JET LAG

マルタに留学中のayaのサイトです。

10月31日(ハロウィン)

2004-10-31 17:15:22 | ブログ
今日はハロウィンだったはず。にもかかわらずものすごく地味に過ごしてしまった。昼前に起きて洗濯して宿題して一日中部屋にいた。夕食にパスタを一人で食べているときに遠くでパンパンと花火の音が聞こえて気がついた、今日はハロウィンだったと。金曜日に先生たちが仮装して授業していたのを思い出す。後悔の日。

10月30日(ロシアンバースデー)

2004-10-30 08:00:56 | ブログ
2004年10月30日(土)ロシアンバースデー

今日はカーチャの20歳のバースデー。カーチャとは私がエジプトから戻ってきた日に初めて会ったロシア人のルームメイト。そのカーチャが今日バースデーということで5号室のルームメイト4人みんなでレストランに行った。カーチャ以外は19歳のスエーデン人2人と私の4人。英語レベルはスエーデン人はぺらぺら、カーチャは単語のみ、私は片言。
みんな好きなものを注文して好きなだけ飲んで、いざ支払いのときになるとカーチャがすべて払うというから私たち3人は大慌て。今日はバースデーだからカーチャは払わなくていいよと言ってみたけどこれがロシアのルールだからと言って聞いてくれない。ロシアでは誕生日の人がすべて払うのが決まりらしい。結局ご馳走になってしまった。
その後、クラブへ繰り出すとガードマンに私だけ未成年扱いされて入れてもらえなかった。私がいちばん年上なのに、19歳の二人に「ayaは成人している」と説明してもらってようやく入場。ヨーロッパ人は大人っぽい。

10月29日(マルタ大学)

2004-10-29 17:10:07 | ブログ
マルタ大学はマルタで唯一の大学。なかなかの名門で入学は難しく、大学に進学したいマルタの高校生はイタリアやイギリスの大学を選ぶことも多いらしい。マルタ大学の学生であるクリスの話によると学費は無料という。
ここにはNstsのオフィスがあり国際学生証の手続きもここでやってくれる。今日は航空券の料金を聞きにきた。

エジプト追記③ayaのこと

2004-10-29 07:39:23 | エジプト
私が名前を言うとエジプト人は必ず驚きます。
その理由はエジプトでもAyaはポピュラーな名前らしく邦人の顔した私がアラビックな名前を持っているからです。名前を聞かれるたびに日本でもAyaという名前は多いという説明をしました。日本人とエジプト人はずいぶん違うけど意外なとこに共通点があるものです。

エジプト追記②お金

2004-10-28 08:06:11 | エジプト
エジプトの通貨はエジプトポンド。
でも米ドルが使えてむしろこっちのほうが価値がある。タクシーの運転手さんはドルで払ってほしいと言います。もちろんエジプトポンドでも受け取ってくれます。
エジプトポンドは外貨に換えることができないので両替しすぎると後で困ります。旅行するときは少しずつこまめに両替したほうがいいと思いました。
1ポンド=約17円で25ピスアトル(約4円)もお札なのでコインを使うことはありませんでした。エジプトのお札はぼろぼろですごく臭かった。財布に入れるのをためらうほどです。
ほとんど見なかったけどコインも一応あってこれには算用数字が書かれていません。すべてアラビック数字です。時計やバスナンバーもアラビック数字で表記されているので覚えていくと便利です。

10月28日(国際学生証)

2004-10-28 07:41:20 | マルタで生活
2004年10月28日(木) 国際学生証

国際学生証を取った。マルタ大学の学生扱いになるので世界中の100以上の国で学割をうけられる。マルタを例にとると本屋さん、美容院、観光施設、航空券、マクドナルドなど。手数料として3ポンドかかるが今後役に立つはず。

10月27日(スエーデン料理)

2004-10-27 07:58:04 | ブログ
この前の日本食のお返しにソフィアたちがスエーデン料理をつくってくれた。スエーデンの主食はジャガイモらしく、今日準備してくれたのも茹でたジャガイモとサーモン、トマトをお皿の上でまぜて白いソースをかけて食べる料理。スエーデンの食卓によく出るものらしい。(今日はあの大きいシカみたいなのはなかった。)それにしてもスエーデン人は英語が上手、習う必要ないくらい。

10月25日(学校さぼり)

2004-10-25 07:35:01 | ブログ
朝6時ごろマルタのルア空港に帰ってきた。バスでサンジュリアンの寮に着いたのは7時ごろで新しいロシア人のルームメイトが来ていた。かるく挨拶をかわして学校がはじまる9時まで少し寝ることにした。で、起きたのはお昼の2時過ぎ。学校サボってしまった。

10月24日(カイロ)

2004-10-24 07:28:57 | エジプト
今日はホテルチェックアウトの日。深夜2時発の飛行機で今晩は寝れそうにないので12時のチェックアウトまでホテルでゆっくり過ごす。チェックアウト後最初に向かったのは動物園。入場料25ピアストル(約4円)払って入場。しかし入ってすぐにここでも痴漢にあったので即行で退場。その上、チェックアウト後のため荷物をすべて背中に背負い、広い園内を歩いて回るのはとてもきつい。この荷物だいぶ重かったようでリュックの一部破けてしまった。
その後バザールへ行ったりしていると日が暮れてきた。モスクの向こうに沈む夕日が美しかった。お腹もへってきたので考古学博物館の近くでレストランをさがすことにした。小ぎれいなお店に決めて入店。チキンとビーフとエジプト名物の鳩を注文し、バターライスも追加した。どれも美味しくて完食。とてもいいレストランだったがウェイターがお祈り中は来てくれない。
レストランを出てジューススタンドでマンゴージュースを飲んだ後、空港に行くためにメトロに乗車。女性専用車両を発見したのでそこに乗車。スカーフかぶった女の人たちばっかり。しばらく乗っていると隣のおばさんがアラビア語で話しかけてきたけどさっぱりわからない。見る見るうちにそのおばさんを中心に会議が始まり、英語が話せる女の子が登場。どうやら間違った線に乗っているらしい。それを伝えようとしてくれていた様子。次の駅で5人くらいに誘導されて下車。乗換えがわかるところまで連れて行ってくれた。エジプトのひとは本当に親切。
メトロで行けるとこまで行ってそこからタクシーで空港へ向かった。タクシーを降りてターミナルに向かう坂を上ってるとフユミがおなか痛いと言い出した。かなり切羽詰まっている様子。あのマンゴージュースが原因か?そういえばガイドブックにエジプトに来ればほとんどの人がお腹を下すと書いてあったっけ、特にジュースは下しやすいと。フユミが「これ以上歩かせないで~」(実際は歩いている)というので空港着いてそうそう、私は走ってトイレさがし。すぐに発見できたのでなんとか間に合ったよう。よかった。同じもの食べているのに平気な自分のお腹。
深夜2時過ぎに飛行機でマルタへ帰国。ラマダンなどのイスラム文化垣間見れ、親切なエジプトの人たちに出会えてエジプト最高。

10月23日(アレキサンドリア)

2004-10-23 08:00:59 | エジプト
今日はアレキサンドリアに行く。アレキサンドリアは地中海に臨む港町で、カイロから電車で2~3時間なので日帰りで行った。電車でもメトロ同様ものすごい視線を浴びた。電車に乗り込んで着席して発車待ち、その間も向かいのプラットホームの人たちはみんなこっちを見ている。発車するとみんな手を振ってくれた。
アレキサンドリアの駅前の広場では地元の少年たちからものすごい歓迎をうけた。歩いているだけでヒューヒュー言われて拍手されてWelcome to Alexandria!と何回も言われ、何人かからは握手を求められる始末。エジプトの人はフレンドリーな人が多い。ガイドブックにはお金をたかられると書いてあったため最初は警戒していたが、彼らはただ日本人に興味があるだけのように感じる。通りかかったパン屋さんは中を見学させてくれた上に焼きたてのクッキーを袋にいっぱい入れてくれた。お金は受け取ってくれなかったので有難くいただくことにした。
広場をぬけて海沿いまで出てみた。ここは少し歩いただけで、駅の反対側のスーク(市場)を歩くことにした。ここは生活観たっぷりのところで路面電車と車と人と露天でごちゃごちゃ。野菜、くだもの、肉(鳥とウサギは生きたまま)、魚、アシェーシ(平たいナンのようなもの)が露店で売られていたり、飲み物はビニル袋に入れて売られていたり。食べ物に囲まれているがラマダンのため飲食している人はいない。みんな日没後の食事の準備で忙しそうにしている。
その飲食解禁の瞬間に立ち会うことができた。市場をぬけると屋外食堂のようなところにでて、そこではターバンを巻いたおじさんたちがテーブルについてそのときがくるのを待っていた。そのうちの何人かがこっちに向かって手招きをしている。成り行きでそこでエジプトのおじさん達といっしょ食事することになった。メニューはご飯とアシェーシ、野菜とトマトの煮込み、ほうれん草のスープ、牛肉のケバブ。どれも山盛り。5時20分になりアラビア語で放送が入るとみんなもくもくと食べ始めたので私たちもいっしょに食べた。味よりもその雰囲気に呑まれて妙に感動した。その後誰からも食事代を請求されることはなかった。

10月22日(エジプト、カイロ)

2004-10-22 09:36:20 | エジプト
2004年10月22日(金) エジプト-カイロ

今日はカイロ観光をする。市内へ出るために地下鉄に乗車。日本人が地下鉄に乗るのが珍しいのか他の地元の乗客の視線が集まる。それにしてもドアが閉まるのが早い。乗ろうとしているのにお構いなく閉まる。1回目は失敗したけど2回目はちゃんと乗れたので考古学博物館へ行った。ここにはあのツタンカーメンの黄金のマスクがある。マスクは3500年ほども前のものなのに本当に金ぴかに光っていた。これを創った人もツタンカーメン自身も何千年後かに世界中の人がこれを見るためにエジプトにやってくるなんて考えもしなかっただろう。
その後、ドームが印象的なモハメドアリモスクに行ったあと、タクシーでハンハリーリというバザールへ向かった。エジプトのタクシーは先交渉制でエジプトポンドなのか米ドルなのか単位の確認が必要。また複数人で乗るときはみんなあわせての料金なのか1人頭の料金なのかも聞いておく。そうしないと払うときにもめる。運転は荒くて乗ってる間ははらはら、車線なんてものはなくどこからでも割り込んでくるし横断歩道ないから人がどんどん飛び出してくる。そのためクラクションの音が鳴りやまない。ある運転手さんはこれを「カイロミュージック」と言って笑っていた。
バザールは銀細工、ガラス細工、繊維製品などエジプトの製品の露店がたくさん並んでいてなんでもある。ガイドブックにはここには痴漢がいるから注意と書いてあり、本当にいた。犯人は中学生くらいの子供2人組み。実際に彼らには不快な思いをしたが、よく考えるとここはイスラムの国エジプト。腕を露出している自分たちにも原因があったかもしれない。
気がつけば空腹だが日中はラマダンでほとんどの飲食店が閉まっている。昨日は運転手のムハマドさんにラマダンの時期でも営業しているケバブ屋さんに連れて行ってもらったが、今日は夕暮れまで待たないといけないのか。路上で地図を広げて困っていると親切なおじさんが開店しているコシャリのお店に連れてってくれた。コシャリとはマカロニとスパゲティーとご飯と豆をまぜたものの上にトマトソースがかかっているエジプトのファストフード。これがとてもおいしい。お腹いっぱいになってホテルへ戻った。

10月21日(エジプト、ピラミッド)

2004-10-21 08:05:29 | エジプト
2004年10月21日(木) エジプト-ピラミッド

思いのほかよく寝れて9時にタクシーがきたので乗り込む。ドライバーは英語ぺらぺらのムハマドさん、5分ほどでクフ王のピラミッド到着。でかいとは聞いていたけどこんなにも大きいとは、想像よりはるかに大きい。1つ1つの石は自分の背ほどもある。それが積み重なって全体では140メートルにもなるらしい。のぼって転落死する人が後をたたないので今では登頂禁止。それにしても4500年間もここに建っているなんてなんとも不思議。クフ王のピラミッドは1日限定300人しか入場できないのでサードピラミッドへ行くことにした。そこまではラクダに乗って移動した。らくだは意外と背が高くてけっこう揺れる、その揺れが心地いい。揺られながら徐々に近づくピラミッドは貫録たっぷり。20分ほどで着いてピラミッドの中へ。中は蒸し暑い上にものすごく汗くさいので見学もそこそこに出てきてしまった。それからサッカラの階段ピラミッドとメンフィスのラムセス2世像を見学。両方とも歴史的価値のあるものだが、途中で通りがかった村の方が興味深かった。ゴムチューブないタイヤの自転車に乗っている人がいたり、屋外で営業中のお肉屋さんには大きな肉のかたまりが吊るしてあったり。生活のにおいがした。
夜から音と光のショーを見に再びピラミッドへ行った。これはスフィンクスがしゃべったりして滑稽だった。その帰り立ち寄った店で生まれて初めてたばこを吸った。エジプトはシーシャという水タバコが日常的に吸われていて街のいたるところに水タバコ屋がある。おじさんたちはすごく太いパイプで吸っているけど私は一番小さいのにチャレンジ。今までタバコ大嫌いで1回も吸った事はない。しかし今日は旅の思い出に吸ってみる気になった、すぐに咽るのを予測して。しかし案外いける口のようで初タバコを味わってしまった。初めてのタバコはエジプト産のクレオパトラという銘柄だった。

10月20日(エジプトへ)

2004-10-20 07:40:06 | エジプト
今日から5日間エジプトに行く。学校がおわってから、いっしょに行くフユミと夕方5時に待ち合わせをし、バレッタでスナックを買ってから空港へ向かった。22時に飛行機に乗り込み、ガイドブックを見て、機内食を食べ、寝ている間にカイロ着。現地時刻で深夜1時。タクシーにのってホテルに行き4時頃就寝。