直前の「白梅」の近くにあった 紅梅です。いずれも 畑の縁に 一本だけでしたけど。
さて、 元号「令和」が、万葉集の全20巻のうち、「梅の花」を歌った32首(巻5)の序文からとられたことは最近ではつとに知られてます。
すなわち ・・・
その序文の一節とは 以下のようなものでした。
「時に、初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ」
(折しも、初春の正月の佳い月で、気は良く風は穏やかである。)
序文を書いたのは 山上憶良とも 大伴家持とも言われてますが、この万葉集の序文は、おそらく『文選』(もんぜん、中国南北朝時代の南朝梁の蕭統(昭明太子)によって編纂された詩文集。)の中の張衡というひとの詠った「帰田賦」の「仲春令月、時和し気清し」を踏まえているのだろう、とささやかれています。
ところで、先だっても ささやきましたが、 新元号が「令和」に決まったのは 新元号発表の日の わずか10日前だった。それまでは首相の胸の内は「天翔」一色だった、と。
「天翔」は 「天翔る(あまかける)」という読みがあります。けっこう日本語的で、それでお気にめされたのかもしれませんね。だが、いかんせん、頭文字が「T」になるという、私ども庶民から考えると 実用上致命的欠点があります。 「たいしょう」のリフレインで「てんしょう」を採ったわけでもないだろうに、そのこと(頭文字が被ること)を考えなかったんでしょうかね!? まぁ、天翔という名を使った葬儀社が3月20日に見つかり 「俗用されていないこと」というルールに違反するので、急遽取り止めになったということですが、こんな風にして 元号が決められていいものでしょうか(´v_v`)