まるちゃんの めざせ!快適シンプルLife

本当の幸せを見つけて・・・
  第2の人生を歩き出した
      まるちゃんの徒然日記
    
 

『幻影からの脱出 原発危機と東大話法を超えて』(安冨歩著)の「はじめに」を読んで

2019年12月08日 | 読書

日本社会は基本的に集団原理の強い社会です。同調圧力も強い。空気を読んで忖度する。

個人よりも立場や役割を重んじる。

西欧文明が入ってきて、富国強兵期には日本人のこういう性質はうまく働いた。戦後の復興(高度経済成長期)にも。

なぜなら、当時は機械化が進み(大きな機械)、労働者を機械の一部のように(機械に合わせて)働かせることによって生産性を上げていたから。上に逆らわず、黙って自分の仕事(持ち場)を”責任をもって果たす”日本人の気質は富国強兵にはぴったりだった。

(ちなみに、中国は個人主義の国民性。しかも国土は広く人口も多い。西欧文明化はうまくいかなかった。)

西欧の「選択の自由」による「責任」という感覚ではなく、「立場」を守り「役目」を果たすという「責任」観の日本人。

”無私”の精神でがむしゃらに働く日本人。従業員として会社のため、父、家長として家族のため。一昔前までならそれでよかったのかもしれない。富国強兵の波に乗った。

しかし、機械に人間を合わせる時代は終わった。
コンピュータが発明され小型化され、人間が機械(コンピュータなどの道具)を使う時代になった。人間が機械に合わせるのではなく、機械が人間に合わせる時代。”今までの働き方”では立ち行かなくなっている。しかし

人間は過去の成功体験にしがみつきたがる。

自分のあり方(立場主義)を変えようとしない。

時代の変化に適応できない「適応障害」の状態が現在の日本社会なんじゃないか。

 

というのが、安冨さんの見方だと思います。なるほど、です。

実際すべてのものは無私、無我なのですが、それは「無常」ということです。
無私、無我の本当の意味は、他者の言いなりになるとか自己犠牲とかいうことではないのです。
自分の生きる道があるんだけど、そこを歩くのは「自分」という名の”変わらないもの”ではないし過去の自分にしがみつくことなどできない。(そんなものは存在しないのだから)

自分を含めてすべては常に「変化生滅し続けているんだ」ということで、そういう意味で「無私」「無我」なのです。しがみつくべき変わらぬ「私」「我」はない。あるのは今の瞬間の「ワタシ」だけ。

時代の変化を無視して過去の成功体験にしがみついたり、自己を変えていこうとしない人々の態度が、今あるあらゆる問題の原因であり、明るい未来を切り開くことを阻害しているのだと思います。

まさに、適応障害による機能不全ですね。

ありのままの現実を直視し受け入れた上で、学習し自己の態度を変えていく。
現実に適応していく。(繰り返しますが、他者の言いなりではありません。)

現実をしっかりと直視するためにも、

嘘、誤魔化し(自分に都合のいい言い換え)、隠ぺい(見ないことにする)をしないということが、非常に大事なのだと思います。

 

そのうえで、自分の感覚、感性を磨く。自分の心の声に耳を傾ける。


がしかし、 

>「立場」を捨てて「選択」に付けといわれても、無理な相談です。できるのは「選択」のフリをして「立場」に固執することだけ。、、、、もはやそのゴマカシは賞味期限が切れています。

と安冨さんは言われます。私たちは日本人ですからね。そもそも「選択の自由」というものも幻想。では、どうすればいいのか?

 

>自らの内にある要素を見つめ直し、組み換えて、新たな要素と接続しつつ、現実に対応すること。

>日本の文化と歴史の鉱脈から、新たな時代に対応しうる資源を発掘し、再生すること

 

それは、日本の「里山」だそうです。なぜか、、、

 

長くなるので止めます。「はじめに」を読むだけで、濃いです。1冊全部読むと無茶苦茶内容が濃い。
じっくりと繰り返し読みたい本です。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 魂の言葉は心を打つ | トップ | カテゴライズ=偏見差別 個... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

読書」カテゴリの最新記事