さよなら三角 また来て四角...日本編☆第二章☆

オーストラリアから10年ぶりに帰国。特別支援教育に携わりながら
市民農園・家庭菜園に励んでいます。

意外と難しい

2010年07月11日 11時34分01秒 | Web log
専門医を紹介してもらった、近所に住む香港出身のリンダから、検査結果はどうだった?との電話がきた。心配してくれていたらしい。

わたしはさほど心配していなかったのだけれど、誰かがどこかで私のことを気にかけて、行動を起こしてくれるというのは本当にありがたい。

そして、デニス(香港人の学生)が家に泊まっていること、広東語に飢えているだろうので、リンダを紹介したいと思っていることを言うと、『ちょっとでも顔出すわ』と言ってくれて、夜、子供をつれて遊びにきてくれた。

ジョナサンとマシュー(リンダの息子)はポケモン仲間なので、ジョナサンも大喜び。

ジェシカ(マシューの妹)とベンジャミンも年が近いので、それぞれに楽しく遊んでくれた。

3人でいろいろ話しているときに、香港人と日本人が似ていること、でも同じアジア人でもシンガポール人はちょっと違う、などという話になった。

生粋のシンガポール人ではないのだけれど、小学生のときからシンガポールで教育を受け、そして働いた経験のある友人の、子供の教育に対する競争意識の強さというか、上昇志向の強さにちょっと辟易していたこと、また人のことに首を突っ込んでいろいろと『有難く』意見してくれることに、なんとなく違和感を感じていて、そのことについて話したら、それはシンガポール人独特のものだということをリンダが話してくれた。

わたしは競争とやらに自ら首をつっこむほうではないので、こんなに頑張ってます的な話をされるとなんとなく気分が悪い。

ま、元を正せば『負けたくないから頑張る』か、『負けたくないから最初から勝負を放棄するか』の違いであって、『負けたくない』という根本は同じなんでしょうけれどね。

要はプライドの問題なんだろう。

勝つ可能性を信じて努力する前者のほうが偉いというか、タフな神経の持ち主なんだろうと思いますけど。

子供についても、私個人は、子供が毎日楽しく過ごしてくれることを第一に望み、好きなことを見つけ、それをひたすら一生懸命楽しんでいけばいつか道が開けてくると思うほうなので、子供が望まない限り、無理強いは避けたいと思っている。

が、彼女はことごとく反論してくるのであります。
彼女の言い分もわかるけどね。

ま、それはいいとして。

昨晩は、日本人と香港人とがタックルを組んで、シンガポール人叩きのような話で盛り上がり、自分は人よりも上!!という意識が強いこと、それを目指して小さいときから上昇志向で生きる人が多いこと、負けず嫌いであること、そういうところでは見栄っぱりなのに、ケチが多いとか、まぁ『人種差別丸出し』の会話で盛り上がったわけです。

自分たちの価値観にそぐわない人は理解できない。

よくある話だ。

でも、自分の価値観が『正しく』相手がおかしいという態度は、単なる思い込みであり、文化の中で刷り込まれたものに過ぎない。

相手(シンガポール人)に、もし私たちが言ったことを面と向かっていったら、相手は相手の理屈で

『なんて怠け者なんだ』とか
『頑張らなければ結果が出せるわけないのだから、頑張らないなんて無意味な生き方してるのね!』とか
『自分の体裁を重んじて、大盤振る舞いして、見栄っ張りな生き方するのね!』とか

言いたいことは山ほどあるだろう。

『違う』ということ。

その違いを生み出すのは、文化の中で刷り込まれた価値観であり、それを拭い去るのは、時として非常に困難だと思う。

日本人はNOを言わないとか、自己主張をしないとか言われますが、だからといって明日から面と向かって「NO」と言えるかというと、大きなためらいとまず戦わなければいけないだろうし、自己主張をしたとしても、「あそこまで言わなければよかった」とか、反動のような後悔のようなものが生まれたりして違和感を覚える。

今まで良かれと思ってやってきたことに反するには、超えるに難しい壁のようなものが立ちはだかって、それを打破するのにかなり大きなエネルギーとか長い時間が必要になると思う。

ということで、知人の上昇志向の強さも、そうすることが正しいと思って本人は疑わないのだろうし、本人が疑問を持たない限り変わることはないのだろうから、そっとしておくに限る。

そして、お互いに、自分がそう思うからといってそれが『正しい』と言い切る根拠はどこにもない。

意見は意見であって、あくまでも中立な気持ちを持つように心がけないとなぁと思う。

自分を肯定する=相手を否定するというのは、ちょっと浅はかなんではないかと思う。

そして私自身も、相手が違う価値観を持っているからといって、そんなことに一々イライラする必要すらもないのだということに気がついただけでも、彼女がそう思う根拠が文化に支えられたものらしいということを知っただけで、もやもやが少し薄れたような気がして、いささかすっきりした夜となった。










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