日本社会は基本的に集団原理の強い社会です。同調圧力も強い。空気を読んで忖度する。
個人よりも立場や役割を重んじる。
西欧文明が入ってきて、富国強兵期には日本人のこういう性質はうまく働いた。戦後の復興(高度経済成長期)にも。
なぜなら、当時は機械化が進み(大きな機械)、労働者を機械の一部のように(機械に合わせて)働かせることによって生産性を上げていたから。上に逆らわず、黙って自分の仕事(持ち場)を”責任をもって果たす”日本人の気質は富国強兵にはぴったりだった。
(ちなみに、中国は個人主義の国民性。しかも国土は広く人口も多い。西欧文明化はうまくいかなかった。)
西欧の「選択の自由」による「責任」という感覚ではなく、「立場」を守り「役目」を果たすという「責任」観の日本人。
”無私”の精神でがむしゃらに働く日本人。従業員として会社のため、父、家長として家族のため。一昔前までならそれでよかったのかもしれない。富国強兵の波に乗った。
しかし、機械に人間を合わせる時代は終わった。
コンピュータが発明され小型化され、人間が機械(コンピュータなどの道具)を使う時代になった。人間が機械に合わせるのではなく、機械が人間に合わせる時代。”今までの働き方”では立ち行かなくなっている。しかし
人間は過去の成功体験にしがみつきたがる。
自分のあり方(立場主義)を変えようとしない。
時代の変化に適応できない「適応障害」の状態が現在の日本社会なんじゃないか。
というのが、安冨さんの見方だと思います。なるほど、です。
実際すべてのものは無私、無我なのですが、それは「無常」ということです。
無私、無我の本当の意味は、他者の言いなりになるとか自己犠牲とかいうことではないのです。
自分の生きる道があるんだけど、そこを歩くのは「自分」という名の”変わらないもの”ではないし、過去の自分にしがみつくことなどできない。(そんなものは存在しないのだから)
自分を含めてすべては常に「変化生滅し続けているんだ」ということで、そういう意味で「無私」「無我」なのです。しがみつくべき変わらぬ「私」「我」はない。あるのは今の瞬間の「ワタシ」だけ。
時代の変化を無視して過去の成功体験にしがみついたり、自己を変えていこうとしない人々の態度が、今あるあらゆる問題の原因であり、明るい未来を切り開くことを阻害しているのだと思います。
まさに、適応障害による機能不全ですね。
ありのままの現実を直視し受け入れた上で、学習し自己の態度を変えていく。
現実に適応していく。(繰り返しますが、他者の言いなりではありません。)
現実をしっかりと直視するためにも、
嘘、誤魔化し(自分に都合のいい言い換え)、隠ぺい(見ないことにする)をしないということが、非常に大事なのだと思います。
そのうえで、自分の感覚、感性を磨く。自分の心の声に耳を傾ける。
がしかし、
>「立場」を捨てて「選択」に付けといわれても、無理な相談です。できるのは「選択」のフリをして「立場」に固執することだけ。、、、、もはやそのゴマカシは賞味期限が切れています。
と安冨さんは言われます。私たちは日本人ですからね。そもそも「選択の自由」というものも幻想。では、どうすればいいのか?
>自らの内にある要素を見つめ直し、組み換えて、新たな要素と接続しつつ、現実に対応すること。
>日本の文化と歴史の鉱脈から、新たな時代に対応しうる資源を発掘し、再生すること
それは、日本の「里山」だそうです。なぜか、、、
長くなるので止めます。「はじめに」を読むだけで、濃いです。1冊全部読むと無茶苦茶内容が濃い。
じっくりと繰り返し読みたい本です。
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