対しても、
無量の[慈しみの]心を育ててください。
慈しみの心を一切世間(すべての生命)に対して、
限りなく育ててください。
上に、下に、横(周り)に[棲むいかなる生命に対して]も、わだかまりのない、怨みのない、敵意のない心を育ててください。
立っている時も、歩いている時も、
坐っている時も、あるいは横になっていても眠っていない限り、この[慈悲の]念をしっかり保っていてください。
これが梵天(崇高なもの)の生き方であると言われています。
[このように実戦する人は]邪見を乗り越え、
常に戒を保ち、正見を得て、
諸々の欲望に対する執着をなくし、
もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません。
この真理の言葉の力によって、我らは三宝に守られますように。
この真理の言葉の力によって、我らは幸福でありますように。
この真理の言葉の力によって、我らは常に安穏でありますように。
こんな人、心になれたらいいなあ~ はい、努力します。
素晴らしい本ですね!
最近は世の中いろんな宗教がありますが、仏教の教えが一番ぴったりくるように思えます。
>もう二度と母体に宿る(輪廻を繰り返す)ことはありません。
ここはちょっとよくわからなかったですが、「全ての生命は幸福であって欲しい」という願いは、理解できます。
昨晩2センチぐらいのごきぶりを見つけ、殺虫剤をかけました。ごきぶりが苦しそうに足をばたばたさせていました。
どうも私には無理のようです。(苦笑)
輪廻というのは、この世にもう一度生まれて(人間とは限りません、煩悩が多いと…)で修行をし直すということだそうです。
この世は苦しい(のが当たり前)ですから、この世に生まれ変わらず、生老病死など苦しみのない所(それが極楽?)に達するのが解脱だそうです。煩悩を抱えた人は修行を続けなければいけないといことです。
この世でなるべく心をきれいにしておくことが、あの世(輪廻)に向かうためには必要ですよ、ということだそうです。
すごい教えですね~!
ちなみに、私はゴキくんがいても「早くどこかに行ってちょうだい」って、見なかったことにします。ティッシュごしにでもさわれる虫などは、外に逃がしてあげます。
攻撃的な生き物からは、私が逃げます・・・
いけないといこと→いけないということ
あの世(輪廻)→あの世(極楽)
追記
生きているものを殺さない、ということは殺さなくてもできることがあるのだから、もっと智慧を働かせましょうということになると思います。(人が本能のまま生きていたら、この世は地獄になりますからね。ま、程度の問題もありますが…)