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オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

万引き誤記載で中学生自殺

2016-03-09 | 社会
広島県府中町の男子中学生が事実でない万引きの記録に基づいた進路指導を受けた後に自殺した。
 
学校は進路指導で、実際にはしていない「1年生の時の万引きの記録」を理由に、志望校への推薦ができないと伝えていたという。
府中緑ヶ丘中学校・坂元弘校長:「聞いた職員もメモを残すことをせずに(生徒の名を間違った)資料を作ったと推測される」
まもなく資料の間違いは判明したが、パソコンの情報が修正されないまま進路指導につながっていた。男子生徒の両親は「ずさんなデータ管理、間違った進路指導がなければ、わが子が命を絶つことは決してなかった」とコメントしている。
 
 
データの管理が悪くて中学生が自殺?
万引きなんて昔は少年少女がゲ-ム感覚で、現在は困窮からやることでしょ。病気の場合もある。しかも2年も前の万引きが前科として残り、大事な進路指導の時、使われる。私立ならまだしも公立中学校や教育委員会がこんな教育者としてあるまじき行為をし、それを間違った指導とも何とも思っていないのだから呆れる。
私にも経験がある。少女数人がゲ-ム感覚で万引きを繰り返し、警察に捕まった。親が集まって善後策を講じる話し合いで、私以外の全員が学校には隠しておくことを主張した。クラスで大っぴらに戦利品を自慢し合ってたのだから、親と学校が連携して生徒指導に当たるべきと言った理想論は一顧だにされなかった。その時は後ろめたくも感じたが、学校には知られないようにした。
でも、今こういう事件が発覚して見ると、もはや学校は教育の場ではない。生徒の前科を口実に進路を邪魔するようなやり方が公然と行われている。学校には、子供の不祥事など絶対に報告してはならないことを全国の親は肝に銘じるべきだ。
 
競争率が高いので、学校の先生たちは品行方正な坊ちゃん・お嬢様が多い。いじめ問題や非行に対して適切な指導を行えなくなっている。しかし、起こしてしまった犯罪に不寛容でいつまでもデータをネタに恫喝する教師の姿に背筋が寒くなる。残虐な殺人をしても数年で自由になれる少年法もおかしいが、担任すら知らない2年前の微罪で高校受験の推薦が拒否される実態には驚くとともに、ずさんなデータ管理を謝るだけの無神経ぶりにも唖然とする。学校の教師は、そんなデータを残していつまでもネチネチと付きまとう恐喝者でしかないのか。

表現の自由への攻撃

2016-03-03 | 社会
欧米の映画祭で上映され、賞も獲得したドキュメンタリー映画が日本で初めてロードショー公開されている。中米のバナナ農民が、1970年代まで使われた農薬の被害を受けたとして米国企業を訴え、その裁判を記録したものだが、スウェーデン人監督が当の企業から訴えられている。来日したフレドリック・ゲルテン監督(59)に毎日新聞が聞いた。
 
「バナナの逆襲」という邦題で上映されるが、第1話、第2話の2本から成る。
 
ニカラグアのバナナ農園で働く労働者12人が、米国では使用禁止の農薬の影響で不妊症になった可能性があるとして、米国の食品大手ドール・フード・カンパニー(日本の株式会社ドールとは資本関係はない)に損害賠償を求める裁判を起こす。ゲルテンさんは、その裁判を追ったドキュメンタリー映画を製作。これが第2話(2009年、87分)だ。
映画は09年、ロサンゼルス映画祭に出品される予定だったが、ドール社は主催者に上映中止を要求。ゲルテンさんを名誉毀損で訴える。監督自身が上映に向け孤軍奮闘する姿を描いたのが第1話(11年、87分)。映画祭のコンペで上映されるはずだった作品(第2話)が、ドール社の要請でコンペから外される場面から始まる。「内容が極めて不正確で中傷的」であり、上映すれば「告訴する」との文書が映画祭の主催者側と監督に送られる。バナナ農民の裁判はロサンゼルスの法廷で審理され、ヒスパニック系弁護士の活躍もあり原告12人中6人の被害について「(企業側に)責任あり」との評決が一度は出た。だがドール社側は、上訴したうえ、「(原告の弁護団が)虚偽の証言を集めた」との訴えも起こして評決は無効にされた。
 
米メディアの多くはゲルテンさんに厳しく、非難の矢面に立たされる。「メディアの大半はドール社やそのPR会社に取材し、『貧しいキューバ人移民の悪徳弁護士がバナナ農民を原告に立て、米企業を脅迫している』『世間知らずのスウェーデン人が弁護士を英雄に仕立て上げた』と報じました。作品を見てもらえず、うそつき呼ばわりされ、かなりのストレスを感じました」
「企業や政府当局が、自らの評判を落とすようなドキュメンタリーや記事にどう対処するか。作り手、つまり攻撃者を『取材が甘くプロとしての力量のない存在』のように見せる。作り手の未熟さを笑うという古典的な戦略ですが、私のケースでも多くの米メディアがひっかかった。米国の報道陣には、大多数とは違う視点で物事を報じるエネルギーや好奇心が薄いという印象を受けました」
 
ネットでも中傷されたが、ゲルテンさんの母国、スウェーデンのブロガーらの尽力で「作品を発表できないのはおかしい」との声がスウェーデン国内で高まった。「09年の後半には、スウェーデン国会議員らが『民間がだめなら国会で』と、議事堂で初めて上映してくれたのです。それが話題となり、欧州各国のテレビでも放映されました。ドール社は翌10年、私への訴えを取り下げました。米国の映画館や放送局では、なかなか上映には至りませんでしたが」
 
今回、第1話として上映される作品は各国の映画祭で上映され、12年にはミラノ国際映画祭で最優秀ドキュメンタリー賞を受けた。その後も世界80カ国以上での上映が続いている。日本では、スウェーデン大使館が後援する。
 
ゲルテンさんは、ジャーナリストの一般的な習性を「事件でも問題でも一つの現象を描く場合、人と、特に大多数とは違う角度から描くことに熱意と努力を発揮する」と見る。それだけに、企業に配慮したかのような米メディアの報道姿勢を意外に感じたという。
 
「米国は一種の『恐怖社会』じゃないかなという印象を持ちました。例えばスウェーデン人の私は、失職しても子供の教育費も家族の医療費も無料ですから、すぐには困らない。でも民間頼りの米国では、そうはいかないんです。米国企業の場合、自社の信用を落とすような報道に対しては、イメージ戦略として、とりあえず訴えを起こす傾向がありますが、記者たちはそれを恐れているように思います。大企業に訴えられた新聞社が、末端の記者を解雇して訴訟を免れる例が過去に何例もあるのです。少人数の調査で、ようやく貴重な事実を発掘しても、十分な訴訟費用のないメディアだと記者たちを最後まで守りきろうとしないこともあります」
 
「映画は裁判を描いただけなのに、それが上映されないのはおかしいと私は言い続けた。つまり当たり前のことをしたわけですが、私の知る少なからぬ米国人には、一人で抵抗することがよほどすごいことのように思えたようです。それだけ当局や大企業からの圧力が浸透しているということではないでしょうか」
 
09年に始まる騒動から6年半が過ぎた。ゲルテンさんは自分を取り巻くメディア関係者の印象から、「ジャーナリストが年々弱くなってきている」と思うようになった。「ネットの浸透、紙メディアの衰退で、ジャーナリストは常に失職を恐れています。でも不安や恐れにばかりとらわれていては、良い仕事はできません。独立した、自由に物を書けるジャーナリストのいない社会に本当の意味での民主主義は育ちません。政府にも政党にも企業にも批判されない無難な話だけが流されることになってしまいます。本当の話には必ず批判があります。後に賞を受けたような報道は必ず、その渦中では反論を浴び、圧力や批判を受ける。だからこそ、ひるんではならないのです」
 
日本のマスコミはひるみっぱなしですね。報道番組は政治家や大企業の広報機関に堕し、くだらないバラエティ番組で貴重な電波を独占する。そんなマスコミの存在価値は限りなくゼロに近いから、弾圧されてなくなってしまっても一向にかまわない。大体、中立・公正・客観的な報道と称するものが胡散臭い。衆議院選挙でNHKがEXILE(エグザイル)のメンバーがネットで候補者を応援したとして出演している番組の放送を急きょ取りやめたり、赤旗で共産党を応援した女優の出演した朝ドラはそのまま放送されたりと、政治的公平性など標榜するのがそもそも不公平の極みである。アメリカにはフェアネスドクトリン(公平原則)があったが、もう限界だと1987年に撤廃された。ケーブルテレビ局の拡大などで放送電波の希少性が薄れ、フェアネスドクトリンは削除され、FOXテレビは大統領選挙でブッシュ候補を応援する大キャンペーンを行うなど、メディアが政治的な立場を表明するようになった。
日本では放送法第3条の2に「政治的に公平である事」「意見が対立している問題については、出来るだけ多くの角度から論点をあきらかにすること」と明記されている。新聞については特に法の定めはないが、日本新聞協会が定めた新聞倫理綱領に「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」との記述がある。しかし、人が関わる以上、その人の意思が混入してしまうのは避けようがない。マスコミ批判の多くは自分たちが考える中立性である。政府はメディアの公平性を問題として難癖をつけ、メディア介入を行う。ソーシャルメディアの登場で、誰もが情報を発信する事ができる状況になっているのだからタテマエの中立・公正を捨てて、立場を明確にする方がかえって政治家の介入は根拠がなくなって言論の自由が守られるのではないだろうか。
 
NHKのような公共放送は、特定団体を支持するような報道は問題になるだろうが、民間報道機関は、読者に運営や編集の方針を明確に示し、多様な主義主張を報道した方が健全なように思う。
「偏っている」メディアが競い合う状況が生まれ、偏向報道は自然淘汰されていくだろう。それでも、偏向していくようであれば、それは国民の意思と民度を反映しているものだから、致し方あるまい。

弱者の虐待の防止は可能なのか

2016-02-22 | 社会
川崎市の介護付き有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」での転落死事件で、2014年11月の男性入所者=当時(87)=に対する殺人容疑で逮捕された元職員今井隼人容疑者(23)が「(男性を)前から煩わしいと思っていた」と供述していることが21日、捜査関係者への取材で分かった。神奈川県警幸署捜査本部は一方的に不満を募らせた経緯を調べている。
逮捕から1週間。「殺そうと思った」との趣旨の供述をし、同じ施設で14年12月に転落死した女性2人の殺害も認めた。しかし目撃などの証拠が少なく、「供述に支えられた難しい事件」(捜査幹部)という。
 
 
神奈川県の公表している介護サービス情報によると、Sアミーユ川崎幸町の介護職員は、昨年8月時点で41人(常勤29人、非常勤12人)。このうち、介護経験(他施設も含む)5年未満が32人(78%)、3年未満は24人(59%)だった。一方、10年以上は5人(12%)と少ない。2014年度の1年間で、退職したのは21人。逆に、採用されたのは18人で全体の半数近くが入れ替わっている。こうした仕事に不慣れな職員が多い状況は、介護の現場に共通する。公益財団法人「介護労働安定センター」(東京都荒川区)の14年度の介護労働実態調査によると、介護職員の勤続年数は5年未満が6割以上を占め、平均勤続年数は4.6年だった。また、厚生労働省の調査では、介護施設などでの虐待の発生要因のトップは「教育・知識・介護技術などの不足」で、2番目が「職員のストレスや感情コントロールの問題」だった。
 
県警は、3人目が亡くなるまで事件性を把握できず、初動捜査は大きく遅れた。「振り返れば、不審点が多々あった」。捜査関係者はそう話す。転落死は平成26年11~12月の未明に発生した。通報は、いずれも警察の当直時間帯。当時、遺体や現場の状況から事件性を判断する捜査1課検視官が臨場したが、事件か事故か判断できない「変死」として処理していた。3件とも、翌朝以降、捜査幹部らが写真確認するなどさらに精査したが、事件性を疑う判断に至らず、それぞれ別の変死となっていた。結果的に一度は殺人事件を見落とした形だが、背景には、日常的に変死の取り扱いが多数ある中で、情報を共有する態勢が不十分だった実情があるという。3件の転落死を担当した検視官はそれぞれ別だった上、管轄の幸署は同じ施設で死亡が相次いでいることを認識していたものの、26年12月に3人目が死亡するまで、県警本部に状況を報告していなかった。遺体は司法解剖されずに火葬され、事件性を裏付ける証拠は乏しい。目撃者はなく、廊下や居室には防犯カメラがない。施設内で人の動きを記録するシステムなども設置されておらず、転落前後の経緯は不明だ。
 
3人も明らかに殺されている状況で、事故として処理されていた現実に高齢者の殺人は無視されると感じていた。老人ホ-ムは隠ぺいしていたことで殺人に加担していたとさえ思えるし、県警もいずれ死亡する老人だから、捜査しなかったと勘繰っていた。
さすがに放置できなかったのか、転落死が相次いだ後、今井容疑者は当直勤務から外された。施設側は「疑ったわけではない。周囲が怖がったため」と説明する。その後は転落死は発生せず、今井容疑者は27年5月に窃盗容疑で逮捕、懲戒解雇処分となっていた。
 
別の女性入所者(86)に対する職員の暴行事件で、神奈川県警は暴行容疑などで元職員3人を書類送検した。一連の暴行の様子は、女性入所者の長男が室内に設置したビデオカメラで撮影、今回の立件の動かぬ証拠となった。そこには、職員に頭をたたかれたり、暴言を浴びせかけられるなど、“終の棲家”とは思えぬ光景が写し出されていた。
「死んじゃうよ」
「うるせえババア」「バカじゃねえの」
女性入所者の長男が撮影した映像には、聞くに堪えない暴言を吐く職員らの姿がしっかりと録画されていた。
職員を呼ぶためにベッド脇に取り付けられた装置を取り外し、「(装置を)押すと爆発しちゃうんで気をつけてください」と嘘をつく男性職員の様子もとらえていた。
自宅で同居していた母親を、長男がSアミーユに入所させたのは、平成24年10月のことだった。
母親の元を訪れるたびに「頭をたたかれた」「おなかが痛い」などとさまざまな訴えを聞き、「施設には、何か変わったことがあったら連絡してほしい」「話し合いの場がほしい」と何度も掛け合った。
それでも施設側は対応しなかった。入居して約半年後、実態を探ろうとICレコーダーを部屋に置いたところ、驚くべき実態が判明していく。
長男は、こうした録音データをふまえ、暴言や暴力を受けていることを施設側に訴えていたが、改善されなかったことから、動画撮影に踏み切り、映像を川崎市に提供した。
 
ここまでやらなければ、虐待も取り締まれない。精神障害者、子供に対しても想像を絶する密室の虐待が続く。貧困化が続く昨今、虐待の世代間連鎖が指摘されている昨今、防止する有効な方策はない。
国や地方公共団体、福祉施設従事者等に虐待の防止の責務を課すとともに、虐待を発見した者に通報義務を課すなどしかない。高度成長期、私たちは未来のより良き社会、豊かな社会の実現を信じていた。
それがどうだろう。 統計的に件数は多くなっているわけではなく、摘発される件数が多くなったとも考えられるが、離婚の増加、貧困家庭の増加のせいか、血のつながらない養育者が想像を絶する虐待をして殺してしまう悲惨なケ-スが増えているような気がする。
 
 度重なる事件を受け、行政はためらわずに通報を呼びかけるテレビCMを放映するなどして啓発活動を実施している。その結果「子供の泣き声が聞こえるので心配だ」といった内容も含め、通報は急増している。
障害者虐待防止法、高齢者虐待防止法なども施行されているが、所詮法律で解決できない密室の虐待。認知症になる前に、身の振り方を考えておく必要がありそうだ。

ジャーナリストはなぜ戦場に行くのか?

2016-02-14 | 社会
日本のジャーナリストが、紛争地取材を行うべきではない、退避勧告を守るべきだと言わんばかりのニュアンスで、書かれている記事が散見される。ジャ-ナリストが戦場のような危険なところに赴き、身を挺して真実を伝えるのは職業上当たり前のことだ。
 
去年の2月ごろ、過激派組織「イスラム国」をめぐる取材で、朝日新聞が同業者から批判されていた。外務省が危険だとして退避を呼び掛けているシリア国内に複数の記者が入って記事を掲載したためだ。
よりによって読売や産経のようなマスコミから批判が出るとは・・・日本でジャ-ナリズムの精神はもはやないことの証左だろう。  
   「外務省幹部は『記者も当事者意識を持ってほしい。非常に危険で、いつ拘束されてもおかしくない』と強い懸念を示した。」とし、両紙は朝日の取材が好ましくないという前提に立っていた。
  「日本国の要請に逆らって危険地帯に立ち入るとはけしからん、ウチは我慢してるのにというフラストレーションがありあり(笑)。政府広報紙だから、外務省には逆らえないのね。」(ツイッタ-)
 
外務省が退避勧告を発令するのは、邦人保護という職務上、仕方ない。しかし、ジャーナリストにはジャーナリストとしての職務がある。日本人のジャーナリストが現地で取材するからこそ、現地の問題を日本と関連付けて取材することができる。情報がろくに無い中で、何を決めることができるのか。政府に都合のいい情報だけでいいはずがない。民主主義に不可欠な役割を果たすことを、メディア関係者すら忘れているのではないか?警察や消防隊員が「危ないから」と職務を放棄することはない。ジャーナリズムも同じだ。ジャーナリストの報告を役に立たない情報としか考えない政府の広報だけで満足している人々が多すぎる。そんな人たちの一部が慰安婦や南京虐殺がねつ造だったという確証もない情報に飛びつく。中国や韓国が嫌いだから、彼らを貶める情報を受容したくなる気持ちはわかるが、そんなことでは歴史の過ちをまた繰り返してしまう。太平洋戦争も正義の戦争であり、満州国建国もアジアを欧米鬼畜の植民地支配からの解放のためだったなどと言い出しかねない。
 
日本のメディアや社会の、日本人の命至上主義にもいつも違和感を感じる。紛争地で犠牲となっている罪の無い人々の命より、日本人ジャーナリスト一人の命が重いわけがない。
 
日本政府も民間人の救出には心底熱心なのだろうが、フリ-ジャ-ナリストの救出に関しては「全力で取り組むフリ」をしただけだった。ISISとのパイプを活用しなかったし、ISISが後藤さんのご家族にメールしていたのに、ISISとの直接交渉も「一切しなかった」。結局は「自己責任」なのだろうが、それならば、政治家や官僚が「報道の自由」に口出しするべきではない。まして、メディアがそうした取材活動の自粛をするのは、メディアの自殺行為だ。取材の自粛だけならまだいいが、政府と歩調を合わせて人質のバッシングに加担する様は弱者いじめをする悪ガキでしかない。
 
イラク人質事件の時も日本のマスコミは人質のバッシングに加担した。
「自己責任」というキャッチフレーズで「危険な所へ行ったほうが悪い」「非国民、死ね」「自業自得」・・・・卑劣極まるバッシングの大合唱。
善意の市民とフリージャーナリストを救済しようともせず、テロ被害者の国民をまるで犯罪人扱いするとは!
アメリカのパウエルが「全ての人は危険地域に入るリスクを理解しなければなりません。しかし、危険地域に入るリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。彼らは自ら危険を引き受けているのです。ですから、私は日本の国民が進んで、良い目的のために身を呈したことをうれしく思います。日本人は自ら行動した国民がいることを誇りに思うべきです。また、イラクに自衛隊を派遣したことも誇りに思うべきです。
彼らは自ら危険を引き受けているのです。たとえ彼らが危険を冒したために人質になっても、それを責めてよいわけではありません。私たちには安全回復のため、全力を尽くし、それに深い配慮を払う義務があるのです。
彼らは私たちの友人であり、隣人であり、仲間なのです。」と発言した途端、気狂いじみたバッシングは収まった。
 
アメリカも海外ニュースの報道量がぐっと減ったという。大騒ぎするのは北朝鮮のミサイルやSMAPの解散騒動。
日本には最早ジャーナリズムは存在しない!視聴者と読者の関心レベルに合わせるしかない!
 
ISの生みの親はアメリカである。アルカイダを生んだのも、ソ連をアフガン戦争に引きずり込み、アメリカの武器を与えてビンラディンを「聖戦兵士」とおだて、ソ連と闘わせたアメリカである。
アメリカが被害に遭うのは自業自得だが、戦争に引きずり込まれて犠牲になっている国の人たちは何を考えているのか? なぜアメリカに文句も言わず、今も戦場で血を流し続けているのだろうか?
日本に至ってはテロリストに殺された日本人ジャーナリストを「非国民」呼ばわりし、若き日本人の命を差し出すべく、粛々と準備を進めている。戦争で経済成長を遂げようと防衛装備移転(武器輸出)三原則の政策を粛々と進めている。

甘利大臣疑惑、告発の理由

2016-01-31 | 社会
甘利明TPP担当大臣(66)と秘書の金銭授受疑惑で、公設秘書2人のUR(独立行政法人都市再生機構)に対する口利きの詳細が、週刊文春の取材でわかった。
2人は、公設第一秘書の清島健一・大和事務所所長と政策秘書の鈴木陵允氏。甘利事務所側は、道路建設を巡る補償交渉を巡り、千葉県内の建設会社の総務担当者から、約1200万円にのぼる金銭や接待を受けて、URに対し、口利きを行なっていた。
週刊文春が入手した録音によれば、清島所長は、2015年10月27日に衆院議員会館を訪れたURの総務部長と国会担当職員を、鈴木秘書が「威圧した」と語っている。
 
〈開口一番威圧したんですよ。私たちは、今までこれほどこじれた話なんだから、現場ではなく、ちゃんと本社に持って帰る話だろうという話をしてたんです〉
〈最初にガツンと会った瞬間に「あんたたち、俺たちの顔立てるっつったよな、わかんなかったの?」って言ったから〉
さらに、清島所長は12月1日には、URの総務部長と大和事務所で面談。
〈「駄目なら駄目なりにね、なんで値段上げられないのかね」って言ったら、「そうですよね」と〉
など、URに対し補償金額の話をした上で、
〈「大臣もこの案件については知っているんで、こっちもちゃんと返事を返さなくちゃいけないんですよ」と言った〉
と、甘利大臣の関与をうかがわせる発言もしていた。
 
週刊文春では、甘利事務所に確認を求めたが、締め切りまでに返答はなく、URは「調査中」と回答した。
URに対する口利きの詳細が判明し、あっせん利得処罰法違反の疑いが強まった。 
 
告発者の一色氏が暴力団組員説や恐喝説に逐一、具体的な反論しているのはもちろん、甘利事務所の公設秘書らがUR(都市再生機構)に大臣の名前を使った「恫喝」まで行なっていた事実を証明するテープを公開した。
さらに100万円の授受に関し、詳細な状況が明らかになった。
 
 「2013年11月14日は大臣室で、14年2月1日は甘利氏の地元である大和市の事務所で、大臣にそれぞれ50万円をお渡ししています。大臣室では、うちの社長が、木の箱に入ったとらやの羊羹と一緒に紙袋の中に、封筒に入れた現金50万円を添えて、『お礼です』と言って手渡しました。甘利氏は『あぁ』と言って50万円の入った封筒を取り出し、スーツの内ポケットにしまったのです。大和事務所では、私が直接、大臣にやはり50万円を封筒に入れてお渡ししています。私は大和事務所で甘利大臣に、URとのトラブルについて、資料を基にご説明しました。ここで大臣が、資料の中身について、私にいくつか質問をされました。そして、甘利氏は、封筒に入った現金50万円を受け取った後、『パーティー券にして』とおっしゃいました。しかし、私が『いや、個人的なお金ですから(受け取ってください)』と言うと、大臣室の時と同様に、甘利氏は内ポケットに封筒をしまわれたのです。ちなみに、私との写真は清島所長が記念写真として撮って、その後、会食した時に渡してくれたものです。この年の11月、横浜のホテルで、『甘利明君を囲む会』がありました。その会場で甘利大臣は、私に『その後、うまくいってますか?』と声をかけてくれたのです」
 
  こう語るのは一色武氏(62)。一色氏は千葉県白井市にある建設会社『S社』の総務担当者として、独立行政法人都市再生機構(UR)との道路建設を巡る補償交渉にあたってきた。一色氏は交渉を有利に進めるべく、甘利氏の公設第一秘書で、大和事務所所長でもある清島健一氏(39)に口利きを依頼。その過程で、多額の現金を甘利氏や清島氏、現・政策秘書の鈴木陵允(りょうすけ)氏らに手渡してきたのだ。
 
  一色氏は淡々とこう語る。
 「実名で告発する以上、攻撃を受けることは覚悟していました。団体に所属し、3年ほど政治活動していた時期もありましたが、私は過去に逮捕されたこともありませんし、“その筋の人”でもありません。恐喝していたのではないかという人までいるようですが、逆に私が大臣や秘書に多額の金を渡しているのです。実名で告発することは不利益こそあれ、私にメリットなどありません。もちろん、URとの補償交渉を有利に進めるために口利きを依頼し金を渡しているのですから、ほめられたことをしているわけではないのは承知しています。ただ、甘利氏を『嵌(は)める』ために3年にわたる補償交渉や多額の金銭授受を行うなんて、とても金と労力に見合いません」
 
  実は、一色氏と甘利氏との関係は、金銭授受以前にさかのぼるという。
 「私は20代の頃から主に不動産関係の仕事をしており、甘利大臣のお父さんで衆議院議員だった甘利正さんとも面識がありました。明氏と初めて会ったのは、まだ大臣がソニーに勤めていらっしゃった頃かと思います。厚木の料亭『S』で、正さんらとの会食に参加させてもらったとき、そこに明氏も同席していたのを覚えています。当時、本厚木駅の近くに甘利氏の名前をとった通称“アキラビル”というのがあり、このワンフロアに、不動産関係の仕事をしていた正さんの弟や地元の建設関係の仲間たちが集まり、よく情報交換をしていました。正さんのご自宅には何度もお邪魔したことがあります。当時、厚木の依知(えち)という地区に大きな屋敷がありました。正さんは、親分気質の方で、その屋敷に不動産関係の仲間がたくさん来ていた。正さんの書生をやっておられたIさんとも親しくさせていただいていました。そのIさんに連れられて、1996年から1997年ごろ、既に議員だった明氏に相談を持ちかけたこともあります。ある漁業権の売買に関する相談事があり、Iさんが、『明君に相談へいこう』と言い、大和事務所を訪れ、本人に応接室で対応していただいたのです。甘利家とは、昔からそんなご縁があり、私は清島氏が大和事務所に来るかなり前から、甘利事務所の秘書さんたちとはお付き合いさせていただいていました。
  また、月1回行われている勉強会『甘利明アカデミー』や政治資金パーティの『甘利明君を囲む会』にも何度も参加しています。URの件で、清島所長に金を渡すようになった後、2014年4月には安倍晋三総理主催の『桜を見る会』にもご招待いただきました。私が大和事務所で甘利大臣に50万円を渡してから2カ月後のことです。清島所長からのお誘いでした。」
 
 
  「口利きを依頼し金を渡すことには、こちらにも大きなリスクがあるのです。依頼する相手は権力者ですから、いつ私のような者が、切り捨てられるかわからない。そうした警戒心から詳細なメモや記録を残してきたのです。そもそも、これだけの証拠がなければ、今回の私の告発を誰が信じてくれたでしょうか?万一、自分の身に何かが起きたり、相手が私だけに罪をかぶせてきても、証拠を残していれば自分の身を守ることができる。そして、その考えは間違っていませんでした」
  URから補償金約2億2000万円が出た見返りとして、2013年8月20日、一色氏が清島氏に500万円を渡した。朝日新聞などの報道によれば、清島氏はこの500万円のうち、300万円を一色氏に返したと後援者に説明しているという。
 「300万円を私がネコババしたという噂も流されているようです。まさに私が危惧していた通りになりました。もちろん300万円は、返してもらっていません。
 
  あの日のことを正確に説明しましょう。実は、私が大和事務所に持っていったのは現金1000万円でした。1000万円を清島氏に差し出したのですが、半分の500万円は、『これは別の機会に』と清島所長から返されたのです。ですから、清島所長が実際に受け取ったのは、当初もらった領収書の通りの500万円です。
 
  私は約1200万円を甘利大臣や秘書たちに渡したと証言しました。ただ、それは確実な証拠が残っている分だけで、私の記憶では、渡した金銭や接待の総額は数千万円にのぼるはずです。時の権力者を告発する以上は、正確にも正確を期して、裁判にも耐えうるよう、証拠の残っているものだけに限定してお話ししたのです。
 
  清島所長は、最初に500万円を返し、また別の日に300万円を返したと言うのでしょうか? 300万円を返したと言うなら、いつ、どこで返したのか、私の証言と同様に詳細に説明すべきです。私は、こうした事態に備えて、詳細な行動記録をつけてきました。反論する準備はできています」
 
 「私は甘利事務所に不信感を抱くようになっていました」
 
  2013年に清島氏に相談したことがきっかけで進展したURとの交渉。この時、約2億2000万円の補償金を得たことで、一色氏は甘利事務所への信頼を深めた。しかし、この後の産廃撤去を巡る約30億円規模の補償交渉は難航する。
 「60を過ぎた私が、年の離れた彼らに何度も何度も頭を下げてきましたが、情けないことに、結局騙されていたことにようやく気づき始めたのです。彼らにとって、私はキャッシュディスペンサーにすぎなかった。彼らはフィリピンパブやキャバクラ、銀座に行きたくなると、『URの件で打ち合わせしましょう』と私を呼び出し、金を払わせるのです。
  清島所長は、数百円のコーヒー代や、車のコインパーキング代すら自分で支払ったことはありません。鈴木さんも、事務所に持って帰るからと、メロンパンまで買わせる始末です。私は彼らにバカにされていると自覚しつつも、URとの交渉のためにじっと耐えてきました。
  しかし、いくら彼らを接待し、金を渡しても、URとの交渉はいつまでたっても前に進まない。私にも我慢の限界があります。もう甘利事務所とは決別することにしたのです」<週刊文春2016年2月4日号>
 
 国民の血税から多額の給与を受ける国会議員とその公設秘書が、権力を金に換えていた。口利きは常態化し、秘書に罪を押し付け、責任を逃れるのは政治家の常套手段だ。
これから大臣室に入る陳情団は記録媒体を隠し持っていないか、ボディチェックを受けることになるだろう。

SMAP解散問題

2016-01-25 | 社会
SMAP解散問題は、ジャニーズ事務所・メリー喜多川副社長の専横がまかり通り、中居正広ら4人のメンバーが謝罪させられるという、なんともグロテスクな結末を迎えた。
スポーツ紙は飯島マネージャーと4人を罪人扱いし、木村拓哉をSMAPの救世主と絶賛。テレビでは、「SMAP存続よかった」「ひと安心」という害のないコメントが相次いでいる。
 
報道、テレビの世界ではジャニーズ批判は禁句である。
ジャニ-ズ事務所の力がいかに強いか、物語るものだが、芸能界を仕切るフィクサ-の顔色を見ながら報道するのでは、真実が伝わるわけがない。
番組の編成にまで口を挟み、ジャニーズ側の情報のみで書かれているスポーツ紙しか紹介できない。コメンテーターがジャニーズ批判を行うことがないよう、事前に『どんな意見をもっていますか?』と聞き取りをして、批判的なスタンスを口にした場合は“放送中はその人に話を振らない”と決めていると言う。安保法制のときだって、そこまで口封じはしていないそうだ。
 
ジャニーズに頭が上がらないテレビ局の異常体質は周知の事実であり、なかでもフジテレビは凄い。『SMAP×SMAP』の生放送は、木村拓哉以外の4人が謝罪させられた。ファンへの謝罪ではなく、メリー喜多川氏に向けた謝罪だった。さらに、社内人事までもがジャニーズ主導で行われているというのだ。「週刊文春」(文藝春秋)によると、昨年6月、フジは“飯島派”と見られていた社員を番組の制作現場から排除するため、異動や子会社出向を命じていたという。つまり、ジャニーズの派閥抗争に合わせてフジは人事異動まで行ったのだ。
 
今回の騒動は、メリー副社長が娘かわいさからSMAP成功に導いた飯島氏の手腕を疎み、退社に追い込むという極端に感情的な理由から発展した“パワハラ”問題だという。
SMAPを育てた飯島三智マネージャーと、TOKIO、嵐、V6などを手がけるメリー喜多川副社長の娘、藤島ジュリー景子氏の対立は、かなり前から表面化し、タレントも両派に真っ二つにわれ、ほとんど共演もないという状態だった。2年ほど前から、副社長のメリー氏は娘かわいさで、飯島氏とSMAPに激しい圧力をかけ始める。昨年1月、メリー氏が「週刊文春」(文藝春秋)のインタビューを受けた。メリー氏はインタビュー中に飯島氏を呼びつけ、記者の前で「飯島、対立するならSMAPを連れて今日から出て行ってもらう。ジュリーは私の子だから、飯島を辞めさせます。」と明言したのである。以降、飯島氏は一切ジャニーズ本社に姿を見せなくなった。そして、「新潮」によれば、事態は双方が弁護士を立てて応酬するという異常な状況にまで発展。その結果、契約の切れる9月に飯島氏がSMAPを連れて独立するということで話がまとまったのだという。飯島は、SMAP全員が自分についてきてくれるものと信じていたのだが、12月になって、キムタクがジャニーズ事務所側の弁護士に「自分はメリーさんを裏切りません」と伝えてきたのだという。飯島氏に育てられたメンバーたちがその恩に報いて行動を共にしようとする中、キムタクだけが権力になびいた。つまり、裏切ったのはキムタクのほうだった。当初、NHKと飯島氏の間でSMAPをトリにするという話が進んでいたが、メリー氏がNHKに「SMAPをトリにするなら、ジャニーズのタレントを全員引き上げる」と圧力をかけ、近藤真彦をトリに押し込んだのだという。
老害は政治だけでなく、芸能界でも由々しき問題となり、テレビ局まで共犯者に成り下がっているのである。こんな体質で、政権批判や権力を監視することなんてできるはずもない。
 
ジャニ-ズ事務所の社長はジャニ-喜多川(84)副社長メリ-喜多川(89)藤島ジュリ-(49)。
こんな家族経営の閉鎖的な老人暴走会社に日本の芸能界は支配されているらしい。

国谷キャスター降板に思う

2016-01-18 | 社会
「クローズアップ現代」はNHKを代表する好きな報道番組である。この番組が4月以降、現在の午後7時30分からの放送時間を午後10時に変更し、国谷裕子キャスターが降板することが決まった。
クロ現を担当の大型企画開発センターは続投を強く求めたが、上層部は内容一新の方針を昨年末に決定した。
 
2013年4月にNHKを退職したアナウンサーに堀潤氏がいる。退職原因は、福島第1原発事故で、NHKの報道姿勢をツイッターで批判したため、と言われていた。その堀氏はツイッターでつぶやいた。〈菅官房長官出演以降、現場の元同僚や後輩たちからは「政治ネタを扱いにくくなった」と聞いていたクロ現。ついに骨抜きに。〉
 
2014年7月、クロ現は集団的自衛権の特集を放送し、菅官房長官が出演した。そこで、国谷氏は菅官房長官に対し、「解釈の変更は日本の国のあり方を変えるというようなことだと思うのですが、国際的な状況が変わったというだけで憲法の解釈を本当に変更してもいいのかという声もありますよね」などと質問をしたのだ。しかし、この質問は「不遜」であるとして、菅官房長官の周辺はNHKを厳しくとがめ、ここから、堀氏のいう「政治ネタを扱いにくくなった」状況が始まったという。この放送は聞いていた。思っていたとおり、論理的に迫る凄いキャスタ-だと思った。
 
国谷氏は1年契約のフリージャーナリスト。1957年2月3日生まれ。父の海外勤務にともない、幼稚園はアメリカ、小学校1年から5年まで曽祖父が開校した帝塚山学院小学校、小学校6年から中学校まで香港、高校は聖心インターナショナルスクールと、日本と海外を行き来しながら過ごす。79年、米国ブラウン大学を卒業。外資系の家庭用品メーカーに就職するが、1年で退職。やりたいことが見えないまま、26歳まで派遣会社や外国人記者クラブに登録して、海外映像チェック、リサーチなどに従事した。チャンスは一本の電話からだった。家族ぐるみで交際があったNHK特派員からの要請で、81年、「7時のニュース」英語放送アナウンサーに。85年、29歳で結婚すると渡米して専業主婦になるが、87年、BSニューヨーク発のキャスターに就任。88年に帰国し、NHK「ニューストゥデイ」のキャスターに抜擢。30歳だった。半年後にBSに戻され、これが人生最大の転機となった。
私が国谷氏に注目したのはこの頃だ。英語が堪能で、要人とのインタビュ-を通訳なしでこなす。ベルリンの壁崩壊や湾岸戦争勃発など世界が激動する時代に、毎日さまざまな識者にインタビュー。睡眠時間3、4時間でひたすら走り続けたと言う。尊敬する放送人は“アメリカの良識”と称され、75歳まで活躍したABC報道番組キャスター、テッド・コペル氏。コペル氏にインタビュ-したとき、冷や汗をかいて、相当あがっていたのでびっくりしたのを覚えている。「クロ現」に移ってからは、不自由そうだった。彼女が一番力を発揮できたのはBS時代だと思っている。
 
これからは、フリ-ジャ-ナリストとして、思い切った発言、突っ込んだインタビュ-で末永く活躍してもらいたい。

満足死 寝たきりゼロの思想

2016-01-11 | 社会
自分の死が以前より身近になった。しかし「どう死にたいか」は考えたことがなかった。
 
本書はいきなり、主治医が通夜の席で遺族に対し、故人の死亡までの経過を説明するところから始まる。主治医の名は疋田善平(ひきた よしひら)、80を超える年齢だが現役の医師だそうだ。
疋田は「家族の死を師として、自分の死を考えてもらう」ために通夜の席でわざわざ話をするという。「尊厳死」という言葉はよく耳にするが、疋田が提唱する「満足死」とは何か、それを理解するために著者は何年も疋田のもとを訪れて、地域医療の現場、特に過疎地のそれを見続けて来た。
 
現在のわが国では、病院内での死亡が7割を超える。集中治療室ICUに収容され、医療器械に囲まれてスパゲッティ症候群の状態で死を迎えるケースもある。医療側の経営上の圧力が加わって、命を延ばす技術だけが独り歩きしている。その反面、「在宅医療」政策は単に医療費削減を狙ったものにしか見えない。
 
疋田先生が赴任した当時、診療所の担当地域には約1500人の住民がいて、50人前後の寝たきり老人がいたと言う。彼は家庭でできるリハビリを根気よく指導することによって5人にまで激減させた。
1987年、佐賀町では国民健康保険の保険料値下げを行い、以後16年も据え置いたままだった。佐賀町の医療費が削減でき、住民の多くが満足死を実現できる環境が整ったという。
疋田先生は、病院から自宅に戻って死にたいと希望した一人の患者を看取った体験から、「本人の満足、家族の満足、医療側の満足」を満たした死こそ理想的な死と考えて、これを「満足死」と名付けて全国国保地域医療学会に1979年発表した。すでに世界的に有名な「カレン・尊厳死裁判」後のことで、わが国でもそれまでの「安楽死」には安らかに死なせるという「殺人」のニュアンスが含まれることから、それに代わって「尊厳死」が市民権を得るようになっていた。他人から見て尊厳であるよりも、まず自分で満足することが疋田先生の満足死だ。だから尊厳死は二人称、三人称の死であるのに対して、満足死は一人称の死だ。ご本人の言葉を借りると、「施設に入って思うとおりに死ぬことができれば、それは尊厳死でしょう。しかし本人が望んでそこへ行くなら、それは満足死です。もし本人が望んでいないのに施設で死ぬことになれば、不満足の尊厳死であり、それは満足死ではないのです」。
「人は三度死ぬ」という話が出てくる。退職し、社会のため、他人のために貢献できなくなった時が『社会死』、自分で自分の身の回りの世話ができなくなり、寝たきりになり、おむつをあてられるようになる『生活死』、そのあと心臓が止まって死亡する『生物死』が訪れる。今は『社会死』から『生活死』までが20-30年。『生活死』から『生物死』までも5-10年はざらで、その間はだれかのお世話にならなくてはならない。満足な死を迎えたければ、死ぬ直前まで元気でいること。理想は『生活死』から『生物死』までが一週間。疋田先生は住民の満足死を叶えるために、30年も前から医者として予防医学に取り組んできて、満足死と予防医学を結びつけることによって、寝たきりゼロや在宅死亡率70%、さらに国保保険料の値下げという驚くべき成果を上げた。「お通夜教室」と称して、通夜の席で故人の病歴や死因についてこと細かく解説したり、健診データはもちろん、家族環境にいたるまで細かく記載された「一生涯一カルテ」方式を採用したのも彼流の予防医学の実践だった。意外にも、経済的に豊かな地区には寝たきりが多く、貧しい山間部の地区に理想的な死が多かった。出た結論が「死ぬまで働け。カネのためではなく、健康のために」、そうすれば満足死が得られる。著者の奥野氏は「医療の質を落とさずに、医療費を下げる」、厚生労働省がこの命題に本気で取り組むつもりなら、まず現場を知ったうえで、謙虚に「満足死」に学ぶべきだと警告している。
 
自分の死をイメ-ジするのは死の準備のためにも大切なことかもしれない。
倉本聰の健さんとのエピソ-ドを思い出した。
倉本:「僕にどんな死に方をしてほしいですか」と健さんに聞かれたので、ニューオーリンズかどこかにある汚い街のドブ川で、ある日、身元不明の東洋人の死体が見つかる。安置所で3日くらいしてから、どうやら高倉健という日本で有名な俳優らしいぞ、とわかる—。
 
15分くらいしてから、ぼそっと、でも嬉しそうに
高倉:「違うんじゃないですか。アカプルコの海に浮かぶ、一艘のクルーザー。そこで僕は暮らしているんです。毎日、空輸で届けられる東京・青山『ウエスト』のチーズケーキを楽しみにしながら。ある日、それを喉につまらせて死んでしまう」
 
死から一週間、公表されず、静かに逝った健さん。尊厳ある満足死だったと思う。
 
尊厳死の中に安楽死は含まれないが、満足死となると、安楽死も範疇に入ってくる。
安楽死が認められているオランダでは国民的な議論を重ねた結果、「殺人だが、手続き通りなら罰しない」とする安楽死法がある。その手続きとは、
(1)本人が死を望む意志(2)主治医が認めて実行者となりもう一人の医師の承認が必要(3)死後に検視官が調べ検証委員会に報告――などが決められた。
2011年には、死者13万6000人のうち安楽死は3695人。12年は4188人に上り、全死亡者の3%弱。毎年増えており約8割強がガン末期の人だ。
発症前から手続きを踏んでいれば認知症の人も安楽死しており49人に上る。安楽死を認める国は広がり、隣国のベルギーやスイスに、そして欧州外のオーストラリアやアメリカのオレゴン、ワシントン、モンタナ、ニューメキシコ各州に及んでいる。
23人のスタッフのほかに、120人ものボランティアが活動を支える。
「電話をしてくるのは相談相手となる家族やパートナーがいない独り暮らしの人が多く、電話を受けたら必ず自宅を訪問します。家族や友人代わりになってじっくり話を聞きます」。相談で難しいのは「自分の家庭医が安楽死に理解を示してくれない」という訴えだと言う。「昔ながらの考えに固執する医師には、なかなか理解してもらえないことがあります。そんな時には別の医師を紹介します」。
 
  安楽死で使う2つの薬、チオペンタールという睡眠導入剤と筋弛緩剤だ。全身麻酔の時使われる薬で、一瞬で意識を失う。
 
日本では、終末期の議論が進んでいないせいか、安楽死と尊厳死の違いすら十分に認識されていない。尊厳死とは、延命治療を受けずに自然の成り行きに任せて死ぬこと。本人が食べたり飲んだりできる程度に合わせて、食事を提供するが、胃瘻など経管栄養や点滴もしない。日本では近年、事実上の尊厳死は多くの在宅医療の現場やグループホーム、特別養護老人ホームなどの老人施設でみられるようになってきた。死亡診断書に「老衰」と書かれる。尊厳死法に対して、その立法化に立ちはだかっているのは障害者や難病の団体。確かに難しい問題だ。
 
「終末期」を、適切な治療をしても回復の可能性がなく、死期が間近と判定された状態にある期間と定義。「延命措置」については、人工呼吸器や、おなかに穴を開けて管から栄養や水分を胃に送る胃ろうなど患者の生存期間を延ばすための行為とした。そして「15歳以上の患者が延命措置を拒む意思を書面で示しているケースで、二人以上の医師が終末期と判定した場合には、延命措置をしなくてもよい」とする。
 患者の意思は「事前指示書」(リビングウイル)などと呼ばれる書面に残す。法案では、すでに実施している延命措置の中止は含まないほか、認知症患者や知的障害者ら本人の意思が分からない場合は対象外とした。「安楽死」は、医師が薬物などで積極的に患者の余命を縮める措置で、国内では認められていない。尊厳死の場合も、医師が延命措置を中断した場合に刑事責任を問われる可能性がある。
 このため法案では医師の免責条項を設け、延命措置をやめても「民事、刑事、行政上の責任を問われない」と明記。生命保険契約では「自殺者と扱わない」とした。
 障害者インターナショナル日本会議は「法案に示された終末期の定義があいまいな上、延命措置という表現がマイナスイメージで使われている。法制化に関する国民的な議論が足りない」と白紙撤回を要請。
 日弁連は「現状ではそもそも患者の権利保障が不十分。法制化の前に医療、福祉、介護制度の問題点を解決すべきだ」と指摘した。
 「高齢化で増え続ける医療費の抑制が目的ではないか」という見方もある上、難病患者や障害者らは深刻な不安を抱えている。
 「法制化で、患者は生きることを断念するよう無言の圧力を受ける。世話をする家族が仕事を辞めるなど負担は大きい。家族の迷惑を考え、強く『生きたい』とは表明できない」と言う筋萎縮性側索硬化症の患者の訴えも重い。
 
 死に際のあり方を家族で話し合う機会が増えるといい。流行の「エンディング・ノート」に希望する死に方を書き込んでおくのもいい。高齢社会の歪が顕在化する団塊世代が死を迎える時代、日常会話で死が語られ、議論が深まることを期待したい。

デジタルクロ-ン

2016-01-04 | 社会
個人の人工知能(パーソナルAI=PAI)を開発するオルツの最高経営責任者(CEO)、米倉千貴(かずたか)さん(38)が話しかけた。相手はPAIで作った自分のデジタルクローン。
 
米倉「今日の夜、何時からあいてる?」
デジタルクローン「20時00分からあいてるよ」
米倉「食事に行きたい」
デジタルクローン「OK、何食べる? 和食はどう?」
米倉「いいよ」
 
パソコンの画面上には自らの顔。自らの声に似せた合成の音声が応える。今年中の実用化を目指す。PAIはフェイスブックなどSNSの情報やメール、位置情報を取り込んでその人の行動、趣味、人との関係性、口調、癖などを自然に学習していく。結果、デジタルクローンが「その人っぽく」活動するようになる。
デジタルクローンは過去の人物も再現できる。本人の死後もデジタルクローンは動き続ける。「自分を残したい、という欲望をかなえる手段の一つと思う。プログラムの中で人は永遠に生きられる」。
 
海外でも取り組みが進む。米マサチューセッツ工科大学のプロジェクトから始まったベンチャー企業「Eternime」。オルツ社と同様、SNSでの記録などから人格を再現する。「昨日のパーティーはどうだった?」。そんな会話を1日数分、AIと交わし、40~50年かけてデジタルクローンが完成する。
 
人格を残そうという試みが進む一方で、姿だけでいい――と思う人もいる。
3Dプリンターでフィギュア作成などを手がける大阪市のロイスエンタテインメント。写真から3Dデータを起こし、実在する人の人形を作る。高さ20~30センチ。特殊な石膏(せっこう)を固めて着色する。価格は10万円以上だが、昨年は半年で30体の申し込みがあった。多くは亡くなった人の再現だ。
「正直、フィギュアか、と思う気持ちもある。どんなに会いたいと願っても会えないことはわかっている。でも、話しかけたい」。「忘れないと言いながら、徐々に記憶が薄れていくのも怖い。それを止めたかった」
ただ、AIで復活させたいとまでは思わない。「死を受け止められなくなってしまうから」
 
「残す」のではなく、「受け入れる」ための試みも始まっている。人工知能(AI)を搭載した人型ロボット「Pepper(ペッパー)」に、故人の人格などを宿らせる「デジタルシャーマンプロジェクト」。ここでは、AIが少し違う使われ方をしている。生前に録音した声やしぐさをペッパーが再現し、大切な人を亡くした遺族に寄り添う。ただプログラムは永遠には残らず、49日で自然に消える。その間に少しでも心の整理を手助けできたらという試みだ。文化庁の補助事業にも選ばれた。
 
 
多くの人がソーシャルメディアなどを通して情報をインターネットにアップロードしている。文書、画像、動画、音声など、これらの情報は「ライフログ」と呼ばれ、生活の記録を残している。ライフログを基にして、「デジタルクローン」をつくり出す。記録だけではクロ-ンはできない。人間の脳は、膨大なデータから、大切だと感じるものだけを選んで、記憶している。“何が重要なデータかを判断する”人工知能ができれば、感情豊かで人間により近い存在になるという。
遠い将来には、DNAに基づいて新しい生体を復活、創造させることも可能になる。そしてライフログなどのパーソナル・データと一体化されれば、身体を伴った、完全なクローンになる。DNAから再生した身体に情報をダウンロードすれば、不老不死が達成されると考えてもいい。デジタルクローンが人類の自然な進化の形になる可能性がある。
 
人の知性がAIとしてインターネット上に存在することになり、人が肉体を捨て、永遠に“再現”され続ける未来。AIたちが知性を集約し、科学技術を発展させ、物事を合理的に判断して、社会を進化させる。人間を含めた生物たちは最適に調整された環境で芸術活動や単純作業を楽しむ。インターネット上に移住した知性は意思をもち、人間の尊厳を守るために判断する。肉体を捨てることを選んだ知性には、生も死も大きな意味をもたないから、私利私欲におぼれることもないだろう。
 
これから人工知能の技術は産業的にも人間のパ-トナ-としても非常に重要になってくる。少子高齢化する日本、労働力が減ってくる中で人工知能は知的労働を肩代わりし、弱者のための働きやすい環境を作ってくれるかもしれない。人工知能に命令されて働く方が幸せだという時代がやってくるかもしれない。セクハラもパワハラもなく、常に合理的な判断をして、部下にやる気を起こさせる。
高度に知的な仕事は私的な欲望を消したAIに任せた方がうまくいく。最も期待したいのは政治家だ。国民の幸せを考える卓越したAIの大統領や首相の開発が待たれる。
強欲で頭の悪い政治家はもうたくさんだ。

シルバ-川柳

2015-12-24 | 社会
サラリ-マン川柳に代わってシルバ-川柳が主流になるに違いない。
面白い数点を紹介する。(ネットより引用)
・この動悸 昔は恋で 今病気
・恋かなと 思っていたら 不整脈
・医者と妻 急にやさしく なる不安
・LED 使い切るまで 無い寿命
・忘れえぬ 人はいるけど 名を忘れ
・土地もある 家もあるけど 居場所なし
・起きたけど 寝るまで特に 用はなし
・「アーンして」 昔ラブラブ 今介護
・味のある 字とほめられた 手の震え
・誕生日 ローソク吹いて 立ちくらみ
・無病では 話題に困る 老人会
・食べたこと 忘れぬように 持つ楊枝
・大事なら しまうな2度と でてこない
 
老人に関するエピソ-ドも抱腹絶倒!!!
 
キヨスクで買い物をしてたら、隣で駅弁を買っているおばあさんが、お茶も買おうとしていて、「『おーいお茶』でいいですか?」と聞かれ、一生懸命「多くなくていいです」と答えていた。
 
スカート内盗撮のニュース見てばあちゃんが「パンツはいてるに決まってるのになにをやってるんだろうね」って言った瞬間テレビで「どんなパンツをはいているか知りたかったと供述」っていうテロップが入ってそれを見たばあちゃんが更に「デパートにたくさん並んでるのに…」って言う。
 
83歳になったおばあちゃんがEXILEのこと「えぐ左衛門」って呼んでて、あ、覚えやすくアレンジしてるって思った
 
じいちゃんが犬を捨てに行ったら、犬が先に帰ってきた
 
うちのおばあちゃんは、「悪徳業者にだまされない」というビデオを5万円で買いました
 
93のばあちゃんが、亡き夫にそっくりな自分の息子の嫁を見ていかがわしい女を家に引っ張り込んで・・・と怒る
 
 
辛い介護、何とか笑い話に変えられないものだろうか?
認知症の人の言うこと、すること、ことごとく「おかしい」。当事者にとっては悪夢でも、他人が聞くと、おなかが痛くなるほど笑える。漫才のボケは創作だが、こっちは本物だ。
介護のイライラも、誰かに聞いてもらうとすっきりするかもしれない。数々の苦労は、話のネタ、ブログのネタだと思えばいいかもしれない。
 
さらに進んで介護のシェアハウスとか、介護家庭自体が開かれて、負担が分散できる発想がほしい・・・・今のままでは加齢はとてつもなく怖い。