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アブリル - どこにでもあり、どこにもない

岡崎平野を中心とする 植物 と カメラの対話

ブーゲンビレア - オシロイバナ科

2025-08-25 07:00:00 | みんなの花図鑑

ブーゲンビレアはオシロイバナ科だったんですね、知らなかった(´∀`)




ブーゲンビレアは Bougainvillea からですが、wiki ではこれを ブーゲンビリア と読んでいます。
調べると
Bougainvillea の lle の 母音e の発音は
「日本語の「エ」と「イ」の中間の音。「エ」と「イ」を同時に言う感じで「イ」と発音する。」(bougainvilleaの発音記号と読み方)
とありました。



花の白い部分は 萼です。




黄色い部分は 葉の変化した苞葉(苞とも)です。




苞葉は普通、3枚の苞葉が1組で・・・




1つの苞葉に1つの花(萼)がつくようです。














 

エディーからの手紙

2025-08-24 07:00:00 | インドネシア
インドネシアのスラウェシ島の新聞「コンパス」に載った
東海豪雨(2000-9-11) の記事

もう25年前のことになりますが、私にとって人生最大の災害体験がこの「東海豪雨」です。以下の写真と新聞記事は災害直後に92年~93年お世話になったインドネシアの友人エディー君が、当地の新聞に載った「愛知県で大洪水」の記事の切り抜きを送ってきてくれたものです。先日、本棚を整理していて見つけました。

記事の写真部分



▼下は、▲上の写真に添えられたコメント部分のみ拡大したものです(インドネシア語)


25年前の新聞ですのでずいぶん黄ばんでしまってますが・・・
そして
 記事内容ですが・・・
 BANJIR 洪水
 di JEPANG 日本で
 Hujan 雨
 Hujan deras でらい?雨(→ 大雨)
 などなど・・・
いちいち翻訳するのは面倒なので、
上を パソコン版 Google Lensで日本語に翻訳させてみました(↓)


(Google Lens も日々変化しています。今は元記事のスナップ写真の上で右クリックすると「翻訳」というメニューが出て来ますので、それを使うと、写真からインドネシア語テキストを取り出すことなく、バックの黄ばんだ新聞紙の上の文字だけ日本語に置き換えてくれます(@_@))
(注) 「火曜日(12/9)」 は 「9/12(火曜日) 」のことです。永らくオランダ統治下にあったので、日本のように「月/日(曜日)」ではなく日付は「曜日(日/月)」で表します。


記事本文(原文)



こちらも同じように、Google Lens で日本語に翻訳させてみました(´∀`)


すばらしい!紙面レイアウトはそのままで文字だけ日本語に代えてくれました\(^o^)/
ただし、ここでも日付の表記が間違っています
「火曜日(12月9日)」ではなく、「9月12日(火曜日)」が正解です。




Eddhy君、ありがとう!
(注)文中の「かなやま」は アブリルの本名です^^





 

スラマッ・インドネシア! (4)

2025-08-23 07:00:00 | インドネシア
今は昔 ーー
 インドネシアのスラウェシ島に4か月半滞在したとき(1992-93) の滞在記(執筆は1994年)が出て来ましたので、4回に分けて公開してきました。きょうはいよいよ最終章です (^^)/




      4
ずっと以前、東マレーシアに調査に行ってきた同僚から聞かされました。マレー語では《めしはナシ、めん(麺)はミン、魚はイカン、おまけに人はオラン⋯あぁ何ンにもない》。
まあ、そう覚えるといい、ということなんでしょうが、麺は正確には ”ミー” です。ミー・ゴレンといえば中華焼そば風めん、ナシ・ゴレンとは炒め御飯の類です。
そして、肉類は<アヤム ayam>(鶏)がメインです。ミーゴレンやナシゴレンを問わずあらゆる料理に<かしわ>が潜んでいるし、街のそこかしこにある肉屋の店先のウィンドウには巨大なミンチのケルンが置いてあります。モスレム(回教徒)は当然ブタは食べません。スマトラ島のある地区では、なんと<アンジンanjing>すなわち犬を最高の食肉とする人達がいるのです。ほんとうにこの国の犬はかわいそう・・・。




動物の中で待遇がよいのは猿で<Orang Hutan オランフータン>とは「森のひと」なのです。
そしてこれほどまでの<とり>の氾濫・・・
実を言うと、ぼくは好き嫌いがはげしく、犬は当然のことながら、かしわも駄目なのです。同じASEAN諸国でもタイですと、中華風の麺類や「激辛」食があったりして、結構選択肢があるのですが、そんなわけで、インドネシアでトリを喰わない(喰えない)ということは 致命的なことだとも思われます。




ぼくもはじめは努力しました。

Google Earth 2023-07-Rosari-Beach
ウジュンパンダン市は、スラウェシ島のkの字のたて棒の下の方に、西を向いてある人口100万の街ですが、美しい夕日がみられるロザリービーチには「世界一長いレストラン」があります。それは沿道に沿ってずらっと並んだ「屋台」のことなのです。
三々五々、ロザリー海岸にたむろし、屋台のミーゴレンでも喰いながらマカッサール海峡に沈む夕日を眺める ・・・・ 一般観光客の気分で・・・・ これをはじめての日曜日に実践してみたのです。
翌朝、みごとに仕返しを<おなか>に受けました。事務所に行ってそのことを話したら、はじめのうちは「それはおめでとう。あなたも今日からインドネシア人」なんて言っていた海外経験の豊富な人たちがやがて「なにぃ!屋台のミーゴレンを喰っただって! 底なしの✖✖だな。レジデント(常駐している人)だって屋台のめしは喰わないヨ!!」
以来、3日を置かずホテルの隣にある日本料理屋に駆け込むことになりました。




他のレストランで料理を注文する時、こんなエキセントリックな胃腸構造をしていると、たとえば「ナシゴレンとチュミチュミ・ゴレン(Cumicumi Goreng いかの照焼き)を半分ずつ合計一皿分」その時「ナシ・ゴレンには"Tidak pakai Ayam(とりを使わないで)"!」のように特別注文しなければなりません。
そんなこと20〜30語ではとても説明できるものではありません。そこで、ぼくの好き嫌いがよくわかったエディ達がいれば、納得のいく料理を注文できるというわけです。彼らと切っても切れない仲になったのは、こんな喰えない訳もあったのです。






最後になりました。
ぼくは自分がどうして ayam(とり)がダメなのか、インドネシアに来てそのロジカルな?根拠が少し解りました。私すなわち<Kanayama>((注)アブリルの本名)は、実は<Kanayama>だったのです。
外を向き異文化に接するという行為は、<おのれ>を明らかにする哲学者の所作でもあったわけです。



(完)







 

スラマッ・インドネシア! (3)

2025-08-22 07:00:00 | インドネシア
今は昔 ーー
 30年前インドネシアはスラウェシ島に4か月半滞在した時(1992-93) の滞在記(1994年執筆)が出て来ましたので、4回に分けて公開しています(^^)/
きょうはその第3章。


      3

"Hujan turun, Kambing Lari"。
(フジャン トゥールン、カンビン らり)
(雨が降る、ヤギさん走る)
だからなんなのさ?

アムリンにその意味をたずねても、ただ笑って、「街を歩いていてシャワーに出っ喰わすと雨宿りするところを求めて走り出すでしょう。そういう人をみて《あっ、ヤギさんが走ってる!》というんです」としか教えてくれません。
いずれにしても、このことばが単なる《事態の写像》ではなさそうですが、奥深い意味はぼくにもよく解らないままです。



著作者:vecstock/出典:Freepik

でも日常生活でこのことばはぼくにとってインドネシアの人々との交流の潤滑油になりました。みなさんもウジュンパンダンの街で雨が降り出したら、"フジャン・トゥールン!"とまわりのインドネシア人=インドネシア語を話す人たちに言ってみると判ると思います。かれらは
《「示す」ことのできるものは、「語る」ことができない》(ヴィトゲンシュタイン)と醒めた言い方はしないはずです。きっと” Kambing Lari!(ヤギさんが走る)” と笑って応えてくれるはずです。
どうして<ヤギさん>なのか?「犬も歩けば棒に当る」といいます。どうして<犬>なのか?と問うようなものでしょう。《…本質を捉らえようと努力する時、いつもつぎのように自問しなくてはならない。いったいこの語は、その故郷のある言語のなかで、実際にそのように使用されるだろうか⋯》(ヴイトゲンシュタイン『哲学的探求』116)





さて、今年は犬年((注)1994年のこと)、ぼくも犬どし生まれなのですが、ここインドネシアでは、宗教的な理由からでしょうか、犬は不浄なもの、いやしいもの、在ってはならないもの(?)らしいのです。実際、ダムサイトへ向かう街道沿いで犬を見かけることがよくあるのですが、そう言われてみると、いつも人と目が会わないように(因縁をつけられることを恐れ)コソコソしています。
代りに、ことわざには<ヤギさん>がよく登場するみたいです。
ちょっと長いけれど、日本語の「郷に入りては⋯」によく似たもので、
"Masuk di kandang Kambing Meganbik,
 Masuk di kandang Ayam Berkocok".
 ヤギ小屋に入りては、ヤギ語(ベェェー)
 トリ小屋に入れば、コケコッコー語。
と言ったところでしょうか。英語の"When in Rome, ・・・"とおなじですネ。でも、それをやぎ語とかニワトリ語という言語のジャンルで表現しているのはいかにも面白いと思いませんか。



(つづく)

⇒ 第4章






 

スラマッ・インドネシア! (2)

2025-08-21 07:48:34 | インドネシア
今は昔 ーー
 30年前インドネシアはスラウェシ島に4か月半滞在した時(1992-93) の滞在記(1994年執筆)が出て来ましたので、4回に分けて公開しています。きょうはその第2章をどうぞ (^^)/
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まえがき
 このエッセイは1994年さる大学の哲学科同窓会機関誌『なんてつ』に投稿したものです。文中、当時の哲学科教授の名前が登場します。ブログに再掲するにあたり、はじめ教授名やダム名にWikipedia等へのリンクを貼りましたところGoogle Chromeが「このサイトは安全ではありません、すぐ閉じてください」とアラームを出すようになりましたので、4つほどあったリンクをすべて削除しました。







     
はなしが後先になりました。
もう1年半前のことです。((注)1994年執筆時点) インドネシアはスラウェシ島に造る多目的ダムの材料調査のため4ヶ月ほど滞在しました。



スマトラ、ジャワ、バリ、とつづくインド洋プレートが大陸塊にぶつかってできた、はなぶさ列島のその1つ内側にあるアルファベットのkの形をした大きな島・・・というよりも、「ジャカルタから飛行機で2時間・・・」という名電社のCMで知られた・・・あるいは、かっての「セレベス島」といった方が 宮内先生方には判りやすいでしょうか?
インドネシアは東西に長い国で、最東端経度は、東京よりも東のイリアン・ジャヤ(ニューギニア島の西半分)に位置し、西はビルマ(ミャンマー)の西の境と同じくらいの経度になります。主な島だけでも両手で数え切れない程ありますから、民族の多様性はご想像がつくと思います。

インドネシアは1945年8月17日に独立しました。
<民族>を統一するものはぼくら日本人だとすぐ血の共通性を考えますが、立松先生がかつて講義で述べられたように、もう1つの考え方に<言語>があります。ジャワ島にはジャワ語、スラウェシ島でもマカッサール語とかブギース語とか・・・各々共通言語をもつ多くの民族によって構成されています。多言語国家です。
インドネシア語の元は、実はマレー語で、国家としての共通語(統一言語)を定めるとき、どこかの民族語を優先すると言うわけにもいかないからマレー語としたのでしょう。

ウジュンパンダン(旧マカッサル、南スラウェシ州の州都)に着いてはじめての日曜日、ぼくはひとりで博物館(マカッサール人がその昔オランダ軍と戦った砦の旧跡)に行き、日本語を話す学生と知合いになりました。名前をアムリン君とエディ君と言います。その後4ヶ月間 彼らとその友達イクバル君を交えて、仕事OFFのとき よく集団行動をとりました。





かれらの母国語はインドネシア語ということになるんでしょうが、エディとアムリンは故郷に帰ると今もブギース語で話すそうです。「インドネシア語との共通性は?」 と尋ねたら「まるでない」とのことでした。アムリンは教育学部英語課程にいますから、ぼくとは比較にならないくらい英語が得意です。またみな熱心な回教徒(モスレム)ですから、あのアラビア文字が読めるというのです!
ぼく「そしたらアムリン、君は夢をみるとき何語で見るの?
かれ「ここにいるときはインドネシア語、故郷に帰るとブギス語のことが多い。(ニャッと笑って)今はときどき日本語で夢を見る」。


かれらの友達イクバル君はこの島の最高学府ハサヌディン大学の法科の学生で、オランダ語を話しますが、日本語はぼくと会うまでは全然でした。かれについては、冒頭で紹介した挨拶ことばについての興味深いエピソードがあります。みんなで食事から帰ってホテルのロビーでお別れする時、こちらが覚えたてのイ語で"Sampai jumpa lagi(じゃあまたね)” と言ったら、イクバル君は「コンバンワ」といってくれたのでした。
きっとエディかアムリンに"スラマッマラーム"に対応する日本語が「コンバンワ」だと教えてもらい、 "Good Night!"というつもりで"コンバンワ"と言ったにちがいありません。


4ヶ月の滞在中に、20〜30程度のインドネシアのことばを覚えました。(インドネシア語は覚えやすい言語だそうで通常は、最初の1ヶ月で100語くらいは覚えるそうです。)


(つづく)

⇒ 第3章