時として

2009-06-30 | Weblog
小学校低学年の頃に読めない漢字が多くて断念したという記憶の書物を最近読んでみて、当然スラスススと読めるんだけど、まぁ面白いわけよ。

大人になってみて初めてわかる

ってなのよく聞くじゃない。
色々適応できるけど、本は代表的なそれやん。

それって漢字読めるか読めないかとか語彙の豊富さの問題なんかな。
もしそうならたしかに大人になってから面白さを分かる確率は高い。


でもそうじゃないなにかを指してるなら、分かることを偉そうに言うなボケカスということになるよな。
だってそれって、子供のころ僕ちゃん的にお寿司のお供はオレンジジュースだったけど、いまでは熱いお茶ってことでしょ。

寿司のお供が茶って偉い?
「偉い」か?
偉くないでしょう。


もっと単純に言うと、昔はトマト嫌いだったけど今は好きになったってのと同じでしょ。

トマト好きなの偉いか?


漢字読める、語彙知ってるのが偉いかというと、そのもの偉いとは思わないけど違和感はそう無い。テストで点取れることだし。テストで点を取ることは偉いに繋がることがある(というか多々ある)し、トマト好きより「偉い」の定義に近いわけ。
だからといってその要素で本が面白く感じられても「偉い」とは言わないけど。



そんなんで、まぁいいのよ、昔より漢字読めて面白いと思うのは納得やろ。この場合、漢字読めて面白くなくなったほうが興味深い。


問題は漢字読める語彙分かるで、面白くなかった書物ね。


人間失格、伊豆の踊り子、舞姫、堕落論、ティファニーで朝食を、etc

その辺がつまらんかったのよ昔に読んで。
昔っつってもこれ等は5~10年前やろうけど。
いや、いいのよ、つまらなくても。
全部の書物が俺好みなわけないって知ってるから。
でもそこにきて、「つまらんかった」と意思表明したときの「子供には分からんよ」という返し。


う~ん

う~ん

うんこ



問題点

漢字読めてた(語彙知識問題なし)の記憶があやしい。
読めていなかったということ自体を忘却ってたりで。


つまらんと覚えてるくらいだからそれほどつまらんくなかったりして。
だってどうでもいいやつって覚えてないでしょ、人間と同じで。


大人になって読んだらたしかに面白かったりして。
僕ちゃん「最初はマズかったけど飲んでるうちにうまくなった」というビール理論を真っ向から否定する人だから、つまらなかった本を再読する概念ないのよ。
「最初まずい」でなんで「飲んでるうちに」に繋がるんだよ。理解不能。しかもそれ単なる麻痺でしょ。
麻痺はべつにいいんだけど、価値あるから。
だから大人になったら分かるというのが本当に絶対的存在するのかも。


そんなとこやなぁ。


とある本を大人になって面白いと思う感性になったとしたら、その本を面白くないと思った感性がなくなったということも知らないといけんよな。

バランス感覚。


実際のとこ漢字と語彙の他に行間が読めるようになったってのはあると思う、実感として。
それくらいか、昔と今で違うとこは。自分的に。

自分的にやからそれが誰にも当てはまらなくてもおかしくないわけで、誰かに当てはまったほうがレアよ。
だって人間だもの。
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