5月2日、晴れ。
4連休初日は、久留米城祉→柳川城址→佐賀城址へと出掛けた。
それほど渋滞はなく、別府から2時間ちょっとで久留米城址に到着。
駐車場からすぐに立派な本丸高石垣を見ることができた。
【本丸高石垣①】
この城は、秀吉の九州平定により毛利秀包(ひでかね)によって築かれた。
関ヶ原合戦で、秀包は西軍に属していた為、合戦後は田中吉政の支城となる。
【本丸高石垣②】
その後、1621年に筑後北半21万石の大名となった有馬豊氏(とようじ)が入城する。
以降、幕末の廃藩に到るまで11代約250年の間、有馬家の居城として藩府が置かれた。
【本丸高石垣③】
駐車場のすぐ横には蜜柑丸という可愛いらしい名前の曲輪跡があった。
この場所には蜜柑の木が植えられていたということで、この名が付いたらしい。
【蜜柑丸跡】
城の外周を歩いて行くと、筑後川の土手に出た。
広々としていて、芝の緑がきれいだった。
【筑後川】
再び本丸高石垣。こちらには水濠があった。
【本丸高石垣④】
冠木門跡から入城する。左右に水濠が見える。
本丸跡には有馬記念館があるが、現在休館中だった。
【本丸高石垣⑤】
【冠木門跡】
三層建ての太鼓櫓があった場所。この辺りは多くの石碑が建っていた。
【太鼓櫓跡からみた水濠】
本丸御殿跡は篠山神社となっている。
【拝殿】
【神殿】
月見櫓跡。東門近くにある。
最初に着いた駐車場から石段を登ると、この櫓跡のすぐ横に出る。
【月見櫓跡】
月見櫓跡からは、久留米大学の建物が見える。
【月見櫓跡から見た景色】
東南隅に位置する巽(たつみ)櫓跡。
久留米城には七つの櫓が建っており、その中で最も大きかったのが、この櫓だった。
【巽櫓跡】
北東隅に位置する艮(うしとら)櫓跡。
それぞれの櫓の名前は方角を示す。
【艮櫓跡】
北西隅に位置する乾(いぬい)櫓跡。
【乾櫓跡】
本丸跡には多くの石碑があった。
中には聖徳太子の像も。
【聖徳太子像】
立派な高石垣が印象に残った城址だった。
4連休初日は、久留米城祉→柳川城址→佐賀城址へと出掛けた。
それほど渋滞はなく、別府から2時間ちょっとで久留米城址に到着。
駐車場からすぐに立派な本丸高石垣を見ることができた。
【本丸高石垣①】
この城は、秀吉の九州平定により毛利秀包(ひでかね)によって築かれた。
関ヶ原合戦で、秀包は西軍に属していた為、合戦後は田中吉政の支城となる。
【本丸高石垣②】
その後、1621年に筑後北半21万石の大名となった有馬豊氏(とようじ)が入城する。
以降、幕末の廃藩に到るまで11代約250年の間、有馬家の居城として藩府が置かれた。
【本丸高石垣③】
駐車場のすぐ横には蜜柑丸という可愛いらしい名前の曲輪跡があった。
この場所には蜜柑の木が植えられていたということで、この名が付いたらしい。
【蜜柑丸跡】
城の外周を歩いて行くと、筑後川の土手に出た。
広々としていて、芝の緑がきれいだった。
【筑後川】
再び本丸高石垣。こちらには水濠があった。
【本丸高石垣④】
冠木門跡から入城する。左右に水濠が見える。
本丸跡には有馬記念館があるが、現在休館中だった。
【本丸高石垣⑤】
【冠木門跡】
三層建ての太鼓櫓があった場所。この辺りは多くの石碑が建っていた。
【太鼓櫓跡からみた水濠】
本丸御殿跡は篠山神社となっている。
【拝殿】
【神殿】
月見櫓跡。東門近くにある。
最初に着いた駐車場から石段を登ると、この櫓跡のすぐ横に出る。
【月見櫓跡】
月見櫓跡からは、久留米大学の建物が見える。
【月見櫓跡から見た景色】
東南隅に位置する巽(たつみ)櫓跡。
久留米城には七つの櫓が建っており、その中で最も大きかったのが、この櫓だった。
【巽櫓跡】
北東隅に位置する艮(うしとら)櫓跡。
それぞれの櫓の名前は方角を示す。
【艮櫓跡】
北西隅に位置する乾(いぬい)櫓跡。
【乾櫓跡】
本丸跡には多くの石碑があった。
中には聖徳太子の像も。
【聖徳太子像】
立派な高石垣が印象に残った城址だった。