はい 56%
いいえ 43%
共働きが定着している今、家事分担は当たり前の生活スタイルだ。
いずれにしても、若い時から家事を分担する習慣をつけておくことだ。
今年も新工芸展の季節がやってきた。独断と偏見で気に入った作品のスナップ写真を撮ってきた。
去年と同じく小ぶりの作品が多かったが、なんと去年と同じものも出品されていた。自分が創作、到達した技法が世に認められ、そのテーマを数年繰り返す作家は沢山いるらしい。したがって、同じように見えても微妙に異なると言うことだ。しかし、下の作品の場合、去年が日本新工芸賞、今年が日本新工芸奨励賞、同じような作品で毎年賞をとれることに違和感を感じる。
私の好みの作品で去年のスナップ写真にもおさまっていたので微妙な違いがあるのは検証できた。
まったく凡庸にしか見えない織物の作品が内閣総理大臣賞をとっていた。
「えっ、これが総理大臣賞?信じられないねえ。総理大臣、芸術的センスまるでないんじゃないの。」
「いや、きっと、お友達なんですよ。」
染色に個性的な作品が少なかった。唯一、気に入ったのは「灯」。遥か上方から灯が漏れ、階段を照らしている。なんとも幻想的で作者の心象風景の表現とも思える。
人はどうつくられるのか、どのように生きる力を得ているのか、そして、なぜ老い、死ぬのか。そのメカニズムの主役は細胞だ。私たちの身体は200種類・60兆の細胞でできているが、その多様な活動がいま、最新のバイオイメージング技術によって捉えられている。このシリーズはバイオイメージングの最新映像をもとに、圧倒的な高品質CGで再現した人体世界をめぐりながら、私たちの命を育む仕組みを探っていく。
第1回目はiPS細胞研究所 所長 山中伸弥さんと、劇作家・演出家・役者の野田秀樹さん、ヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんの対談で進行した。
私たちの成長を支えているのは、細胞がつくり出す柔軟性だ。遺伝子は受精の瞬間に決まってしまう。実際に生きていく環境に応じて臨機応変に対応するのが、細胞の役割だ。細胞が周りの環境を察しながら、働かせる遺伝子を選択して変化し、私たちが生き延びるための力を強化しているのである。ここで例に挙げられるのはダイエットをして炭水化物の量が少ない妊婦の子供は脂肪細胞が増えて成長するとともに肥満になると言う。
なかでも、成長のカギを握っている細胞は、脳をつくる神経細胞だ。学習や経験に応じて変化する神経細胞は、まさに私たちの人生を背負う細胞だ。ところが、この神経細胞は取り替えがきかない。皮膚をはじめ、ほとんどの細胞は新陳代謝で活発に入れ替えることで私たちの長い人生をカバーしているのに対し、神経細胞は珍しい一生モノの細胞なのだ。そこで、神経細胞は驚くべき長もち策をつくりあげた・・・。
音に関する感受性が強いのは生後6カ月ぐらいまでである。12か月になると、もはや音の微妙な違いは認識できない。人間の脳の神経細胞はシナプス結合を猛烈な勢いで行い、脳に新しい回路を造ることで、認識や考える能力を飛躍的に増大させる。しかし、その高速な神経細胞の結合は数年で終わってしまう。毒蛇の毒に匹敵するような毒を使ってまでシナプス結合を阻止するのである。ネズミの実験でこの毒が発生しないようにすると、結合はどんどん起こり、ネズミの脳は壊死してしまう。あまりにも過剰なエネルギーを使いすぎて、神経細胞が死んでしまうのだ。それを阻止するために、ある程度の回路が形成されたら、もうそれ以上新しい回路ができないように防御すると言うのだ。しかし、脳細胞はもう一つの仕掛けを準備している。年を経ても、繰り返し集中することで神経の連結が太くなり、高速化して新しい能力を得ることもできると言うのだ。使わない脳は退化するだけという理屈になる。
第2回目は山中伸弥さん、野田秀樹さん、角田光代さん、松嶋尚美さんの対談で進行した。
男女の性が変わる?思春期に男性から女性へ、女性から男性へ。ドミニカ共和国のサリーナス村での珍しくない事象である。変身の時期は思春期。細胞の脅威の力が成熟した男女へと、劇的に変身させる、その仕掛け人は、ホルモン。脳には内分泌細胞があり、全身の細胞を変化させるホルモンを分泌する。脳の下にたれさがる脳下垂体。視床下部に内分泌細胞が集中している。下に向けて長いしっぽをのばし、ホルモンを血管に向けて放出する。ホルモンは血流にのって、全身へまわり、受容体と結び付くと細胞は分裂を始める。内分泌細胞がホルモンを出すことで60兆の細胞を丸ごと変えていく。Y染色体、X染色体で性別が決まるが、遺伝子が性を決めるのは誕生までで、その先は細胞が成熟の役割を担う。胎児のときにも性ホルモンを受け取るが、サリーナス村の人たちは何らかの原因でうまく信号を出してもらえなかったと考えられる。近親婚が多い村というのも原因かもしれない。
思春期で人は成熟した体に変身し、出産で視床下部にあるオキシトシン細胞が活動を始める。これも長いしっぽを持っていてオキシトシンというホルモンを放出する。陣痛を起こすホルモンだ。オキシトシン細胞は出産後も高濃度にホルモンを分泌する。オキシトシン細胞は長いしっぽを脳にものばし、オキシトシンを放出している。ネズミの実験により、このオキシトシンは愛着行動を引き起こすことが解明された。ハタネズミは普通のネズミと比べてオキシトシン受容体が多く、それが一生同一個体とつがいを形成する愛着行動を生み出している。普通のネズミにもオキシトシン受容体を増やす注射をしてみたら、なんと愛着行動を取り始めた。親密な絆はオキシトシンが欠かせないと言うことか? 脳の扁桃体は恐怖や緊張を司るが、ここにオキシトシンが働くと警戒心が解ける。側座核も強い快感を覚える。子への愛情を深めるために出産後もオキシトシンを出し続けていたのだ。
ここまで見てくると、ホルモンを介して心までも細胞に支配されているように見える。ポールザック博士は逆に自分の意志で細胞を制御できるんじゃないかと考えて実験を始めた。インストラクターに命を預けるスカイダイビングでの実験中、他人に命を預けた時のオキシトシンの量が230%も上がった。オキシトシン細胞はインストラクタを信用するようにオキシトシンを出したのだ。婚約中のカップルがキスをすることで、オキシトシンは男性は26%、女性は213%増えた。初対面の人でもダンスをしたり、映画を見たり、何かを一緒にすることで、平均で11%、多い人は46%もアップした。オキシトシンを出せば他の人にやさしくなり、より寛容になれる。動物と違い、人間はなりたい自分になれるはずだ。
自閉症の臨床試験をするプロジェクトが始まっている。オキシトシンが低い自閉症の患者さんにオキシトシンスプレーを使って吸いこんでもらうと、3~4日くらいで、いいたいことがバンバンでるようになったと言う。結果は分析中だが、アルバイト探しを始めて自立への模索を始めたと言う。
通常ホルモンは年とともに減るが、オキシトシンは高齢になっても活発に分泌し続けると言う。年をとっても絆を作る能力は衰えないと言うことか?いや、人間は年をとればとるほど絆なしでは生きていけないと言うことだろう。
第3回目は山中伸弥さん、野田秀樹さん、阿川佐和子さん。
これまで老化とは「身体のあらゆる場所が衰えること」とされていたが、最新の細胞研究は「免疫細胞の衰えがその根底にある」という事実を明らかにしつつある。身体を守るはずの免疫システムを指揮するT細胞という免疫細胞は思春期の始まりとともに生産がほぼ終わってしまう。そのため、年齢を重ねるにつれて能力が衰え、やがて誤作動して自らの組織を攻撃するようになり、老年病や生活習慣病といった多くの病気を引き起こす原因のひとつになっているのだ。こうした知見により、免疫細胞の老化そのものを防ごうとするまったく新しい老化研究がはじまっている。
今週は、芸術の春と勝手に決め込んで、絵画展と工芸展に行ってきた。
近所の方の出展があった銀座の絵画展は「心の彩展」と銘打って素人画家の作品が並ぶ。あまり心惹かれるものは見つからなかった。
次に行った新日本工芸展は去年今年と二度目だが、プロの作品の完成度の高さに、ため息が出た。作者の人生がそこに凝縮されているような作品が多く、一つ一つ立ち止まって鑑賞していくと、あっという間に時間が過ぎる。今回は許可を得てスナップ写真を撮ったので気に入った作品を記録できた。感受性を磨くために、非日常の空間に身をおき、しばし芸術作品に触れるのも気分転換になって良い。
染色、陶芸、木彫り、彫金等の力作が所狭しと並ぶ。ただ、去年はもっと大作が多かったように記憶している。今年の作品は一般家庭でも飾れるものが殆どだった。
開催場所の国立新美術館の建築美も素晴らしい。収蔵品を持たず、企画展や貸会場に特化した施設だ。しかし、そもそも博物館(美術館を含む)とは資料の収集保管、調査研究、展示の3機能が三位一体となった施設なのであり、美術品の収集保管という基本機能を欠如した国立新美術館が「美術館」と名乗るのはおかしいと言う意見もある。
設計は黒川紀章氏。乃木坂駅から直結。緑の広場と全面ガラス張りの明るい外観が観客を迎える。空間の処理が未来的で一つの空間の中に各階が棚のように配置され、ミュージアムショップやレストラン・カフェなどが島のように浮かぶ。建物だけでも一見の価値がある。前庭に歴史的建造物で二・二六事件ゆかりの旧歩兵第三連隊兵舎が一部分保存される。第二次世界大戦後は東京大学生産技術研究所等として使われていたが、研究所が駒場に移転し、取壊し予定であった。保存要望の声に配慮し、一部分を残したものである。
先日変な蚊を見つけた。なんと畳をよたよた歩いているのである。血を思い切り吸って重量オーバーで飛べなくなっているのである。5―6箇所やられた後だったので、このにっくき蚊を手のひらでつぶした。かなりの鮮血が畳を汚した。その珍しい話をすると、「今頃の蚊は残暑と寒暖の差で頭がイカレテ、身の程知らずにも腹一杯血を吸うんだよ。知らなかったの?そう言う時はテッシュでそっと取り上げてつぶすのが常識じゃないの。」とたしなめられてしまった。
そこで、そんなに常識的な話なのか?ネットで検索してみると出るわ出るわ・・・・・当たり前のことらしい。
その中で面白い話を一つ・・・
▽坐禅しながら六波羅蜜(ろくはらみつ)を行ずる
大乗仏教での修行に六波羅蜜(ろくはらみつ)がある。涅槃(ねはん)、すなわち「一切の悩みや束縛から脱した円満・安楽の境地に至るための六つの行である。
・布施(ふせ・他者に施すこと)
・持戒(じかい・不殺生戒などを守ること)
・忍辱(にんにく・じっと我慢すること)
・精進(しょうじん・辛抱して努力すること)
・禅定(ぜんじょう・精神を集中すること)
・智慧(ちえ・真理を見きわめる認識力)
坐禅をしながら、この六波羅蜜を行ずる方法があるのである。
夏の夜に飛び回る蚊の力を借りて修行するのである。
・布施=蚊に食われるにまかせて、蚊に血を施す。
・持戒=痒くとも叩かない。これは蚊を殺さないという不殺生戒の修行である。
・忍辱=痒くともじっと我慢する。
・精進=痒くとも辛抱して坐り続ける。
・禅定=蚊に食われても、それに気づかないほどの心境になって坐り抜く。
・智慧=蚊に食われるのではない、食わしてあげるのだ、という智慧を磨く。
(臨済宗妙心寺派第31代管長の故西片擔雪老大師の『碧巌録提唱』=09年2月、岡本株式会社・明日香塾編集発行・非売品=から引用。『碧巌録』は、中国の唐から宋の時代に活躍した高徳の禅師の言行録から百話集めたもので、今日なお日本の禅宗では宗門第一の書とされている)
ちょっと発想の転換をするならば、蚊に食われることも、実に楽しく有益なことになる。昔の禅僧は蚊の巣窟とも言える藪のなかであえて挑戦したという。
多数の蚊に食われるままに坐禅を続ける人物から血を腹一杯吸い込んで、飛べなくなった蚊が、バタバタと落ちてくる光景は陳腐なものだったと言うわけだ。
自分が生きている時間って限られていますよね?
極端なことをいうと、明日死ぬかもしれない。
でも、明日死ぬという事を頭では分かっているけど、リアルに想像できないし確率が低すぎるから、自分には起こらないだろうと大半の人は思っている。
普段みんな、そんなことは忘れて結構無駄なことに時間を使っていると思うんですね。その無駄を列挙してみます。
幸せを追い求めても時間の無駄。相対的なんだから、少しでもいい事があれば幸せと思えばよい。そして、皆で共有すればいい。使ったもん勝ちなんだよ幸せってツールは。
他人と比較しない。比較する相手の全てのバックグラウンドを知っているのか?その比較する「ものさし」は大丈夫か?
他人と比較することは100%無駄。
まだ起きていない事に絶望や不安を抱かない。まだ起きてないのだから時間を使って考えても無駄。
見た目を気にしない。他人の目が気になるからという理由で気にするなら時間がもったいない。
理想や夢はストレスを生むだけで無駄。現在の手持ちのカードだけで何ができるか考えよ。
自己啓発本を頭ごなしに拒否しない。モチベーションが低いときは、対処法の一つとして自己啓発本を立ち読みすればいい。ただ、決して買うなよ!
相手がやるなら自分もやるという考えをしない。事実、先にやる方が得なんだから、後はその成功体験を蓄積させることが重要。
テレビのスイッチを入れない。入れると、脳のスイッチが自動的に切れて思考停止になる。時間の無駄。
誰かを嫌いにならない。嫌いになる暇などない。時間の無駄。
子供にかっこわるいところを見せてもいい。子供の前だと泣けないとか、他の人に謝る姿を見せたくないとかあるけど、そんな努力しなくていい。
子供はもっと深いところを見ているから考えるだけ時間の無駄。
親友以外いらない。あとはその他知り合いでいい。
不得意なものには時間をかけない。得意ではないのだから直ぐにやめちまえ。他にすることは山ほどある。好きなことをしようじゃないか。
一発逆転を狙わない。狙っても無駄。そんなことはできない。
無駄な努力をしない。好きな事をする努力は努力でないからいくらでも時間をかけていい。
一般的な努力はやめれ。
小さな嘘をつかない。それは必然的に大きな嘘をつく要因になり、後々めんどくさいから辞めろ。無駄無駄
自分は特別な存在ではない。ホリエモンにもイチローにもなれない。諦めろ。
誰かの犠牲になることを嫌がらない。結局はね、誰かの犠牲にならないといけないの。なぜなら、あなたの犠牲になっている人は山ほどいるのだから・・・・
無難だからといって同じものを選ばない。コンビニで飲み物を買うときでも、新商品に挑戦してみる。新しい体験から何か学ぶものはあるはずだ。
読書は理解してやっと読書をしたという。本を読んでいて、理解できなかったらそれは読んだことにならない。時間の無駄。
ブログの記事でも雑誌でもそう。読んだ気になる自己満足読書ならやめれ。読むなら、少ない文章を時間かけて内容を理解した方が効果がある。
自分が犠牲、ガマンすればこの場がおさまって早く済むとか思うなよ。あとで爆発するぞ。あるラインまで来れば怒れ、そして自分の意見を押し通せ。
イライラしたら寝る。諦めてさっさと寝ろ。睡眠薬を飲んででも寝ること。
ネガティブな事を言わない。言うとモチベーションが下がるので、結局時間がかかる。悪口も同じ。
批評しない。これがいいとか悪いとかいちいち判断して口にしない。その時間で何か生産しろ。
相手の意見を否定しない。その場では表面上だけでも肯定して、持ち帰ってから心の中で否定すればいい。
脳内完結しない。妄想を膨らませて、自分の中で勝手に結論を出さない。100%間違っているから時間の無駄。
そんな時間あるなら行動しろ。走りながら考えればいい。
所有欲を捨てる。これほど無駄なものはない!全てにおいて所有欲がなくなれば相当時間が短縮されることは間違いないのだ!
(ゆきらん)
このブログを読んで笑ってしまった。・・・でも、これだけ無駄をリストアップすると、生きてること自体が無駄に思えてきた。
思考停止で生活しろと言っているのと変わりないように思うが・・・・・・でも、考えるとイライラがつのって健康にも悪いから、思考停止は現代人の持つべき知恵かもしれないね。
思考停止状態で結婚生活を送れば離婚も少なくなるかもしれない。時間の無駄と言う観点からは離婚も相当時間の無駄だ。・・・・・と言うことは結婚も無駄か?同棲だけにしといて飽きたら相手を変えれば良い。ふん・・・なかなか殺伐とした社会になるねえ。しかしこれくらいの殺伐さに耐えられなければこれからの社会は生きていけない。
このブログの主は年に20数回しかブログを書いていない。と言うことはブログを書くことも時間の無駄と認識しているということか?私の生活は無駄だらけと言うことになる・・・・・・ここらで考え直した方がよいかなあ。