中列左から2番目:孫文 後列左から3番目:滔天(1899) by Wikimedia Commons
「民報」の発禁(※)から、石川三四郎や田中正造らに寄り道した。
※1908/M41年 第24期で発禁(その後1910/M43年に2巻を秘密出版)。
1910~11/M43-44年) 大逆(幸徳)事件発生→後日、寄り道する予定。
1911/M44年10月 清の湖北省瀋陽他で武装蜂起、辛亥革命が起きる。
翌年1月、孫文が臨時大統領になり、南京で中華民国(臨時政府)が成立。
しかし、革命運動は各地で続くが、清王朝の命により袁世凱が鎮圧する
翌1913年、清王朝が滅亡、野望を抱く袁世凱が中華民国大総統になる。
孫文と滔天ら一行は、日本から香港経由で上海へ到着、礼砲で迎えられた。
南京で各省代表による選挙で、孫文が中華民国臨時大統領に選ばれる。
翌年元旦に、就任式。滔天ら日本人も何人か招待された。
その後、滔天は槌と龍介を呼び寄せた。二人には初めての海外旅行。
孫文は、3人を南京の総統府に招き、長年の支援を感謝した。
荒尾の宮崎家で、孫文が刺身を食べて下痢をした想い出話を語りながら・・。
槌や龍介が、誕生した中華民国をどんな眼で見ていたかは記録が無い。
滔天は、その後もしばらく留まり、新たな自分の役割を模索する。
すでに日本政府は帝国主義、植民地主義への道を走り出していた。
そんな或る日、滔天は吐血・入院、心ならずも帰国することになる。
先の大戦前、悪化した日中関係を打開しようとする政府からの依頼で、
龍介は蒋介石に会いに行った。勿論、滔天の中国での人脈を頼ってのこと。
しかし、途中、陸軍の妨害で憲兵隊に捕まった龍介は取り調べを受け、
和平工作は失敗に終わった。
・・・憲兵本部から釈放された失意の龍介を待っていたのは、妻の燁子。
今日はここまで。それでは明日またお会いしましょう。
[Rosey]