~step by step~[ 側弯症ライブラリー]患者の皆さんへ

側弯症(側わん症/側湾症/そくわん)治療に関する資料と情報を発信するためのブログです

SRSが提供する患者ストーリー (内気な少女からモデルへの成長)

2017-08-30 22:11:04 | 側弯症患者さんの経験
http://www.srs.org/patients-and-families/patient-stories/lindsay
(Lindsay's Story)

(英文和訳 by august03)



4学年(9~10歳時)のとき、私の頭の中は「体操」のことで一杯でした。私は両親に「体操」クラスに連れていって欲しいとお願いしていたものです。家の周りでとんぼ返りをしている私を見て、私がどれほど真剣であるかを知り、そして許してくれました。
身体を使っていろんなことをすることが大好きでした。トレーニングは楽しく、また厳しいものでした。始めてから数か月で、私は補助者なしで後方宙返りができるようになっていました。
 新しい挑戦を達成することの興奮が私にもっと多くのことをさせました。私は強く、かつ柔軟でした。コーチは、私が背中を簡単に曲げてしまうことに驚いていました。体操をしているときの、全ての瞬間が私は大好きでした。でも5学年(10-11歳)では、体操の記憶は次第に薄れてしまいます。私が覚えている最後の瞬間は、最後の体操クラスでのクーリングダウン(整理体操)です。コーチが私のお尻を強く押し上げたとき、何かの違和感を覚え、すぐに私の母親を呼び出しました。それは私が「側弯症」という言葉を知った最初の時でした。コーチは、母親に、私の背骨の左下側が右と比べて持ち上がっている、すぐに医者に診てもらいなさいと指示しました。それから、様々なことがとても速く過ぎていきました。1996年3月、5学年が終わろうとしていた時期のことです、レントゲン検査の結果、私は第5胸椎から第11番胸椎に25度のカーブが、また第12胸腰椎から第4腰椎にかけては35度のカーブがあることがわかり、S字のように脊椎が変形している思春期側弯症と診断を受けました。体操のコーチから指摘を受けるまで何の異常にも気づいていませんでしたし、痛みすらもありませんでした。
 私の症状は「装具療法」に適しているもので、一日に23時間以上の着用をするように指示を受けました。そしてそれは、もうこれからは体操はできない。ということを意味していました。わずかに装具を外していられるのは、シャワーを浴びるときだけです。
装具は厚いプラスチック製で、この砂漠気候のカルフォルニアでは、それはつねに暑さに悩まされるということでした。装具は私のお腹をきっちりと固定し、そして背中側の革のバックルできっちりと詰め付けるのでした。そうすることで背骨を真っすぐにしようとするわけです。



 私は、装具をしている私の姿をクラスメートの目から隠したいと思ったことを覚えています。とても恥ずかしかったのです。私はとても恥ずかしがりやだったことから、この難しい時期に私をサポートしてくれる友人には恵まれませんでした。母は私のために、装具を覆える大きなシャツを買うためにショッピングに連れていってくれたものです。私が怒りに燃えると、装具の背中から翼が飛び出してくれたらいいのに。でもそれは、私が後日着ることになるビクトリアシークレット(米国のファッションブランド)のものに比べたら貧弱なのでした。
私は新しい生活に落ち着き、私の医師の指示に従ってブレースを着用することに非常に勤勉でした。装具は不快で、暑く、閉所恐怖症のような感じでしたが、健康は私の最優先事項であり、体操よりも重要でした。6学年になると、私はダンスチームを立ち上げました。その頃には、装具はすでに私自身に同化していました。

 残念なことに、ブレースはカーブの進行を抑えることはできませんでした。6か月ごとにレントゲン写真撮影をし、医師の診断を受けていたのですが、その都度医師から言われることは、側弯カーブがだんだんと進行してきている、ということでした。


 7学年になった頃、Hypokyphosis(胸椎後弯….いわゆる猫背状の変形)も進行してきました。
側弯症であるS字カーブのうち、胸椎部のカーブは54度に、胸腰椎部のカーブは57度になり、手術することを勧められ、その日が6月30日と決まりました。私は、恐れと心配でいっぱいになってしまいました。インターネットで側弯症を検索し、側弯症患者のストーリー等を読み漁りました。彼らの言葉…..手術後の姿と健康の回復をイメージし、ポジティブに物事を考えるように、という……言葉が私を勇気づけてくれました。
また、手術前に、肉体的な強さを付けておくことの大切さも教わりました。近所をジョギングし、精神的にも前向きに、自己を肯定することに努めました。
 手術の数か月前に、整形外科医師に会い、家族と私はロスアンゼルスの経験豊富な医師のもとで手術を受けることを決めました。後に知ったことですが、この医師は小児側弯症治療においてとても有名な先生で、私はこのような最善の治療を受ける為に努力してくれた両親を持ったことにとても感謝しました。この医師を初めて受診したとき、彼は私に、彼が手術した患者たちの術後写真をたくさん見せてくれました。ある子はマウンテンバイクに乗り、ある子はウオータースキーに興じており、ある子はゴルフやダンスをしているのです。彼は私にこう言ってくれました。「側弯症手術は、君の普通の生活、普通の日常活動を制限するようなことはない」と。
手術当日は、待機室で私は両親、両祖父母、ふたりの姉に囲まれていました。その瞬間はとても手術に対する恐怖に襲われたものですが、家族と私の通う教会地区の多くの人たちが私の為に「祈り」を捧げてくれていると知り、勇気づけられました。
ナースがくれたクスリを服用すると、私は気分がどんどん楽になり、そしてやがて記憶が薄れていきました。(中略)
次に気づいたとき私はICU(集中治療室)にいました。ママがそばにいたのを覚えています。
翌朝、ナースがやってきて、ゼロから10までの痛みスコアの記載された涙を流す動物のマスクをもってきて、私に痛みの具合を聞きました。私は、ゼロを示したことを覚えています。

 ナースの方々からは、とてもすばらしい看護を受け、病院には一週間入院していました。
もちろん、とてもたいへんな時期もありました。術後の最初の数日は、座ろうとすると吐き気がして嘔吐してしまいました。手術から二日後には、輸血も受けました。というのも、手術ではとてもたくさんの出血をしていたからです。座っていると痛いので、立ち上がろうとするのですが、それはそれでとてもたいへんでした。立ち上がれたときは、とても誇らしい気持ちになりました。そして約3センチ身長が伸びていたのです。歩行ができるようになったら、家に帰れると言われていました。私は、理学療法士・作業療法士さん達に手伝ってもらい,速く歩ける練習、階段を上り下りできる練習を続けました。肉体的に弱くなっているということは感じましたが、気持ちの上で何かが変わり始めていました。私は回復して、そしてダンスに戻るのだ、ということを心に誓っていました。
 腕一杯の花と動物のぬいぐるみを持って病院を退院することができました。回復できたことで、私は新たなインスピレーションと得意な気持ちで満たされました。大手術に打ち勝ったのだから、これからの私は何でもできる!! 学校が始まると、まだ動作的な困難が残ってはいたのですが、ダンスにカムバックしました。大学に入学した初年度もずっと積極的にダンスを続けました。医師の言ったことは正しかったのです。脊椎固定手術は私の肉体的活動をまったく制限することはありませんでした。それどころか、手術の経験は、私を肉体的にも精神的にもさらに強くしてくれました。私は、幾つかの目標を持っていたのですが、例えば、高校をトップ10で卒業すること、カリフォルニア大学に入学し、生理学を専攻して医師か研究者になること、のような。でも、それ以外のドアもさらに開いたのです。

 10年程前、私はファッションモデル事務所にスカウトされ、パリでモデルとして働く為に引っ越しました。それ以来、何百というファッションショーのステージの上を歩き、数多くのファッションマガジンに掲載されてきました。2007年には、長年の夢だった、ビクトリアシークレットファッションショーに参加するということが実現しました。あるいは、ガン研究の寄付金を集めるために50マイルの自転車レースに参加したこともあります。



毎日、ヨガを行い、ダンスクラスにも通っています。周りの大半の人たちは、私の背中に金属の2本のロッドが入っていることを知りません。なぜなら、ここで話をするのがあれ以来初めてのことだからです。
数多くの経験をしてきましたが、私にとって最も誇りに感じるのは、私の背中にある手術痕です。長期間にわたった装具治療と、脊椎固定手術の経験は、私の性格にとても大きな変化を与えました。あれらの困難を考えたら、私は何でも耐えられる、私はなんでもできる、と。
私は最近、「起業家」を私のタイトルリストに加えて化粧品のラインを作り出しました。
会社を始めるという新しい挑戦の準備はできています。でも私が自分に加えたいことは、
「メッセンジャー」という役割です。私の目標は、側弯症という病気と治療のための手術に直面している子供たちに対して、この事態に対して前向きな気持ちを強くしっかり持って欲しい、ということです。内気な十代の私でさえも乗り越えることができたのです、あなたもできますよ、と。



///////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////////

from august03

・この患者ストーリーに登場する多くのアメリカの子供たちが、手術後も活発なスポーツを楽しんでいるのを読み、とても勇気づけられます。でも、これは「全ての日本の子供たち」に適応できるとは言い切れませんので、どうか手術後のスポーツ、運動については、慎重に考えて、担当してくれた医師からの指示・指導にしっかりと従ってください。ここにも記載されているように、金属ロッドが入ったからといって、背中が曲がらないとか、運動ができなくなる、ということは今はありません。技術も医療材料も昔よりもずっとずっと進歩しているからです。でもそれは、医師の指導に従ってのことだ、ということは忘れないでください。

→→→少し専門的なことになりますが、“背中が曲がる”という表記はあまり良い言葉ではないでしょう。脊椎(頸椎・胸椎・腰椎のうち、この場合は胸椎と腰椎がポイントになるわけですが)手術をすることで、胸椎or/and腰椎を固定すれば、当然その固定部分は「曲がる」ということはありえません。ただ、体というのは、素晴らしい仕組みになっており、その「曲がらなくなった部位の動き」を他の部位が補ってくれます。例えば、胸椎・腰椎を長い長い金属ロッドで固定したとして、いわゆる背中は曲がりませんが、これを「腰部」から「股関節」がカバーすることで、足元に落ちているモノを拾うような動作も練習(リハビリ)することで可能となってきます。手術部位によって従前の動きができない・できにくい、ということはあり得ます。でも、それを補うための動きをどう獲得するか、それが術後のリハビリ、練習、運動ということになります。
整形外科の先生からの指導、理学療法士さんや作業療法士さんからの指導に従って、少しづつ「動き」を獲得していって下さい。

 ・側弯症とスポーツについては「カテゴリ:特発性側弯症とスポーツ」にも多くのトピックスを記載してありますので、
参考にしていただければと思います。

・この患者ストーリーを読んで感心するのは、アメリカの子供たちはホント、ポジティブだなあ、ということ。もちろん、そういう性格の子供たちがここに「ストーリー」として登場しているのだとはわかっているのですが、でも、やはり見習うべきものがあるなあ、と感心してしまいます。
なんども昔の話を持ち出してしまいますが、ブログにとりかかる前まで....10年以上前のことですが.....ネツトに掲載されている話題には、「痛ましい」「暗い」話も多かったと記憶しています。その方々は、側弯症手術が開始された頃.....1970年代になりますが、当時は決して成績が安定していたわけでもありません手術をして良かったと素直に語っている方もおられる一方、先生を恨んでいる方もいました。手術は絶対してはいけないと書き綴っておられる方もいました。
そういう時代をへて、2020年もまじかに迫ってきた現在、医療技術と医療器材は明らかに進歩しています。
でも、手術はあくまでも「手術」です。医療に「絶対」はない、というのも事実です。
そういう意味で、子供たちの、そしてご両親の心配は尽きないと思います。

私august03自身には何もできませんが、
少しでも、そういう皆さんの手助けになっていることを願っているばかりです。

 august03


☞august03は、メディカルドクターではありません。治療、治療方針等に関しまして、必ず主治医の先生とご相談してください。
 医学文献の拙訳を提示しておりますが、詳細においてはミスが存在することも否定できません。もしこれらの内容で気になったことを主治医の先生に話された場合、先生からミスを指摘される可能性があることを前提として、先生とお話しされてください。
☞原因が特定できていない病気の場合、その治療法を巡っては「まったく矛盾」するような医学データや「相反する意見」が存在します。また病気は患者さん個々人の経験として、奇跡に近い事柄が起こりえることも事実として存在します。このブログの目指したいことは、奇跡を述べることではなく、一般的傾向がどこにあるか、ということを探しています。
☞原因不明の思春期特発性側弯症、「子どもの病気」に民間療法者が関与することは「危険」、治療はチームで対応する医療機関で実施されるべき。整体は自分で状況判断できる大人をビジネス対象とすることで良いのではありませんか?




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ネット宣伝と医療の功罪 (ひ... | トップ | 側弯症とゴルフ -プロゴルフ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

側弯症患者さんの経験」カテゴリの最新記事