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オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

家事の分担

2014-10-19 | 日記
【パートナーと家事の分担はしていますか?】
はい 56%
いいえ 43%
 
約半数以上の方が家事は分担しているようだ。
共働きが定着している今、家事分担は当たり前の生活スタイルだ。
 
その家事分担のルールは?
平等に分けるのではなく、やはり得意分野、ストレスなくできることをそれぞれが引き受けるのが王道のようだ。
臨機応変に時間がある人が家事をこなすというのも良い。担当を決めないで協力し合って家事をこなすのが理想的なのかもしれない。
いずれにしても、若い時から家事を分担する習慣をつけておくことだ。
核家族世帯が多い今、相手に先立たれても快適に生活していく知恵を身に付けるという意味でも大切なことだ。
実際、料理のできない男は妻に先立たれると、栄養失調に陥り、まもなく妻の後を追うというケースが多いように思う。
 
「男子厨房に入らず」という言葉は日本では武家社会での男女役割分担、あるいは男尊女卑の意味合いが濃いが、もともとは全く違う意味であった。
中国の『孟子』にある「君子、庖厨を遠ざくる也」の君子が男子に変わったのだ。
王(君主)の道を説くところで、「君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉、是以君子遠庖廚也」とあり、これをわかりやすく意訳すると、「正しい情を持った立派な君主であれば、たとえ家畜であっても、生きているのを見ていると、それを殺すところを見るのは忍びない気持ちになる。ましてや、その声まで聞いてしまうと、食べるのに忍びなくなってしまう。しかしそんなことでは、国を治めることはできない。だから、君主たるものは、動物を殺している厨房には近づかない方が良い」という意味になる。
 
 
さて、若い共働き世帯は当たり前でも、高齢世帯ではどうか?「男子厨房に入らず」という言葉を盾に台所仕事を拒む男性は多い。将来にわたって料理をする必要性がないなら、それもよかろう。しかし、家事は料理だけではない。掃除、洗濯、庭仕事などこまごまとした家事は多い。それらの家事をすべて拒むようなら、そのお爺さんは間違いなく粗大ゴミである。
 
我が家の場合は、料理は夫が受け持つようになって久しい。買い物が大好きで家事の中では料理が一番ストレスにならないようなのだ。確かにこの頃は楽しそうにやっている。
力仕事、庭仕事は大嫌いで、腰痛や関節痛の後遺症も発生する。ひとり暮らしになっても快適に過ごせる料理をマスターしておくのは長寿にもつながるから彼のためにも良いことだと思っている。
 
さて、近頃、私亡き後の、夫の生活について考えを変えたことがある。以前は一人暮らしは辛いから、良い人が見つかったら同棲することを是としていた。
しかし、世の中、悪い女が増えてきたように思える。保険金殺人なんて当たり前だ。
今でもぼんやりしている。認知症が進むと、簡単に騙されてしまいそうだ。ソフトムードで同世代以上に人気があるから、若い女が近づいてきたら、イチコロだ。
最近「年金が座布団の上に座っている」と夫を評した妻に大笑いしたが、まさに役立たずのお爺さんなんて年金自動支払機のようなものだ。
その頼みの綱の年金もだんだん少なくなっていく。
 
「今日、お父さんを殺します」・・・・・茨城夫刺殺の場合、殺されて当然の夫だと思うが、役立たずの夫は殺されて当然の世の中にならないように祈るのみだ。

カラスとスズメ、どちらが早起き?

2014-07-04 | 日記
四時に烏五時に雀夏の夜は明けぬ  正岡子規

この句を読んで、実際に早起きして検証した方がご近所に・・・・・
確かに4時にカラスが鳴いて、その後、スズメがさえずると言う。
 
大多数の人は黒くて不気味なカラスは朝寝坊だと思う。それがカラスの方が早起きだと聞いて、「意外と規則正しい生活してるんだ」とか、「すがすがしい朝の空気が好きなんだ」とか勝手に思って好感を持ったりする。私も正岡子規の句に詠まれた鳥の生態に興味を持って早起きした彼女の探究心や感性に感心したり、新鮮に感じたり・・・・

カラスの早起き、スズメの寝坊(柴田敏隆/著)と言う本がある。文化鳥類学者の著者が、人の社会と鳥とのかかわりや鳥の個性についてまとめた本だ。

 カラスはオウム、インコの類と共に現存の鳥類では最も進化の進んだ種類で、 その頭脳も抜群に優れている。 昔、日本の農村では「カラスをいじめると、報復のために灯明の火のついた蝋燭を運んで、 茅葺き屋根に火をつけるような仇をなす」といって恐れたと言う。2002.10.26朝日新聞夕刊では「神社でぼや多発 カラスの仕業?」とある。

 京都市内の神社の境内から、カラスが火のついたろうそくをくわえて飛びさる---。こんな様子を東京大学の樋口広芳教授(鳥類生態学)がビデオで撮影した。樋口教授は ある神社でビデオ装置をセットして張り込んだ。そして2日目。 供えられたろうそくめがけてカラスが飛来、火がついたままくわえて飛び去る様子を撮影した。 周辺を調べた樋口教授は、ろうそくを くわえて運んできたカラスが落ち葉の下に隠すところも目撃した。また、ろうそくをかじったり、ろうをなめたりしたことも確認した。

なるほど、そんなに頭のいいカラスなら早起きももっともな理由があってのことだろう。気持ちがいいからではなく、「早起きは三文の得」だからだ。他の鳥が起きる前に起きて、少ない餌を確保するのが目的か?今ではゴミ漁りを人間に邪魔されることなく、心行くまで行い、朝食を落ち着いてするためだろう。人間がまだ起きてこない時間帯に、しかも夜出しする住民が多いゴミ捨て場に出勤するのが目的だろう。

早起きの理由は、生きるためだ。たらふく食べた後は別のカラスに、ご飯のありかを知らせるために泣く。スズメはゴミあさりをしないから早起きの必要はない。そんな世知辛い訳があると考えると興ざめだ。
 
四時に烏五時に雀夏の夜は明けぬ  正岡子規
理由など考えずに鑑賞しておけばよかった・・・・・

2014日本新工芸展

2014-05-25 | 日記

今年も新工芸展の季節がやってきた。独断と偏見で気に入った作品のスナップ写真を撮ってきた。

去年と同じく小ぶりの作品が多かったが、なんと去年と同じものも出品されていた。自分が創作、到達した技法が世に認められ、そのテーマを数年繰り返す作家は沢山いるらしい。したがって、同じように見えても微妙に異なると言うことだ。しかし、下の作品の場合、去年が日本新工芸賞、今年が日本新工芸奨励賞、同じような作品で毎年賞をとれることに違和感を感じる。
私の好みの作品で去年のスナップ写真にもおさまっていたので微妙な違いがあるのは検証できた。

 まったく凡庸にしか見えない織物の作品が内閣総理大臣賞をとっていた。
「えっ、これが総理大臣賞?信じられないねえ。総理大臣、芸術的センスまるでないんじゃないの。」
「いや、きっと、お友達なんですよ。」

染色に個性的な作品が少なかった。唯一、気に入ったのは「灯」。遥か上方から灯が漏れ、階段を照らしている。なんとも幻想的で作者の心象風景の表現とも思える。


人体 ミクロの大冒険

2014-04-06 | 日記

人はどうつくられるのか、どのように生きる力を得ているのか、そして、なぜ老い、死ぬのか。そのメカニズムの主役は細胞だ。私たちの身体は200種類・60兆の細胞でできているが、その多様な活動がいま、最新のバイオイメージング技術によって捉えられている。このシリーズはバイオイメージングの最新映像をもとに、圧倒的な高品質CGで再現した人体世界をめぐりながら、私たちの命を育む仕組みを探っていく。

 第1回目はiPS細胞研究所 所長 山中伸弥さんと、劇作家・演出家・役者の野田秀樹さん、ヴァイオリニストの葉加瀬太郎さんの対談で進行した。
 私たちの成長を支えているのは、細胞がつくり出す柔軟性だ。遺伝子は受精の瞬間に決まってしまう。実際に生きていく環境に応じて臨機応変に対応するのが、細胞の役割だ。細胞が周りの環境を察しながら、働かせる遺伝子を選択して変化し、私たちが生き延びるための力を強化しているのである。ここで例に挙げられるのはダイエットをして炭水化物の量が少ない妊婦の子供は脂肪細胞が増えて成長するとともに肥満になると言う。
 なかでも、成長のカギを握っている細胞は、脳をつくる神経細胞だ。学習や経験に応じて変化する神経細胞は、まさに私たちの人生を背負う細胞だ。ところが、この神経細胞は取り替えがきかない。皮膚をはじめ、ほとんどの細胞は新陳代謝で活発に入れ替えることで私たちの長い人生をカバーしているのに対し、神経細胞は珍しい一生モノの細胞なのだ。そこで、神経細胞は驚くべき長もち策をつくりあげた・・・。
 音に関する感受性が強いのは生後6カ月ぐらいまでである。12か月になると、もはや音の微妙な違いは認識できない。人間の脳の神経細胞はシナプス結合を猛烈な勢いで行い、脳に新しい回路を造ることで、認識や考える能力を飛躍的に増大させる。しかし、その高速な神経細胞の結合は数年で終わってしまう。毒蛇の毒に匹敵するような毒を使ってまでシナプス結合を阻止するのである。ネズミの実験でこの毒が発生しないようにすると、結合はどんどん起こり、ネズミの脳は壊死してしまう。あまりにも過剰なエネルギーを使いすぎて、神経細胞が死んでしまうのだ。それを阻止するために、ある程度の回路が形成されたら、もうそれ以上新しい回路ができないように防御すると言うのだ。しかし、脳細胞はもう一つの仕掛けを準備している。年を経ても、繰り返し集中することで神経の連結が太くなり、高速化して新しい能力を得ることもできると言うのだ。使わない脳は退化するだけという理屈になる。

 第2回目は山中伸弥さん、野田秀樹さん、角田光代さん、松嶋尚美さんの対談で進行した。
 男女の性が変わる?思春期に男性から女性へ、女性から男性へ。ドミニカ共和国のサリーナス村での珍しくない事象である。変身の時期は思春期。細胞の脅威の力が成熟した男女へと、劇的に変身させる、その仕掛け人は、ホルモン。脳には内分泌細胞があり、全身の細胞を変化させるホルモンを分泌する。脳の下にたれさがる脳下垂体。視床下部に内分泌細胞が集中している。下に向けて長いしっぽをのばし、ホルモンを血管に向けて放出する。ホルモンは血流にのって、全身へまわり、受容体と結び付くと細胞は分裂を始める。内分泌細胞がホルモンを出すことで60兆の細胞を丸ごと変えていく。Y染色体、X染色体で性別が決まるが、遺伝子が性を決めるのは誕生までで、その先は細胞が成熟の役割を担う。胎児のときにも性ホルモンを受け取るが、サリーナス村の人たちは何らかの原因でうまく信号を出してもらえなかったと考えられる。近親婚が多い村というのも原因かもしれない。
 思春期で人は成熟した体に変身し、出産で視床下部にあるオキシトシン細胞が活動を始める。これも長いしっぽを持っていてオキシトシンというホルモンを放出する。陣痛を起こすホルモンだ。オキシトシン細胞は出産後も高濃度にホルモンを分泌する。オキシトシン細胞は長いしっぽを脳にものばし、オキシトシンを放出している。ネズミの実験により、このオキシトシンは愛着行動を引き起こすことが解明された。ハタネズミは普通のネズミと比べてオキシトシン受容体が多く、それが一生同一個体とつがいを形成する愛着行動を生み出している。普通のネズミにもオキシトシン受容体を増やす注射をしてみたら、なんと愛着行動を取り始めた。親密な絆はオキシトシンが欠かせないと言うことか? 脳の扁桃体は恐怖や緊張を司るが、ここにオキシトシンが働くと警戒心が解ける。側座核も強い快感を覚える。子への愛情を深めるために出産後もオキシトシンを出し続けていたのだ。
 ここまで見てくると、ホルモンを介して心までも細胞に支配されているように見える。ポールザック博士は逆に自分の意志で細胞を制御できるんじゃないかと考えて実験を始めた。インストラクターに命を預けるスカイダイビングでの実験中、他人に命を預けた時のオキシトシンの量が230%も上がった。オキシトシン細胞はインストラクタを信用するようにオキシトシンを出したのだ。婚約中のカップルがキスをすることで、オキシトシンは男性は26%、女性は213%増えた。初対面の人でもダンスをしたり、映画を見たり、何かを一緒にすることで、平均で11%、多い人は46%もアップした。オキシトシンを出せば他の人にやさしくなり、より寛容になれる。動物と違い、人間はなりたい自分になれるはずだ。
 自閉症の臨床試験をするプロジェクトが始まっている。オキシトシンが低い自閉症の患者さんにオキシトシンスプレーを使って吸いこんでもらうと、3~4日くらいで、いいたいことがバンバンでるようになったと言う。結果は分析中だが、アルバイト探しを始めて自立への模索を始めたと言う。
 通常ホルモンは年とともに減るが、オキシトシンは高齢になっても活発に分泌し続けると言う。年をとっても絆を作る能力は衰えないと言うことか?いや、人間は年をとればとるほど絆なしでは生きていけないと言うことだろう。

 第3回目は山中伸弥さん、野田秀樹さん、阿川佐和子さん。
 これまで老化とは「身体のあらゆる場所が衰えること」とされていたが、最新の細胞研究は「免疫細胞の衰えがその根底にある」という事実を明らかにしつつある。身体を守るはずの免疫システムを指揮するT細胞という免疫細胞は思春期の始まりとともに生産がほぼ終わってしまう。そのため、年齢を重ねるにつれて能力が衰え、やがて誤作動して自らの組織を攻撃するようになり、老年病や生活習慣病といった多くの病気を引き起こす原因のひとつになっているのだ。こうした知見により、免疫細胞の老化そのものを防ごうとするまったく新しい老化研究がはじまっている。

 イタリア サルデーニャ島は長寿の人の割合が多い。5000人に一人が100歳以上で、世界平均の2倍だ。血中の免疫細胞の働きに違いがあった。病原体をいれたとき、20代ではすぐに闘いに向かうが、60歳では、ほとんど動かない。ところがサルデーニャ島のお年寄りの免疫細胞は20代のようによく働いていた。骨髄のニッチとよばれる特別な場所で生まれる免疫細胞の一つ、T細胞は進入したものが敵かどうか判断する司令塔のような役割を果たす。血管にはいった免疫細胞たちは、まず樹状細胞が異物を見つけるとT細胞のもとへ運んで行く。T細胞はそれが敵かどうか判断し、敵の場合はサイトカインを噴き出す。その命令によりマクロファージが病原体を次々食べていく。T細胞を中心としたチームプレイが健康を作っている。
 年を取ると増えてくる病気のほとんどは免疫細胞が深くかかわっている。動脈硬化も実はコレステロールではなく、マクロファージの異常攻撃が原因だ。サイトカインは攻撃命令になったり、病原体の動きを鈍くしたりするが、一つ間違えると、体中が免疫細胞の攻撃対象になってしまう。糖尿病もこのサイカトンが血中にまき散らされて体が糖分を取りこむことができなくなり、血中の糖分が高くなる病気だと言う。
 子供の心臓の真上に胸腺がある。実はこれがT細胞に欠かせない。骨髄で作られたT細胞は胸腺で厳しく選別される。胸腺の壁に触れた不適格なT細胞が次々死んで5%以下のT細胞だけが生き残る。ところが胸腺は思春期を過ぎるとほとんどなくなってしまう。血液中のT細胞の数は20代と70代では変わらないが、正常な判断力をもったものは1割程度に減少してしまう。胸腺の消滅は人間の防御作用の一つで、たった5%のために大量にT細胞を作るのはエネルギーの無駄だから思春期を過ぎて子孫を残す準備ができたら、後は免疫細胞は衰えるだけだと・・・細胞に支配されている人体としては実に合理的な戦略なのだ。
 
 京都大学で去年iPS細胞から人工T細胞が作成された。体からT細胞を取り出し、山中ファクターを加えiPS細胞にし、増殖させて、それを再びT細胞にして体に戻す。免疫力が飛躍的に増す。iPS細胞の可能性は無限だ。脊髄損傷して後ろ足が麻痺したマウスもiPSが生み出した人工の神経幹細胞を注入すると、なんと歩きだしたではないか。皮膚から精子、卵子も作りだせる。今、人間は細胞そのものを、生命の源を操作する手段を見い出した。今の倫理では到底許されないことが可能になろうとしている。生命の尊厳を守るはずの医療が逆に命の値段を安くする結果にならないか?人間のサイボーグ化にならないか、未来の人間は難しい選択を迫られている。

新年おめでとうございます。

2014-01-04 | 日記

午年生まれ
華やかな存在感があり情熱的な性格で、才知 才能に富んでいます。若い頃は、直観力が優れていて活動的なので、チャンスに恵まれます。
独立心が旺盛で、冒険心も強く行動力があります。一方で、見栄張りで、好き嫌いが激しく、感情の起伏が激しい気分屋なところもありますが、開けっぴろげで、腹の中に何も無いという、正直さがあるので人には憎まれず、人気があります。
組織に反発するところもあり、独立をする人もいますが、派手な生活をしているように見えても、地道さは忘れていません。
強運の持ち主なので、若い時に目標を定めて努力をする事により、持って生まれた実力を発揮して将来大成するでしょう。
例え、挫折をしてもどんな状況でも短気を起こさずに、明るさと前向きな姿勢を失わない事が、更に運気をあげるでしょう。
陽気な性格で派手好きで陰気なことは嫌いです。弁舌のうまいことは天性で、交際はまことに上手でぬかりなく、気転もきき世話好きという天性もあります。そのため収入よりも支出が多くなるようなことにもなり、楽しみながら金を儲けたいという心が生じ、一獲千金の野望を起こし、投機的なことに手を出したがりますが、本来が大器でないために果断な行動がとれず、投機も中途半端な結果に終ることが多いようです。男子は弁舌は巧みなので社交的ですから、外交的な手腕を買われて、職業的にも成功する人もありますが、派手好きと、威張りたい性質があるため、行きすぎがあったり虚栄を張ったりして苦労が絶えません。裏目に出れば借金だらけとなりますので、じゅうぶん注意しなければなりません。

イヌ・イ年生まれの人とは比較的いい相性です。お互いの努力次第では幸せな家庭を築くことができるでしょう。

金 運
遊びすぎで好色であるため、経済観念を持っていながら浪費の傾向があります。ぜいたくで貯蓄の才に乏しいので、この点を注意すれば晩年の初期に良運が訪れます。
 
ふんふん、なかなか良い性格・良い運勢ではないか。遊び好き・好色と言うのは少々気になる性格ではあるが・・・・・
最近親戚になった人物の干支による性格診断である。
乗馬を始めて3年と言うことだが、45分の乗馬で汗びっしょりになると言う。馬術なるものは馬を運動させて、自分は楽するスポーツだと思っていたが、意外にもハードなスポーツらしい・・・
と言っても高齢な法華津選手がオリンピックに出場できるのだから、マイナーで体力と言うよりはいかにうまく馬を手なずけるかが勝負のスポーツだと思う。
子供や動物・・・・期待通りにはならない厄介な存在を自分の思い通りに操る手腕は家庭運営でも役に立つだろう。
 
今年こそはみんなの生活が楽になって、せめて身近な人に思いやりを示すことができる世の中に方向転換できるといいのだが。
 

日本新工芸展

2013-05-27 | 日記

今週は、芸術の春と勝手に決め込んで、絵画展と工芸展に行ってきた。
 近所の方の出展があった銀座の絵画展は「心の彩展」と銘打って素人画家の作品が並ぶ。あまり心惹かれるものは見つからなかった。

次に行った新日本工芸展は去年今年と二度目だが、プロの作品の完成度の高さに、ため息が出た。作者の人生がそこに凝縮されているような作品が多く、一つ一つ立ち止まって鑑賞していくと、あっという間に時間が過ぎる。今回は許可を得てスナップ写真を撮ったので気に入った作品を記録できた。感受性を磨くために、非日常の空間に身をおき、しばし芸術作品に触れるのも気分転換になって良い。

染色、陶芸、木彫り、彫金等の力作が所狭しと並ぶ。ただ、去年はもっと大作が多かったように記憶している。今年の作品は一般家庭でも飾れるものが殆どだった。

開催場所の国立新美術館の建築美も素晴らしい。収蔵品を持たず、企画展や貸会場に特化した施設だ。しかし、そもそも博物館(美術館を含む)とは資料の収集保管、調査研究、展示の3機能が三位一体となった施設なのであり、美術品の収集保管という基本機能を欠如した国立新美術館が「美術館」と名乗るのはおかしいと言う意見もある。

設計は黒川紀章氏。乃木坂駅から直結。緑の広場と全面ガラス張りの明るい外観が観客を迎える。空間の処理が未来的で一つの空間の中に各階が棚のように配置され、ミュージアムショップやレストラン・カフェなどが島のように浮かぶ。建物だけでも一見の価値がある。前庭に歴史的建造物で二・二六事件ゆかりの旧歩兵第三連隊兵舎が一部分保存される。第二次世界大戦後は東京大学生産技術研究所等として使われていたが、研究所が駒場に移転し、取壊し予定であった。保存要望の声に配慮し、一部分を残したものである。


オオイヌノフグリ

2013-02-23 | 日記
 
犬ふぐり  星のまたたく  如くなり     高浜虚子


オオイヌノフグリの花は深い青い色がとても美しく、花がくっきりと浮かび上がる。
明治時代に渡来した「帰化植物」で、本州以南にごく普通に分布している。近縁のイヌノフグリの方が早く渡来していたが、オオイヌノフグリが広まると、激減してしまう。

 花の大きさは8mm~10mmほどしかないが、少し紫がかった青い色は、魅惑的だ。
また、真上を向いて咲くので、花がよく際立ち、星が瞬いているようにも見える。
1日花とされるが、晴天の日の朝に開き、夕方になるとしぼみ、3日ほど咲き続けるらしい。

オオイヌノフグリの実は平たいハート型をしていて、熟すと2つに裂けてタネが出る。1個の実には、1.5ミリほどのタネが20粒ほど入っている。タネは風に飛ばされるわけでもなく、その場に落ち、人の靴裏にくっついて運ばれ、広く分布する。イヌノフグリの名前の由来は果実の形によるものであるが、オオイヌノフグリの果実の形はイヌノフグリと少し異なる。あまりいい名前とは言いがたいので、似てもいない果実の名前を引き継いだのは気の毒である。


オオイヌノフグリの茎は根元から枝分かれして横にはう性質があるので、高さは5cm~10cmにしかならない。
可憐な草花ではあるが、なかなか繁殖力旺盛な生態を持っている。
花は真上に向かって咲き、昆虫の止まり台として格好な花である。ところが、実際に昆虫がとまると、花茎がやわらかくて曲がってしまう。昆虫は花から落ちそうになり、雄しべと雌しべにしがみつく。花から突き出た雄しべと雌しべも不安定な作りになっていて、雄しべにしがみついた昆虫の体に花粉がしっかりとつく。別の花に飛んでいった昆虫は、やはり花にしがみついて体の花粉を雌しべにつける。ところが昆虫が居なくてもさほど困らない。夕方に花びらを閉じる時、雄しべと雌しべをつけて自家受粉する機能もある。

オオイヌノフグリの花をよくよく見ると、花の中にキリストの顔が浮かび上がって見えることから、関連する伝説の女性の名前がつけられ、欧米ではベロニカと呼ばれている。十字架を背負って処刑場に向かうキリストの顔の汗を拭いてあげた女性の名前だそうだ。そのハンカチにキリストの顔が浮かび上がったという伝説がある。
 
可憐で目立たない花ながら、なかなか、意味深な名前を持ち、古来より人間を魅了してきたようだ。
花言葉は「神聖・清らか・微笑みを持って」。
 

啓蟄

2013-02-23 | 日記
 
スキーに呆けているうちに、梅が咲き、菜の花が咲き、道端の野草も眠りから覚め、すっかり春めいてきた。 
天声人語で取り上げられていた一句が面白かったので、調べてみた。
 
 ことば遊びと言うジャンルがあるようで、先人はいろいろと知恵を絞ったようだ。
 物名で複数の単語を織り込む場合には、花の名前・動物の名前・国の名前など、特定のカテゴリーで揃えるのが基本らしい。
 
小林一茶作と言われる一句

<昼からはちと影もあり雲の峰>

 17文字には7種の小さな生きものが隠れている。順に「蛭(ひる)、蚊(か)、蜂(はち)、蜥蜴(とかげ)、蟻(あり)、蜘蛛(くも)、蚤(のみ)」とならぶ。

歌人:頓阿(1289-1372)の歌

 <逢ふてうきは 雲にかげろふ 有明に 風身にしみて 帰るさの道>

 あふ→虻 くも→蜘蛛 かげろふ→蜉蝣 あり→蟻 か→蚊 せみ→蝉 しみ→紙魚 かへる→蛙 のみ→蚤
しみとは?最近では珍しい昆虫だが、昔は良く見かけたらしい。・・・そう言えば、つぶすと銀の粉がつく虫が居たなあ・・・・
しみ【衣魚・紙魚・蠧魚】(体形が魚に似ているので「魚」の字を用いる) シミ目シミ科の原始的な昆虫の総称。体は細長く無翅。一面に銀色の鱗におおわれ、よく走る。衣服・紙類などの糊気あるものを食害。


怪文師:栗田彌超(生年不明)は十二支の動物の名前だけを使った川柳を詠んでいる。

 <馬逝ぬ日 辻立つ憂しと 雷雨峰>

 うま いぬ ひつじ たつ うし とら い う み ね
  午  戌  未   辰  丑  寅 亥 卯 巳 子

 十二支の字数では川柳の構成上、四文字が余る。「取り去る」という意味で「酉(とり)」と「申(さる)」を除いたという。

完璧!!!「取り去る」まで洒落を利かしているのには感心した。隙がないとはこういう事をいう。

そろそろ、野山歩きも気持ちの良い季節になりつつあるが、今年はマダニで4人死亡という報道があり、ちょっと心配だ。感染すると、6日~2週間の潜伏期の後、発熱や下痢、腹痛などの症状が出る。血小板や白血球の減少が起きることもある。中国では200人以上の感染者が出て、致死率は12%と報告された。ワクチンや治療薬はなく、対症療法が中心だ。 国立感染症研究所の西條政幸ウイルス第一部長によると、中国では患者を介護する際、血液に触れた家族が感染した例も報告された。西條さんは「突然、危険なウイルスが出現したわけではないだろう。患者が急増するようなことはあり得ないと思う」と話す。
 馬原アカリ医学研究所の藤田さんによると、ペットの犬や猫にマダニがくっついて家に持ち込まれ、人がかまれる可能性もある。マダニは乾燥に弱く、室内では数日で死んでしまう。家の庭にいつくこともある。「庭作業でも、肌の露出を避けた方がいい」と藤田さんは話す。
 マダニは体の様々な場所にかみつき、数日から1週間ほど血を吸い続ける。イエダニと違い、かまれてもかゆみや痛みなどは感じない。成虫は数ミリだが、血を吸い終えると1センチ近くに膨れあがるそうだ。
 かまれていることに気付いたら、きれいにとってもらうために、皮膚科などを受診した方がいい。
 

腹一杯で飛べなくなった蚊

2012-10-01 | 日記

先日変な蚊を見つけた。なんと畳をよたよた歩いているのである。血を思い切り吸って重量オーバーで飛べなくなっているのである。5―6箇所やられた後だったので、このにっくき蚊を手のひらでつぶした。かなりの鮮血が畳を汚した。その珍しい話をすると、「今頃の蚊は残暑と寒暖の差で頭がイカレテ、身の程知らずにも腹一杯血を吸うんだよ。知らなかったの?そう言う時はテッシュでそっと取り上げてつぶすのが常識じゃないの。」とたしなめられてしまった。
そこで、そんなに常識的な話なのか?ネットで検索してみると出るわ出るわ・・・・・当たり前のことらしい。

その中で面白い話を一つ・・・
▽坐禅しながら六波羅蜜(ろくはらみつ)を行ずる

大乗仏教での修行に六波羅蜜(ろくはらみつ)がある。涅槃(ねはん)、すなわち「一切の悩みや束縛から脱した円満・安楽の境地に至るための六つの行である。
・布施(ふせ・他者に施すこと)
・持戒(じかい・不殺生戒などを守ること)
・忍辱(にんにく・じっと我慢すること)
・精進(しょうじん・辛抱して努力すること)
・禅定(ぜんじょう・精神を集中すること)
・智慧(ちえ・真理を見きわめる認識力)

坐禅をしながら、この六波羅蜜を行ずる方法があるのである。
夏の夜に飛び回る蚊の力を借りて修行するのである。

・布施=蚊に食われるにまかせて、蚊に血を施す。
・持戒=痒くとも叩かない。これは蚊を殺さないという不殺生戒の修行である。
・忍辱=痒くともじっと我慢する。
・精進=痒くとも辛抱して坐り続ける。
・禅定=蚊に食われても、それに気づかないほどの心境になって坐り抜く。
・智慧=蚊に食われるのではない、食わしてあげるのだ、という智慧を磨く。
(臨済宗妙心寺派第31代管長の故西片擔雪老大師の『碧巌録提唱』=09年2月、岡本株式会社・明日香塾編集発行・非売品=から引用。『碧巌録』は、中国の唐から宋の時代に活躍した高徳の禅師の言行録から百話集めたもので、今日なお日本の禅宗では宗門第一の書とされている)

ちょっと発想の転換をするならば、蚊に食われることも、実に楽しく有益なことになる。昔の禅僧は蚊の巣窟とも言える藪のなかであえて挑戦したという。
多数の蚊に食われるままに坐禅を続ける人物から血を腹一杯吸い込んで、飛べなくなった蚊が、バタバタと落ちてくる光景は陳腐なものだったと言うわけだ。


貴方の生活は無駄だらけ

2012-10-01 | 日記

自分が生きている時間って限られていますよね?
極端なことをいうと、明日死ぬかもしれない。
でも、明日死ぬという事を頭では分かっているけど、リアルに想像できないし確率が低すぎるから、自分には起こらないだろうと大半の人は思っている。

普段みんな、そんなことは忘れて結構無駄なことに時間を使っていると思うんですね。その無駄を列挙してみます

幸せを追い求めても時間の無駄。相対的なんだから、少しでもいい事があれば幸せと思えばよい。そして、皆で共有すればいい。使ったもん勝ちなんだよ幸せってツールは。

他人と比較しない。比較する相手の全てのバックグラウンドを知っているのか?その比較する「ものさし」は大丈夫か?
他人と比較することは100%無駄。

まだ起きていない事に絶望や不安を抱かない。まだ起きてないのだから時間を使って考えても無駄。

見た目を気にしない。他人の目が気になるからという理由で気にするなら時間がもったいない。

理想や夢はストレスを生むだけで無駄。現在の手持ちのカードだけで何ができるか考えよ。

自己啓発本を頭ごなしに拒否しない。モチベーションが低いときは、対処法の一つとして自己啓発本を立ち読みすればいい。ただ、決して買うなよ!

相手がやるなら自分もやるという考えをしない。事実、先にやる方が得なんだから、後はその成功体験を蓄積させることが重要。

テレビのスイッチを入れない。入れると、脳のスイッチが自動的に切れて思考停止になる。時間の無駄。

誰かを嫌いにならない。嫌いになる暇などない。時間の無駄。

子供にかっこわるいところを見せてもいい。子供の前だと泣けないとか、他の人に謝る姿を見せたくないとかあるけど、そんな努力しなくていい。
子供はもっと深いところを見ているから考えるだけ時間の無駄。

親友以外いらない。あとはその他知り合いでいい。

不得意なものには時間をかけない。得意ではないのだから直ぐにやめちまえ。他にすることは山ほどある。好きなことをしようじゃないか。

一発逆転を狙わない。狙っても無駄。そんなことはできない。

無駄な努力をしない。好きな事をする努力は努力でないからいくらでも時間をかけていい。
一般的な努力はやめれ。

小さな嘘をつかない。それは必然的に大きな嘘をつく要因になり、後々めんどくさいから辞めろ。無駄無駄

自分は特別な存在ではない。ホリエモンにもイチローにもなれない。諦めろ。

誰かの犠牲になることを嫌がらない。結局はね、誰かの犠牲にならないといけないの。なぜなら、あなたの犠牲になっている人は山ほどいるのだから・・・・

無難だからといって同じものを選ばない。コンビニで飲み物を買うときでも、新商品に挑戦してみる。新しい体験から何か学ぶものはあるはずだ。

読書は理解してやっと読書をしたという。本を読んでいて、理解できなかったらそれは読んだことにならない。時間の無駄。
ブログの記事でも雑誌でもそう。読んだ気になる自己満足読書ならやめれ。読むなら、少ない文章を時間かけて内容を理解した方が効果がある。

自分が犠牲、ガマンすればこの場がおさまって早く済むとか思うなよ。あとで爆発するぞ。あるラインまで来れば怒れ、そして自分の意見を押し通せ。

イライラしたら寝る。諦めてさっさと寝ろ。睡眠薬を飲んででも寝ること。

ネガティブな事を言わない。言うとモチベーションが下がるので、結局時間がかかる。悪口も同じ。

批評しない。これがいいとか悪いとかいちいち判断して口にしない。その時間で何か生産しろ。

相手の意見を否定しない。その場では表面上だけでも肯定して、持ち帰ってから心の中で否定すればいい。

脳内完結しない。妄想を膨らませて、自分の中で勝手に結論を出さない。100%間違っているから時間の無駄。
そんな時間あるなら行動しろ。走りながら考えればいい。

所有欲を捨てる。これほど無駄なものはない!全てにおいて所有欲がなくなれば相当時間が短縮されることは間違いないのだ!
(ゆきらん)


このブログを読んで笑ってしまった。・・・でも、これだけ無駄をリストアップすると、生きてること自体が無駄に思えてきた。
思考停止で生活しろと言っているのと変わりないように思うが・・・・・・でも、考えるとイライラがつのって健康にも悪いから、思考停止は現代人の持つべき知恵かもしれないね。
思考停止状態で結婚生活を送れば離婚も少なくなるかもしれない。時間の無駄と言う観点からは離婚も相当時間の無駄だ。・・・・・と言うことは結婚も無駄か?同棲だけにしといて飽きたら相手を変えれば良い。ふん・・・なかなか殺伐とした社会になるねえ。しかしこれくらいの殺伐さに耐えられなければこれからの社会は生きていけない。
このブログの主は年に20数回しかブログを書いていない。と言うことはブログを書くことも時間の無駄と認識しているということか?私の生活は無駄だらけと言うことになる・・・・・・ここらで考え直した方がよいかなあ。