何事も「鵜呑みにしてはいけません」「ちゃんと自分で確かめなさい」「確かめもせず簡単に信じてはいけません」とお釈迦様は言われます。
何でも「自分で判断すること」
判断能力を高めることが大切です。そのためには、煩悩(貪瞋痴の感情)に操られないようにすること。理性(智慧)を育てること。
『言葉の偉大なる力 幸せになる言葉の使い方とは?』(アルボムッレ・スマナサーラ著)を再読しました。気になったところを少し記録しておきます。(感想かな)
「ひとは自然と役に立つ言葉に拒絶反応を起こしてしまう」ようになっている。
(そうだなあ。そういうもんだなあ、と感じます、、、)
善い言葉、役に立つ言葉、理性的な言葉を「ケモノの心(獣脳、原始脳)」が排除して追い出してしまうのです(「良薬は口に苦し」かな)。獣の脳は貪瞋痴の「感情」を司る。そして理性の脳である大脳を支配コントロールしようとします。
ひとは「感情」を大事にします。つまり「貪瞋痴」が好きなんです。「貪瞋痴」を応援する言葉は心地よく聞こえ、「貪瞋痴」を否定する言葉に対しては自然に拒否反応が起きるようになっているんです。(甘い誘惑、詐欺、ナショナリズムなど排他的になってしまうのも貪瞋痴)
だから、獣の脳に支配されないように理性、大脳を開発しなければいけない。
「洗脳」は信じ込ませてしまう。判断能力が壊れて自分で判断ができなくなる。言いなりだけど自覚できない。
「マインドコントロール」は心が外の何かによってコントロールされること。コマーシャルなどもそう。自分で判断するけど、悪人にうまく誘導されて間違った判断をしてしまうことが多い。
洗脳もマインドコントロールも「貪瞋痴」に訴えます。人の「恐れ(怒り)」や「欲」「無知」を利用するのです。
洗脳は判断能力を壊すので大罪ですが、マインドコントロールは役に立つこともあります。しつけでごほうびを与える場合などがそうです。罰を与えたり、物で釣ることもあるでしょうが、それより「嘘をつくのは頭が悪い証拠です」などと言えば「善いマインドコントロール」になるでしょう。
学校は判断能力(理性)を育てるところです。データの取り方を学び、自分で判断できる。そのためには、わけの分からない(誰かの利益のための)”道徳”や”校則(ルール)”を押し付けるのではなく、知識を増やしデータを元に自由に話し合い、自分たちで判断する時間(ゆとり)や環境を大人は整えてあげなくてはいけないと思います。
相手の「貪瞋痴」を利用して、大人の都合を押し付けて(←悪いマインドコントロール)はいけないと思います。子供たちの判断能力(理性)を育てなければいけない。色々な場面で判断する機会を与えなければ育ちません。学校が洗脳の機関にならないように、まずは教師や親、大人たち自身が洗脳されない判断能力(理性)を育てることが大事だろうと思います。 理性を育てる善いマインドコントロールは必要でしょう。
ちなみに、「慈悲喜捨の心」は(貪瞋痴の)感情ではなく、努力して理性的に育てる心です。
今回のブラックアウトでいろんなデマが飛び交いました。
災害の時は冷静さを欠いていますから気を付けないと・・・^^
したっけ。
やはり鵜呑みにしないよう、気をつけたいですね。
判断できない時は、判断しないで保留ですね。^^