12月8日はジョン・レノンがニューヨークのダコタ・ハウス前で殺害された日です。
今年はそれからちょうど30年目にあたる年でした。
さまざまな報道のなかで、私が目を通して最も心に残ったのは、オノ・ヨーコが発表した手記です。
The New York Times
"The Tea Maker"
http://www.nytimes.com/2010/12/08/opinion/08ono.html?_r=1&scp=1&sq=The%20Tea%20Maker&st=cse
※オノ・ヨーコ自身のサイト、「IMAGINE PEACE」でも読めます(しかし画像が多く、かなり重い)。
IMAGINE PEACE
"The Teamaker"
http://imaginepeace.com/archives/13454
英語を読まない方のために、つたない翻訳を載せますが、
できればこれは原文で読んでほしい。
※ ※ ※
ジョンと私は真夜中のダコタ・ハウスの台所にいる。サーシャ、ミーシャ、チャロの3匹のネコがジョンを見上げている。ジョンは私たち2人のために茶を淹れている。
サーシャは全身真っ白で、ミーシャは真っ黒。2匹とも目がくらむほど優美なペルシャネコだ。その一方、チャロはノラネコだ。ジョンはチャロをとりわけかわいがった。「おもしろい顔をしているね、チャロ!」。彼はよくそう言っては彼女の頭をなでたものだ。
「ヨーコ、ヨーコ、最初にティーバッグを入れるんだ、お湯はそれからだ」。ジョンはイギリス人だったから、茶を淹れるのは彼の役目だった。私は彼に任せていた。
真夜中、しんと静まり返った家で、ジョンの淹れてくれた茶をすすりながら起きているのはすてきなことだった。だがある晩、ジョンはこう言った。「今日の午後、ミミ叔母さんと話をしたんだ。叔母さんが言うには、最初にお湯を入れて、それからティーバッグなんだって。誓って、僕は最初にティーバッグを入れるって教わったんだよ、でも…」
「つまり、私たちずっと間違っていたってこと?」
「ああ…」
私たちは2人してどっと笑った。1980年のことだった。私たちは2人とも、それが共に過ごす最後の年になるとは思ってもいなかった。
ジョンがもし今生きてここにいたなら、今年は彼の70回目の誕生日の年になる。だが人は、彼が生きているかどうかなど尋ねはしない。ただ彼を愛してくれ、彼はその愛によって生き続けている。私は世界中から手紙をもらい、この地上での短い40年という歳月で、ジョンはたくさんのものを私たちに与えてくれた、そのことを感謝して今年を祝っていると教えてもらう。
私たちが彼から受け取った一番大切なものは、言葉ではなく、行動だった。彼は真実を信じていた。そして恐れることなく声を上げた。私たちは皆彼がそのことによってある権力者たちを怒らせたことを知っている。だがそれがジョンなのだ。彼にはそうした方法をとることしかできなかった。もし彼が今ここにいたら、彼はいまだに真実を叫んでいただろう。真実なくして、世界の平和はなしえないだろう。
彼が命を奪われたこの日、私は彼と2人して茶を飲みながら笑い転げた夜を思い出す。
10代の若者は、これといった理由もなくすぐに笑うという。このところ、私は多くの若者が悲しみに沈み互いに怒りをぶつけ合うのを目にする。ジョンと私は10代の若者などではなかった。だが思い出の中の私たちは、いつも笑っていた。
アーティスト オノ・ヨーコ
※ ※ ※
なんと静謐(せいひつ)な文章でしょう。
私はビートルズ、ジョン・レノンは好きですが、オノ・ヨーコのファンではありません。
この人の、いわゆる前衛芸術というものは、正直よくわからない。
特に音楽に関しては、近年再評価されてきているようですが、
個人的には「……」という感じです。
ですが、この文章を読んで、ああ確かにこの人はアーティストだな、と感じました。
そして、1人の女性として、
この静けさにたどり着くまで、どれだけ歳月が要ったのだろうと思いました。
この人は昔も今も「平和」のために闘っています。
「平和」というと、
戦争撲滅、核兵器廃絶、地雷撤去、
そうしたことがいろいろと挙がってきますが、
その本義は、「心穏やかにいれること」なんだと思います。
愛する人と互いに笑い合い、穏やかに日々を過ごせること。
この手記のなかでも記されていますが、
「平和」とは、すなわちそうした日常のささいな「幸せ」のことなのではないでしょうか。
手記に添えられた写真のなかの2人の表情は、とても穏やかです。
あらためて、奪われるはずのなかった命が奪われてしまったことに対し、
偉大なソングライターの命が奪われてしまったことに対し、
深い哀悼の意を表します。
――合掌。
John Lennon was assassinated by a man named Mark Chapman
in front of their home in The Dakota on November 8, 1980.
1980年12月8日、ジョン・レノンはマーク・チャップマンという若者によって
ダコタ・ハウスの自宅前で殺害された。
On that day, people offers many floral tributes in front of The Dakota
and on Strawberry Fields in Central Park.
命日には、ダコタ・ハウスと
セントラル・パーク内にあるストロベリー・フィールズに多くの花が供えられる。
※ストロベリー・フィールズ:ニューヨーク、セントラル・パーク内にあるジョン・レノンをしのぶモニュメント
The bereaved woman, Yoko Ono, has been working on peace
with one of the most beloved songs in the world, Imagine.
オノ・ヨーコは、ジョンを失った今も平和のために活動を続けている。
――世界で最も人々に愛されている曲の1つである、『Imagine』とともに。
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