「なんか痩せた?」と言われたことありますか?
私はあります。
そのときにたしかに痩せた、なんなら痩せようとして痩せていたなら
「え?そうかな」
と慈愛に満ちた表情と声で返事をしながら心の中では
『さすが俺!努力の男!努力すれば結果が出ることなんて世の中では"簡単なこと"と呼ばれていますがね!』
って曰うかもしれません。心の中でね。
しかし痩せている自覚なんてなく、飽食の時代にぬくぬく生きてますからなんならふくよかになっている気がしていたら
「え?そうかな」
と慈愛に満ちた表情と声で返事をしながら心の中では
『知ったような口きいてんじゃないよこのタコ助!いるよなお前みたいに他人様のことを勝手に決め付けてしまいには"深層心理では"とか言い出すやつ!』
って曰うかもしれません。心の中でね。
とまぁ、心の中でどう曰ったかはさておき、後者のようなことがありましたから
久しぶりに体重計にライドオンしてみたら
痩せていました。
ふむ
なるほど
私はことあるごとにこのテーゼを思い出します
"自分の顔を直接見た人間は一人もいない"
他人様の方が自分様のことを分かることもあるんだぞと。
現代は鏡、写真、ここんとこは動画も増えましたけどしかし所詮その程度ですからね
目がびよ〜んと自分を俯瞰できるほど飛び出す新人類はたぶんまだいません
あ、幽体離脱して寝てる自分を見たことあるって人はとりあえずアレなので、アレです
いらない赤子を自由に実験に使える国や時代があったとして(きゃー!)
最初から檻に閉じ込めてさ、反射する素材は近くに置かず、ずっとそこで暮らしていただいて
ある日
「昨日寝ているときに自分を俯瞰する夢を見ました。私は〇〇な容姿をしていますか?」
「全然違いますね。ただの夢です。はい、朝食を召し上がれ」
というやりとりがいつかどこかで(すでに?)行われたときに一考する事象です。
そういうレヴェルの話をしているわけですからアレです。
時間は途切れず流れているはずですが、言葉の区切りだけで"あり得ない価値観で生きている、なんならそんなもの実際にはなくお話の中だけの存在"みたいに思うことってあるじゃないですか?
私は"戦前"と"江戸時代"がそうです
まぁ、"自分が生まれてない時代全部"にニアリーイコールなのかもですが
「昭和」って聞くだけで思い出の人と歴史上の時代の人がいるわけです
とりあえず、鏡がなかった時代の"自分"の捉え方ってのは今と全然変わっていたと思います
意外と変わっていなくてもそれはそれで面白いわけで。
(いや、江戸時代にも鏡あったろうけどね)
似顔絵を描く人はおそらく相当前からいたでしょうから(たぶんそれは"社会"が成立したと同じくらい)、人間が自分の顔を知ってからは一万年くらい?もっと?
土(砂)と指(木の枝)があればいいわけですから
そうそう泉に映る自分ってのはどんだけクリアなんでしょうか
泉はずっと前からあるだろうから絵より前はそれってこともいえますが、私は大した時期のズレはないようにも思います。
似顔絵は自分用というか伝達用でしょうから、自分の顔を見る必要(欲望)はたぶんそのあたりの社会的欲求時代と発生時期は変わらないんじゃないかなって。
う〜ん
でもこの世で一番最初に己の姿を映したのは相手の瞳かもしれない
「凄く美しい。あなたの瞳に住んでいる方は何者ですか?」
おっぱい