9月にスタートした、食品ロスダイアリー。お約束の三か月が過ぎて、一応終了しました。
続けようと思えばまだ続けられるのですが、あまりロスも出ないのでこれでやめることにしました。
すると月が替わった日曜に、何か箱がある・・・と義母の薬を入れている箱の下にあった薄い箱を開けてみると、あらまっ!
忘れられたお土産のおまんじゅうが6個、寂しそうに鎮座しておりました。しかもところどころに青カビが・・・やっちまったなぁ~。
目につくところに置いておくと、義母が知らない間に一気に食べてしまうので隠しておいたんですが、それが仇になってしまいました。
こんなふうに、目につかないところにあるものは記憶からも消え去るのがシニアの定め、みたいなもんです。
見せる収納がしたいわけでは決してないけれど、見えるようにせざるを得ない場合が多々あるわけで。
過去の記事でも、中身をでかでかと表示した収納ぶりを恥ずかし気もなく公開しましたけど、ものの出し入れが楽になりましたもんね。
見ためすっきり生活に憧れますが、なかなかですわ。
けれども、世の中にはたくさんのものに囲まれているのに、ステキにお暮らしの方も多くいらっしゃいますよね。
おそらくその人の「好き」というフィルターを通して選んだものばかりだから、なんじゃないかなと私はにらんでいます。
でも、夫婦や家族の好みが同じようなテイストならいいのでしょうが、そうでない場合はどうなんでしょう。
うちの場合、私がこの家に来て、義母と好みが同じだと思ったことは一度たりともありません。言っちゃあなんだけど、彼女の趣味はよろしくない。
と言う私の趣味がいいってわけじゃないし、好みが合わなくてもよいものの価値は否定しませんが、義母の好みはちょっと受け入れがたいんですわ。
そういうお宅って結構多いんじゃないでしょうか。嫁姑の間だけではなく、連れ合いとの好みも合わなくて、というお宅。
よく「なんでも鑑定団」で連れ合い(特に夫の)骨董収集がすごくて家中ものだらけ、もうやめて欲しい・・・なんて話もありますよね。
我が家にも使わないのに処分出来ないものがうじゃうじゃと存在しています。収集家のように、持っているだけで幸せ・・・♡な人は、ちゃんと
そのものに対する愛がありますが、ただ放置してあるだけのものからは、忘れられたわびしさしか感じられないもの。
あれ?食品ロスの話からどうして家の中の話になってしまったんだろう???(苦笑)
ま、何はともあれ師走です。お正月までに家の中や外を、少しはすっきりさせたいですね。
そういえば市の広報紙に、年末年始のごみ収集日の一覧表が入っていました。重要項目なので、早速収集日にマーカーで印をつけて冷蔵庫に
マグネットでとめて・・・・・・あぁ、これもまたすっきりからはほど遠い。