フィクション

2023-10-25 | Weblog
相変わらず映像に関しては何を観たら私の体が喜ぶかをあまり分かっていない私
(Vシネとスケベ映像は別として)


だがしかし、なぜかテーゼがあったのです


my脳みそに


それは


"佐藤浩市が出てれば大丈夫"


というもの。


いつからかも分かりませんし、他にそんな人はいません。
(Vシネとスケベ映像は別として)


「自分のこと分からない、カッコいい」というのはピアノマンか俺かというは世界の常識ではありますが、しかしそれでも「"なぜか"は言い過ぎでしょう?」と指摘したくなる気持ちは分かります

私は他人様の胸の内を理解しようとする優しい人ですし他人様の胸の表面を触ろうとする優しい人でもあります

その優しさはお医者様か教祖様と肩を並べるんじゃないかと思われてしまうくらいだと察しますが、しかし私はどちらかというと高身長ですので肩を並べない確率の方が高くなることは書き添えておきましょうと思い、実行するくらいの優しさすら持ってます(惚れてまう)。


"なぜか"の理由としては、私はサトコー様が出ていてなおかつナイスですね!と思った映像作品を一つも挙げられないからです。


もちろん出会ったこともなければインタビューを読んだこともありませんし今この世にいるかすら知らないような距離、つまり見た映像でしか判断する機会はないのですが、肝心要のナイス映像の記憶はないわけです。

もちろん"いい演技"や"すごい演技"はしているのでしょうし、鑑賞中に違和感なんて持ったことはないですが、私は教養的に「いい演技してる」って思えないレヴェルであります。絵画を見るのと同じですね。


だからそこの思い入れはないはずなのに…



これがNAZEKA?の正体です。



で、アマゾンプライムで2つほど映像を観まして

物語の内容はもうすでにぼんやりの向こう側なのですが(爆弾と出版社の話でした)



"佐藤浩市が出てれば大丈夫"


というテーゼがまだmy脳にありつづけているということをもって、"すごい演技"をしているとしていいのかもしれません私的に


そんなもの個人の自由なので、かもしれませんもへったくれもないのですけれども。


この感覚は生まれながら環境的にあるそれなりに積極的な宗教ってのと構造は似ているかもってふと思いました

悪くない心持ちですし、これは意識して作れる(自分により自分へ)とも思いました。


思うって本当に自由ですね


自由なおっぱい



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