JET LAG

マルタに留学中のayaのサイトです。

帰国後

2005-09-07 03:13:30 | ブログ
日本に帰国して数日たちます。外国で過ごした1年間を振り返っていろいろ感謝することが多いので今日はそれを書きます。

私のこの1年は本当に内容の濃いもので毎日1日も欠かさずノート3冊つかって日記をつけたほどです。多い日は2~3ページも使って書いてます。それを振り返って読んでみるとたくさんの人に迷惑かけたしたくさんの人に助けてもらいました。家族に始まり友達等、私のことを気にかけてくださったすべての人たちでマルタでの生活が成り立っていたのとこの日記をみると思います。ありがとうございました。

このブログのことですが毎日記事を1つ書くというのは私にとっては重労働でけっこう大変でした。(抜けてる部分も多いので偉そうなことは言えませんが)
読者になっていただいたみなさん、私のとてもきれいとは言えない文章に付き合っていただいてありがとうございました。

もうひとつ、今も使っているこのラップトップ(TOSHIBAのdynabook)のこと。雪がふるほど寒いところや湿気の高いところなどバックパックに入れていろんな国に連れまわしてときには乱雑に扱ったのにもかかわらずよく壊れもせずに頑張ってくれました。これがなければとても不便でした。これもありがとう。

最後にせっかく勉強してきたんで英語でひとこと。
Thank you for coming my page.
I'm glad to let you know that what Malta is and what I have done there.
I have recieved the courage to keep writing from you. Just you reading my articles made me happy. What I want to say is thank you very much, in a word. I'm going to finish writing,but see you soon somewhere...aya


長期の留学は準備と決心がたいへんです。手放さなければならないものは多いし不安も大きい。でも現地に行ってみると得られることもまた多いことにすぐ気付くと思います。私がそうでした。すごく貴重な体験と人に出会えます。


9月4日(帰国)

2005-09-04 07:32:15 | ブログ
香港のホテルをチェックアウトしたのは正午。空港に行くため市バスに乗ったが料金33香港$に対して私が持っていたのは100ドル紙幣。香港のバスはおつりが出ない。困ってると行きすがりのインド人が払ってくれて感謝。
空港には早めに着いて搭乗手続きも早めに済ませた。そして昼食、明日は下の弟の11歳の誕生日なので免税店でバースデープレゼントを購入。
そうこうしてるうちに時間が来て飛行機に搭乗、香港から関空までは3時間20分。台湾の上空等をこえて3時間が過ぎたころ日本の夜景が見えた、たぶん和歌山。それから関空に着陸するまではすぐ。
パスポートコントロールを通過してトランクをピックアップ、そしてゲートへ。両親が待っていてくれているはず。
ゲートをくぐるとすぐに母の姿が目に入った。父も母も私を見るなり太ったと言って笑った。そして1年早かったとか話たりした。
車で京都の自宅へ。家に近づくたびにおぼえる妙な感覚、1年ぶりな感じがしない。そのへんまですこし食事にでかけてその帰りのような感じ。自宅についてもそれはかわらず。関空も両親も地元もそして自宅も何も1年前と変わってなくて自分が1年ここにいなかったことがウソのように感じた。
家について休憩後、両親にマルタのホストファミリーに無事日本についたことを電話してはどうかと言われた。どうも私が英語をしゃべるのを聞きたい様子。なので電話。電話先にはママがでてくれてしばらく会話。1週間ぶりに聞くママの声。すごくこいしい・・電話を切ったあと、このときやっと日本に帰ってきたことを実感した気がする。そして就寝。
内容の濃い1年だった。

9月3日(香港)

2005-09-03 07:51:54 | 香港
5時半になり無理やりベッドからでた。体調はずいぶんマシになっていたので日の出を見に行こうと思った。しかし外は雨降り、何ヵ月かぶりに雨を見た。日の出は中止。
雨があがってから、スターフェリーに乗って香港島まで行ってみた。高層ビル群を真下から眺めただけで満足してしまってすぐに引き返してきた。九龍で小龍包とエビチリとオレンジジュースの贅沢な食事のあと、体調はほぼ完全に回復していた。看板と車だらけの九龍を人ごみにまぎれながら歩いていると、気分が軽くなりとても前向きな気持ちになれた。マルタの最後の週はすごく淋しかったが、またいつか戻ればいい。その時までに大きく成長していよう。そしてこれから何でもできる気がした。
そのあと、ホテルの部屋に戻ってパッキング。明日日本に帰る。

9月2日(香港)

2005-09-02 07:21:41 | 香港
目覚めたときはすでに夕方。体調はまだ思わしくないが、とりあえず露店で有名な女人街まで行ってみることにした。しかし歩いているだけで体がつらい。倦怠感と腹痛もすこし感じる。だらだら歩いて女人街の入り口にたどり着いたが、この体であの人のひしめき合う狭い路地に入る気にはなれず、引き返してきた。
ホテルに戻り、持っていた体温計で熱をはかると38.4℃、おきているのがつらいはず。寝ようとするが1時間おきに目が覚めてしまう。寝たいのに寝られない。

9月1日(香港へ)

2005-09-01 07:21:04 | 香港
ドバイ空港で搭乗手続きを済ませて、免税店のエリアへはいった。そこは1年前と何も変わってなくて戸惑った。ヤシの木も、アラブ風の窓の絵も、大きなラクダのぬいぐるみも、今でもはっきり1年前をおぼえている。1年は短い。鮮明すぎて今からマルタに行くのではないかと、無駄なことを考えた。
飛行機はバンコクを経由して香港に到着した。空港で予約した九龍のホテルに着き、その後、食事に出かけた。牛バラの煮込み麺を食べるが、これを食べた後調子が悪い。

8月31日(ドバイ アラビア湾)

2005-08-31 07:45:11 | ドバイ
今日も起きたのは夕方。せっかくなのでアラビア湾くらい見ておこうとホテルをでた。アラビア湾の夕焼けはマルタとは違う色。風も生ぬるい。水にもふれるとこれも生ぬるかった。今夜、ドバイを発って香港に行く。

8月30日(ドバイ)

2005-08-30 07:46:58 | ドバイ
せっかく外国にいるのにどうも出かける気にならない。今日も食事のためだけに外出。ドバイの街は建物も人々も雰囲気も多様で混ざり合った感じ。それにひきかえフルーツジュースはとてもおいしい。その場でしぼってくれる生ジュースは味も何種類もあるけが、お気に入りはミックス。もう5杯飲んだ。

8月29日(ドバイ)

2005-08-29 09:12:21 | ドバイ
ステフィーとゾーイと別れたあと、それも現実なのかよくわからないままふわふわした気持ちで飛行機搭乗し、リビアのトリポリを経由してドバイに着いたのは深夜1時ごろ。タクシーの運転手さんに安宿まで乗せてもらって1泊150DHのとこにチェックイン。そのまま寝続けて起きたら夜の8時頃、ごはんを食べにだけでかけた。その辺のお店でサンドイッチとフルーツジュースをとる。そしてホテルに戻って再び就寝。

8月28日(お別れ)

2005-08-28 07:33:56 | ブログ
今日はマルタを発つ日。最後のパッキングの確認中、ママはこのシャツにアイロンかけようかとか、あれは持ったかなどと最後まで世話をやいてくれたのが嬉しかった。それから10ポンド札を手渡された。空港で使ってあまったら両替しなさいと。
ママがいつものようにデニスさんのところに行く時間になり、下まで見送った。玄関でお別れのハグをして、何かを伝えたかったが、こんなとき言葉はとても無力、何も言えない。かわりに涙があふれてきた。ママはもう一度強めにハグしてくれた。ママはいつも優しい。
ママを見送ったあとステフィがランチにスクランブルエッグを作ってくれたが、2,3口しか食べられなかった。11時45分に家を出る予定が結局家を出たのは12時20分。ステフィの運転で彼女の花柄の車で学校に行くいつもの道を通っているとき、空港ではなくて学校に行く気がした。しかし、車のバックシートにはゾーイの横にトランクがのっている。やっぱり行先は空港。
空港はとても混んでいた。搭乗手続きをすましてカフェへ。そこでリラックスしすぎてゲートに着いたのは飛行機離陸の20分前、それにもかかわらずゲート前には長い列ができていた。ステフィは列の前のほうの人に交渉して、私を割り込ませてくれる人を探してきれくれた。ここでお別れ。泣いてしまうのを予想してマスカラをつけずにきたのに涙はでず。明日も会いそう、明日から会えないことを理解しきれない。振り返るとゾーイはステフにしがみついて泣いてた。

8月27日 ラストディナー

2005-08-27 07:35:19 | ブログ
今日はデニスさんのホームでディナー。そしてマルタでの最後のディナー。2ヶ月に1回ほどホームがディナー会を企画して私も何回かよせてもらっている。メニューはパスタ4種。
思えばよくママやステフィー、ゾーイとここに来た。ここにはいろいろ思い出がある。親しくなったご老人もいたり、ゾーイとエレベーターに乗っていて、看護婦さんに怒られたり。
帰りがけ私は前市長さんに呼ばれた。私が明日帰るのをどなたからか聞かれた様子。市長さんは私に「マルタは好きか?」と私が「とても好きです」と答えると嬉しそうにされていた。そして日本語で「さよなら」といってくれた。
いつもはステフィーの車に乗るが、今日はあえてママの車に乗った。ここの広い駐車場からは、ガグーからあがる花火がとてもきれいに見えて、ママとしばらくいっしょに鑑賞した。マルタの夏は毎晩どこかで花火があがる。

8月26日 帰国準備

2005-08-26 16:58:02 | ブログ
明後日マルタを発つため、学校は今日で終了。1限目は欠席してEMSを送りに郵便局へ行った。内容は教科書やクラスで配られたプリント類。1年分の授業内容は15kgにもなっていた。すべての授業が終わると、スタッフルームへ行き先生たちに挨拶をしてまわった。
家ではママがもうすぐ旬だからとランプーキ(シイラ)を焼いてくれた。夕食後、パッキングをしないといけないのに手に付かない。帰国は確実に迫っているが、気持ちがついていかない。気分転換に、外に出ると空地のむこうにきれいなグラデーションの空が広がっていた。

8月25日 中国映画

2005-08-25 07:46:22 | ブログ
ジュリアの誘いでバレッタまで中国の映画を見に行った。ジュリアはステフの友達で去年中国に出張していて中国語を勉強中。言語は中国語でサブタイトルは中国語と英語の2本。漢字がわかるから大丈夫なんて思っていたら、その考えがあまいことに映画がはじまってすぐに気づかされた。英語の字幕もはやくてほとんどついていけず。日本人は中国語を理解していると思われていることが多い。

8月24日 バンクベッド

2005-08-24 07:25:57 | ブログ
ゾーイの部屋にはバンクベッド(ベッドとか洋服タンス等がいっしょになっているやつ)があり、ゾーイはその2階で寝ている。ゾーイはそこがお気に入りで、高いところで寝るのはとても気分がいいから、私をそこで寝さしてあげるとオファーを受けた。私は2階で、ゾーイはすこし下の引き出し式のベッドでいっしょに就寝。スーとステフィは私の寝相が悪いのを知っているので心配そう。落ちない、もちろん。

8月23日(パラダイスベイ)

2005-08-23 07:31:25 | マルタを観光
放課後、チェルケウアの近くのパラダイスベイに連れてきてもらった。夕方は波が高いため海にははいらず、ジャズと砂浜にうち上がったクラゲを集めて遊んだ。夕日がとてもきれいで、5日後にマルタを発つことが信じられず感傷的になってしまった。

8月22日 モルチーザーズ

2005-08-22 07:25:32 | ブログ
「Maltesers」というマルタの国名のチョコレート菓子がある。中がサクサクでまわりがチョコレートでコーティングされていて、マルタ中どこでも売っている。それどころかギリシャでも英国でも売られているのを見て、マルタのお菓子が他のヨーロッパの国で人気なことに、勝手に誇りに感じていた。そのため日本で配るお土産も迷いなくこれに決めて、60パックも買って帰った。するとママが「たくさん買ってきたのね~おいしいわよね、そのオーストラリアのチョコレート。」と言う。オーストラリア!?Maltesersとはマルタではなくmalt(モルト・麦芽)の意味らしい。大きな勘違い。