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オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

岩手県ボランティアに参加して

2012-06-15 | 日記

土台だけが残る広範な被災地を見て、「見にきてよかった」、ただそう思った。たった、2日間だったが、その土地に足を運んで感じることは横浜にいては感じられない。一日目は屋内の瓦礫撤去、泥の掻き出し、2日目は草取りと積み上げられたヘドロの撤去、大いに体力が必要な作業だった。腐臭のするヘドロを20余名のボランティアで片付けることができ、現地の方の「ボランティアの方の姿を見るだけで元気付けられる」という言葉に我々も嬉しくなり、快い達成感に疲れも吹き飛んだ。
今は力仕事だけでなく、被災者のコミュニティづくりを支援する活動も行っている。今回も土俵つくりや花壇の植え付けの募集があった。中高年ばかりでなく、20―30代の青年も日本全国から来ている。釜石での人口は半分に減った。もともと過疎だったところに若者は殆どいない。既に今年3回目のボランティア参加となるO氏の話では交通便の悪い仮設住宅に閉じ込められた高齢者の生活支援ボランティアのニーズは奥地に行くほど切実だという。今回参加した方達の多くは日常的にボランティアを実践し、ボランティアが生活の一部になっている。ボランティア活動に必要なのは雄弁ではなく、体が先に動く能力であることを目の当たりにした。
遠野は、震災直後から、岩手県の救難・支援活動拠点になった。「遠野まごころネット」は、全国から集まったボランティアを受け入れ、被災地のニーズとのマッチングを行い、陸前高田・釜石・大槌に送りだしている。映画「ホーム」のロケ地になった遠野ふるさと村、座敷わらしの住んでいそうな曲がり屋での宿泊もわくわくする体験だった。自家製どぶろくは濃くて芳香豊かな一品だった。美人の管理人さんのもてなしも再度、足を運びたくなるだろう。
わずかなお金を落とし、地元の人と少しだけ話をし、被災地にちょっと寄り添っただけだが、善意を形に表すことは、大切なことだと感じた。善意と感謝する気持ちが希薄になればコミュニティは崩れ始める。合理性と効率が支配する現代は人間として当たり前の気持ちが人々の心から抜け落ちていく。効率優先と合理化の名の下でどれだけたくさんの弱者が切り捨てられてきたことか。ボランティアには効率や合理性、無駄を省くという言葉はなじまない。人々の善意と感謝の気持ちが出会うところにボランティアがある。自分の心に芽生えたささやかな善意を形にしていくこと以外にできることはないと改めて感じた。

今回のボランティアで特筆すべき青年に会った。容貌・服装で異彩を放ち、最初から注目してしまった。30代前半で藤野の周辺に住んでいる。半年ほどの長期ボランティアも経験し、「ボランティアとは充実した時間を過ごすことです。」などと卓見がサラッと口を衝く。「インドではバスの運行は24時間後になることもある。必ず来るんだから、安心して待てと現地の人に言われた。」海外漫遊の経験も豊富そうだが、「日本が一番いい。なんと言っても人がいい。」と嬉しくなることを言ってくれる。
藤野では自給自足の生活を営みつつ、創作活動を行っている芸術家が集まっているという。理論的指導者がいるわけでもなく、自然発生的に集まってコミュニティができているようだが、そんな自立した共同体が野火のように拡がって日本全国を覆い尽くすことでしか変革はできないと言う。政治無関心層なのではなく、国政レベルからの変革は諦めているのである。いわゆる藤野芸術村での自由な空気がそんな希望を育んでいるようだが、県主導で育成されてきた芸術の村でそんな改革思想が芽生えているとは・・・・驚きです。日本の変革が草の根レベルからできるとは思わないが、少なくとも○○反対運動で疲弊するより、日々の生活を楽しみ、充実した時間を過ごせているなら、自己完結的で他人がとやかく言うことではない。日焼けした顔に大きな瞳が優しく、意志が強そうだが、穏やかな面構えに台頭しつつある新しい世代を見るような気がした。テレビも新聞もない生活だが、PCだけはあるという。誰にも支配されない人生と言う時間の中で充実した時を過ごし、事の本質を見抜く五感を研ぎ澄ましていって欲しい。

そして、支援の中で「心が喜ぶ働き方」を見つけ、事業家・漁師として被災地に移住する青年が少なからず存在することを知って、その芽が大きく育って欲しいと願わずにはいられなかった。


NHK仙台放送 忠司と義明 ふたりの29歳~

2012-06-01 | 日記

津波の被害を受けた宮城県南三陸町。故郷の海を取り戻そうと立ち上がったふたりの若者がいた。忠司と義明。潜水士の資格を持つ忠司はある日、海中映像を撮影。すると、ウニやアワビが映っていた。漁業の仲間たちに映像を見せたとたん、感嘆の声があがり漁の再開に向けた話し合いが始まる。一方、漁協の若手リーダーの義明。仮設市場の再開の日、競り人として市場に立っていた。奮闘するふたりを追った気迫のドキュメント。
性格も歩む道も違った二人の若者が震災を経て地域の復興に尽力する姿を描く。彼らの故郷を愛する姿、自然体がいい。二人とも仕事がない故郷にとどまる理由はない。若い二人には都会やその他の漁場での仕事はある。敢えてとどまった理由は?彼らを育んできた海の豊かさを取り戻したい、荒廃して寂れた三陸町を元の姿に戻したいという熱い情熱があった。遅々として進まない復興。やっと仮設の市場が開いたときの喜び。努力すれば豊かな海は報いてくれる。彼らの笑顔を見て東北の海の復興を確信した。日本中どこでも同じだが、東北も震災前から若者が都会に行き、農業や漁業は年寄りが担う構図ができていた。震災後もその傾向は顕著だ。

震災後の復興の問題は日本全国で起こっている過疎化の問題と根っこでつながっている。瓦礫の片付けは大体収束して、心のケアなどのボランティア活動も開始されている。近隣のO氏が一週間石巻でボランティアをしてきた。運転ができるO氏はお年寄りの病院への送り迎え、ショッピングのお手伝いなど、生活支援に忙殺されたようだ。地域共同体が崩壊した過疎化の市町村で起こる問題が山積している。仮設住宅は村からはなれたところに建てられ、住民同士のつながりもない。人口が多い都会では復興はすぐ始まるが、もともとお年寄りしかいない町村ではインフラ整備が遅々として進まない。住民の足がなく、日常生活にも困る状態だという。
生活支援のボランティアが求められているが、潮が引くようにボランティア数は減少している。「じっとしてはいられない。何かやりたい。」そんな突き動かされる善意からボランティアは始まる。ボランティアの有効性など、うじうじ考えない。まず現地に行って何が必要か、何が足りないか、瞬時に判断して、体は自然に動く。理屈が先に来てお題目が決まらなければ、一歩も動けない男性の中、O氏のような存在は珍しい。我が自治会で防災ボランティアを募集したところ、百人近くが応募した。しかし、・・・・事務局では1年余り組織の位置づけ論で議論が紛糾し、実際の活動は遅々として進まない。自治会で東北にボランティア・ツアーを企画して自分達の活動の参考にすれば良いと思うのだが、そんな考えは微塵もない。関東大震災が起こっても役立たずのボランティアになること請け合いだ。
今回私が参加するボランティアツアーも主催者は30人ぐらいの応募があると踏んでいた。しかし、たった9人の参加だ。こちらからバスを仕立てていくのは無理で現地までは高速バスを利用する。メンバーは普段から日常的に体を動かすボランティアをしている人が殆どだ。社協の人も随伴するので詳しい話が聞けるだろう。宿泊が遠野の民家園だと言うからそれも楽しみだ。座敷わらしの出そうな広い民家で電気のない生活が体験できる。
 

宇宙の渚(NHKスペシャル)

2012-05-21 | 日記

今なお多くの人が思いをはせる宇宙…青い空が漆黒の宇宙へと変わる、高度十数キロ~数百キロ。この“宇宙と地球の境界”を「宇宙の渚」と名付け、そこで繰り広げられるスペクタクルに迫る。飛行機ではたどり着けず、ロケットではたちまち通り過ぎてしまうその世界は、今なお多くの謎と神秘に満ちている。そこで、高度400キロ、まさに宇宙の渚を行く国際宇宙ステーションに、新開発の宇宙用超高感度カメラを搭載。夜になると美しい光を放って姿を現す宇宙の渚の世界を、史上初めて捉えられた映像の数々をもとに、3本シリーズで探求する。
第1回は、宇宙の渚に突如現れる謎の閃光・スプライトの物語。かつてパイロット達が目撃してきた、雷雲から宇宙へ駆け上がる奇妙な閃光。捉えようとしてもすぐに消えてしまうことから、スプライト(妖精)と名付けられた。その実態を解明すべく、飛行機と宇宙ステーションから、古川聡宇宙飛行士と世界の研究者がタッグを組んで、史上最大の作戦が始まった。未知の現象に対する飽くなき好奇心と情熱がついにスプライトの映像を捉えることに成功した。宇宙の渚で起こる現象を映像化し、お茶の間で見れる機会を提供してくれた企画に拍手を送りたい。
 
そして第2回が本日5月20日21時より放映された天空の女神、オーロラ。その美しさを地上と宇宙ステーションから余すところなく映像化し、謎に迫る。素晴らしい映像に息を呑むとともに、私達の宇宙船・地球号が宇宙の渚によって守られていることを知って、この慈愛豊かな地球号の存続を願わずにはいられなかった。
 オーロラは、太陽からの危険な電子が地球の大気に激しく打ち寄せたとき、大気が光り輝く現象だ。 美しければ美しいほど、電子が激しく降り注いでいることの証しだ。電子の進入の深さに応じてオーロラの色は赤から緑、ピンクへと変わる。美しさの裏には地球と宇宙の間の壮絶な攻防が繰り広げられている。
1986年に起きたカナディアンロッキー列車事故もこの壮絶な攻防が引き起こした誘導電流が原因と言う可能性も否定できない。
1986 年2 月5 日から連日発生していた太陽フレアが引き起こした磁気嵐によって、地球周辺の電磁気状態は大巾に乱れていた。そして、8日の朝8 時40 分、歴史的な大磁気嵐がまさにピークに達しようとしていたとき、バンクーバーを出た長距離特急列車「スーパーコンチネンタル4号」とカナダ国鉄貨物列車413 号がカナディアンロッキー山脈の入り口の街ジャスパーから東へ100キロの地点で正面衝突した。本来なら貨物列車413 号 は、400 メートル前の赤信号で止まり、この特急列車を通過させるはずだった。この事故で23人の死者と多数の負傷者が出た。事故は運転士の居眠りとして処理されたが、オーロラと磁気嵐による地上の誘導電流が引き起こした可能性も論議された。
過去には、オーロラの中を流れる電流が原因で地上で大停電が起こったこともある。1989 年3 月13 日の夜中すぎ、わずか2 分間で、カナダのケベック州にある発電所がダウンしてしまい、600 万人もの人びとが電力供給なしのまま9時間を過ごした。地元新聞の計算によると、発電所での損害だけで、日本円にして約700 億円にのぼったという。この大停電の日には、すばらしいオーロラがニューヨークやワシントンのみならず、緯度の低いキューバやハワイからも見えていたという。そして、背後でこの現象をあやつっていたのが、太陽のフレア(コロナの爆発現象)だ。太陽面に現れた大黒点群で起きた強大なフレアから放出された太陽風は、衝撃波を作りながら惑星間空間を旅して津波のように地球に襲いかかり、宇宙の渚に大電流を流し、さらにその誘導電流が地上にも流れ、突発的な停電をもたらしたのだ。
宇宙科学研究所のX 線天文衛星「あすか」が、2000 年7 月15 日の大磁気嵐に巻き込まれ、軌道が一気に100 キロメートルも落下し、姿勢が乱れ、太陽電池への日射量がぐんと減り、バッテリーが枯渇して制御不能になった。結果として、2001 年3 月2 日、日本の南方の赤道付近で大気圏に突入して、消滅した。7 月14 日に発生した巨大なフレアにより、15 日にはオーロラの活動が非常に高くなり、それが要因として確認されている。
 
今年から来年にかけて、大規模なオーロラが地球を襲い、200兆円規模の被害をもたらすという予測がある。 そしてその後は一転してオーロラがほとんど現れない時代が100年近くも続き、地球を寒冷化と干ばつが襲うとも言われている。17~18世紀にもそんな時代があり、寒冷化と飢饉が全地球規模で起こった。オーロラ活動の低下によって、銀河宇宙線が地球に多く降り注ぎ、地球上に雲が発生し、それが寒冷化をもたらすと言う。太陽の活動低下のせいではないというのが、宇宙の不思議の壮大さを認識させてくれる。はるかかなたの銀河系で発生している事象の影響が地球の人類にとって壊滅的な現象をもたらすのである。人類は自らが作り上げた金融システムの崩壊で右往左往したり、原発の事故や戦争で国力を疲弊させている時間的余裕はないのである。地球号維持のため、人類の存続のために、近い将来現実のものになる寒冷化や飢饉に備えて対策を講じなければならないときにきている。
 
常に打ち寄せる宇宙の荒波をやわらげてくれている「宇宙の渚」という防波堤の存在で我々が生かされていること、地球号の豊かさを守ってくれていることをオーロラは教えてくれる。
 
最終回は「46億年の旅人 流星」6/17放映だが、今度はどんな不思議を垣間見せてくれるのだろう?

長生きの秘訣

2012-05-02 | 日記
 
長生きの秘訣は教育と教養である。
ハアー?
今日、行くところがあり、今日用事があることである・・・・・なるほどねえ。
長生き街道を歩いている方の卓見。

今日、我がふるさと、旭川の桜が午前9時半ごろ開花になり、午後3時20分ごろ満開になった。それほど急に暖かくなったということらしいが、非常に珍しい現象である。開花した日のうちに満開になったのは、1953年の観測開始以来、全国で初めてだという。気象台によると、開花は平年に比べ3日早く、昨年より7日早い。満開は平年に比べ5日早く、昨年より10日早い。
北海道の春は平年より早いと言うことだ。北国の春はこうして突然一斉にやってくる。
しかし、子供の頃、花見をしたのは確か5月下旬だったような気がする。

海の騎士道幻想

2012-04-18 | 日記
大海原にゆっくりと沈む巨大な船の上で、女性と子供を優先して救命ボートに乗せ、海の中へと飲まれていく運命を受け入れる男たち――しかしこの「海上の騎士道」、実はまったくの「幻想」だったという研究結果をスウェーデンの学者2人が発表した。同国ウプサラ大学の経済学者エリクソン氏は、1852年以降に世界で起こった有名な海難事故18件について調査した。
 結果、男女間の生存率では、男性が女性の約2倍の確率で生き残っていたことを突き止め、82ページの報告書『誰もがわれ先に――海難事故におけるジェンダー、規範、生存』にまとめた。映画『タイタニック』などで広まった、女性と子供を先に逃がして男性は後に残るという大衆幻想がある。しかし実際の海難事故では、女性にとってそう都合良くはない。
 調査対象となったのは、海難事故を起こした8か国、18隻の船に乗っていた計1万5142人。生存率を性別で見ると、男性の34.5%に対し、女性は17.8%だった。
 中でもショックを受けた例として挙げたのは、1994年にバルト海で沈没し、982人中852人が死亡した客船エストニア号の事故で、男性の生存率が22%だったのに対し、女性ではわずか5.4%だった。18件の事故全体で男女の生存率が同程度だったのは数件。うち女性が多く生き残った例となると、わずか2件だけだった。

 例外とも言えるその2件のうちのひとつが、タイタニック号だ。タイタニック号では女性の70%が生き残ったのに対し、男性の生存率は20%だった。もうひとつの例は、1852年に南アフリカのケープタウン近くの港から出港し、直後に沈没した英軍輸送艦バーケンヘッド号で、この事故では女性は全員助かったが、男性の生存率は33.5%にとどまった。エリクソン氏によると「海の騎士道」幻想はこのバーケンヘッド号に由来しているという。
 タイタニック号の場合もバーケンヘッド号の場合も、まず船長が女性と子供を先に救命ボートに乗せるように命令していた。さらに注目すべきはどちらの事故でも船員たちが武装し、男性たちを脅して救命ボートに近寄らせなかったという点だ。またエリクソン氏は、英国船の事故ほど騎士道が発揮されるという俗説についても、「(実際は)英国の船のほうが他国の船よりも女性の生存率は低い」と述べ、退けた。大惨事の際に英雄的な行動をとる人々の例はたくさんあるが、大半の場合は生存本能が働き、「誰もがわれ先に」と逃げることが今回の研究で示されたとエリクソン氏は語った。

そうか、騎士道精神が残っていた時代でも、男は生存本能に勝てなかったか?自分の家族の場合は、優先して妻や子供を救命ボートに乗せると思うが、どうだろう?人間、その場になってみないとわからない。しかし、残された一人は生きて行けなくて後を追うこともある。生命力の強い方が生き残る方が合理的かもしれない。

震災時は町内のお年寄りを助けるために命を落としてしまった気高い人達がたくさんいた。町内会の役員や防災の職務を遂行していた人たちだ。でも、せっかく助かった命も、孤独死などで失われている。東日本大震災の仮設住宅の入居者で「孤独死」した人は昨年4月以降、岩手、宮城、福島の被災3県で22人に上る。このうち65歳以上の高齢者が15人を占めている。市の職員や保健師が巡回したり、ボランティアが訪問する地域もある。しかしボランティアの訪問を煩わしく感じ、『ボランティアお断り』と張り紙を出す人もいる。河北新報の記事では、孤独死を防ぐためには、住宅訪問のほかに、仮設住宅で自治会を作ることも有効な手段だと提案している。社協などが中心になって、様々なアプローチをしているが、決定打がないという。
 
海の騎士道の面白分析をただ笑ってやり過ごせない。知らず知らずのうちに、震災や原発を連想してしまう。この一年で身についた悲しい性である。





震災ボランティアを考える

2012-04-16 | 日記

震災のボランティアに自治会でバスを仕立てて行こうと言う話が持ち上がり、今日説明会に行って来た。
社会福祉協議会と言う組織が各市町村にあって、横浜ではその社協が中心になって区単位にボランティアバスを企画し、実施していると言う。去年参加した方が「自治会として是非参加したい。」と思い、今回の説明会になった次第だ。
「ボランティアと言うのは被災地の役に立ちたい」と言うことから始まるため、さほど役に立たない年寄りや女子供は寄付だけしていた方が有効ではないかと言う考え方がある。
確かに中途半端な自己満足に終わるボランティアより、それにかかる費用を寄付した方が合理的と考える人も多く、今回もその主旨で意見を述べた方もいた。
私もなんとなくそんな風に考えていたことに今日気づかされた。ところが、その方の話を聞いていて、何か寂しく腹立たしく、なんと心無いと言う気持ちがつのってきたのだ。
ボランティアによる麦撒きの映像を見て、「効率悪くて笑ってしまう。専門家に頼んだら、こんなの二人ぐらいで簡単に片付けちゃうだろう。大勢集まって遊んでいるようなものだ。」・・・・
確かにその通りだ。その方はその麦まきが食べるための麦ではなく、生命の活力の象徴として被災地を緑豊かに元気付けるためのイベントだと知っていて、そのような発言をされた。(社協のパンフレットでは閉じこもりがちな仮設住宅のお年寄りを外に引き出すための企画との説明があった。)

被災地にもお金の方がありがたいと考える人もいるかもしれない。
しかし、ボランティア側のそう言う考えは、ボランティアに行って自分の貴重な時間や労力が取られるのを嫌う言い訳に使われていないだろうか。お金を出すことの方が余程楽なのである。勝手がわからない被災地に行って何をしていいか、オロオロし、無力感と自己嫌悪に陥って帰ってくる・・・・それが嫌だから、「寄付の方が被災者のためになる」と言う論理に逃げ込んでしまうのである。

話は変わるが、ネパールに学校を作る活動をしている女性の活動に感動して協力を申し出た人がいる。彼女は単にお金を寄付したのではなく、廃品を利用して袋を作り、手間のかかった商品をわずか100円の単価で売り、その売上金を寄付したのである。その寄付にはたくさんの人の思いと、彼女の真摯な願いが凝縮されている。その気持ちは目に見えるものではないが、私達はすごく感動したし、彼女のやり方に拍手を送った。そう言う目に見えない気持ちを表現すること、その気持ちに気づくこと・・・今の社会にはそれが欠落していることに思いいたった。
ボランティアは効率が悪くて当たり前なのだ。被災地のために役立ちたいと言う気持ちとその表現が大切なのだ。一回のボランティアは物見遊山で参加できる。継続することによってのみ、心が繋がって行く。

そのことに思い至った今、若いボランティアが少なくなって来た今、まずは被災地の今を見るために参加してみようと思っている。
社協の人の言葉も新しい視点を与えてくれた。「被災地の状況を知って明日のわが身に備えることも大切だ。」


インスタントラーメン

2012-04-09 | 日記
 
塩と油の爆弾?言い得て絶妙な比喩だ。日本の発明インスタントラーメンだが、その売り上げは5年後に世界で1540億食を超えると予測されている。米市場調査会社が発表した調査結果によると、調理時間の短さや味のバラエティーの広がり、忙しくなる一方のライフスタイルの変化などにより、インスタントラーメンの売り上げはアジアのみならず、アジアの味に慣れ親しんできた欧米の一部の国でも伸びているという。

 おぞましい量の塩分や化学調味料が入ったスープに油で揚げた麺という一般的なインスタントラーメンをヘルシーに変身させる方法を、欧米の料理ウェブサイトで紹介している。
カップラーメン・インスタントラーメンの類は体が不協和音を発生して摂れなくなった私だが、時々あの特有な味が恋しくなる。
そこで覗いてみると、「野菜の彩りを加える」や「調味料をすべて使わず、汁を飲み干さない」「卵や豆腐など良質なたんぱく質を加える」など、日本では常識になっていることだ。
 
ライスヌードルだけを使って自家製のインスタントラーメンを作る方法が提案されているところもあった。ライスヌードルにお湯を注いで数分待つ。粉末チキンブイヨンや味噌、ニンニク、唐辛子パウダーなど、お好みで加えた手製のスープを注ぎ、ネギなどの野菜を加えるというものだ。ヌードルに注いだお湯を捨てれば、塩と油の爆弾が塩と油の花火程度に緩和されるかもしれない・・・・


フローズンプラネット

2012-04-08 | 日記

この番組は、圧倒的な映像で生きものと環境の関わりを描いた「プラネットアース」に続く、NHKとBBCの大型国際共同制作シリーズだ。
アクセスの困難さや苛酷な条件からこれまで撮りきれなかった南極と北極、ふたつの極地の大自然を、周到な機材準備と研究機関のバックアップを得て3 年間にわたって撮影。息をのむ氷の神秘的な美しさと、桁外れのスケールでドラマを繰り広げる生きもの達の世界を珠玉の映像で捉えた大自然スペクタクル。

偶然、プロローグを視聴し、今日1回目の放送を見た。久しぶりの素晴らしい映像と感動のドラマにリラックスと緊張の快い2時間を過ごした。

ナビの大沢たかおがいい。茫洋とした人柄で自然体。南極の風景に生き物・人間として溶け込み、動物を眺める目がとても優しく、静かな感動をさりげなく表現する姿に好感が持てた。南極物語というブログも書いて、動画をたくさん載せているのでしばらく楽しめそうだ。

北極のツンドラ地帯では、オオカミの群れが地響きをたてて移動するバイソンの大群に命懸けの闘いを挑む。バイソンは不幸にも襲われた一匹を犠牲にして逃走する。南極ではシャチの群れが驚異のチームワークで氷の上のアザラシをしとめる。シャチが群れで行動するとは・・・・取材班のゴムボートの下を一頭のシャチが横切る姿は襲ってきたらひとたまりもないのでハラハラしてしまった。50頭のメスのハーレムを守るために繰り広げる象アザラシのオス同士の死闘も凄まじいものだった。負けて風来坊の方がハーレムを維持する苦労よりのんきだと思うのだが、自分の遺伝子を残そうとする本能はすごい。絶滅を心配されるホッキョクグマの小熊の敵もオス熊なのだから、やりきれない。メス熊は数匹の子供を一人で育てる。北極の氷の面積は年々縮小する一方だから、このままで行けば、ホッキョクグマはこの地球上から消えてしまうだろう。10回の狩のうち、成功するのは一回だと言うから、毎日の生活が大変そうで身につまされる。ペンギンの姿も愛らしい。多様な種類のペンギンがいて、生態がそれぞれ違うのも興味深い。皇帝ペンギンはマイナス70度の南極の冬に子育てをする。これはプロローグで見たが、一回目は登場しなかった。アホウドリの生態も面白い。50年も生きて10年目頃につがいとなり、一生添い遂げると言う。アホウドリ夫婦の仲むつまじさに思わず頬がほころぶ。10年幼虫で過ごす北極の蛾も生命の不思議だ。幼虫の姿で冬眠(凍ってしまうのだから、仮死状態)して柳の葉っぱを数年食べ続け、繭を作って成虫になったらわずか数日の命だと言う。厚い氷の下の世界も息を呑む美しさだった。くらげやクリオネが幻想的に浮遊する。極寒の地が生命溢れる楽園であるから、人を惹きつけてやまない魅力があるのかもしれない。星野道夫もアラスカの大自然と生き物達に魅せられ、命を落とした一人だ。

南極の氷には太古の大気が閉じ込められている。その氷でオンザロックを飲む大沢の姿に男のロマンが伝わってくる。海外のスタッフに南極氷で冷やしたそばを振舞うのはちょっといただけなかったが・・・・

地球上で最も寒く苛酷な環境にも関わらず、一体なぜこれほど圧倒的な生きものの世界があるのか?最先端の技術を駆使した映像で氷が育む極地の豊かな生態系を解き明かす秀逸のシリーズだ。地球最後の爆発的な生命を育む大自然は人間を拒み続けたが故に残されたのかもしれない。南極点に人類が到達して100 年。生命のバランスを崩して繁殖し続ける人・・・・地球最後の生命の楽園が温暖化で失われないことを切実に望む。


空き巣対策はお花が効果的

2012-04-03 | 日記

杉並区は全国的に空き巣被害に悩まされている自治体として知られていた。

2000年の空き巣被害が約1300件 
2001年の空き巣被害が約1500件 
2002年の空き巣被害が約1700件と増え続けていた。

防犯パトロールや防犯カメラの設置などの対策を行い、一時は被害が減少するも、その後、空き巣は増加するといういたちごっこが続いた。
空き巣被害に遭う原因を探る為、空き巣被害の家100件の調査が行なわれた結果、98軒の家である物がなく、それがある家は2軒しかなかったという。

ある物とは『花』・・・・・・・・・・庭や玄関先に花が飾られた家は、被害に遭いにくい???

そこで、杉並区は予算を計上して花の種を住人に配布した。結果は目覚しい。人通りの少ない路地裏で花を育てる取り組みを始めて一年後、空き巣被害が、近年最多の2002年に比べて4分の1以下に減少した。2007年の空き巣件数が385件に!2008年の空き巣件数も387件に減少した。

何故、花が飾られると空き巣に入られ難くなるのかハッキリとしたことは解からない。花があると人の目が集まりやすい?花の世話に出る人などの目が増えた?花のような美しい可憐なものを見ていると悪事を働く気がなくなる?・・・・・花に魂の浄化作用があるような気がする。私も花の写真を撮るようになってから、心優しくなったような気が・・・・・勝手な思い込み?花の好きな人が必ずしも○○○ではないものなあ・・・・・でも、花壇に防犯効果があるなんて!!!ちょっといい話ですね。


ニホンウナギ

2012-03-30 | 日記

古くから日本の食文化に深い関わりを持つ魚である鰻。しかし川と海を行き来し、ある程度地上を這って移動するなど、生態を知らなかったことに気がついた。ちょうど良い機会だから、調べてみた。

日本全国に分布するが、日本以外にも朝鮮半島からベトナムまで東アジアに広く分布する。成魚が生息するのは川の中流から下流、河口、湖など。
えらの他に皮膚でも呼吸できるため、体と周囲が濡れてさえいれば陸上でも生きられる。雨の日には生息域を抜け出て他の離れた水場へ移動することもあり、路上に出現して人々を驚かせることもある。濡れていれば切り立った絶壁でも体をくねらせて這い登るため、「うなぎのぼり」という比喩の語源となっている。
細長い体を隠すことができる砂の中や岩の割れ目などを好み、日中はそこに潜んでじっとしている。夜行性で、夜になると餌を求めて活発に動き出し、甲殻類や水生昆虫、カエル、小魚などいろいろな小動物を捕食する。泳ぎはさほど上手くなく、遊泳速度は遅い。他の魚と異なり、ヘビのように体を横にくねらせて波打たせることで推進力を得る。このような遊泳方法は蛇行型と呼ばれ、ウツボやハモ、アナゴなどウナギと似た体型の魚に見られる。淡水でも海水でも生きられる。
ウナギは淡水魚として知られているが、海で産卵・孵化を行い、淡水にさかのぼってくる「降河回遊(こうかかいゆう)」という生活形態をとる。従来、ウナギの産卵場所はフィリピン海溝付近の海域とされたが、外洋域の深海ということもあり長年にわたる謎であった。しかし、2006年2月、東京大学海洋研究所の教授・塚本勝巳をはじめとする研究チームが、ニホンウナギの産卵場所がグアム島やマリアナ諸島の西側沖のマリアナ海嶺のスルガ海山付近であることを、ほぼ突き止めた。冬に産卵するという従来の説は誤りとされ、現在は6-7月の新月の日に一斉に産卵するという説が有力である。2009年5月22日未明、マリアナ海嶺の南端近くの水深約160メートル、水温が摂氏約26度の海域で、直径約1.6ミリメートルの受精卵とみられるものを発見。遺伝子解析の結果、天然卵31個を確認した。天然卵の採集は世界初である。同時に、卵は水深約200メートルで産まれ、約30時間かけてこの深さまで上がりながら孵化することも判明した。
卵から2-3日で孵化した仔魚はレプトケファルス(葉形幼生)と呼ばれ、成魚とは異なり柳の葉のような形をしている。この体型はまだ遊泳力のない仔魚が、海流に乗って移動するための浮遊適応であると考えられている。レプトケファルスは成長して稚魚になる段階で変態を行い、扁平な体から円筒形の体へと形を変え「シラスウナギ」となる。シラスウナギは体型こそ成魚に近くなっているが体はほぼ透明で、全長もまだ5センチほどしかない。シラスウナギは黒潮に乗って生息域の東南アジア沿岸にたどり着き、川をさかのぼる。流れの激しいところは川岸に上陸し、水際を這ってさかのぼる。川で小動物を捕食して成長し、5年から十数年ほどかけて成熟する。その後ウナギは川を下り、産卵場へと向かうが、その経路に関してはまだよく分かっていない。海に注ぐ河口付近に棲息するものは、淡水・汽水・海水に常時適応できるため、自由に行き来して生活するが、琵琶湖や猪苗代湖等の大型湖沼では、産卵期に降海するまで棲息湖沼と周辺の河川の淡水域のみで生活することが多い。また、近年の琵琶湖等、いくつかの湖沼では外洋へ注ぐ河川に堰が造られたり、大規模な河川改修によって外洋とを往来できなくなり、湖内のウナギが激減したため、稚魚の放流が行われている。
 
養殖もなかなか手間がかかっている。まず、天然のシラスウナギを捕ることから始まる。つまり黒潮に乗って日本沿岸にたどり着いたウナギの子供、シラスウナギを大量に漁獲してこれを育てるのである。人工孵化は1973年に北海道大学で初めて成功し、2003年には三重県の水産総合研究センター養殖研究所が完全養殖に成功した。しかし人工孵化と孵化直後養殖技術は莫大な費用がかかり、成功率も低いため、商業的には実現していない。そうした中での2010年、水産総合研究センターが人工孵化したウナギを親ウナギに成長させ、さらに次の世代の稚魚を誕生させるという「完全養殖」に成功したと発表。25万個余りの卵が生まれ、このうち75%が孵化したと報じており、期待を集めている。
ウナギと言うのは、なかなかしぶとく面白い魚のようです。ドジョウより数倍、環境適応し、スケールの大きな魚ですね。近い将来、ウナギ総理が現れて、日本の景気がうなぎのぼりとなって欲しいものです・・・・・