防衛省が去年、大学や研究機関などに研究費を提供する制度を始め、科学者の間で賛否両論の意見が出るなか、日本の科学者でつくる団体「日本学術会議」は戦後維持してきた、軍事技術の研究は行わないとする立場を見直すかどうか、近く検討委員会を設置して議論することになった。日本学術会議は戦前に先の大戦に協力した反省から、昭和25年に「戦争を目的とする科学の研究には絶対に従わない」とする声明を出し、昭和42年にも「軍事目的のための科学研究は行わない」とする声明を出した。
日本学術会議の大西隆会長は「戦争を目的とした研究は行わないという立場は守りつつ、自衛のための技術はどのように位置づけられるのか議論したい。国民は個別的自衛権の観点から、自衛隊を容認している。大学などの研究者がその目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきではないか」と話している。
人を殺す兵器に自衛のための技術は是、攻撃の兵器は非と言うことらしいが、そんな都合よく技術が区別できるはずもない。自衛のための兵器と言う建前があれば、大量殺戮兵器の研究も巨額の予算が付くことになる。
学術会議(1948年発足)は文法経理工農医の7部会で構成され、各部会会員は研究者の直接選挙で選ばれるという民主的な研究者代表機関であり、当時は「学者の国会」とも呼ばれていた。
しかし、学術会議のこうした民主的性格を嫌った政府・自民党の手で1983年に日本学術会議法を改正し、会員選出方法が研究者の直接選挙から学術研究団体(学協会)の推薦にもとづく首相任命に変更された。政府の文教政策・科学技術政策に批判的な会員が多かったためらしい。以来、学術会議は「学会ボス」といわれる大物しか推薦されないシステムが定着した。さらに2004年の法改正によって、会員選出方法がこれまでの学協会推薦から日本学術会議自身が会員候補者を選考するという方法に変更され、現会員が候補者推薦会議をつくって後任会員を選考し指名するという。会長・副会長にしても、直接選挙時代には朝永振一郎・桑原武夫など名実ともに日本を代表する学者が選ばれていた。だが法改正以降は、政府審議会の要職を歴任する大物会員の中から会長が選ばれるようになり、一種の「政治人事」によって学術会議会長が決まるようになった。
その極めつきが、第22期会長に選ばれた大西隆氏、さしたる研究業績もない大西氏が会員(土木工学・建築学)に選ばれ、しかも会長にまで選出されたのである。
工学系会員のほとんどが「原発ゼロ」反対であり、「原発再稼働」賛成であることから考えると、目的は、学術会議による原発再稼働の容認だったようだ。そして、今回の軍事技術の研究は行わないとする従来の立場の見直しである。
政府の方針に従えば、研究費は潤沢に支給され、好きな研究ができ、名を残すこともできる。その研究が人類の滅亡につながっても、知ったことじゃない。こんな考えの技術者が殆どだから、国家が先を争って開発する大量殺戮兵器の開発は目覚ましく進展した。少数の良心的な科学者がいても、事態を変えることはできなかった。良心ある科学者、自分の研究成果に責任を感じる人の中には研究分野を変えていった人もいる。
・戦闘機から新幹線へ。
世界一安全な乗り物である新幹線を開発したのは、戦時中、特攻機桜花を一人で設計した技術者三木忠直氏だった。
三木が設計した電車のデザインには共通していることがある。それは、先頭部分が飛行機の機首にそっくりなのだ。東京帝国大学工学部を卒業後、海軍航空技術廠(神奈川県横須賀市)に入り、急降下爆撃機「銀河」の設計主務をし、特攻機「桜花」はほとんど一人で設計した。桜花は、機首に爆弾を搭載した有人誘導式のミサイルで、母機の爆撃機に吊り下げられて運ばれ、空中で切り離されてから、ロケットやジェットエンジンを点火して敵艦を目指す。生還するための装備は一切ない。「技術者としてこんな特攻機は承服できません」と反対したが、海軍は強行し、三木は従うしかなかった。
戦後、「鉄道は戦争に関係することがない」と思って、鉄道技術研究所に勤務した。新幹線開発の中心になったのは三人。三木は車体の設計、海軍航空技術廠でゼロ戦の改良を担当した松平精氏は、高速走行による車輪の振動を空気パネを採用して解決した。陸軍科学研究所で通信技術の専門家だった河辺一氏は、自動列車制御装置ATCを開発した。桜花も銀河も、終戦直後、アメリカ軍に接収された。世界で初めて音速を超えた「X-1」というロケット飛行機が空中で母機から切り離される方式は、桜花方式と同じだった。
桜花に採用されなかった図面がある。桜花の操縦席を緊急脱出させる装置だ。三木の良心が書かせた図面だったのだろうか。
・小出裕章氏の場合
長年にわたって原子力工学の専門分野に携わり、若き日に原発のウソを見抜き、反旗を翻して原発の危険性に警鐘を鳴らし続けて来た小出氏。原発を推進して原発利権に群がる学閥や大企業勢力から生まれた経団連、放射線法医学に寄生した日本医師会からの圧力や、過疎地に原発を押し付けられたことで国からの交付金を当てにして過疎地の活性化に潤沢な資金を得て来た原発マネーに群がろうとする市町村議会からの反発など、利権団体との壮絶な闘いがあっただろう。原発を「トイレの無いマンション」だと譬えて、一貫して原発に反対して来られた。出世の誘惑に屈せず、権力に迎合もしない。丁寧でわかりやすい説明と、人としての優しさ、そして鋭い舌鋒が心に響く・・・・・科学者の良心をこれだけ具現化した人物はいなかったように思う。
・アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル
ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者、発明家、実業家。ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させた。350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名である。ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。生涯独身だった。1876年には結婚相手を見つけようと考え、女性秘書を募集する広告を5ヶ国語で出し、5ヶ国語で応募してきたベルタ・キンスキーという女性を候補とする。しかしベルタには既に婚約者がおり、ノーベルの元を去った。キンスキーが「武器をすてよ」などを著し平和主義者だったことが、のちのノーベル平和賞創設に関連していると考えられている。そして1905年に女性初のノーベル平和賞を受賞している。同じく1876年、当時20歳のゾフィー・ヘスと出会う。ゾフィーとの関係は18年間続き、218通の手紙を残した。しかし1891年に、ゾフィーが他の男の子供を宿していることが分かり2人の関係は急速に冷えた。ノーベルの死後、ゾフィーは手紙をノーベル財団に高額で買い取らせ、巨万の富を得ている。
1888年4月12日、カンヌを訪れていた兄リュドビックが死去。この時、ノーベルと取り違えて死亡記事を載せた新聞があり、見出しには「死の商人、死す」とあった。本文には「アルフレッド・ノーベル博士:可能な限りの最短時間でかつてないほど大勢の人間を殺害する方法を発見し、富を築いた人物が昨日、死亡した」と書かれ、ノーベルは死後の評価を気にするようになったという。
ノーベルの窮極兵器への夢、 窮極兵器で平和を……。
アインシュタインの自覚。
「アルフレッド・ノーベルは、それまで知られていたものよりもはるかに効果のある破壊の手段である強力な爆薬を発明した。この業績を償い、彼の良心を安めるために、彼は平和を推進するめたの賞をつくった。今日、歴史上最も恐るべき兵器の生産に参加した物理学者は、罪の意識というべきではないが、同じような責任感に悩んでいる。」
「私が最もきらっていた群集性の最悪のあらわれである軍隊組織。楽隊の調子に合わせて隊伍を組んで行進するのが楽しいという人がいれば、私はそれだけでその人を軽蔑する。そんな人には背骨だけあればよい。この文明の汚点は一刻も早く消しさらねばならない。命令によるヒロイズム、無神経な暴力、愛国心の名の下に行なわれる平和破壊のナンセンス--私はこういったものを心から憎んでいる!」
核の抑止力?
「核抑止力」とは、「相手がこちらを核攻撃すれば、こちらも相手を核攻撃するぞ」という「恐怖」を互いに与え合うことで、核使用を抑制しようとする。つまり、「相手が核攻撃するかもしれない」という「相互不信」と「恐怖」が作り出す平和?だ。自国民を人質に他国民を絶滅させると脅迫することで成り立っている。
核抑止力論における核兵器は「報復」の意味しか持っていない。核の傘は降り注ぐ核兵器から国民の生命を守ってはくれない。 敵国から核ミサイルが飛来した時、立ち上るキノコ雲をぬって飛び去る報復ミサイルに意味があるのだろうか?
核保有国
米国、ロシア、イギリス、フランス、中国、イスラエル、北朝鮮、イラン、インド、パキスタン。これだけ核が拡散した状態でも、核抑止と言う神話を信じている人が多い。一方が核兵器を使えば、撃たれた側が黙っているわけがない。印パや朝鮮半島では、いつ核戦争が起きてもおかしくない。ボタンを押した張本人は核シェルタ-の中に逃げ込み、一時的に死を免れるかもしれないが、地球の終末戦争になる可能性は大きい。保持する核全てを使い果たすまで歯止めは効かない。核戦争には勝者は存在しない。全人類が敗者になる。
核兵器は使いたくても使えない恐怖の均衡で成り立つ兵器だ。核保有国の指導者達は核を使えば人類が絶滅する事を充分認識しているというのは、希望的観測でしかない。自国に核シェルターを完備できたと考える指導者がボタンを押しかねない。核シェルターの建設自体もリスクを高めることになる。
好戦的な国の指導者が高度な判断が出来ると思えます?アメリカがトランプ政権になったら、アメリカも安易に戦争を始める好戦国の仲間入りです。
本格化する少子高齢化、そして格差社会・・・
家族の経済的負担が葬儀を変えようとしている。
そして、長生きしすぎたことにより、故人の知り合いがほとんどいなくなり、声をかけても参列できない状態になっていることも少なくない。 金銭的余裕に関わらず、「一般葬儀」を避けて、家族葬でという傾向はすすんでいる。 さらに、納骨場所も、公営墓地は飽和状態、寺院・民間墓地の確保、墓石の購入で数百万、おまけに継承者がいないなど、自然葬を選択せざるを得ない事情もある。 慣習でしてきた弔い、納骨先の悩みなど、社会背景を鑑み、仏事の世界は一段と様変わりしていく。
忘れられない葬儀がある。叔母が旅先で亡くなった。北海道の辺鄙な場所で、車も葬儀社もない。馬車の荷台に叔母を寝かせ、晴天のなか、受け入れてくれたお寺に向かった。幼児だった私は叔母の足を枕に陽光の中、気持ちよくまどろんでいた。その時の牧歌的な田園風景が忘れられない。お通夜は広い本堂で行われ、軽食で夜は静かに更けていった。時々高く燃え上がるろうそくの火が特別な夜を演出していた。
40数年前に弔問に行った家族葬のお葬式はえらく賑やかだった。友人の父親が亡くなり、自宅で行われた葬儀だったが、遠方から駆け付けた親戚の方たちとの思い出話で盛り上がり、これほど笑い声が響いたお葬式は後にも先にもない。
20数年前、母の葬儀は町内会が主導して執り行われた。葬儀とは、菩提寺を同じくする地域共同体の行事として位置づけられていた。現在では、地域共同体で協力し合って葬式を行うことは稀だろう。
地方の地域共同体は、人口の流出によって葬儀のみならず地域行事、諸儀礼などをになう継承者の不足が生じてきた。一方、人口密度が増加した大都市部では、菩提寺との関係も無ければ世帯同士の協力も少ない。隣人がどんな人かもわからない地域のコミュニテイが希薄な社会である。そしてその過程において、地域共同体にとってかわり葬儀業者が葬儀を請け負うシステムが制度化し、葬祭業がビッグビジネスとして台頭してきた。法事での僧侶に対する布施、葬儀業者への報酬や寸志など不透明な部分が多かった葬儀費用の透明化が進み、多様なライフスタイルや考え方を尊重する傾向が許容され、死生観にも変化をもたらした。 日本が超高齢化社会と呼ばれる状態に入り、当面葬儀の数は減ることがない。世代間をまたいで葬儀の伝統や意義を伝えてきた共同体がもはやその機能を果たさない今、葬儀についての問い(葬儀とはなにか、どのような選択肢があるのか)は、身近な人々の死において突然クローズアップされる。大切な人の死という突発的事態において、数日のうちに一通りの儀式を終えるように求められ、細かく仕様を吟味納得する余裕はない。全国に葬儀業界の会社は約8000あり、各企業が様々な方法で葬儀に関わっている。葬儀で様々な演出を施し、死者を厳粛に弔うスタイルの企業から、近年増加している小規模の葬儀、いわゆる家族葬といったものから直葬というスタイルまで様々だ。仏教伝統による葬儀を行う葬祭業者だけではなく、散骨や樹木葬といった自然葬などの葬儀を執り行う葬祭業者もある。価格設定から葬儀の内容(演出)、あるいは方法に至るまで、非常に幅広い選択肢がある。いざと言うときに慌てないために日頃から考えておかなければならない問題である。
葬儀は死者を弔うものであり、残されたものが気持ちの整理を行うためのものである。
「弔う」とは死者の思いを問い、聴いてやることである。日本の伝統芸能、能には鎮魂の物語が多い。生前どうにもならない、悲しみや苦しみを抱いたまま死んで亡霊となったものがシテ(主人公)であり、そうしたシテのところに、ワキ(脇役)の僧が訪れ問うことによって、シテがこの世に残した思いが聴き届けられ、彼岸に戻っていく。死者の痛みを共有していた生者もまた救われる。鎮魂こそが、未来へと生きるための、生者の慰めになり、未来へ生きる力につながるのかもしれない。思い出す事が供養に繋がり、自分の生をつなげていく。日本人ほど法事を行う民族はいない。法事を執り行うのもまた、死者の思い出に浸ることによって、自分の心を癒す。そして、死に逝く者の苦しみは理解されると思うことができれば、残された者も降りかかる苦難を乗り越える勇気が湧くのかもしれない。しかし、これは死者との間に生前、強い絆がなければ成り立たない話である。無縁社会が拡散する中、弔うという行為そのものが形骸化し、衰退していく運命にあるのかもしれない。
2013年(平成25年)に成立した障害者差別解消法が2016年(平成28年)4月に施行された。
内容としては、障害者基本法の基本原則を踏まえ、差別禁止に関する規定を具体化し、それが守られるための措置などが定められている。
障害者と高齢者を共に守る障害者関連法はかなり充実している。障害者基本法、移動等の円滑化の促進に関する法律、身体障害者等が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律、障害者の雇用の促進等に関する法律、障害者虐待の防止、身体障害者福祉法、精神保健福祉士法、知的障害者福祉法、発達障害者支援法など、内容はともかく、法律はたくさんある。
政府は2018年度から精神障害者の雇用を企業などに義務付ける障害者雇用促進法の改正案を閣議決定した。現行法の雇用義務は身体障害者と知的障害者が対象。精神障害者が加われば障害者の法定雇用率が上がるが、当初の5年間は国の雇用支援体制などを考慮して上昇幅を抑えられる規定を盛り込んだ。
しかし、障害者に対する差別意識を法律で変えることはできない。TBS報道特集で事件から1か月後の波紋を特集した。
神奈川・相模原市の障害者施設・津久井やまゆり園で19人が殺害され、27人が重軽傷を負った事件の衝撃は大きい。
横浜市神奈川区の花屋で働く女性は、知的障害者。文字の読み書きや計算が苦手。養護学校卒業後、1年がかりでヘルパーの資格を取り、介護施設で10年以上働いてきた。
その後知り合いの紹介で今の仕事についたが、社会で活動している障害者は少ないのが現状。相模原の事件について女性は「心が割れた」と話した。容疑者は、元施設職員だったことも女性の心を傷つけ、疑心暗鬼にさせていた。女性は「私の障害どこが嫌いですか?と堂々と聞きたい」と話した。
寝たきり芸人の存在も初めて知った。
ストレッチャー型車いすで登場したのは「あそどっぐ」こと阿曽太一さん(37)。進行性の難病で全身がまひし、動かせるのは顔と左手の親指だけ。「実は立てるんじゃないかって? 安心してください、ずっと寝てますよ」-。自虐ネタで障害を笑いに変える「寝たきり芸人」。ありきたりの障害者像を揺さぶる生き方に驚愕した。
阿曽さんは生後半年で脊髄性筋萎縮症を発症。全身の筋肉機能が衰える進行性の難病で、現在は寝たきりとなり24時間体制で看護が必要だ。ニコニコ動画やYOU TUBEで活躍している。
「コメント欄には罵声やヤジも多いけど、心ないものは少ない。こっちの障害を気にせず、お笑い的におもしろいかどうかで発言してくれている。ネットの中って意外と、心のバリアフリーが進んでるんです」
芸人を目指したきっかけは、養護学校の高等部に在籍中、筋ジストロフィーの同級生とコンビを組み、コントを披露したことだった。「人に笑ってもらうのって気持ちいい」。プロを夢見てネタを書きためた。しかし、その相方は23歳の若さで他界。「喪失感が大きすぎた。お笑いを1人でやる勇気もなかった」。ノート数冊分のネタ帳は全部捨てた。一度はあきらめた夢だったが、インターネットの動画投稿サイトの存在を知り、生活支援ヘルパーの助けを借りて投稿を始めた。「今さら、かっこつけてはいられない」。以前はネタにしなかった自らの障害も、迷わず使うようになった。障害者がお笑いのネタを競うテレビ番組で準優勝したのをきっかけに、さまざまなイベントに呼ばれる機会も増えた。今では週1回は「営業」をこなすほどに。ネタ中に唾液吸引のため、ヘルパーの助けを借りることを除けば、立派な「ピン芸人」(一人で活躍する芸人)だ。現在、熊本県合志市で1人暮らし。半年ほど前から、ギャラと障害者年金で何とか生活できるようになった。「お笑い一本で生活する」のが目下の夢という。先日、フェイスブックで、ちょっとうれしいメッセージが届いた。「僕は脳性まひを持った中学生です。あそどっぐさんみたいに、将来お笑い芸人になりたいです」-。
「障害があっても、やりたいことがあったらいろんなことにチャレンジしたらいい。同じような子が増えて、テレビで『僕たち障害芸人です!』とかやれたら最高ですね」
お笑いを通して健常者と障害者の接点を作りたいと、意欲的に活動している。
「障害者に慣れていないから、わからない。わからない部分は恐怖につながる。分かり合えば怖いことはない。」
茨城県牛久市にあるグル-プホ-ム。知的障害のある男性4人が共同生活を送っている。グル-プホ-ムは施設から地域へと言う流れの中で広がっている。
建設時には地域で反対運動が起きた。「襲われたらどうする。地価が下がる。子供たちにとっては脅威だ。このまま静かに暮らしたいのが私たちの願い。」
この住民の声に理事長がとった姿勢はすべてを知ってもらうことだった。入居者のプロフィ-ルなど、一人一人の生活の様子を丁寧に説明した。最後まで反対の住民も実際に暮らし始めた住民を見て反応が変わったという。職員として、この施設に協力する住民もいる。「わかってくれる人が必要。わかってくれる人がいなくなったら終わりだと思っている。なんか話が暗くなってしまいました。」その言葉が明るく、そして重く響いた。
「生きる意味がない」などという植松容疑者のゆがんだ障害者観はどこから生まれたのか。日本障害者協議会理事の佐藤久夫・日本社会事業大学特任教授は、現代社会に潜む「障害者は役に立たない」「お金がかかる」という意識を危惧する。厚労省の審議会ですら「国民の目線」と称して「障害者の要求は青天井」などの乱暴な批判が飛び交うという。
障害者を特別視する我々の心に垣根が存在することを改めて気づかされた。いつ何時、我々自身が障害者になるかわからない。高齢者はその確率が高い。認知症、寝たきり、治療不能の病気・・・・・そんな状態にいつなるかもしれない私たちは、ピンピンコロリを願う。その裏には寝たきりでは生きている意味がない。そうなる前に死にたい・・・・などなど障害者差別につながる意識があるような気がする。自分自身、余命何年などの宣告を受けたら、平常心ではいられないだろう。それに比べて番組に出てきた知的障害者と言われる人達がなんと豊かな表情で生き生きと生活されていることか。生きている意味を本当に強く感じ、命を凝縮させているのは難病患者や障害者の方たちなのではないかと思い至った。
人間は違いがあって当然である。違いを認めあって、すべての人々が普通に暮らしていけるような社会にすることが大切である。障害のある人もない人も高齢者も子どもも、家庭や地域の中で、等しく一緒に人間らしく生活できる共生社会。高齢化社会のなかで介護を必要とする障害者はこれから増えていく一方である。殺伐とした世の中で、グル-プホ-ムで生活する4人の男性の楽しそうな笑顔が印象に残った。
神奈川県相模原市で起きた障がい者大量殺害事件をめぐって、安倍政権支持のネトウヨの間で、「植松容疑者の主張は間違ってない」「障害者は税金を使う金食い虫」といった障がい者ヘイトが広がっている。
それもそのはず、容疑者がフォロ-し、弱者排除の思想を持つに至ったツイッターは、安倍晋三、百田尚樹、橋下徹、ケント・ギルバート、つるの剛士などなど、ネトウヨが好みそうな極右政治家、文化人が並んでいる。その中身も、最近、右派発言が目立つ村西とおるの「米軍の沖縄駐留は平和に大きく貢献している、米軍がいればこその安心なのです」という発言をリツイートしたり、「在日恐い」「翁長知事にハゲ野郎って伝えて!!」といった、ネトウヨ的志向がかいま見えるツイートも散見される。
しかも、容疑者は、衆院議長公邸に「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活および社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」といった手紙を届け、「障害者なんていなくなればいい」と供述している。手紙を届けたという行為から見ても、自分の行為が政権から支持されると思い込み、英雄気取りでいたことがわかる。異常でもなんでもなく、右翼政治家の弱者蔑視思想に強く影響を受け、正義と思って殺傷してしまったお調子者である。今回の犯行は、弱者を社会から排除するという思想の延長線上に出てきたもので、ヘイトクライムである。在日韓国人や弱者に対して、「死ね。日本から出て行け」などと叫んでいるネトウヨ的なメンタリティの延長線上にある。ネットのヘイト発言に触発されて行動を起こす第2第3の植松が出てこないことを祈るばかりだ。
安倍政権の根幹を支える識者?たちにも弱者排除の思想は蔓延している。
曽野綾子は、障害をもって生まれた野田の子どもにかかる治療費は小児ICUや何度もの手術費を含めれば数千万円となる。それは国民が支払う国民健康保険から捻出されているのだから、感謝しないのはおかしいという。「私の周囲には『どうしてそんな巨額の費用を私たちが負担するんですか』という人もいる。『野田さんの子供さんがお使いになるのは、ご病気なんですから仕方ありませんけど、ありがとうの一言もないんですね』と言った人もいた。『もしもの時は安心してください、というのは。遠慮もせずにどんどん使えということですか? そういう空気を煽るから、健康保険は破産するんですよ』という意見もあった。増税論が始終話題になるこの時期に、仕方ないとは思いつつ、皆、健康保険料を払うのも大変なのだ。私も後期高齢者医療制度の保険料を年額五十万円以上支払っているが。私にできる唯一のこととして、できるだけ医師にかからないようにしている」つまり障がい者は高額の医療費がかかる。そしてその医療を負担することは国の健康保険を障がい者が破綻させる、国に迷惑をかけていると言っている。相模原事件の植松容疑者の主張とまったく同じである。
難病や障がいを抱える子どもが医療を受けるのは、当然の権利であり、ほどこしではない。野田が高額医療について、自分だけが享受するのではなく、「高額医療は国が助けてくれるもので、みなさんも、もしものときは安心してください」と周知したのは、国会議員としてごく当たり前の行為だろう。むしろ、国会議員である野田が謝ったり過剰に感謝したりすることは、「高額医療を受けるのは申し訳ないこと」という意識を植え付け、福祉を受けるべき人が受けにくくなる弊害を生むことになる。
差別思想の持ち主である曾野は、個人的に書き散らしているだけではない。安倍政権のもと教育再生実行会議などに名を連ね、自己責任や愛国教育を推し進めている。自分の恵まれた環境を顧みることなく、弱者を叩き、国家に頼るなと自己責任を要求する。国家に貢献しない弱者は排除する。安倍支持者と共通する心性であり、こうした差別思想は、曽野綾子だけに限ったことでない。石原慎太郎や石原伸晃、麻生太郎らは、過去に障がい者や高齢者に対して安楽死を口にしたり、「いつまで生きているつもりなのか」などといった暴言を吐いてきた。公職にある大物政治家や大物作家たちが公然と障がい者差別や排除を声高に叫ぶ日本。その歪んだ考えが蔓延した末に起こったのが今回の事件だ。
曽野やネトサポに批判される野田は、相模原事件発生後の7月26日のブログで、こう記している。
「亡くなられた方々に、弔意を。だけど、私の心は穏やかではない。自ら望んで障害と共に産まれてきたわけではない。こどもの障害を平気で受容出来る親はいない。しかし、健常者を名乗る人たちの一部には、老若男女問わず、有名無名問わず、この世に障害者はいらないと考えている。経済合理性やら優生思想やら、いろいろ。容疑者も産まれたときには、こんな考えはなかったはず。社会のどこかで誰かの話に食いついたのだ。同日、厚化粧の年増女、なる発言。全く脈絡が違うようには思えるが、根っこは繋がっている。この国で活躍すべきは男性であり女性は不要、小賢しいだけ。 最近はそんな発言する男を正直とほめる人たちがいる。単にデリカシーない無礼な所作だけど。先進国を標榜しながら、人は成熟しきれていない。正直、今のままの日本で、息子を残しては逝けない。大東京よ!健常者という曖昧な言葉を捨て、都民同列の優しい大人の都市になっておくれ。ダイバシティ上等!」
障がい者排除の思想が植松容疑者個人のものなどでなく、日本社会全体に蔓延している。その排除の空気は、障がい者に対してのみ向けられるものでなく、女性、高齢者、外国人、あらゆる弱者、あらゆる人間に向けられる。
昨年11月に茨城県教育総合会議の席上で教育委員のひとりが「妊娠初期にもっと(障がいの有無が)わかるようにできないんでしょうか。4カ月以降になると堕ろせないですから」「(特別支援学級は)ものすごい人数の方が従事している。県としてもあれは大変な予算だろうと思った」「意識改革しないと。生まれてきてからでは本当に大変です」などと発言し、さらに橋本昌・茨城県知事までもが「産むかどうかを判断する機会を得られるのは悪いことではない」と擁護・同調するような発言をするという騒動があった。教育行政にかかわる人物が公然と「金のかかる障がい児は産むべきではない」と発言している。
石原慎太郎は、都知事に就任したばかりの1999年9月に障がい者施設を訪れ、「ああいう人ってのは人格があるのかね。絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状況になって……。おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。ああいう問題って安楽死なんかにつながるんじゃないかという気がする」
ほとんど植松容疑者の言っていることと大差なく、違いは実行しないだけだ。舛添のせこい公私混同より石原の差別発言のほうがよほど問題だと思うが、当時この発言を問題視する報道は少なく、その後、4期13年にわたって都民は石原を都知事に選び続けた。
一般的には、こんな差別思想の人間は疎んじられ、周囲から相手にされなくなる。しかし「政治屋」という家系に生まれて、世襲制になると事情は異なる。アホな故に、思いついたことは何でも実行し、それがたまたま、一部の国民に受け、功を奏したから、大得意で政策とは言えない紙幣の印刷とばらまきだけで、経済成長が可能だと思い込む。
賛成しかしない頭数だけいればOKの政治家に多額の報酬を払っているのだから、嫌になる。思考停止の「障害だらけの政治屋」が国会議員にも地方議員にも大量に存在して、国民の税金を浪費している。
特に地方議員の無能ぶりはひどく、地方議員数が多いにもかかわらず、土建などの既得権益にしがみつく人々のために働く議員はいても、市町村全体の利益を考えて行動している地方議員など皆無であろう。
大体、官僚とトップがいれば、政治は滞りなく、進むのである。「官僚支配をぶっ壊す」とか、「官僚から主導権を取り戻す」という前に無駄な政治家の数を減らす方がどれだけ財源が浮くことか。
地方議会の定足数を1議席減らせば、年間500万円の財源が浮くという。報酬以外の歳費(例えば、政策費など)を含めれば、もっと削減できるはずだ。
薄っぺらな批判だけで何もしない、実績(国会議員の場合は法案の提出件数)のない政治家を選挙の際に落とすぐらいしか国民にはできないが、実績のない議員が殆どだから、結局国民にはなすすべがない。議員の一定の割合を障害者や生活保護世帯など、弱者代表にして、政治に参加させるような仕組みをつくらなければ、弱者にやさしい社会の実現は不可能だろう。
北海道七飯(ななえ)町東大沼の山林で28日夕から、北海道北斗市の小学2年生、田野岡大和君(7)が行方不明になっている。函館中央署によると、両親が「しつけのため」として山中で車から降ろし、数分後に戻った時には姿が見えなくなっていたという。同署や消防などが29日も約180人態勢で捜索したが、日没までに見つからなかった。
2歳の男児がおもちゃ入れのプラスチックケースに閉じ込められ死亡した事件で、殺人容疑で逮捕された父親の奈良県生駒市辻町、会社員井上祐介容疑者(39)は、過去にも十数回にわたり同じケースに子どもを閉じ込めていたと供述していることが、捜査関係者への取材でわかった。
今や6人に1人の子どもが貧困のもとで暮らし、更に深刻なことに育児放棄も含む、児童虐待の対応数は年間7万件に及んでいる。
放課後の通塾・習い事が当たり前になっている一方で、通塾もできず、家に帰っても誰もいない、夕食も一人ですます子どもたちがいる。
年間120名の子どもたちが児童虐待で命をなくしている。
確かに今も昔も子供たちは、言うことを聞かず、親の思い通りにはなってくれない。
昔の親たちはどうやってしつけたか?
「人さらいがやってくるよ。オバケがあそこに・・・」。そんな脅し文句が結構効いた。今は、言うことを聞かないと恐ろしい形相のオニから電話がかかってくるスマホアプリがはやったり、生々しい地獄絵で「悪いことをするな」と説いた絵本が話題になったり、昔の脅しによるしつけも復活しているようだ。。
伝統的ななまはげも脅しによるしつけである。大日向雅美・恵泉女学園大学長(発達心理学)は、「泣ぐ子はいねがあ」と、恐ろしい化け物に扮して家々を回る民俗行事について、説得力のある解説をしている。「子どもはなまはげが来るとおびえますが、両親や祖父母がそばでぎゅっと抱きしめてくれます」。悪いことをすることへの怖さを教えると同時に、守ってくれる身近な人への信頼感が増し、「この人の言うことは聞かなきゃ」となる。オニのアプリを親がぬっと突きつけるのでは「親が恐怖を与えるだけの存在になってしまう」と言う。
『ガモ』『モウコ』などの妖怪は、各地に伝わっている。暗くなって子どもがぐずつくのを止めようと、妖怪を持ちだしたという。ただ昔は、妖怪がすまう闇への恐怖を子どもだけでなく親もしっかりと共有していた。親が信じてもいないのに、自分の都合で子どもに押しつけているならば、しつけとしては効果はないかもしれない。
基本的には、長い時間をかけて、何度もわかりやすく諭すのが一番だが、親の方が切れてしまって、しつけと言う虐待を行使してしまう。
虐待はabuse(支配型虐待)とneglect(放任型虐待)に分類できる。
支配型虐待は、自分の期待通りに行動させたがり、子どもに自分の意志によるのでなく、命令・強制によってしつけようとする。子どもの人格は無視され、大人の価値観で子どもを支配する事が「しつけ」と称される。
親の気分や感情の変化で、言動に一貫性がなく、子どもは上下関係のなかで、自分の考えを押し殺し、他人に気に入られようとする。
放任型虐待では、子どもはほったらかしになる。
しつけの基本は自分の頭で考えさせること。たとえ子供でも親が相手を尊重し、相手の立場に立って考える事が出来れば、強圧的に叱ったり、叩かなくても子どもに事の善悪を伝えることができると思う。
しつけと言って、暴力を振るう親は自己中心的に子どもを支配しようとしている保育不適任者でしかない。
身近な人の経験を聞いてみた。
私自身は、親の冗談で自分は捨て子だったと思い込み、迷惑をかけてはいけないと、実に模範的な良い子だったが、精神的にはとてもつらい子供時代を経験した。
いじめっ子と対等に渡り合えなかった悪ガキはいじめっ子の家の窓ガラスを割りに行った。父母が自分の悪行のために謝っている姿を見て、改心し、良い子になった友もいる。
小学生であれば、自分が愛されていることを実感している場合、自分の行為で親が困っている姿を見れば、行動は改まるはずだ。
子供のしつけを焦ってはいけない。気長に本人の理解が深まるまで話し合うのが王道だ。
暴力・怒る事がエスカレ-トして、子供を死に至らせる事件があまりにも多い。
同じ暴力・怒り方では効果が弱まり、量的に拡大しやすくなる。暴力をふるう方は相手の苦痛に鈍感になる。効果があったとしても親の前だけで、反省していないから隠れてやるようになる。
子育ては、親の方に気持ちのゆとりがなければ、うまくはいかない。自分の生活もままならないのに、厄介な子育てが加われば、怒りに任せて当たり散らしてしまうのがオチだ。
しつけで、暴力をふるうのは絶対いけない。子どもを叩くという行動がくせになり、子どもも叩かれるまで、親の言うことを聞こうとしなくなる。暴力が介在する子育てで愛情が育まれることはない。
日本の葬儀と死生観が急速に変わりつつある。国立歴史民俗博物館の山田慎也准教授の著書『現代日本の死と葬儀──葬祭業の展開と死生観の変容』(東京大学出版会)のフィ-ルドワ-クでその変容が明らかになる。
1984年の映画『お葬式』では、葬式を出す家族が葬儀に翻弄される姿をコミカルに描いた。死者を送る儀礼が、形骸化し、葬儀社にお任せになっているのは周知の事実だ。その一方、従来とは違う形、散骨や合葬墓といったやり方が出てきたのも80年代の終わりから90年代のはじめ頃だそうだ。山田氏の葬儀の研究は、「葬儀社にくっついていく」ところから始まった。
「ちょうど過渡期だったんです。自分たちでお葬式をやる。儀礼の意味をよく知っている長老を中心にしてやって、葬儀社は祭壇に必要な荷物を置くだけというぐらいの関わり方から、葬儀社を中心にし、葬儀社が知識を与えてそれに従うという形へ。ある意味、都市の当たり前の感覚への変化が、ちょうど私がフィールドワークをやってる92年から97年ぐらいにかけて目に見える形で起こったんです」
葬儀業者が与える助言によって葬儀が進行し、葬儀社は、総合プロデューサーのような立場だ。
「背景として言えることは、子どもたちは全員外に出ちゃってる。世代的に、完全に外に出た人たちが喪主になってしまう。そういう外に出た喪主にしてみると、何か聞くにしても、隣のおじさんではなくて、業者に聞くっていう、どこに依存するかが明確に変わってしまった。そうすると、村の親戚があえて香典を辞退するようにとか言い出すわけです」
「おじいさんのときは、香典を受けた。でも、香典っていうのは借金みたいなもので、いずれ返していかなきゃいけない。ところが、もう子どもたちは村の他の家の葬儀には出ないわけで返せないでしょう。ならば、香典を辞退しなさいってことになって、それで村との地縁的な関係が切れていく。その村で初めて香典を辞退する葬儀があると、その後、香典辞退っていうのが、急速に広がっていく。地縁的なものが崩壊して、ある意味、都市的な葬儀の様式っていうのが入っていくっていうのが、目の前で起きたわけです」
自分たちが中心になって葬儀を仕切る時代から、葬儀社に一切のノウハウが移る状況への変容を身近に見ることができたわけだ。
「多様化」「自由化」「個人化」の下に、葬式は、いま社会的コンセンサスを急速に失いつつある。都市部においては高齢者すら「葬儀がわからない」時代に突入している。戦後、多くの人が地方から都会に出てきて、地方の習俗について、知らない。近所のお葬式を手伝うこともなく、手伝うとしても受付くらいだ。元来、日本の葬儀は、町内会が中心となって行うのが特徴だったが、今日では葬儀の担い手が個人化してきている。
担い手が町内会から葬儀社となり、葬儀の習俗は、葬儀社から教えられて、遺族は消費者として行動するだけだ。
死の環境の変化も顕著だ。かつては自宅で看取り亡くなることが普通だったのが、今では自宅で亡くなることが稀になり、核家族化で死を看取る人間が少数化している。孫が祖父母を見るのは葬式の時が初めてというケースも多くなっている。しかも遠巻きに見るだけで直接遺体に触れるわけではない。葬儀そのものも葬儀会館やお寺で行われ、死が生活の場から離れ、家族の見えないところで処理されていく。
火葬だけの葬式というのもあるらしい。葬式をしても近親者だけで済ませてしまうことが珍しいものではなくなった。中には拾骨をしないケースもあると言う。通常はお葬式をし、火葬をし、火葬場では焼いた後で拾骨をし、骨壷に遺骨を納めて帰ってくるのだが、拾骨をしないで火葬場に置いてくる。葬儀の簡略化も極まれり・・・・。
骨上げしないで置いてくることは刑法190条の「遺骨遺棄」にあたると一概に言えないらしい。墓地埋葬法では「焼骨」と言い、焼骨=遺骨ではないのだそうだ。遺骨には土葬して骨化したものも含まれ、焼骨だけが遺骨ではない。焼骨全てが遺骨と言うわけでもない。日本では地方によって骨壷の大きさが違い、関西では喉仏を中心としたところを拾っておしまい、名古屋あたりでは胴骨も拾う。東京で足から順番に全部拾うのが特殊だという。遺骨を置いてくる行為に着目すると、関西は遺骨遺棄していることになる。遺骨の概念として、焼骨の場合、骨上げしたものが遺骨であると解釈することで折り合いを付けている。
拾骨をしなければ遺骨が存在しない。今後はこういう形が増えるかもしれない。遺骨に象徴されているのは死者への想いだが、拾骨しないからと言って、死者に対する想いがないとは言い切れない。 人と人とのつながりは生きている人の思い出の中に封印される。語り継がれていく家族の歴史があれば、祖先への想いは受け継がれていくかもしれないが、風化していくことは避けようがない。
庶民が墓をもつようになったのは、江戸時代、寺檀制度の広がりの中で定着していったと言われている。日本人は墓を古くから大事にしてきたような認識をもっていたが、古墳など権力者の墓をイメ-ジしてのことかもしれない。「○○家の墓」という家墓が一般化してくるのは明治の末期以降のことで、一つの墓石の中に多くの遺骨を収めるには火葬の普及が前提になる。明治民法により家観念が強化され、明治末期から昭和の初期にかけて大流行した。家紋が入っている墓も昭和40年代以降のことだそうだ。マイホーム主義にうまく乗り、葬儀社がサービスとして家紋を入れ出した。60年代の末から高度経済成長期には都市化の波に乗り、核家族でもつ「ミニ家墓」が出てきた。首都圏近辺では墓が増え、どんどん霊園が開発された。
「墓を買う」と言うのは間違いで、借りているだけだ。お墓の代金は「永代使用料」となる。「永代」と言っても、跡継ぎがいる限り使うことができる、ということで、墓を守る人間がいないと「無縁」ということになり、無縁墓として処分される。跡継ぎがいなくて無縁となった墓は、1年間掲示板を立て、官報に公示し、だれも名乗り出なかったら撤去してよいことになった。80年代末から出てきたのが永代供養墓。「跡継ぎが不要な墓」で、お寺が続く限りその墓を守る。「有期限墓」というのもある。30年なり50年なりの期限を定め、その間はだれも墓を守る人がいなくても存続する。期限がきた時だれか使う人がいるなら契約更新し、いなければ契約は満了ということで、遺骨は合祀墓に移される。「散骨」も出てきた。原型を残さず2ミリ以下に細かく砕き、他人が嫌がらない場所へ撒く、ということで定着してきた。
縁あってこの世に生まれ、地域共同体で育ち、生活を営み、死んで自然に帰る。自然や地域と親和して人の生死があり、死を恐れず、受け入れることができた。 今はコミュニティが崩れ、母体といえる家族も危うい。1人世帯、2人世帯が増え、高齢者世帯も増えた。コミュニティに送られるという構造がなくなり、葬儀そのものが儀礼化し、送るべき先の他界という観念も消失した。
長引く不景気の中、日本では葬儀ビジネスが成長産業として注目を浴びている。高齢化に伴う葬儀件数の増加が見込まれる一方で、少子化や不景気ゆえに、低価格でシンプルなサービスの需要が伸びてきている。今後数年間で、市場規模が2兆円を突破するとも言われている。
最近では、米国で元NASA技術者が立ち上げたベンチャー企業・エリジウムスペース社が、破格の宇宙葬サービス「Memorial Spaceflight」を開始することを発表している。従来の価格の約半分程度の1990ドル(約19万5000円)で、遺灰の一部を入れたカプセルを宇宙に打ち上げる。遺灰は数ヶ月から数年間にわたり地球の周回軌道を回った後に大気圏に突入し、「流れ星」のように燃え尽きるという。また、新たな試みとしてスマートフォンやタブレット向けアプリを開発し、家族らはその位置を確認できるという。同社は海外進出の第一歩として、まずはポテンシャルの高い日本をターゲットに選んだ。ウェブ上で申し込むと、特殊なアルミ製カプセルが郵送され、それに遺灰を納めて返送。希望者はフロリダ州の打ち上げに立ち会うことも可能だという。さらに「月面供養」のサ-ビスも始める。月着陸船で月面へ遺灰カプセルを送り、カプセルをそのまま月面 に安置する。つまり、その名の通り月がお墓になるサービスだ。「月面供養」の最初の打上げは、2017年後半。Webサイトにて申し込みを開始しており、120万円で月面にお墓を持つことが出来る。 また、国内の専門事業者と提携し、近年大きな社会問題となっている「墓じまい」と組み合わせたプランも用意している。月面にお送りするご遺灰の量は、直径2mmのマイクロチューブ1本分だが、お墓の処分費用や月面に送った残りの遺骨のための永代供養料も合わせて、50万円から対応する。地方に残る先祖代々のお墓を処分しなければならなくなった場合でも、月面にお墓を持つことで、世界中どこからでも月を眺めることでお墓参りをすることができるというのだが、繁盛するとは思えない。
日本の葬儀関連費用は高い。東京の墓地にお墓を設ける平均費用は274万円だという。この他、管理費や法事等の際のお寺へのお布施代やお花代など様々な出費がかかってくる。これらに比べると、宇宙葬(約20万円)や海への散骨(約4万円~)などは、費用も抑えられ、実施の手間や長期的な管理もシンプルという利点がある。
日本の葬儀の多様化・デフレは時代の趨勢だろう。意味も分からないで、形だけ守っても、コメディになってしまうだけなので、人々の死生観の変容に儀式が合わせていくしかないとは思う。しかし、代償としてコミュニティの喪失に拍車がかかり、死者を悼むという日本の伝統が失われていくのも、また寂しいことである。
2016-03-23 | 社会
日本人離れした甘いマスクと渋い声。流ちょうな英語。ショーンK氏の学歴詐称がまた週刊文春のスクープになった。週刊文春編集部には、タレこみが殺到しているのだろうが、ゲスなスク-プは自粛してもらいたいものだ。
大卒歴も留学歴も華麗なる経歴もでたらめということで、非難の嵐だが、そんなもんで人を判断している連中の方が自分を恥じるべきだ。
人はいかに肩書で人を見るのか、同じ能力があったとしても、肩書や見栄えがよい方がよい。男の学歴詐称にこれだけ非難が集まるのに、女の整形手術は何の非難も受けない。女優なんか整形していない人の方が珍しいのではなかろうか。韓国の掲示板で「整形化粧を禁止させなければならない、整形女は人類の進化に害悪を及ぼす人種」というスレッドが話題に成って居る。「化粧や整形をするのは自由だが、結婚する時は義務的に申告するべきだと思う。」「整形は明白な詐欺行為である。」などなど・・・・・
整形は詐欺罪に問えるか?
結婚して財産を持ち逃げしたというのなら、詐欺罪になりそうだが、結婚しただけなら、詐欺罪には問えない。詐欺の成立要件に、「容姿」を欺くことは含まれない。離婚の要件を満たすとも言えない。
人の実力に優劣など簡単につけられない。ドングリの背比べで、実力など判断できないから肩書や経歴、容貌で判断することになる。競争が激しいと人は経歴や整形で少しでも有利になろうと必死になる。中国では就職のために整形どころか、背を数センチ高くしたり低くしたり、人体改造まで行われるなんて話を読んだこともある。
金さえあれば、名門大学卒の肩書なんか手に入るし、詐称とは言えないが、大学のなかで一番入りやすい学部を狙うという方法もある。学歴ロンダリングといって、卒業大学より有名な大学の大学院に入り、有名大学卒業生と名乗ることは割と普通に行われている。一般的に大学院に入るのは、学部から大学に入るより簡単だ。有名大のブランド力などを利用し、自分の実力を良く見せる方法だ。
研究業界にも「経歴詐欺」が多い。金を払って、簡単なレポートを提出するだけで博士号が得られるという、非合法機関もある。そんな博士号で大学教員になった者もいた。研究論文をねつ造、改ざん、盗用など、野放し状態だ。論文雑誌掲載という経歴を盛るために、研究不正が行われるケースも多い。論文の内容より、「ネイチャー誌」に掲載されたのだから、すごい論文に違いない、と思われる。ノーベル賞受賞者や名高い研究者に共同研究者になってもらう「ギフトオーサーシップ」というものもある。大物研究者の名声に寄りかかって論文を出す手法で、研究不正に準ずる行為とされる。
学歴はそもそも詐欺的なのだ。学校の評判は卒業生、あるいは学位取得者の一部の名声により上がる。学歴に見合った能力にぴったり一致する人など、ごくわずかしかいない。だから、「博士のくせに使えない」「東大卒のくせに使えない」などという評判が立ったりする。実際、東大卒は実力があって当たり前だから、期待に応えるためにストレスがたまりそうだ。出身校や学位の評判に寄りかかって、実力以上のチャンスを得ている人は多い。結局学歴で人を評価するというのが学歴詐称の温床になる。
実力があるのにチャンスがない、という人はごまんといる。ショーンK氏にはそれなりの実力があった。経歴を盛ってチャンスを得て、英語力を磨き、チャンスをものにしてきた。
政界にはこのショーン氏と同様の学歴詐称をしながら、権力の座に居座る人物がいる。安倍晋三首相だ。安倍首相もまた、嘘の海外留学歴を公言し、自らの箔付けを行っていたことがある。この事実が発覚したのは、安倍氏が自民党幹事長時代の2004年。当時、安倍氏は自らの経歴を〈1977(昭52年)3月 成蹊大学法学部政治学科卒業、引き続いて南カリフォルニア大学政治学科に2年間留学〉としていた。
事務所のホームページ、後援会向けに作成したプロフィールはもちろん、新聞や雑誌のインタビュー記事などでも同様の記述がされていた。ところが、〈南カリフォルニア大学政治学科に2年間留学〉というのは明らかな水増し、虚偽の学歴だったのだ。実際は「78年の春期、夏期、秋期のみ在籍。その間は正規の学生であるが、専攻はなかった。取得したコース(講座)は全部で6、そのうち3つは“外国人のための英語”。政治学は入っていない。1コースは4単位ですから取得単位は24。卒業できる数字ではない。」
安倍氏は南カリフォルニア大学には「1年間」しか留学しておらず、「政治学科」どころか、そもそも政治学系の科目すら1科目も履修していなかった。これに対し安倍事務所は、以下のように反論している。
「南カリフォルニア大には78年1月から79年3月まで在籍しています。政治学は履修しましたが、途中でドロップアウトしたため、記録は残っていないだけで、留学の実態はあったと考えています」(「週刊ポスト」より)
報道に前後して、安倍氏のホームページ上のプロフィールからこっそりと留学部分の「2年間」という部分が消え、2016年現在では「米大学への留学」自体の記述まで姿を消している。
ショーン氏は「報道ステーション」で的確なコメントをしていた。学歴詐称で、ここまで上り詰めたのではなく、努力の人で実力もあったと思える。
大卒のメリットは、学歴コンプレックスとは無縁でいられることだ。
学歴差別が悪いのであって、学歴詐称は悪くない。高学歴者は、学歴差別を利用して特権的地位をゲットしている。一流大学卒という「事実」を書いて大企業に就職したり、大学教授になる。「中卒以上」と書くことも可能だが、あえて一流大卒と書くことを選び、積極的に学歴差別を利用しているのである。
東京都議会で、晩婚化・晩産化対策に関して、女性議員が質問中に「自分が早く結婚すれば良い」「子どももいないのに」「産めないのか」などと野次が飛んだ。都議会では日常的に下品な野次の応酬があり、議員たちはそれに慣れ親しんでいる。女性蔑視・性的差別をする日本の男性は今も野蛮人である。日本は男女同権を建前とし民主化されているように見えても、本音は女性蔑視思想であり、子供を産む道具とみなされ、社会で活躍する場を奪われている。
早大サークルの強姦事件で「集団レイプする人は元気があるから良い」(2003年)と言った衆院議員、「女性は産む機械」(2007年)と言った厚生労働大臣など馬鹿者達がよりによって政治家なのである。
韓国との軋轢の材料になっている従軍慰安婦問題も強制連行したかどうかが問題ではなく、軍が慰安所を運営したことが問題なのである。日本女性の貞操を守るためと称して、アメリカの駐留軍に慰安所を提供したのである。先日、ブラタモリを見ていたら、すすきのに大規模な遊郭を建設したことで札幌の開拓が飛躍的に進んだという。冬に屯田兵が本島に帰ってしまうのを防ぐため、30軒前後の妓楼を役所が作らせたと言う。札幌の発展にも寄与していたとは・・・・何とも恥ずかしい歴史である。
近年、政治や行政が女性の社会進出、子育て支援などを力説しながら、不見識や偏見が今もあっさりと顔をのぞかせる。意識変革はさっぱり進んでいないのである。
女性が社会から受けている様々な虐待、人権侵害は数え切れない。近年は、思い通りにならない女性は簡単に殺されてしまうのである。
安倍内閣は、事あるごとに女性重視をアピールしているが、何も変わっていない。閣僚・党役員に右翼女性を起用しただけだ。
保育所が足りないことを国会で追及されて、あわてて前向きな答弁をする。そのための財源は?「軍事費を削減して保育所建設に向ける」とは決して言わない。「保育士に勲章を考える」と馬鹿でなきゃ考えもしない妙案を言い出して失笑を買っている。フランスの女優のソフィー・マルソー(49歳)は、フランスの最高勲章レジオン・ド・ヌール勲章を拒否して注目されている。「昨年だけで154人も処刑したサウジ皇太子にも、この賞を与えている」というもっともな理由だ。たかが勲章で保育士が増えると思っているらしい。低賃金に泣く国民が勲章を喜ぶと思っているらしい。
トマ・ピケティ氏も昨年、受賞を辞退した。仏政府は、そうした栄誉を授与する立場にはない、とピケティ氏は言う。
一部に集中している富を再分配することの必要性を著書で主張し、世界的なベストセラーにした実績を持つ経済学者によるレジオンドヌール勲章の辞退は、オランド大統領にとって痛烈な打撃となった。というのも、オランド大統領は富裕層に対する特別課税(富裕税)の枠組みを廃止したからだ。2012年に、鳴り物入りで年収100万ユーロ(約1億4000万円)を超える高額所得者に対しては税率を75%に引き上げるとの計画を発表、これにより左派から熱烈な支持を獲得するに至った。だが、この課税は2015年、廃止に追い込まれた。さらに、オランド大統領は昨年、2017年までに400億ユーロ(約5兆6000億円)の法人減税の実施と、500億ユーロ(約7兆円)の歳出削減計画を決定したことにより、自らが所属する社会党からも批判されている。
女性が言語道断の虐待を受けている国で名高いのは、中東やインド、パキスタンである。
イスラム教は、ムハンマドによって、砂漠のベトウィン達の地にもたさられた。ベトウィン達は、血縁を重んじ、戦いに明け暮れた。コーランは、女性を擁護する者としての男性、女性を支配する者としての男性を規定した。
「男は女の擁護者(家長)である。それはアッラーが、一方を他より強くなされ、かれらが自分の財産から(扶養するため)、経費を出すためである。それで貞節な女は従順に、アッラーの守護の下に(夫の)不在中を守る。あなたがたが、不忠実、不行跡の心配のある女たちには諭し、それでもだめなら、臥所に置き去りにし、それでも効きめがなければこれを打て。それで言うことを聞くようなら、ばかの女に対して(それ以上の)ことをしてはならない。」かくして、イスラム教の下で、女性は、夫以外の男性から、容姿を隠さなくてはならなくなった。家庭に籠もり、社会に出て働くことも禁じられた。
現代になって、主として石油による利益で潤ったことから、ドバイ、クウェート、イラクその他の地では、女性がある程度解放された。それでも、サウジアラビアでは、結婚前の女性がある男性に会いに出かけて、その知り合いの複数の男性に性的乱暴を受けたと裁判所に訴えたところ、裁判所は、イスラム教の教義に基づき、結婚前の女性が性的に放埓な行動をとったと、その女性に、鞭打ち100回の刑を言い渡した、という。
潜在意識的には日本と中東の男たちに大きな違いはない。女は家庭を守る貞淑な良妻であり、子育てを最優先に考える賢母であるべきなのである。男に従順であるなら、保護の対象であるが、ふしだらな女は社会的に葬り去られるべき存在である。関根恵子の逃避行とベッキ-の不倫報道。ベッキ-のようなかわいい醜聞で葬り去られるのだから、世の中は40年前と比べて何も変わっていない。
女性蔑視の野次を飛ばしているヒマがあったら、国会の中で居眠りしている議員どもをなんとかしろ。
結婚して当たり前、子供産んで当たり前、本音が正しいと思っているから、ドヤ顔で非常識を公言する。子供を産むこと、結婚すること、すべて女性の自由だろう。そんな当たり前のことが理解できない。
そもそも良妻賢母の四字熟語は古く、中国の儒教から来ているもので、男尊女卑の悪習を維持するキャッチコピ-だと思っている。
男は仕事、女は家事・育児という役割分業にねざす女性像であり、戦前に限らず、近代社会に特有な女子教育理念である。この理念は現在も生き続け、人々を拘束し社会を一定の形に編成しようとする。女性を家庭にとどめ、女性の賃労働に補助的な意義しか与えず、妻でも母でもない女性を、欠損部分を抱えた存在とみなす。家事・育児を通して国家に貢献する国民として良妻賢母思想が登場したのである。
良妻とはご主人様の言う事に異を唱えず、舅、姑に気に入られる貞淑な妻のこと、賢母は子供の尻を引っぱたいて優秀な人材を育て上げる母の事を言う。
女たちよ。良妻賢母になるなかれ。自分の人生は自分で選び取れ。経済的自立は自由への第一歩である。
20年以内に、日本の労働人口の49%の仕事が、機械に置き換えられる。人工知能やロボットによって、仕事がなくなる懸念が世界的に高まっている。ITを通じてホテルの代わりに一般住宅に泊まれる“民泊”や、一般ドライバーと移動したい人とを結ぶ配車サービスはもはや当たり前だ。タクシー利用者はスマホを使ってサービス会社に配車を依頼する。すると、最短距離にいる登録ドライバーのスマホに利用者の位置と目的地の情報が送信される。受信した登録ドライバーは速やかに利用者を拾い、目的地へ運ぶ。経費がかからないので、運賃は安く、利用者にもドライバーにも好評だ。サービス会社に必要なのは開発部門と営業部門だけだから、配車、経理、総務、整備部門は不要で、新たに失業者を生むことになった。アメリカではタクシー会社が倒産している。こうした事態にどう対応すればいいのか。欧米では、様々な取り組みが始まっている。スウェーデンの福祉施設では、限られた仕事を賃金を落とさずにシェアする試みを開始。アメリカやスイスでは、全ての国民に毎月一定額を支給する最低生活保障(ベーシックインカム)の導入の検討が始まっている。“働かざる者食うべからず”といった常識が通用しなくなるかもしれない社会で、私たちはどう生きていくのか。最前線のルポから考える。(クロ-ズアップ現代)
今までは生産性の向上が新たな仕事を生み出し、経済成長につながると信じられていた。米国では2000年まで労働生産性が上がるに比例して雇用数も上がっていった。しかし、2000年から現在にかけて、労働生産性が上がっても雇用は横ばいで、企業家と労働者の所得格差は広がっていく。確かに今までの技術革新では、自動化による大量生産のために失業した人たちは新たなサービス業やIT産業などが受け皿になっていた。しかし、それらの受け皿は人工知能やロボットが担うようになる。それどころか、ITによる合理化で知的労働の域まで浸食され、ホワイトカラ-の仕事まで奪われ始めている。
配車や民泊などのオンデマンドサービスは日本もオリンピック開催年へ向けて、規制改革をして取り入れようとしている。日本でも、5年後10年後にますます仕事がなくなるだろう。それは必然的変化で、従来型の企業では経営トップですら安泰とは言えない。生産の自動化や人工知能によって失われる仕事の人口比率は後進国ほど大きくなる。
イギリス-35% 米国-47% 日本-49% ナイジェリア-65% アルゼンチン-65% 南アフリカ-67% インド-69% タイ-72% 中国-77%。
今後20年間に人工知能やロボットが担うようになる職種は単純労働だけではない。事務、物流、警備、広告、調理、農業、清掃、建設、通訳、秘書などもいずれなくなる職種だ。
広告業界でもインターネットの発達で、TVCM、新聞・雑誌広告、車内広告、街頭ポスターなどはシェアを落とし、ビックデーターを活用して需要者を特定し、需要者個々が求める広告をピンポイントで無駄なく発信するようになっている。ホームページ制作の優秀な人工知能が生まれている。それはビックデーターなどを活用した内容とデザインで、従来の一般制作者よりはるかに洗練されたものだ。大多数のウエブデザイナーは10年以内に全て淘汰される運命にある。物流も、アマゾンなどが開発中のドローン配送だけでなく、自動運転のトラックによる配送システムの構築はすぐそこまでやってきている。農業ではすでに無人の野菜工場で、無農薬で衛生的で栄養豊富な野菜が水耕栽培されている。エネルギーコストが下がれば、狭い日本での食料の完全自給も実現する。
今、政治家や企業家たちの間で人手不足対策として移民促進が言われている。しかし、10年20年後の技術革新を思うと、それは未来に大きな禍根を残すことになる。少子化も地球の未来を見据えたら、結構な傾向と言える。超格差社会で弱者を増やすのはもうやめた方がいい。
嬉しいのは、強欲な資本家や企業家ばかりではないということだ。ヨ-ロッパでは未来への軟着陸への模索が始まっている。25歳未満の失業率20パーセント以上のスウェーデンでは、ある自動車整備工場が、収入を減らすことなく8時間労働を6時間労働に短縮することに成功した。労働量の軽減によって作業効率が高まった効果だ。その工場では新たに労働者を雇い、収入を減らさずにワ-クシェアリングによって雇用者数を増やすことにも成功した。しかし、競争に負けた企業も存在するはずで、雇用全体から見たら、決して解決策とはならないだろう。技術革新によって雇用が失われ続けるという新たなうねりが始まりつつある。
一般企業では、効率をあげれば必ず失業者を生む。ますます省力化が進み、低賃金の派遣労働者やパ-トの比率が高くなるだろう。なんのために働くのか?労働の対価が金、という発想を変えない限り、ロボットと人間の競争が激化し、やがて人間は競争に負ける。それらの矛盾を根底から変える方法として、アメリカやスイスでは全ての国民に毎月一定額を支給する最低生活保障=ベーシックインカム導入の検討が始まっている。だが、その巨大な財源を得るのは難しく、6月に行われるスイスでの国民投票で採択される可能性は小さい。誰も働かなくなるという考えも根強く、国民のコンセンサスを得るのも難しい。
しかし、多くの仕事が失われる20年後を考えれば、ベーシックインカムを導入し、国民は消費するだけで社会に貢献していると言う考え方をしなければ、社会は成り立たなくなる。
20代で就職したとき、賃金のために働いていると言う意識はなかった。自分の能力を向上させるのが一番の目的で、そのためにはつまらない仕事はしたくなかった。つまらない査定で従業員を競争させる管理のやり方に反発を感じた。労働の対価は自分の能力の向上だったし、同僚の評価だった。最低の賃金は保証されるべきだと思ったし、人の嫌がる仕事にこそ高い賃金を与えるべきだとも思った。鉄腕アトムのような漫画を見ても、未来社会ではロボットが単純労働をこなしている。人間は芸術的なワ-クやボランティア、やりたい仕事を無償でこなし、社会に貢献すればよいと思っていた。そんな理想社会も今の社会の地平線上に見えているような気がしていた。「自分が、本当は何をしたいのか?」を模索している若者達もたくさんいた。理想社会の到来は約束されているように思えた。
それがどうだろう。現代は金が金を産む時代になってしまった。資本が資本を産む、金を動かすだけで莫大な利潤が転がり込む。不労所得で巨万の富を築けるシステムが出来上がり、教育の機会均等も失われ、中間層が消え、一億総貧困社会が見えてくる。均等に与えられる機会を活かし、勤勉と努力によって勝ち取るアメリカンドリ-ムはもはや絵に描いた餅ですらない。
アメリカでも時代を経るに連れて格差の拡大、および固定化が進んでおり、これを不満に思った市民による「ウォール街を占拠せよ」などの大規模な抗議活動が起こった。また、オタワ大学の調査によると、子の世代が親の世代の階層から抜け出せないまま同じ階層にとどまる確率は、主要先進国の中ではイギリスとイタリアが最も高く、次いでアメリカとなっており、アメリカンドリームの実現は、実際には日本やドイツ、オーストラリアよりも難しいとされている。
国のトップの公職を目指す人物が暴言をまき散らす事態は低俗な米国でさえ、かっては想像できなかった。不謹慎な言葉遣い、人種差別、ニューヨークの不動産開発で財をなした人物が国民の保護者を気取るアホらしさ。しかし、トランプは原因ではなく結果であり、政治的混乱、政治家の無能力の具現化だ。トランプ氏は、メキシコ人を国外追放し、イスラム教徒の入国を禁止することを望んでいる。しかし、このようなナショナリズムの萌芽はヨ-ロッパでも起きている。フランスでは国民戦線(FN)のマリーヌ・ルペン党首が、イスラム嫌いと国家資本主義の綱領を掲げている。ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が強い国家を目指す独裁者なのは誰でも知っている。東欧諸国だけではなく、ドイツですら、ネオナチの台頭が懸念される。英国では、欧州連合(EU)からの離脱を目指す運動にポピュリストの傾向が見て取れる。トランプ氏はバリケードを作ることで米国を再び偉大な国にすると公約しているが、ボリス・ジョンソン・ロンドン市長は、英国のEU離脱を実現させれば英国が国境の「支配権を取り戻せる」と主張している。トランプ現象は明日のヨ-ロッパである。
世界金融危機から8年経った今も、先進国の労働者はまだ賃金の伸び悩みや財政緊縮プログラム、雇用機会の縮小に直面している。 欧州では、シリアその他の紛争地域から大量の移民が流入している。
混乱をもたらした張本人である銀行家、政治家、官僚が無傷でのうのうとしているのに、気づかないのか、また気づいても諦観が支配するのか、人々の不満は自分より弱者に向けられる。ポピュリストによる処方箋が手っ取り早く自分たちの苦境を救ってくれると思い込んでしまう。重要なポイントは、政策の議論を悪口雑言と偏見にすり替えてしまうことである。自分より弱者を締め出すことで、自分たちの少ない分け前を増やそうとする。こんな小手先の閉鎖主義で自分たちの国が強くなり、国民が豊かになれると思うのは妄想でしかない。
労働に対する考え方、人間の価値が根本から問い直されなければ社会はますます荒廃する。大多数の人間は能力的にロボットにはもはやかなわない。囲碁で人工知能が勝ち越したのは象徴的だ。人間の生きる意味とは何だろう。人間の価値とは何だろう。人間の尊厳を無条件に認め、人権を尊重する----これが大前提だろう。
「人の価値とはその人が得たものではなく、その人が与えたもので測られる」 アルバート・アインシュタイン の名言が虚しく響く。
岩手県大槌町にある「風の電話」。
線はつながっていない。この電話で様々な思いを震災で亡くなられた方に語りかけていることが絵本になっている。
東日本大震災から5年、テレビ各局で特集が放送されている。震災直後に建てられた電話が今も人々の支えになっている。
★早く見つかれ、早く帰ってこ。元のところさ、うち建てっから。
★時々、何のために生きているんだか分からなくなる時があるんだよ。
★今、みんな4人とも家族全部で頑張ってるから。
★学校とかでさ、家族の話になると絶対みんな気を使って、俺にお父さんの話ふってこないからさ。みんな気を使うんだ。
★お母さんが一番悲しんでるからさ、お父さんがいなくなって一番辛いのはお母さんだからさ。最後ぐらい話がしたかったよ。
★うちらにしてみれば、まだたったの5年、5年しか経っていない。
★父さんが死んだ時は本当にどうしたらいいのかって分からなかったけど、何とか今まで生きてきました。
★津波で亡くなった妊娠中の娘へ・・・聞えてるかな、また来たけど。
NHKもたまには、いい番組を制作する。
受話器を取って、何も話せない人。気持ちのありったけを話す人。亡くなられた人の分まで、生きて行かなきゃ、幸せにならなきゃという思い・・・電話という無機質な仕掛けが人を支える。
「みんなで『花は咲く』を歌って、なんとなくまとまる気持ち悪さ。援助物資を受け取る時に列を乱さない日本人。
人前で怒ったり、嘆き悲しんだりすることは少ない。そこから零れ落ちた想いを風の電話が聞いてくれる。
報道特集も見ごたえのある良い特集を組んだ。
東日本大震災から3日後、金平キャスターは南三陸で、夫を亡くし自宅の前で呆然と立ちつくす80歳の女性と出会う。被災したお年寄りの5年間を追った。
夫を目の前で亡くし、本人は天井にたたきつけられて、流木に捕まり、九死に一生を得る。避難所に行かず、夫の遺体も取り出せないまま、夫の衣類を小川で洗って干してあった。
折に触れて再会した彼女の5年間は、自然と調和して生きる農民の生き方だった。津波で残った2本の枝豆から始まった菜園は毎年たわわに実り、収穫物は仮設住宅などに配達している。金平キャスタ-にも自分で作った焼き芋やずんだモチなどをふるまう。「男と違って、女には仕事がある。じっとしてる暇がないから元気でいられるんだよ。」
85歳の今も広大なスギ林の手入れを弁当持参でやることもある。
日下部キャスタ-が取材した飯舘村長泥地区は高い放射線量が残る福島第一原発から最も遠い帰還困難区域だ。帰れないかもしれない故郷の、郷土史をつくる取り組みを追った。美しい写真で綴られた郷土史は住民たちに自分たちの故郷の美しさを再確認させた。2か月も放置された後、避難させられた故郷へは「もう帰れない、帰らない」と決意するものも多く、専門家の協力も得て郷土史を編纂することにしたのだ。
長泥では2011年3月17日時点で、毎時95.2マイクロシーベルトの大気中放射線量が記録された。これは政府が安全としていた年間線量限度が1ミリシーベルトに対して、年間834ミリシーベルトに相当する水準である。しかし、飯舘村の20の行政区全域が計画的避難指示区域に指定されたのは、事故から42日間後の4月22日だった。しかも、避難の実施期限はさらに40日後の5月末までとされたことから、政府は緊急を要する事態だとは考えていないという印象を与えてしまった。長泥では、政府の方針に従って5月末に避難した住民は、退去前に約50ミリシーベルトの放射線を浴びたことになる。この避難の遅れがどれほどの健康被害をもたらすのかは、もっと年月を経ないとわからない。村民の中には政府の避難期日後も長泥に残った人たちもいた。主に牛の繁殖を生業にしている人たちで、子牛が生まれるまで待つつもりだったからだ。
一方、海産物卸業を営む志賀隆光は避難指示からまる1年、愛犬のゴールデンレトリバーのレイとともにたったひとりで長泥にとどまった。彼は放射能に関する本を読み、自宅周囲の線量は健康に深刻な被害をもたらさないと判断した。戸外で長時間作業を要する仕事ではないという認識もあった。だからこそ、乾燥海苔をカットして箱詰めにする作業を長泥で続けていた。だが、政府の避難区域見直しで2012年7月長泥は向こう5年間は居住不可能な「帰還困難区域」に指定され、バリケードで封鎖されて立ち入り禁止となった。見直しが決定的になった時点で隆光はついに諦め、仕事と住まいを福島市に移した。
避難した人々の中には、仮設住宅に入った人もいれば、賃貸住宅に県から補助を受けて住む人もいる。長泥の住民は福島県全域に分散し、それまでの近所づきあいは途絶えた。
毎年各地域から集まる長泥地区の住民達の間で郷土史の編纂が具体化していった。
震災復興と言う事業も被災者の身になって起こされたものは少ない。10mにも及ぶ防潮堤や盛り土で覆われた高台の住宅地。これが住民の総意なのだろうか。
被災地域は高齢化が進んでいて、資産はないし、ローンが組めない。このため,高台に全額公費負担で宅地造成しても多くの人は家を建てる財力がない。便利な場所で公営住宅を早急に作るべきだった。高台では自動車がなければ生活できない。人口減少が進んでいるのに、街はコンパクトになるどころか、拡散してしまう。
マグニチュード9.0の地震による大津波に、東北太平洋沿岸の防潮堤、防波堤による津波の防御は無効であった。生死を分けたのは日頃の避難訓練であった。防潮堤は景観だけでなく目の前の津波襲来を目隠しする遮蔽壁となる。防潮堤が役に立つのは津波が被害を及ぼさないほど小さい時である。大災害時は被害の複合原因になって被害を甚大にする。防潮堤はお得意の土木公共工事である。有効性などまったく期待されていない。単なるパフォーマンスにすぎない。
TBSテレビは10日、TBS系「報道特集」でキャスターを務める金平茂紀氏が31日付で同局の執行役員を退任すると発表した。同番組のキャスターは続けるという。
故・筑紫哲也氏の右腕として、『筑紫哲也NEWS23』の番組編集長を8年間務めた。
「報道には、ビジネスでは割り切れない損得を抜きにした姿勢や、人が嫌がることでも皆が共有すべき情報を伝えなければならないというパブリックな姿勢が求められます。これが無くなれば、メディアは権力者の思うがままに使われたり、本当のことを誰も知る事ができない国になる恐れがあります。よりよい社会や民主主義をきちんと機能させるためには、ちゃんとしたメディアが必要なのです。今何が問題で、何を議論し決めなければならないのかを国民は知る権利がある。それを伝えるのがメディアの役割です。それは商売上の損得の活動ではありませんね。報道は、視聴者がものごとを自分の頭で考えるための材料を提供する仕事です。視聴者が笑ってばかりいたり、考えることをしなくなったり、他人任せにしたりすることを助長する番組ばかり作っていてはダメだと思います。この点でテレビが弱くなっているのではないかと危惧しています。何が基準か。それは、真実を言っているかどうかなのです。こちらは本当のことを伝えたい。けれども、役所にせよ企業にせよ、都合の悪い真実は隠しておきたい。両者が伝えたいことに違いがあるということです。もし鵜呑みにするようなことがあれば、メディアは“大本営”になるだけです。人間的に優れた広報担当者は、会社を裏切ることもあるかもしれないと僕は思います。アメリカでは、広報の人が内部告発者になることもよくあります。基本的に、広報担当者は会社から雇用されているわけであり、自分が所属する会社さえよければいいという発想になりがちです。しかし、もはやその考え方が今の時代ではもう古い。CSR(企業の社会的責任)が盛んに叫ばれていますが、自分たちの発展だけを考えて生きていくことができない時代に突入しているからです。自分だけよければいいという発想は、一番貧しい考え方です。東日本大震災の原発事故報道で、メディアへの信頼が大きく揺らいだのは間違いありません。本来であれば今、全力を持って建て直していかなければならない。にもかかわらず、メディアに関わっている人間にその自覚が足りないことを危惧しています。テレビは相変わらずお手軽な番組ばかり作っています。僕はテレビメディア側で歳月を経てきた人間として、テレビには可能性があると信じています。あきらめたくはないですから。」