土台だけが残る広範な被災地を見て、「見にきてよかった」、ただそう思った。たった、2日間だったが、その土地に足を運んで感じることは横浜にいては感じられない。一日目は屋内の瓦礫撤去、泥の掻き出し、2日目は草取りと積み上げられたヘドロの撤去、大いに体力が必要な作業だった。腐臭のするヘドロを20余名のボランティアで片付けることができ、現地の方の「ボランティアの方の姿を見るだけで元気付けられる」という言葉に我々も嬉しくなり、快い達成感に疲れも吹き飛んだ。
今は力仕事だけでなく、被災者のコミュニティづくりを支援する活動も行っている。今回も土俵つくりや花壇の植え付けの募集があった。中高年ばかりでなく、20―30代の青年も日本全国から来ている。釜石での人口は半分に減った。もともと過疎だったところに若者は殆どいない。既に今年3回目のボランティア参加となるO氏の話では交通便の悪い仮設住宅に閉じ込められた高齢者の生活支援ボランティアのニーズは奥地に行くほど切実だという。今回参加した方達の多くは日常的にボランティアを実践し、ボランティアが生活の一部になっている。ボランティア活動に必要なのは雄弁ではなく、体が先に動く能力であることを目の当たりにした。
遠野は、震災直後から、岩手県の救難・支援活動拠点になった。「遠野まごころネット」は、全国から集まったボランティアを受け入れ、被災地のニーズとのマッチングを行い、陸前高田・釜石・大槌に送りだしている。映画「ホーム」のロケ地になった遠野ふるさと村、座敷わらしの住んでいそうな曲がり屋での宿泊もわくわくする体験だった。自家製どぶろくは濃くて芳香豊かな一品だった。美人の管理人さんのもてなしも再度、足を運びたくなるだろう。
わずかなお金を落とし、地元の人と少しだけ話をし、被災地にちょっと寄り添っただけだが、善意を形に表すことは、大切なことだと感じた。善意と感謝する気持ちが希薄になればコミュニティは崩れ始める。合理性と効率が支配する現代は人間として当たり前の気持ちが人々の心から抜け落ちていく。効率優先と合理化の名の下でどれだけたくさんの弱者が切り捨てられてきたことか。ボランティアには効率や合理性、無駄を省くという言葉はなじまない。人々の善意と感謝の気持ちが出会うところにボランティアがある。自分の心に芽生えたささやかな善意を形にしていくこと以外にできることはないと改めて感じた。
今回のボランティアで特筆すべき青年に会った。容貌・服装で異彩を放ち、最初から注目してしまった。30代前半で藤野の周辺に住んでいる。半年ほどの長期ボランティアも経験し、「ボランティアとは充実した時間を過ごすことです。」などと卓見がサラッと口を衝く。「インドではバスの運行は24時間後になることもある。必ず来るんだから、安心して待てと現地の人に言われた。」海外漫遊の経験も豊富そうだが、「日本が一番いい。なんと言っても人がいい。」と嬉しくなることを言ってくれる。
藤野では自給自足の生活を営みつつ、創作活動を行っている芸術家が集まっているという。理論的指導者がいるわけでもなく、自然発生的に集まってコミュニティができているようだが、そんな自立した共同体が野火のように拡がって日本全国を覆い尽くすことでしか変革はできないと言う。政治無関心層なのではなく、国政レベルからの変革は諦めているのである。いわゆる藤野芸術村での自由な空気がそんな希望を育んでいるようだが、県主導で育成されてきた芸術の村でそんな改革思想が芽生えているとは・・・・驚きです。日本の変革が草の根レベルからできるとは思わないが、少なくとも○○反対運動で疲弊するより、日々の生活を楽しみ、充実した時間を過ごせているなら、自己完結的で他人がとやかく言うことではない。日焼けした顔に大きな瞳が優しく、意志が強そうだが、穏やかな面構えに台頭しつつある新しい世代を見るような気がした。テレビも新聞もない生活だが、PCだけはあるという。誰にも支配されない人生と言う時間の中で充実した時を過ごし、事の本質を見抜く五感を研ぎ澄ましていって欲しい。
そして、支援の中で「心が喜ぶ働き方」を見つけ、事業家・漁師として被災地に移住する青年が少なからず存在することを知って、その芽が大きく育って欲しいと願わずにはいられなかった。