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平成27(2015)年5月4日より

将棋、名人・A級在位の連続および通算記録

2022-03-24 03:00:00 | 将棋、チェス、囲碁、麻雀、花札、クラッシックギター、社交ダンス、乗馬、書道
 今期、将棋の第80期順位戦で羽生善治がA級から降級しました。

 その去就が注目されていますが(なんで降級で棋士引退まで話が発展するのかは後で書くとして)、そんなことより重要なのが、これにより故大山十五世名人の、A級連続在位記録は、永遠に破られそうにないという事実でしょう。

 大山は24歳でA級に昇級してから69歳で亡くなるまでの44年間(うち一年間のがん闘病での病欠による公休含まず)、44期連続でA級に在籍しつづけた、つまり一度A級に昇級してから一度も降級することなく、生涯A級棋士であり続けた。

 この凄まじい記録に挑戦できる、いや挑戦できる資格のある者は、羽生しかない、密かにそう思っていた将棋ファンも多かったはず(実は私もそう)。

 しかしその夢は破れた。あの偉大な、故大山の数々の記録を塗り替えてきた羽生をもってしても、A級連続在位記録だけは無理だったという。

 しかしながら、羽生の、ここ2、3年のA級順位戦の戦い振りを見れば、苦しいのは明白なだけに降級も致し方なし。


 さて、将棋でプロ棋士になるには、奨励会と呼ばれる、日本将棋連盟主催のプロ棋士養成所へ5級とか6級で入り、そこで昇級していき、三段リーグを抜けて、四段にならないといけない。

 つまり将棋のプロ棋士は四段から始まり(三段まではプロの卵)、この新四段は順位戦に自動的に組み込まれる。

 順位戦は上からA級(A)、B級1組(B1)、B級2組(B2)、C級1組(C1)、C級2組(C2)と5つのクラスがあり、新四段は一番下のC2から始まる。

 この順位戦は一年を通じて行われるリーグ戦で、上位2名が昇級、下位2名が降級となる。そしてA級で上位一名が名人挑戦者となる(下位2名は降級)。なお一番下のC2で降級すると、フリークラスへ転出となり、名人挑戦の道は閉ざされる。

 つまりこの順位戦とは名人挑戦者を決めるためのリーグ戦のこと。ただし新四段がいきなり名人挑戦者になることはない。なぜなら新四段はC2からなので、C2からC1、C1からB2、B2からB1、B1からA、そしてAと、毎年連続昇級しても、名人挑戦者になるには最短でも5年かかる。

 5年は長いという考えもあるが、これは誰もが一緒、同じ条件で争われるので、誰の目にも明白な、公平、平等な制度。純粋な勝ち上がりシステムなので、この順位戦の頂点に立つA級には、本当に強い棋士しか集まらない(集まれない)。

 A級棋士はタイトル保持者と同等の価値があるとされ、それは故升田幸三の「将棋は順位戦が全て」という言葉に集約される。また羽生の「順位戦は残留が目標」という言葉にも表れている。それほど厳しい。

 タイトル保持者ですらA級から降級することは珍しくなく、当時タイトル保持者だった深浦がA級から落ちたとき、「それでも私はA級棋士でありたい」と言ったのは有名だ。

 だから将棋の棋士は引退するとき、A級在籍があれば、必ず「A級通算何期」という話が出る。それほどA級棋士であり続けることは大変なことなのである。


 羽生がA級から降級したのは残念であり事件だが、なぜそれが今後の身の振り方にまで及ぶのか。それは故大山と故升田が立派で筋道を通したから。

 大山は生前「70歳までA級棋士」を人生の目標とし、それを公言していた(つまりA級を降級したら現役棋士を引退する)。そして69歳で亡くなるわけだが、その年のA級順位戦は残留を決めていたので、つまり翌年はA級で順位戦を戦えるわけで、公約を達成した。また升田もA級から落ちることなく引退。

 さあ、この偉大な二人の先輩(大山は十五世名人の称号を、升田も名人を二期獲得している)が見事な引き際だっただけに、こうなると、後続の名人獲得者はどうするのか、どうしたって注目されてしまう。

 現役引退し、今や「ひふみん」の愛称でタレント活動をしている加藤一二三も、名人を一期獲得しているが、A級降級後もずっと順位戦を戦い続け、一番下のクラスC級2組で降級するまで棋士を続けた。

 同じく名人一期の故米長邦雄は、A級降級時にちょっとした騒動を起こしたものの、棋士を引退した(のちに将棋連盟会長に就任)。

 中原誠十六世名人はA級降級後、下のクラス、B級1組で順位戦に出ていたが、ほどなく引退(二度目の脳梗塞で対局が難しくなった)。

 米長の後任として将棋連盟会長を引き継いだ谷川浩司十七世名人もA級降級後、下のクラス、B級1組で順位戦に出ている。

 名人二期の丸山忠久九段もA級降級後、順位戦に出ている(現在B級2組)。

 そして羽生のライバル、森内俊之十八世名人は、何と、A級を降級したら、自らフリークラスへ転出し、順位戦から離脱するも、棋士を続ける。

 今、将棋連盟会長を務めている、これまた羽生のライバル、佐藤康光九段はA級降級後、下のB級1組を一期で抜けてA級に復帰。さすがの貫禄。

 と歴代の名人獲得者の動向はこうなっております。そこで羽生はどうするのか。羽生は十九世名人でもあります。もう、かつてほど、名人獲得者のA級降級後について騒がれなくなっているものの、これが永世名人、しかもあの羽生となると別。

 ですが、「ひぶみん」こと加藤一二三の言う通り、来期も普通に順位戦を戦えばいいと私も思います。

 つまりB級1組で順位戦に臨み、昇級すればいいだけ。そうしたら、佐藤康光同様、一期での復帰となる。何も現役引退したり、森内俊之みたいにフリークラス転出したりすることもないでしょう。


 ここに見出し画像を再掲します。今年の2月8日の朝日新聞(朝刊か夕刊か忘れましたが)の記事掲載のもの。



 改めてこの表を見て思うのは、やっぱり故大山康晴十五世名人のすごさでしょうか。「連続44期、うち名人獲得18期」って、どういうこと? 図抜けてますね。

 そして大体、30期前後で皆、連続記録は途絶えている(羽生も同じ)。

 並みの棋士は一番強いのが20代なんですが、これが一流棋士となると、20代のみならず30代も強い。そしてタイトルを取るような超一流となると、その実力を40代半ばまで維持することができる。

 ところが、故大山康晴十五世名人は別格でして、20代よりも50代の方が強かったという、あり得ない別世界の住人。通常では考えられない、尋常じゃないんですよね。

 50代で、年間最多対局、年間最多勝を表彰されるって、どれだけすごいか。それが63歳での名人挑戦につながってます(この時の名人が中原誠で、大山の天敵、苦手意識が災いし、2勝4敗で獲得ならず)。

 要するに超人なんですよ、大山十五世って。だから紹介記事には「他、伝説多数」と書かれたことも。記録も逸話も多すぎて紹介しきれない。

 この故大山十五世の44期A級連続在位記録、羽生善治でも無理なら、今話題の藤井聡太にだって無理でしょう。一体誰がこの記録を更新できるのか。

 どの世界にも、どんな世界にもすごい人がいる、ということでは済まされないと思っています(将棋だから騒がれないだけ)。

 少なくともこの記録を破りたければ、大山康晴同様、20代よりも50代の方が強くないと駄目。それだけは、はっきりしているということでしょうか。


 付)将棋のプロ棋士は、フリークラスへの転出がない限り、順位戦での対局が組まれるため、一定の年収が保証される(もちろん勝者が敗者よりも多くの対局料をもらえる)。順位戦はあくまで名人戦挑戦権を争うリーグ戦なので、他の棋戦へは各自で参加する。

 注)そこが他のプロの世界と違うところ。囲碁の棋士でも、プロゴルファーでも、普通はプロの資格を与えられるだけで、あとは自分で稼がないといけない。

 蛇足)医者や弁護士も同様ですね。資格を取るのと収入を得るのとは別。それが普通なんですが、将棋の場合はそうなってません。将棋のプロ棋士にとって順位戦は有難い、安定収入源です。

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