5月2日の続き。
柳川から佐賀城址までは車で40分程で着いた。
到着が夕方4時前になってしまったので、中に入れるか心配だったが大丈夫だった。
すぐに国重要文化財の鯱の門と続櫓があった。
鯱の門は本丸表門にあたり、続櫓とともに1836年に再建された。
重厚で立派な櫓門だ。
【鯱の門・続櫓】
【続櫓】
【城内本丸からみた鯱の門】
佐賀城はもとは戦国大名の龍造寺隆信の村中城を家臣であった鍋島直茂が引継ぎ、改修工事を行った城。
1611年、次の藩主の鍋島勝茂が完成させ、本丸御殿に入った。
これより江戸時代を通じて、佐賀藩36万石の政治の中心となる。
現在、本丸御殿は 『佐賀城本丸歴史館』 として復元された。
第10代佐賀藩主・鍋島直正が再建した本丸御殿を一部復元し建てられた。
正面入口から入館するとすぐに畳敷きの長い廊下になっていた。
【本丸御殿内①】
外御書院。一之間から四之間まで320畳分の大広間。
佐賀藩の公式行事が行われていた場所。
本丸御殿(歴史館)内には、他に展示物や体験コーナーなどがあった。
利用料金はお客様の満足度分、帰りに料金箱に入れる仕組み。
【本丸御殿内②】
退館し、御殿の外周を歩いてみた。
御殿の中庭にあたる場所は復元しなかった建物遺構が一部表示されている。
写真左側が御座間とよばれる建物。
藩主鍋島直正の居室だった。
【本丸御殿外観】
御三家との面談、側近達との会議が行われていた御小書院。
【御小書院】
右の建物が小城家、蓮池家、鹿島家の御三家の部屋。
奥が天守台。
【御三家座と天守台】
御殿内から見えた櫓台を見に行った。
きれいすぎる櫓台は新しく修理されたものだと思う。
切石による亀甲乱積という手法で積まれた石垣らしい。
【南西隅櫓台】
西側土塁に沿って歩くと石垣の下を潜る水路の跡があった。
石材が丁寧に加工され、周りの汚れた水と混ざらないような工夫がされてあった事から、
案内板には本丸内に飲み水等を運ぶ設備であったのだろうと書かれていた。
【石製樋管と赤石積水路】
さらに土塁に沿って歩くと西門に着く。
南西隅櫓台からここまでの土塁の外側は石垣になっていて、二重の構造となっている。
【西門の石垣】
【西門本丸入口】
今度は本丸外側の石垣に沿って歩く。
【本丸外から見た南西隅櫓台】
城を囲む堀は幅約70mある。
【水掘】
西門のそばには天守台がある。
5層の天守閣は1726年に焼失。以降再建されなかった。
【天守台】
天守台の石段を登ると展望台がある。
城の写真集などで見ると、ここには協和館という建物が建っていたが、今はきれいさっぱり何もない。
最近になって取り壊されたんだろうと思う。
【展望台】
ぐるりと天守台の周りを一周すると、正門(鯱の門)に出た。
【正門側から見た天守台】
ここでは鯱の門と続櫓、天守台など歴史を感じさせる建物と、新しく整備された建物とを観る事ができた。
歴史館となった本丸御殿で、観光客を親切に案内しているボランティアの方々をみて、とても大事にされている城だなと感じた。
柳川から佐賀城址までは車で40分程で着いた。
到着が夕方4時前になってしまったので、中に入れるか心配だったが大丈夫だった。
すぐに国重要文化財の鯱の門と続櫓があった。
鯱の門は本丸表門にあたり、続櫓とともに1836年に再建された。
重厚で立派な櫓門だ。
【鯱の門・続櫓】
【続櫓】
【城内本丸からみた鯱の門】
佐賀城はもとは戦国大名の龍造寺隆信の村中城を家臣であった鍋島直茂が引継ぎ、改修工事を行った城。
1611年、次の藩主の鍋島勝茂が完成させ、本丸御殿に入った。
これより江戸時代を通じて、佐賀藩36万石の政治の中心となる。
現在、本丸御殿は 『佐賀城本丸歴史館』 として復元された。
第10代佐賀藩主・鍋島直正が再建した本丸御殿を一部復元し建てられた。
正面入口から入館するとすぐに畳敷きの長い廊下になっていた。
【本丸御殿内①】
外御書院。一之間から四之間まで320畳分の大広間。
佐賀藩の公式行事が行われていた場所。
本丸御殿(歴史館)内には、他に展示物や体験コーナーなどがあった。
利用料金はお客様の満足度分、帰りに料金箱に入れる仕組み。
【本丸御殿内②】
退館し、御殿の外周を歩いてみた。
御殿の中庭にあたる場所は復元しなかった建物遺構が一部表示されている。
写真左側が御座間とよばれる建物。
藩主鍋島直正の居室だった。
【本丸御殿外観】
御三家との面談、側近達との会議が行われていた御小書院。
【御小書院】
右の建物が小城家、蓮池家、鹿島家の御三家の部屋。
奥が天守台。
【御三家座と天守台】
御殿内から見えた櫓台を見に行った。
きれいすぎる櫓台は新しく修理されたものだと思う。
切石による亀甲乱積という手法で積まれた石垣らしい。
【南西隅櫓台】
西側土塁に沿って歩くと石垣の下を潜る水路の跡があった。
石材が丁寧に加工され、周りの汚れた水と混ざらないような工夫がされてあった事から、
案内板には本丸内に飲み水等を運ぶ設備であったのだろうと書かれていた。
【石製樋管と赤石積水路】
さらに土塁に沿って歩くと西門に着く。
南西隅櫓台からここまでの土塁の外側は石垣になっていて、二重の構造となっている。
【西門の石垣】
【西門本丸入口】
今度は本丸外側の石垣に沿って歩く。
【本丸外から見た南西隅櫓台】
城を囲む堀は幅約70mある。
【水掘】
西門のそばには天守台がある。
5層の天守閣は1726年に焼失。以降再建されなかった。
【天守台】
天守台の石段を登ると展望台がある。
城の写真集などで見ると、ここには協和館という建物が建っていたが、今はきれいさっぱり何もない。
最近になって取り壊されたんだろうと思う。
【展望台】
ぐるりと天守台の周りを一周すると、正門(鯱の門)に出た。
【正門側から見た天守台】
ここでは鯱の門と続櫓、天守台など歴史を感じさせる建物と、新しく整備された建物とを観る事ができた。
歴史館となった本丸御殿で、観光客を親切に案内しているボランティアの方々をみて、とても大事にされている城だなと感じた。